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どうか、ありのままの君で  作者: 天宮綺羅
序章:全ては炎の中に置いてきた
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第四話

 

 人間の手だ。

 白叡(バイルェイ)よりも濃い肌の色、細く骨ばった指、理想と違う造形。

 恐る恐る手から腕、肩、胸、胴、脚と視線を移動させていく。今まで見た二人の人型より貧相で薄い男の肉体だった。かくりと首が曲がり、波打った黒い頭髪が一面に広がる。

 気を編み上げた際の、脳裏に浮かんだ人影を思い出した。


「……上手く出来たな」


 その言葉と同時に緋燿(フェイヤォ)の体に衣が掛けられる。

 変化の際に毛皮がなくなったせいだろう。四足獣の時には感じられなかった寒い気候が、人型の裸体に突き刺さる。思わず衣を抱き合わせた。

 そんな緋燿の脳内を占めたのは人型に変化できた喜びではない。どんな形に変化してしまったのかという、いち早く確認せねばという焦燥であった。

 しかし心のどこかに確認せずともすでにどんな形であるのかを理解している、そんな冷静な己も存在していた。

 地面に四つん這いになっていた肉体のうち、人間の脚に該当する二本に力を入れる。

 最初に目覚めた四足獣の脚よりも安定して体が起き上がった。今までよりはるかに視線が高くなる。それでも白叡より背は低いようで、少し首を傾げながら彼を見上げた。


「ちゃんと人型になってる?」

「ああ。額の一角は残っているが、それ以外の外見は成功と言っていいだろう」


 尻尾はないようだが、一角は残っているのか。額に手を伸ばせば固い突起物が確かに生えていた。しかし四足獣の時より短いのか、手のひらで包めてしまうほどの長さになっている。

 人の皮膚とは違う、つるりとした鉱物のような触感を指先でなぞりながら、緋燿は再び白叡に問うた。


「何歳くらいに見える?」

「……十五、六歳程度だな」

「俺の瞳の色、何色?」

「赤みがかった色をしている」

「顔のどこかに傷はない?」

「……左目の上に、一筋」


 白叡が緋燿の額の髪を払いながら、答え合わせに付き合ってくれる。

 緋燿は確信した。


(あの人影と同じ形になっている)


 見たことのないはずの、想像上の人間。

 なぜこの姿に変化してしまったのだろう。なぜ己はこの姿になりたくないと思ったのだろう。

 疑問や不安は尽きないが、すでに変化を終えた体内に残っている気は少ない。もう一度試すのは難しいだろう。


「体に不調があるのか?」


 黙り込んだのを怪訝に思ったのか、白叡が緋燿に問う。

 二本の腕を顔まで持ち上げて頬を揉んでみたり、手のひらを握りこんでみる。違和感はない。


「ううん。痛くないし、ちゃんと変化はできたんだと思う。けど」

「けど?」


(この姿になってしまって、本当に正しかったんだろうか)


