第二十六話
串焼きを食べ終えた二人は、ようやく錦圭城に来た目的を果たすべく、ごった返している大通りへと戻った。
緋燿は最初に目覚めてから一番体が軽いような気がして、人混みの中もするすると白叡の背を追って通り抜けていく。白叡と目指すべきものや意見が一致したおかげか、少しだけ分かり合えたような達成感で満たされていた。心なしか白叡の表情や態度も硬さが抜けたように感じるのも一因だろう。
笠を他人にぶつけて引っ掛けないように片手で押さえながら、緋燿は周囲を見渡した。四凶の情報を集めるといっても誰彼構わず声をかけても良いものなのだろうか。
垂れ布の中で考えていると、そんな思考はお見通しなのか、白叡が緋燿へ振り返った。
「初めて来た場所で、初めてすることだ。まずは私のそばで見ているだけで良い」
緋燿は素直に頷いて彼の後に続く。
辿り着いた建物は柱や壁に彫り細工がされていて豪奢な第一印象だった。入り口には多くの提灯や文字の書かれた旗が吊るされおり、酒と油の混ざったような匂いが漂って来る。白叡に尋ねると酒楼(*酒を出す食事処のこと)という、人が多く集まる店らしい。
中に入ると食間の時間帯のせいか、そこまで混雑はしていないようだ。壁際の空いている席に着くと、白叡が給仕を呼ぶ。忙しなく動き回っていた一人が慣れた調子ですぐにやって来た。
「いらっしゃいませ。何にしますか」
にこやかに対応する給仕に対し、白叡は注文を頼んでいく。そして最後に酒を一瓶頼むと、続けて違う話題を切り出した。
「少々尋ねたいことがある。この楼の主人を呼んでくれないか」
突然の申し出に困惑したのだろう、給仕は訝しげに緋燿を白叡を交互に見た。白叡はその視線に怯むことなく、畳み掛けるように言葉を重ねる。
「梅江城で商いをしている知人がいるのだが、なかなかの商売下手で困っていると相談を受けてしまったのだ。……見たところ錦圭城の中でもこの酒楼は一等豪華で繁盛している。是非商売上手な楼主に一言助言を頂ければと」
美人からの褒め言葉のおかげか、給仕から却下の返答はない。言葉に詰まっている様子から、あと一押しと言ったところだろう。白叡は慣れた様子で、さらに真顔で続ける。
「商売下手な知人以外にも梅江城の商人とは交流がある。楼主の利益話にも繋がるかと思うので、一度話を通してみてくれないか?」
給仕の目の色が変わる。商売人の性か、利益という甘い誘いに給仕は抗えずに了承すると「少しお待ちください」と離れていった。
緋燿は一連の流れに、思わず口を開けて呆けてしまった。白叡はどちらかというと口数が多い人ではない。情報収集とは望准のようなお喋りな人に向いているものと考えていたのだが、熟練の経験者の如く円滑な滑り出しだと、素人の緋燿にも理解出来た。
「緋燿、笠を取る前に頭から軽く被れる衣を作れるか?」
白叡の問いに緋燿は我に返る。屋台ならともかく、屋内では笠を外さなくてはならない。今までは白叡が気を遣って、笠を外す食事場面は宿の個室になるようにしてくれていた。だが聞き込みという目的がある以上、この場所で甘えるわけにはいかない。
「やってみる」
緋燿は垂れ布の中で気を編む。最初に羽織った、馴染みのある衣を想像する。すると予想以上に早く、手の中に衣が現出した。緋燿は気の扱い方に慣れてきたことを自覚し、口角が上がった。他人に見えないよう素早く笠を外し、衣へ挿げ替える。これならば笠より目立たないだろう。
満足げに緋燿が顔を出すと、白叡も同意するように頷いた。
それから間もなくして注文した料理と酒瓶が運ばれてきた。卓上に包子(*具材入りの饅頭のこと)や湯を始め、筍の巻き蒸し、豚肉煮込み、青菜炒めなどが所狭しと並べられていく。
つい先ほど串焼きを何本か食べたものの、人型の緋燿の腹はまだまだ足りないと声を上げた。
「主人が来るまでまだ時間はあるだろう。せっかく注文したんだ、食べよう」
白叡が箸を手にしたので、緋燿も嬉々として手に取った。
見た目や香りで美味だと告げてきた料理は、口に入れても美味であった。香辛料の効いた肉からは甘味が溢れ、新鮮な青菜や筍は食感や舌触りがとてもよい。包子や湯の具材も豊富に入っており、食べ応えがある。
まるで酒楼、ひいては錦圭城全体が豊かであると卓上一つで表現しているようだった。
