或る老いぼれの昔話
こんなめでたい日に、外でしゃがみこんでどうしたんだ?
雪も降ってるし寒いぞ、早く家に帰れ。それともお前、家が無いのか?
……そうか、両親と喧嘩して飛び出してきたんだな。
そんな日もある。お前の年ではまだ分らんかもしれないが、お前の両親だって一人の人間だ。お前の思うように動くロボットではない。
違う違う、お前を責めてるわけじゃないんだよ。むしろ俺のガキの頃を思い出して少しだけ良い気分になったんだ。
まだ家には帰りたくないのか?
仕方ないな、こんな遠い異国の地で俺のガキの頃を思い出すなんて考えてなかったからな。お前が良ければ少しだけ昔話をしてやろう。長くなるから俺にくっついて話を聞け。体温が高いからな、俺は。それで大分寒さがマシになるだろう。こらこら、腹を叩くな。叩いたってなにも出てこねえよ。
お前は多分、俺がこんな話をしたからって理解できるわけでもないし、こちとら理解されようとも思っちゃいない。ただ、お前みたいな子供の為に人生を捧げた馬鹿がいるって話を聞いてほしいだけだ。
さてと。
俺の友人の話をしようか。
そいつは自他ともに認める馬鹿だった。
何というか、人が好きすぎるんだよ。良い所も悪い所も全部ひっくるめてあいつは人間が大好きだった。
そんな奴の事を、もちろん俺たちは嫌いなわけではないのだが、ちょっと変わった奴だとは思っていた。俺たちは基本的に人間と相容れない奴の集まりだったからな、でもあいつはそんなことを気にせず仲良くなったんだ。
あの頃はさ、道端で子供が物乞いをしていたり、貧困故に家族は一人娘を売らなければならなかったり大変な時代だったんだ。
まあ、生きていくために仕方ないことだとはいえ、さすがに俺たちも胸が痛んだ。でも許してくれ、俺たちは何の力もない若造だったんだよ。それをただ見ているだけ、偶に持っていた食料を僅かばかり子供の前に置いてやるだけ。そのくらいの事しかできなかったんだよな。
でもあの馬鹿ときたら、子供たちが物乞いをしているのを見るとすぐに財布からあるだけの金を出して奴らに施すんだ。それで決まってこう言う。「君たちにも幸せな未来が待ってる。温かい暖炉の前でおもちゃで遊ぶことができる未来だ。そんな未来を、私が作って見せよう」って。
別に悪い事じゃない。むしろ客観的に見たら素晴らしい行為さ。あの時代に君臨してたバカげた国王――親の七光りすら扱い方が分からない暴政の王だった――に見せてやりたかったね。あの尊敬すべき馬鹿はお前の間抜けな政策の尻拭いをしてやってるんだ! ってね。
今の時代じゃあ考えられないよなあ。
今はアレだろ? 政府、というか国が福祉策を講じてくれるからそんな奴は見ないだろ? 今の言い方をすれば福祉国家ってやつだな。俺たちのころは国家の在り方は夜警って呼ばれてた。国なんか黙って他国に睨みをきかせていれば良いんだってな。まあ多少粗野な表現かもしれないが、大体はそんなもんだ。だから今みたいに皆が、少なくとも大多数が人間らしい生活を送れる時代じゃなかったわけだ。
国の在り方がどうこう、政治の在り方がどうこう言ってる奴らは俺たちが若い頃の時代に行ってほしいね。そもそも異を唱えただけで殺されるかもしれねえ。言論の自由とかそんなもんは何の役にも立たねえ時代だった。何が言いたいかっていうと、今のこの世界はなかなか居心地がいいってことだ。刺激は足りないがな。
ちょっと話が脇道に逸れたな。そんなことはどうでもいいんだ。
俺みたいに年寄りになるとついつい懐古しちまっていけねえ。時代が変わるんなら俺らの意識もそれに連れて変わっていかなきゃいけねえんだ。
昔を懐かしむのは、いつだって時代に置いて行かれたのろまな奴らだ。
お前はまだ若いから分かんねえだろうけどな。まあこういう老いぼれになるなっていう話だ。
さて、何の話をしていたんだっけ。
そうそう、俺の友人の馬鹿の話だ。
あいつは誰にでも訳隔てなく接した。俺みたいな人間の輪に入ることを許されない爪弾き者にも、貧困に喘ぐ子供にも、貧困で娘を売る両親にもな。
人は悪くない、悪いのはいつだって人にそうさせるしか方法を残さないこの世界だ、ってあいつは言っていた。あの時には珍しい考え方じゃねえかな。人やその信仰心を疑わず、性善説を疑わず、神やその世界を糾弾する。
――良く言えばこんな言い方ができるが、つまるところ理想論者だったわけだ。
でもあいつが馬鹿たる由縁は、その理想を理想で終わらせなかったところだ。
あいつはいきなり言い出した。
「世界中の子供に幸せを届けたい」と。
はあ? と思ったさ。何かの詩の一文かとも思った。俺たちがそうやって訝しげな顔をすると、あいつは笑った。「だからお前たちに協力して欲しい」
協力って何だよ? と仲間の一人が言った。「俺たちにお前は何をさせるつもりなんだ?」
待ってました、と言わんばかりに目を大きく見開き、あいつは自信満々に宣告したんだ。
「お前達は私を世界の果てまで連れて行ってくれ。私は世界中の子供が温かい暖炉の前でおもちゃで遊ぶ、そんな世界を作りたいのだ」
――とまあ、こんなもんだ。
爛々とした顔で俺を見てるが、もしかして話を理解できたのか?
だとしたらお前もあいつと同じ素養があるのかもな。無条件の優しさだとか、人間愛だとかの。
そろそろお前も家に帰れ。こんな日の夜に家出するのは得策じゃない。
今頃お前の家にも来てるだろうな。あの赤い服着た底なしの馬鹿が。俺たちがあいつをソリを引いて世界のいろいろな場所に連れて行ってやってるのに、あいつ一人だけ感謝されるのってちょっとずるい気はしないか?
ははっ、笑いやがったな。あの馬鹿と同じ反応しやがる。最初にガキだったころの俺に似てると思ったが、案外昔のあいつに似てるのかもな、お前は。
長くなっちまったな。でも俺の毛皮のお陰で寒いどころか体の芯から暖かいだろう?
ん? 鼻を指さすなよ、これは別に寒くて赤くなってるわけじゃねえんだ。笑うな。
さあ、ほんとにこれでさよならだ。家に戻れ。両親も心配してるだろうし、俺もそろそろ仕事に戻らなきゃならねえ。働くのが一年間で今日だけだとは自分に言い聞かせるが、かなり重労働だぜ。これが一年に二度も三度もあったら参っちまうよ。
おっさんの昔話を聞いてくれてありがとうよ。
またな。少年。
来年の今日、いい子にしてたらあの馬鹿と一緒に遊びに来るさ。
どんなものが欲しいのかはまた俺たちに手紙を出してくれ。
メリークリスマス。