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どうか、ありのままの君で  作者: 天宮綺羅
第二章:冥府を飛び越えて
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第二十九話

 

 どうやって外層の宿に帰ってきたのか、緋燿(フェイヤォ)には分からなかった。

 気がついたときには坐榻に寝かされ、口元や素肌を手巾で拭われていた。そして緋燿の体内の嘔吐感や不快感が落ち着いた頃にはとっぷりと日が暮れてしまっていた。


「大丈夫か?」


 嘉甘(ジャガン)が桶に水を汲みに行ったため、現在室内には緋燿と白叡(バイルェイ)の二人のみ。白叡は同じ坐榻に浅く腰を下ろして、緋燿を見下ろしている。緋燿は唸り声とも取れるような声を漏らしながら、未だにぼんやりとした視界で白叡を捉えた。


「うぅん……ぁいじょ、ぶ」


 まともな返事にならなかった己の声を情けなく思いながらも、緋燿はとにかく伝えなければと舌を回す。

 とにかく見たことを白叡に伝えたい。これはきっと手がかりになると、初めて白叡のために手に入れられた情報に気持ちが先走るものの、体は思うように動かなかった。

 冷たい手巾が顔を拭いていく。思わず猫のように目を細めながら白叡を見上げた。


「……体調が悪いなら、無理をするな」


 眉尻を下げながら緋燿の額に掛かる髪を払う白叡は、全身で心配していると言っているようだった。状況に合っていないと自覚しつつも、心配されることに僅かに高揚感を覚えてしまった。緋燿はすぐに不相応な気持ちを仕舞い込むと、上半身を起こすように力を込める。

 白叡もそれが分かったのか、背中を支えてゆっくりと緋燿を起き上がらせた。


「緋燿、もう大丈夫なのか?」

「ん、うん。もう平気」


 かさついた唇を舐めてから緋燿は返答した。

 それに白叡はほっと吐息を吐く。そうして一瞬気を緩めた彼は、再び真面目な表情で緋燿に尋ねた。


「体調が急に悪くなった理由は話せるか?」


 僅かに緊張感が篭っているかのような、ぴんとした問いに緋燿は頷き、大堂で姜楓に見えた光景を思い出した。


「俺、術を使うと自分の気も他の人や物の気も、糸みたいに見えるんだ」

「……以前鬼妖を見た時に解いていると言っていたのはそれか」

「うん。普通は一色の糸なんだけど、鬼妖とか隷獣は複数の糸が編み込まれてたり、絡まっていたりするんだ。多分変化してるからじゃないかなって思うんだけど……」


 事情を説明する前に話していなかった力について話すと、聡明な白叡はある程度緋燿の術の効果について察しがついたようだった。僅かな動きだったが、徐々に眉間に皺が寄っていく。


「確かに隷獣や鬼妖は己の気以外に、他者や周りのものの気を大量に使用することで変化することも出来るからな。緋燿が言う、複数の糸が絡まるというのは他の気を取り込んで己の一部にしているという証拠だろう」

「それで、あの時、見えたんだ」


 小刻みに震えだす肩を、緋燿は両手で抱きしめた。


「一角が熱くなったから、俺、術を使ったんだ。そうしたら姜城主の内側の糸が、今まで見たことがないくらい複雑に絡まってた。……それこそ吐きそうになるくらい気持ち悪い編み方で、見ただけで体がうまく動かなくなったんだ」


 初めての体感だった。以前「ぬまとこさま」に現れた、贄になった人たちが変化した鬼妖でさえここまで不快な気持ちにはならなかった。「ぬまとこさま」の鬼妖の気はただ絡まっている糸塊だった。しかし姜楓の気は糸数がありすぎるのに、それが模様や形を描き切っていた。不均等で歪でありながらも、美として成り立っていたのがいっそう気色悪かったのだ。

 冷たい肩に、優しく何かが添えられる。沈んでいた視線を向ければ、白叡が震える肩をゆっくりと撫でた。僅かな温もりが布越しにじんわりと伝わってくる。払い除けることなく大人しく微熱を享受していると、いつの間にか震えは治っていた。

 固くなっていた心身が、ようやく安堵したのか力が抜けていく。


「城主が鬼妖か」


 静寂の室内に独り言がぽつりと落ちる。

 白叡は無表情のまま、どこか遠くを見ているかのようだった。


「城主が探してた四凶なのかな」

「可能性は高い。これほど人がいる城市内で気付かれずに暗躍出来るほど力を持っているのは四凶くらいだろう」

「俺、白叡の役に立った?」


 白叡の視線がばっと緋燿に勢いよく向けられた。あまりの勢いに驚いてしまったものの、白叡の顔に浮かぶ表情が喜びではなかったことに緋燿は己の発言を振り返る。

 そうして、言葉足らずだったかもしれないと慌てて言い直した。


「隷獣だからじゃないよ! そりゃ本能的にそう思っちゃう部分もあるけど、友達のために何か出来たんじゃないかって思えたのが嬉しかったんだ!」


 主人に奉仕できた喜びだけではない。友達になろうと言った優しき人のためになることが出来たことが素直に嬉しかったのだ。

 緋燿は力を込めて宣言すると、白叡の真顔が僅かに緩んだ。そして肩を撫でていた手が頭の方へ移動する。波打つ黒髪が白叡の手の動きに合わせて首筋をくすぐった。


「ああ。これで四凶に一歩近づいた。緋燿のおかげだ、ありがとう」

「! ふふふっ」


 今までと違う熱が灯った頬を緋燿は思わず両手で包み込む。甘酸っぱい多幸感が痺れとなって全身を駆け巡る。友達の役に立てたと、本人の口から初めて肯定されたことが想像以上に緋燿を舞い上がらせた。