ほとんどの皿が空となり、緋燿が葡萄を摘んでいると、卓子に近寄って来る人がいた。他の客人ではなく、先程の給仕よりも身なりが良い。
白叡が飲みかけの杯を置く。どうやら彼が待ち人のようだ。
「お待たせしました。米平酒楼の楼主、米穣です。お話があると伺って来ましたが、いったいどのような御用で?」
白叡は空いている杯に酒を注ぐと、楼主へ勧める。
「仕事中にすまない。長くなるかもしれないから、どうかこちらへ」
凳も勧めると、楼主は余程込み入った話だと勘違いしたのか、促されるまま腰掛けた。渡された杯に口をつける。酒が入ったのを確認した白叡はさっそく話を切り出した。
「わざわざ呼び立てて申し訳ない。楼の造りも出された料理も逸品。初めて錦圭城に来たが、素晴らしい酒楼ですね」
「どうも、お褒めいただきありがとうございます」
「それで給仕にも少々話したが、知人が商売に困っていまして……不躾だが何か梅江城でも役立つ助言を伺えないだろうか?」
「お客様も大変ですな。私の助言程度でしたらいくらでも。……しかし梅江城かぁ。実際に行ったことがないものですから、お役に立つかは分かりませんよ?」
「構いません」
「因みに、その方の商売は?」
「……梅売りです。特産を扱っているはずなのに、これが全く売れないのです」
「ははあ。まあ、物があれば儲かるってわけでもございませんし。しかし余程商売が苦手な方なんでしょうね。……そうですなぁ、売れない物を扱っているわけではないようですし、そうなると客引きするためにもまず他の商人と協力なさった方がその知人の方は良いかもしれませんねぇ」
「協力、ですか?」
白叡は調子良く相槌を打っては、楼主の空になった杯に酒を注ぎ足していく。
「はい。この米平酒楼然り、大通りの露店然り。独立しているように見えて実のところ、皆何処かしらと繋がりを持っているのです……人脈と言いましょうか。ほとんどの人は何かを求める時、たった一つだけを買うわけではありません。例えるならば、宿に泊まる人あれば、必ずどこかで食事をする。新しい衣服を買ったら、装身具が欲しくなる。茶杯を買ったら茶葉も欲しくなる、と言った具合に。ですので、その知人の方にも是非商人仲間を探すことをお勧めくださいな」
楼主は数度酒をあおりながら、機嫌よく助言を呈した。緋燿は商売のことなど全く知識になかったので、つい手を止めて聞き入ってしまう。
「なるほど、錦圭城は暮らす者全員で協力しているからこそ商売も盛り上がっているということですか。知人も梅江城もこちらを見習って繁盛するとよいのですが。……それと、もう一つ問題がありまして」
白叡は納得したように頷いた後、丁度思いついたように問いを重ねた。
「人がたくさん集まる場所は鬼妖の被害が多く、梅江城ではそれも一因となって商売が上手くいっていないと聞く。……錦圭城も人は多い。鬼妖の被害などの対策はどうされているのだ?」
ここからが、真実本題だ。
緋燿は緩んだ心を引き締め、更に悟られないように自然を装って葡萄を摘んだ。白叡は変わらぬ無表情のまま、楼主を見つめている。
「対策なんて聞いたことないですねぇ。生まれてこの方一度も錦圭城内で鬼妖なんて見たことないですよ」
楼主は注がれた酒をあおってから、変わらぬ表情のまま答えた。白叡は僅かに訝しげな表情を作る。
「……一度も、ですか? では聖道師は? これだけの城市なら拠点として常駐する聖道師がいるか、外からも聖道師が訪れることがあると思うのですが」
「見たことないですねぁ。鬼妖が出ないんだから、聖道師様だっていらっしゃらないでしょう。ですので聖道師様自ら名乗られたり、他の事件でも起こらない限り、私たちからは気付けませんね」
「そうですか……どうも、ありがとうございました」
さも当然と言い切る姿に、それ以上の話の進展は望めないと判断したのか、白叡は礼を言って話を切り上げると懐から小さな用紙を取り出して楼主へ手渡した。何か書きつけてあるのだろう。それを見た楼主は同じく懐へ仕舞い込むと「そろそろ仕事に戻ります」と軽く頭を下げて去っていった。
緋燿と白叡は無言で視線を交わらせる。
聞き込みはまだ一件目。先はまだ長いというのに、背筋を冷たい何かが這うような、嫌な予感が脳裏をよぎる。
錦圭城の住民すら知らぬ聖道師の行方と四凶の影を思い、緋燿はぎゅっと衣の裾を握り締めた。




