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どうか、ありのままの君で  作者: 天宮綺羅
序章:全ては炎の中に置いてきた
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第六話

 静寂を取り戻した森の中、最初に動いたのは白叡(バイルェイ)であった。

 集中する複数の視線をそよ風のように受け流し、鬼妖の元へ向かうと突き刺さっている剣を引き抜き汚れを払う。かちんと完全に刃が鞘に納まった音が鳴ると、緋燿(フェイヤォ)の体は動くこと思い出し、自然と白叡の元へ駆け寄った。


「だ、大丈夫?」


 目の前で呆気なく、無傷で鬼妖を退治した姿を見ていたというのに咄嗟に出てきたのは賞賛の言葉ではなかった。

 傷がないはずの心身の周りをくるくると伺っていると、緋燿の笠に手が添えられる。


「なるべく見えないよう気をつけなさい」


 白叡の手だ。何事もなかったかのように、白く細長い指が乱れた垂れ布を正し、埃を払う。緋燿も慌ててめくれている箇所を直し、布の隙間から腕を伸ばせば、笠は随分砂を被っていた。

 舞わないように砂を落としながら薄布の隙間から足元を見下ろした。


「これも、鬼妖?」


 氷漬けにされたそれは、始めに隷獣犬が仕留めていた鬼妖に姿はよく似ていた。しかし手足の刃だけでなく、全身を覆う鱗までも手当たり次第傷つける凶器のごとく鋭く、大きかった。


「先ほどの小さい風の鬼妖の集合体のようなものだろう。直に触れないように」


 透けた氷の上から恐る恐る触れてみる。白叡の気で出来た氷は本物と変わらず冷たく固い。緋燿が変化した時に使った気とは違う使い方だった。

 白叡の気は雪原に音も無く散り積もる粉雪のように儚く、氷柱のように固く鋭い。己の気もこのように外に向かって放出すれば鬼妖の動きを封じ、退治の手助けができたのかもしれない。

 緋燿は己の手のひらを見つめながら、気を編んでみた。変化の時を想起すると体内で気が巡るのが分かる。中心から徐々に体表に向かって組み上げていき、指先まで届いた時だった。


「この役立たずがっ!」


 怒鳴り声とともに何かを打ち付けたような鈍い音。

 編まれた気があっという間に解けてしまったことを気にせずに緋燿が振り返ると、そこには怒りに眉を吊り上げた劉俊冉(リュウジュンラン)と、地面に転がる隷獣犬の姿があった。


「何のためにお前を選んで連れてきたと思っている。鬼妖を一番見つけるのが得意だからだ! その最低限の役目もこなせないなんて!」


 劉俊冉は声を荒げながら隷獣犬を蹴り続ける。何度も何度も。

 先ほどまで鬼妖に怯え動こうとしなかった劉俊冉の連れたちでさえ、その仕打ちが当たり前と冷たい視線で静観している。

 しかし緋燿にとってはその仕打ちに呆然とするしかなかった。

 記憶のない緋燿にとって、主人と隷獣の常識関係の知識などはない。本能的に『側にいたい』『役に立ちたい』という意識があるのみ。したがって主人のために働くことは当然で、背けば罰が与えられるのは致し方ないという考えは理解できた。

 だが目の前で繰り広げられる暴力は、果たして正当な罰なのであろうか?