 溢れ出る笑声を抑えられずにいる姿を白叡に見守られながら、緋燿はしばらくの間坐榻から動けなかった。



 にやけ顔が治ったのは嘉甘が水の入った桶を持って戻ってきた時だった。

 入室した嘉甘は難しい顔つきをしていたものの、起き上がっている緋燿の姿を認めるとぱっと表情を明るくして駆け寄ってきた。水桶は溢さないよう低台に置かれる。


「よかった、もう起き上がれるんですね。体調は? 何か食べ物や飲み物は受け付けそうですか?」


 母親が子にするような質問に緋燿は笑みのまま首肯した。


「うん、もう大丈夫だよ。心配かけてごめんね」

「そんなことはいいんですよ。水だけでも飲めますか? あ、師匠その手巾はこちらに、絞って使います」


 てきぱきと世話を焼き始める嘉甘に二人は素直に従った。

 緋燿は濡らし絞った手巾を受け取るとゆっくりと体を拭き、乱れていた衣服を整え、髪を結び直す。時間がかかってしまったものの、当たり前の生活の行動が心身の乱れた調子を整えていく。そうして緋燿は坐榻に腰掛けたまま水や果物を食せるまで回復した。

 白叡は緋燿と同じ坐榻に座り、嘉甘はもう一つの坐榻に腰掛ける。そして白叡から先ほど二人が話していた情報を嘉甘に共有した。

 嘉甘は緋燿の術に目を輝かせ、城主の正体については生唾を飲み込んで固く握り拳を作った。


「そん、な。あの城主が、鬼妖……しかも四凶かもしれないと? あんなにそばにいて、気付けないものなのですか……?」


 己の師匠の仇敵がそばにいたと言う事実がすぐには飲み込めなかったようだ。


「強大な力を持った理性ある鬼妖は、力を隠す術を扱える。本当に四凶ならば四匹のうちどれでも不思議ではない」


 白叡は入れたばかりの茶を一口飲み込んでから、言い聞かせるように言った。


「だが私たちを害しようと攻撃すれば、絶対に正体は知れる。故にあの城主はただ私たちを大堂に受け入れ、何事も起こさぬよう返したのだろう」

「明日も会う約束を取り付けましたよね? 出向くのですか?」

「……あの四凶がなぜ人のふりをして、しかも城主となっているかは知らぬが、聖道師が消えた件に関わっているのは間違いない。明日こそ探りを入れてみよう」


 決心したぴりっとした声音に、嘉甘も緋燿も同意するように頷いた。

 白叡が探し求める相手が、すぐそばにいる。想像上の存在が現実となって現れた事実に、緋燿もまた気持ちを固めていく。


(明日も白叡のために出来ること、精一杯やろう)


 残り少ない水を飲み込むと、ふと緋燿の視界に窓の外の星空が映った。


「そういえば、望准(ワンジュン)胡桃(フータオ)の帰り遅いね。昨日はこの時間帯くらいには帰ってきてたよね?」


 思いついたことをついぽつりと溢すと、白叡も同じく外を見やる。

 夕食の時間帯を過ぎたはずなのに、大通りからは未だに賑わう人の声が聞こえてくる。灯籠の並ぶ大地の光が夜空の星海に負けじとばかりに輝いていていた。

 もしかしたら彼らは彼らで外で夕食にしているのかもしれない。緋燿が安易にそう考えて視線を窓から外すと、嘉甘が再び難しい顔になっていた。嘉甘が水桶を持って戻ってきたときの顔だ。


「嘉甘?」


 緋燿が名前を呼ぶと、彼は口元を指先で押さえながら言葉を濁した。


「いえ、その。先ほど、水を取りに行った時なんですけど、宿の女将さんがおっしゃってたんです。お昼過ぎに一度梅江浪人(メイジャンランレン)が帰ってきて、夕食の時に酒を受け取りに行くから三瓶ほど取り置いててくれと。ですので「まだ帰ってきてないのかい?」と……」


 落ち着き始めていた雰囲気が、一気に張り詰める。

 白叡の頼み事を聞いたり、聞き込みを手伝ってくれる、彼の隷獣曰く律儀な望准が理由もなく約束を破るだろうか。ほんの僅かな短い付き合いの緋燿で合っても疑問に思う事態に、白叡は無表情のまま口を開く。


「……一晩様子を見る。それでも帰ってこなければ、尚更急いで城主に会いに行かねばならない」


 その晩、一つ空いた坐榻を横目に、緋燿は不安を抱えたまま眠りについた。






 朝になっても、望准と胡桃は帰ってこなかった。


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