来客 (4)
「まあ、マリーさんの旧姓はミュートスでしたの? レイデン指折りの貴族じゃありませんか!」
「いえ、祖父が生まれるより前に貴族制は廃止されましたから。大昔のお話です」
「でも、マリーさんは本当にお嬢様という感じがしますわ。無礼者っ! なんて叱られたら、その場で跪いてしまいそう」
「……とんでもありません」
確かに数週間ほど前、その台詞は口にしましたが。
マリーの笑顔が微妙に引きつる。
それに気づかないソフィアは、マリーの顔をじっと見つめた。
「それにしても、マリーさんはとってもお若く見えますのね。……不躾な質問でごめんなさい、今おいくつかお聞きしてもよろしいかしら?」
誰も聞き耳など立てていないというのに、ソフィアはまるで少女が内緒話をする時のように、声を潜めて言った。
マリーもそれに続き、小声で答える。
「十八です」
「じゅっ……」
ソフィアが蒼氷色の目を見開いた。
「確かケルナー中尉はユリウスと同じ歳ですから、えーと……」
「ええ、八つ違いです」
「そ、そうですよね。……いえ、法律的には何の問題もないのですけれど、どうしてかしら。何となくケルナーさんを非難したくなってきましたわ……」
あの人は確かに非難されても仕方ありませんね。
そう言いたくなったのを飲み込み、曖昧な笑みで誤魔化す。
するとソフィアはおかしな空気を打開しようとしたのか、急いで違う話題を持ち出した。
「じゃ、じゃあ、八つ差くらい気にならないような素敵な出会いをされたんでしょう? お二人の恋物語をお聞かせ願えません?」
「それは……」
マリーは今度こそ口をつぐみ、服の裾を掴んだ。
ソフィアは目をきらきらと輝かせ、こちらを見ている。
その蒼氷色を、紫水晶は見つめ返す事が出来なかった。
「それは……」
いっそ話をでっち上げようか。
一瞬そうも考えたが、冷静な意識がそれを引き止める。
(もう十分、嘘をついているのに?)
嫌な嫌な出会いの記憶。
この上それを偽ると?
ソフィアは、黙り込んだマリーに不思議そうな視線を向け始めた。
マリーが無理矢理に口を開こうとしたその時、
(優しいソフィアさんに嫉妬して、嘘をついて、それでいて平気?)
これまで意地と矜持でもって抑えつけてきた涙が、両の紫水晶から零れ落ちた。
じわ、と一度滲んだそれを止めることは出来ず、春の雨のごとく静かに頬を雫が撫でる。
「え、ええっ!?」
ソフィアはそれを見ておろおろし始めた。
「わ、私何か失礼な事を言ってしまいましたか!?」
「ち、違うんです……。あ、謝るのは私なんです」
ぼろぼろと涙を零しながら、マリーは必死で言葉を口にした。
その涙を拭おうと藤籠からハンカチを取り出したソフィアの目を、真っ直ぐに見つめて。
「私は、ケルナー夫人ではありません」
「……え?」
ソフィアはハンカチを手にしたまま、目を丸くした。
***
「……そう、そんな事があったのね」
「はい」
マリーはソフィアに、どうして自分がここにいるのかを話した。
さすがに夜会の件は伏せたけれど、部外者である彼女にも概要がつかめる程度の詳しさで。
自分を偽ったことで、ソフィアに嫌われることは覚悟の上だった。
しかしソフィアは最初こそ驚いた顔をしていたものの、嘘に対する不満や同情の言葉を口にするのではなく、まるで姉が小さな妹を慈しむような目でマリーを見た。
眼差しと同じく優しい声で、未だ赤い目をしたマリーに話しかける。
「ケルナー中尉は、とてもマリーさんが愛しいのでしょうね」
「……え?」
ついさっきまで話しながら泣いていたマリーは、耳を疑った。
今の話のどこに、そんな要素があったと言うのだろう。
そんなマリーの胸中を読み取ったかのように、ソフィアは柔らかな微笑と共に言う。
「だって、よっぽど恋い焦がれていなければ、そこまで強引な手段は取れませんもの」
その言葉に納得のいかないマリーは、白い花瓶と対照的に紅い千日紅を見つめた。
(リヒャルトが私を愛している?)
有り得ません。そう小さくつぶやくと、ソフィアが首をかしげた。
「どうしてそう思われるんです?」
「あの人はそんな素振りの欠片も見せたことがありませんもの。きっと遊んでいるつもりなんでしょう、本人としては」
何故か表現しがたい苛々に襲われて、早口で言い終える。
ソフィアはそれに対しても怒らず、むしろ穏やかな視線をこちらに向けた。
「やっと不機嫌な顔を見せて下さるのね」
「はい?」
意外な言葉に、今度はマリーが目を丸くした。
ソフィアはどこか面白そうな顔をする。
「だってマリーさん、時々苛々していたでしょう?案外分かりやすい顔をしてらっしゃるのよ」
「……ということは」
先程からのマリーの心中はお見通しだったということか。
「中々訳を教えて下さらないから、信頼されてないのかと思ってどきどきしてしまいましたわ」
ソフィアがころころと笑い声を上げる。
マリーは数回瞬きして、それからぷっと噴き出した。
どうしてああも気負っていたのだろう。
ソフィアもソフィアで、気づいていたなら言ってくれればいいものを。
結局お互いにつまらない事を隠していたのがおかしくて、二人はしばらく笑いっぱなしだった。
***
「そろそろお暇しませんと」
「あら、もうそんな時間ですか」
焼き菓子をつまみながら他愛もない世間話を続けた後、ソフィアが時計に目を留めて立ち上がった。
マリーは恨めしい思いで時計を見たが、引き止める訳にも行かない。
「長々とお邪魔してすみません」
「いえ、とても楽しい時間でした」
「ケルナー中尉によろしくお伝え下さい。ケルナーさんがどうしてもと言って下さらなかったら、私は今日も退屈な日を過ごしていましたわ」
「え?」
廊下を歩きながら、ソフィアが発した何気ない一言。
その意味が理解出来ず、マリーは思わず問い返した。
「どういう事ですか?」
「ケルナーさんがうちの主人に、ローズマリーが退屈しているから話し相手になるよう私に頼んでくれって。ユリウスったらリヒャルトが怖い! って子供みたいに……」
ソフィアが夫の声真似を交えて語った話を、マリーはほとんど聞いていなかった。
(……リヒャルトが?)