 隷獣は罰を当然と受け止め、抵抗せずに地に伏している。

 この森に来て僅かな時間しか見ていないものの、おそらく主人の命令通りに鬼妖を狩っていただろうし、結局は白叡が退治した鬼妖にも果敢に向かっていってはいたはずだ。

 結果として見逃していたことを悪とすべきか、それでも役目を全うとしようとした行動を善とすべきか。

 緋燿が混乱する間も劉俊冉の足は止まらない。


「これが一番いい出来だと思ったのに! ……仕方ない、また作るしかないか」


 劉俊冉の手が剣の柄に伸びた。隷獣が斬られる。

 それに緋燿はとうとう耐えることはできなかった。


「どうしてそんな非道をするんですか!?」


 口出しされると思っていなかったのか、眼中になかった存在へ一気に視線が集まった。

 劉俊冉も柄を握りながら、緋燿を見つめた後、白叡へと視線を向ける。

 そして隷獣へ向けていた怒りを含んだ蔑みの色から、世間知らずを小馬鹿にする嘲笑を浮かべた。


雪陵散人(シュェリンサンレン)の家人、いや御弟子ですか? どちらにせよ他家の、しかも隷獣の躾に口を出させるとは。教育はしっかりとされた方がよろしいかと」


 視界が真っ赤に染まった。

 言を投げた緋燿に言い返すのならば良い。しかし今彼は緋燿など相手にならぬと、主人である白叡を言葉で持って攻撃したのだ。主人を意思を持って害したのだ。

 想像するは刃。

 緋燿が気を編んだ瞬間、視界が青に覆われる。


「私の弟子だ。貴殿に口を出される謂れはない」


 白叡の背だ。

 主人に庇わせてしまったことに、さっと熱が冷めていく。

 劉俊冉も正面から白叡に言い返されたせいか、一瞬言葉に詰まりながらも嘲笑を潜める。


「……隷獣を持っていない雪陵散人にはわからない事柄なのかもしれませんがね。隷獣は主人に絶対出なければいけません。逆らうことを覚えさせてはいけないのですよ」


 言い聞かせるような、落ち着きを取り戻した声音で劉俊冉は続ける。


「隷獣の成り立ちは妖と変わりありません。変化させた相手に本能的に服従するといっても、知能があるせいで謀反を起こす例だってある。隷獣が聖道師の格を図る一指針になっているのはこの関係性ゆえ。強力な隷獣が逆らわずに従うこと、それ自体が優秀な聖道師の証なのです。だから困るんですよ、躾に口を出されるのは」


 この隷獣犬が私に逆らい、劉家を貶めたらどう責任を取るおつもりで?


 言葉にせずとも、反論させる気がない、勝ち誇ったような笑みを劉俊冉は浮かべている。

 つまりこの隷獣が逆らったら白叡のせいだと言外に行っているのだ。

 言い返したい。自分が隷獣だ。白叡はちゃんと隷獣を従えている、立派で美しく、素晴らしい聖道師であると。

 しかしまた失言をして、相手に攻撃の切っ掛けを与えてしまうのではないか。白叡の迷惑を増やしてしまうのではないかと冷めた頭で考えてしまうと、ぱくぱくと唇だけが動いて言葉は出てこなかった。

 白叡も言い返すことはせずに静かに彼らを見返している。


「まあ、雪陵散人の前でわざわざ血を見せることでもなかったですね。鬼妖ももういないようですし、躾は帰ってからするとしましょう」


 見えないやりとりがあったのか、言いたいことを言い切ったのか緋燿にはわからなかったが、劉俊冉が劉家の連れに声を掛け始めた。鬼妖の出ない森に用はないと言わんばかりに。

 倒れていた隷獣犬も複数人の連れの男たちに引きずられていく。

 その姿に胸が締め付けられたが、かける言葉はまだ見つからない。


「劉の若君」


 ただ見送るしかないと思っていた中、劉俊冉の背に声を掛けたのは今まで黙っていた白叡だった。

 劉俊冉も無視して立ち去ることはせず、足を止めた。余裕のある、緩慢とした仕草で振り返る。


「まだなにか?」

「隷獣の名は?」


 白叡は簡潔に尋ねた。

 簡潔すぎた故か劉俊冉は一瞬呆気に取られるも、簡単な答えだとさらっと返した。


「ありませんよ、そんなもの」

「何故」

「隷獣は言うなれば道具です。唯一無二の宝器(ほうき)や名刀であれば名を付け家宝といたしましょう。しかし隷獣は替えが効き、不要になれば始末するもの。そんなものにいちいち名前なんて付けていられませんよ」


 当然だと言わんばかりの回答は、再び緋燿を呆然とさせた。


(これが聖道師と隷獣の当たり前の関係なのか……?)


 緋燿に名を与え、気の使い方を助言し、服を着せ、付いていくことを許してくれた白叡とは真逆の聖道師。

 そんな彼らの背を緋燿は黙って見送ることしかできなかった。


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