無関心
(……気まずい)
足元の子猫に牛乳の入った皿を差し出すついでに、マリーは青年の顰め面をこっそりと伺った。
空気が重いのは、窓を叩く雨のせいだけではないだろう。
会話が無いのはいつもの事なので別に構わない。
しかしあんな事があった翌日だと、どうも沈黙が不快感を伴なうようだった。
和やかな朝食の雰囲気などは欠片も存在しない食卓に、マリーはため息を禁じ得ない。
リヒャルトはと言えば、何が気に入らないのかむすっとした表情で新聞を捲っている。
淡々と出来事を告げる日報によれば、南西部の州では内乱の火種が燻っているらしい。
マリーの記憶によれば、そこは確か十数年前に他国から略した土地だったはずだ。
政府からの扱いは決して良くないはずなので、報道内容は当然と言えば当然だろう。
新年早々物騒な事だ。
マリーは短い打音を響かせる窓にちらりと目をやった。
この時期の雨は、下手な雪降りよりも余程気温を下げる。
陰鬱な色をした雲を見つめ続けるというのは、あまり面白い行為ではない。
だが運の悪い事に、硝子から視線を逸らした先には純色の瞳があった。
慌てて菫色の瞳を伏せるも、相手はそれを見逃してはくれない。
「何だ」
「いえ……そう言えば、貴方は綺麗な共通語を話すのですね」
「何を今更」
微妙な空気を何とか打破したいマリーが口にしたのは、予てからの小さな疑問だった。
リヒャルトの言葉には、クローネ特有の──レイデンの旧貴族に言わせれば低俗な──訛りが一切ない。
その場しのぎではあるが、少々気になっていたのもまた事実。
同じ言葉であるだけに、細かい訛りを無くすにはそれなりの労力を伴なうはずなのだが。
少女のそんな疑問を、青年は鼻で笑う。
「その気になれば誰だって出来る。というか、お前がクローネ公用語を話す気はないのか?」
「何が悲しくてわざわざ訛りをつける必要があるのです」
一言多い台詞に言い返しながら、マリーは内心少なからず安堵を覚えていた。
(よかった、いつも通り)
胸を撫で下ろすのとほぼ同時に、しかしこれが“いつも通り”ではおかしい事を思い出して、マリーはぎゅっと唇を結ぶ。
一方のリヒャルトは何か思い出したようで、狼の目を左上に持ち上げた。
「……まあ、母がレイデン系だったのもあるか」
マリーは思わずそちらを見た。
あまりに意外だった。
彼の上背やしなやかな筋肉質の肢体は典型的、あるいは理想的なクローネ人の容貌であって、どこか線の細いレイデン系の特徴は見られない。
マリーの疑問を看破したのか、リヒャルトが短く口を開いた。
「父親似なんだ」
それ以上の追求を拒む声に身じろぎ、マリーは小さな声で「そうですか」と答える。
「初耳です」
「何が悲しくていちいちお前に報告する必要がある」
「……ええ、無いでしょうね。私もあなたに興味がありませんし」
先ほどの自身の発言を揶揄されたようで、マリーは精一杯意地の悪い答え方をした。
しかしリヒャルトには何の痛手にもならなかったらしく、黙殺される。
白磁のカップを両手で持ち、マリーはそっぽを向いた。
彼のこれまでが全く気にならないと言えば嘘になる。
しかし深く追求する気はないし、興味など持ってはいけないのだ。
ローズマリー・ミュートスは、リヒャルト・ケルナーが嫌いなのだから。
(でも……)
ほんの僅かだけ、彼の写真がない事を惜しく思わなくもない。
そのおかしな感情を打ち消すように、マリーは首を振る。
偽夫婦の朝食風景は少しの物音と雨の音、それから猫の欠伸を背景音にしていた。
会話は無い。