第二十七話
緋燿と白叡は酒楼を出た後も、日が暮れるまで聞き込みを続けた。
しかし錦圭城の住民は皆口を揃えたように鬼妖も聖道師も見たことがないと言う。結局何の成果も得られないまま二人は宿に戻ることしか出来なかった。
「おかえりなさいませ」
借りていた部屋に入ると、嘉甘が卓子に料理を並べていた手を止めて白叡たちに一礼する。嘉甘たちも調査を終えていたようだ。
望准は坐榻の上に小卓(*小さいテーブル)を置いて、食事前から酒瓶を開けていた。小卓を挟んだ先には胡桃も丸くなっている。緋燿が望准といる時はだいたい酒の匂いが漂ってくるものの、それでいて体調不良や酔態になったところは見たことがない。望准はかなりの酒豪のようだった。
そんな彼も緋燿たちが帰って来たことを確認すると、瓶を抱えたまま確かな足取りで、嘉甘が準備した席へと移動した。
「帰りに俺たちが屋台で買って来たんだ。食べながら報告会としようぜ」
緋燿も白叡も同じく席に着く。
情報収集の結果は誰も似たり寄ったりの成果だった。住民へ聞き込みをしても鬼妖は疎か、入城しているはずの聖道師を見かけた人すら見つけられず、聖道師が錦圭城に訪れたという情報の方が虚偽であると言わんばかりの普通で平和な城市だった。だが実際に失踪した聖道師はいる。あるはずのものがない、噛み合わない違和感が不気味さを誘う。
緋燿は以前訪れた村を思い出した。
情愛に満ちた家族が住む裏に蔓延る、悲しい儀式と鬼妖。錦圭城にもまだ見えない何かが潜んでいるのかもしれないと、緋燿は少ない経験から密かに考えた。
「まだ一日目だ。別の場所でも聞き込みを続けよう」
聞いたところによると錦圭城は大きく二つの区画に分かれていて、城市住民の住む家や商人の店が並ぶ「外層」と城主等城市を管理するための建物や、商品を開発制作する昔から錦圭城の商いを支えて来た工房が集まった「内層」があるそうだ。現在緋燿たちが聞き込み、泊まっている場所は「外層」である。おそらく明日は内層へ行くことになるだろう。
「しかし本当に聖道師はこの城市で消えたのでしょうか? これだけ人がいるわけですし、噂にも上がっていないのは流石におかしいと思うのですが……」
「お、何だ? 俺の情報の信憑性は信じられねぇか?」
「い、いえ。そう言う訳ではありません」
「坊やを信じられなくても、情報は信じてもらっていいわよ。なんせ私が色んな所へ忍び込んでまで仕入れた情報だもの」
「胡桃が集めた情報だったの?」
食事中静かに串から外した肉を食べていた胡桃が自慢げに顔を上げる。望准の足元にいた彼女へ思わず緋燿が顔を向けると胡桃は望准の膝に飛び乗り、ぴょこんと卓子の上に頭だけを出した。
「そうよ。坊やはぶらぶらする割に律儀な性格してるから白叡の依頼は意外にこなすのよ? 私も出来る限りの仕事をしているつもり」
「今回の錦圭城の件はどこで?」
白叡が尋ねると胡桃の耳がぴくりと震えた。
「表向き噂に話なっていないけれど、消えた人数がそれなりにいるせいか情報元は多かったわ。代表していえば劉家一門を始め、宋家、蘇家、華家辺りね。特に宋家は直接被害にあったようだから当主を始め慎重に調べを進めてたみたい。けど入った人は例外なく帰ってこないから、なかなか進展はなかったようよ」
「宋家が? あそこの聖道師まで被害に遭ってたというのか」
「最後に消息不明になったのが宋家のやつらしいぜ。因みに商人の友人に頼んで調査をしてもらったっていうのがその聖道師な。結局本人も錦圭城に入ってってたって訳だ」
食べ終えた串を咥えながら望准も答える。緋燿の知らない名前が出て来たので隣に座っている嘉甘に尋ねてみると、どの家も聖道師の中では名の知られた一門らしい。
「楊家に被害はないのか?」
白叡がもう一つの家名を出す。聞き覚えのある性は、たしか望准の姓と同じはずだ。緋燿が思わず彼に視線を向けると、煮え切らない声を上げてから頭を掻いた。
「最近帰ってないから知らね」
「……最後に梅江城に帰ったのは何時だ?」
「んー、一年前」
「二年と七月よ」
故郷への愛着がないのか望准はひどく億劫そうだ。
「梅江城って白叡が酒楼で言っていた名前だよね? 望准が住んでる城市なの?」
「お前、聞き込みする時に梅江城の名前出してたのかよ。知らなかったわ。そういえば、実際どんなふうに聞き込みしてるのか見たことなかったし、俺明日は迅義に着いて回ろうかなー」
緋燿が白叡に尋ねると、望准が割り込んできた。