 しかしその思いを言葉にすることは憚られた。

 正しくないと否定されてしまえば、今の己の存在否定に繋がるように思えたし、かと言って肯定されてしまえば、この疑問を浮かべた心が、精神が否定されるように思えた。

 いま、答えを出すべきではない。

 緋燿は言葉を飲み込んで、代わりに笑顔を浮かべた。


「これなら白叡と一緒に外に行っても平気?」


 白叡もそれ以上追求するつもりはなかったのか、無言で頷くと緋燿に掛けた衣の前を合わせていく。

 一枚だけではなく、衣を重ねては平らな帯や紐状のもので固定していく。

 どうやら最初に坐榻に広げた布は緋燿用の衣装だったらしい。

 白叡より動きやすそうな衣の仕上げに帯鉤を挿し、靴を履けば念願の人そのものであった。

 思わず吐息が溢れ、緋燿はその場でくるりと腰をひねってみる。

 動きに合わせて揺れる裾に、崩れない腰帯。毛皮だった頃より安心感のある出で立ちであった。


「羊の体毛より安心するなぁ」


 元々獣だったくせに衣服に安堵するとはこれいかに。蹄を鳴らした時のように靴先で地面を蹴れば、とんと軽い音がした。

 それと同時に前かがみになったせいで黒い長髪がもさりと垂れる。全身の内、頭皮が明らかに重い。両手を頭髪に突っ込むと白叡とは明らかに違う、重くて癖のある毛だった。

 白叡は再び棚から今度は小箱を持ち出してくると、坐榻に残っていた薄い布を端に避けて座った。


「ここに座って」


 指し示す先は白叡の隣、坐榻の上である。

 同じ場所に座ってもいいのだろうか。心配なものの、それ以上何も言わない白叡に見つめられてしまえば緋燿は従わざるをえない。

 しずしずと腰を下せば、肩を捕まれ強制的に背を向けさせられた。

 何が始まるのかと戸惑っていると、背後で金属が擦れる音がした。しゃきん。鋭利な刃物でものを切った音だ。本能的な恐怖に悪寒が走った。


「なっ、何してるの!?」

「髪を整える。動かないように」


 思わず体ごと振り返りそうになった緋燿を、白叡は言葉で制す。

 言葉通り金属が擦れる音がするたびに何かが落ちていき、それと比例して少しずつ頭皮が軽くなるのを感じる。

 もじゃもじゃの己の頭髪を、主人自ら手入れしてくれているのだ。

 それは同時に無防備な背や頭部に刃物が向けられているということ。そう想像してしまうと、嬉しい気持ちを飛び越えて身体が小刻みに震えてしまった。

 振り返らないよう両手を前できつく握りしめる。白叡が怖いわけじゃない。親切で緋燿の為になることをしてくれているのに、こんな態度をとってしまうのがひどく申し訳なかった。


「大丈夫だ」


 髪が切られている最中、緋燿にぽつりと声がかけられる。


「大丈夫。この鋏でお前が傷付くことはしない。大丈夫だ」


 大丈夫。大丈夫。


 理由はわからない。しかしご主人の言葉だからだろうか。隷獣自体がご主人の言葉に安らぎを覚えるように出来ているのだろうか。

 幼子をあやすように繰り返される言葉に、緋燿の固まった体から力が抜ける。

 そして最後の一房をを切られた頃には、緋燿は安心しきって背を預けていた。


 結局、緋燿の髪は長さはそこまで短くなることはなかった。

 白叡が整えたのは多かった頭髪の量と、ぼさぼさだった毛先。波打った髪質は変わらないものの、腰まで伸びた頭髪は見違えるほどさっぱりしていた。切られた髪は刷毛で片付けらる。

 そして最後に後頭部で髪が束ねられている所で、笠を取りに行っていた嘉甘(ジャガン)が戻ってきた。


「ただいま戻りました。こちらの大きさの……」


 緋燿を連れだった時と同じように一礼をして室内に入ってくると、二人を見て目を見開いた。

 坐榻に師匠と見知らぬ男が座っているのだ。しかも白叡手ずから髪紐で結んでいる。

 思わず固まってしまった嘉甘だったが、緋燿の姿が見当たらないことですぐに察しがついた。再び礼をした後、そろりと坐榻に近づいてくる。


「笠をお持ちいたしました。人間用しかなかったので使用できるか不安でしたが……緋燿、ですよね?」


 恐る恐る尋ねる嘉甘に、緋燿は頭を動かさぬまま返事をする。


「うん。さっき変化したんだよ」

「なるほど。ではもう獣型には戻れないのですか?」

「んん、どうだろう? やってみないとわからない」

「変化は一度形を作ってしまえば切り替わるのは容易いという。後で試すといい」

「うん」


 背後で白叡が答える。

 こちらも解けないように結んでいるのだろうか、頭皮をくすぐる指先がひどく心地よかった。

 緋燿は返事をした後、瞼を閉じて二人の会話に耳を傾ける。嘉甘はそれを機にもう一歩近づいて緋燿を観察した。


「しかしこんな短時間で変化してしまうとは、緋燿は凄いですね」

「隷獣は生まれる際、直に術を体感するため気の扱いは人間より長けている。だから聖道師はこの子たちを連れ回るのだ」

「只人が長い修行を経て道術を取得するより、主人に逆らわぬ隷獣の方が使い勝手が良いということですかね」

「……そういうことだろう。だが嘉甘、隷獣は心ある生き物だ」

「分かっております。隷獣とこんなに近くで接したことはありませんでしたが、あのような扱いを緋燿にしたいとは到底思えません」

「ならば、良い。……緋燿、終わったぞ」


 最後にすっと髪に何かを挿されて、白叡に声を掛けられる。

 心地よい指先が離れたことが少々残念であったが、緋燿はそのまま立ち上がって室内を歩き回る。重かった頭部は軽くなり、紐で結ばれた髪のように心なしか身が引き締まった心地がする。


「どう? 俺、人間にしか見えない?」

「ええ! とってもお似合いです」


 緋燿は満足げに髪先を弄んで笑いかけると、嘉甘が賛同してくれる。しかし直ぐに緋燿の顔を見て、少し表情を曇らせた。


「しかし額に角が残ってしまっています。獣姿の時より短いとはいえ、巾を巻いて誤魔化せるほど短くもない。見る人が見れば直ぐに人ではない、隷獣だと分かりますね」

「俺が隷獣ってばれるのはいけないの?」

「うーん。私もそこまで事情に詳しくないのでなんとも……。師匠、どうなのですか?」

「緋燿に関してはよくないな。だから持ってきてもらったんだ」


 二人が首を傾げながら振り返ると、白叡がそう言って、結局使わずに坐榻に残っていた薄い布と笠を持ち上げて見せるのだった。


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