「自分からわざわざ着いて来たんだ、邪魔をせずに情報収集をしろ。一緒に行動しては効率が悪い」
反論をさせないよう白叡がきっぱり拒否すると、本気ではなかったようで望准はすぐに引き下がった。しかし急な話題の方向転換もあって梅江城についてこれ以上緋燿は聞くことが出来なかった。
そうして夕食を済ませると、明日に備えて緋燿たちは早めに眠りについた。
*****
宿から出ると、朝から大通りは活気に満ちていた。働く人々は時間など関係ないのだろうか、昨日と様子は変わらない。むしろ朝食を食べる人たちで屋台前は溢れかえっていた。
緋燿は白叡と、今回は嘉甘も合わせて三人で大通りを抜け、昨日とは違う道を通り抜けていた。
そうして内層と思しき場所まで来ると城市の様子も変わってくる。屋台や露店は減り、人通りが少なくなる。それとは逆に立ち並ぶ平房や楼房(*平は一階建、楼は二階建て以上の建物を指す)の中から硬いものを打つ音や人の気配がした。おそらくこの辺りの内層一帯が、昨夜言っていた工房なのだろう。
緋燿たちは工房を横目に通り過ぎると、さらに錦圭城の中心付近に出た。花園や池が広がる広場の中心に一際派手やかな大堂が建っている。出入り口の門横に見張りらしき人まで立っていることから、重要施設なのは間違いなさそうだ。
「話を通してくる」
白叡は緋燿と嘉甘を少し離れた場所に残すと、門番の元へ一人歩いて行った。
緋燿は大人しく待つ間、ふと隣から視線を感じた。同じく佇んでいる嘉甘の視線だ。
「どうしたの?」
気抜けていたのか緋燿の声にはっとすると、嘉甘は離れた場所の白叡の背に視線を向けた。視線を外さないまま、嘉甘が口を開く。
「無理を言って着いて来たのに全然師匠のお役に立てていないな、と思いまして」
落ち込んだ様子の声に、緋燿はかつて同じ気持ちになっていた自分を思い出した。
白叡のそばで役に立ちたい、命令を守りたい。隷獣の本能に従い、主人のことだけを考えた。しかしそれだけでは駄目だと緋燿はつい昨日気が付いたのだ。
「俺はそんなことないと思う。……それにもし役に立ってないって思われても、後ろ向きになるくらいだったらこれからどうしたらいいのか考えればいいよ! 嘉甘は嘉甘なんだから。嘉甘にしか出来ないことが絶対にある!」
嘉甘は優しい。それに緋燿から見てもしっかり者で、白叡から信頼もある。だから緋燿は嘉甘に塞ぎ込んで欲しくない一心で言葉にした。
嘉甘は緋燿の言葉をしばらく無言のまま受け止める。そうして次に緋燿に向けられた表情は、見慣れた優しい笑みだった。
「そうですよね。修行中の身でありながら烏滸がましい考えでした。師匠は凄いお方です。そんな常に前を行く方のそばで学んでいるというのに、後ろ向きにぐだぐだ考えていては逆に迷惑だ。……ありがとう、緋燿。どうも気落ちしてしまっていたようです」
晴々とした様子に緋燿も見えない笑みを返す。少しは嘉甘の役にも立てたらしい。
嘉甘は手を組み、一度体を伸ばすと底が突き抜けたような空を見上げた。
「本当に緋燿は良い子ですね。師匠と契約した隷獣が君で心から良かったと思いますよ。……私にも緋燿みたいな子がいたらいいなぁ」
最後の言葉は独り言のように小さくなっていたが、緋燿は耳聡くそれを拾った。
「嘉甘は隷獣契約ってしないの?」
「今まで師匠は隷獣嫌いだと思っていましたから、弟子の私が持つわけにはいかないと思っていたんです。……でも師匠も緋燿と契約したわけですし、いずれ相談してみてもいいかもしれませんね」
嘉甘が契約する隷獣。何時、どんな姿の隷獣がやってくるかは分からないが、優しい彼に寄り添える相手であれば良いと緋燿は素直に思った。
そうして二人が話し込んでいると何時の間にか話終わったのか、白叡がこちらへ歩いて来た。
「おかえり白叡」
「おかえりなさいませ、師匠。いかがでしたか」
白叡は変わらぬ無表情のまま、首だけで大堂を振り向いた。
「城主と面会の約束は取り付けられた。しかしそれまで少々時間がかかるようだ」
「それではどこかで食事や見物でもして時間を潰しましょうか。あまり離れるのもいけませんし、工房付近がよろしいですかね。あ、たしか向こうの小道を通り過ぎるときに、見たことがない美味しそうな屋台がありましたよ」
はきはきと今後について予定立てていく嘉甘を白叡は無表情のまま見つめ、そして緋燿へと交互に視線を向ける。
「……何かあったのか?」
わずかな変化すら感じ取ってしまう白叡に、二人は思わず顔を見合わせ、ふふっと堪えきれずに笑い声を吹き出した。