第二十三話
翌日、四人と一匹は中庭に用意された円卓を囲んでいた。
池に浮かぶ東屋からの景色は、まるで自然の美しさの中に己も入り込んだかのような、自然と一体になったかのようにも感じた。緋燿は初めて体感した非日常の席に感動を覚えたものの、他の人は馴れている席なのか当然のように席に着くと用意されている茶杯や茘枝(*ライチのこと)に手を伸ばしている。
「じゃあ、新参者もいる事だし改めて名乗ろう! 俺は楊望准だ。望准でいい。よろしくな、白叡の隷獣」
「……緋燿です」
杯をあおる真紅の男・望准からは昨日と変わらず酒の匂いがする。見る限り緋燿や白叡、嘉甘の杯には茶が入っているので、卓上に用意された酒瓶は望准用なのだろう。
「始めに嘉甘と緋燿に、俺と迅義の話の内容を説明しておくぞ」
望准は杯に酒を注ぎながら、口火を切った。「いいよな」と望准は白叡に尋ねたが、白叡は答えずに茶杯をあおっている。どうやら機嫌は昨日から引き続き良くないらしい。緋燿はおろおろと見ていることしか出来なかったが、望准は反論がないことを肯定と取ったようだった。
「普段俺が迅義に話してる話題は「四凶」についての情報だ」
「四凶?」
分からない言葉に緋燿は首を傾げたが、隣に座っていた嘉甘は目を僅かに見開いた。嘉甘は四凶が何かを知っているようだ。望准は緋燿の反応が予想通りとばかりに、そのまま説明を続ける。
「四凶っていうのは鬼妖の中でも特にこの世に被害をもたらす最悪の存在のことだ。そいつらは普通の聖道師が束になっても太刀打ちできないほど強大な力を持っている。そいつらを迅義は探していて、各地を旅する俺も協力しているわけ」
「望准は白叡のために旅してるの?」
「そんな訳あるか。元々俺は一箇所にとどまらずに、ぶらぶらするのが生きがいなんだ。そのついでだよ、ついで」
「四凶と言えば「災あるところに四凶あり」と言われている鬼妖のことですよね。師匠はいつもそれを探しておいでだったのですか?」
「……そうだ」
すでに誤魔化せるとは白叡も思っていないのだろう。嘉甘が尋ねると、間を置いたものの頷いた。茶杯を置き、手持ち無沙汰な白い指が茘枝の皮を剥くと、赤に映える乳白色が顔を出す。緋燿も真似をして身を取り出して口に含むと、芳醇な甘みと酸味が広がっていった。ふるりとした歯触りもよく、いくらでも食べられてしまいそうだ。
「白叡はどうして四凶を探しているの?」
二つ目の茘枝を飲み込んでから緋燿は白叡に尋ねた。表情を変えなかったものの、言い出しにくかったのか一度蜜で濡れた指先を手巾で拭ってから、茶杯に口をつける。
「……仇だからだ」
短くも力強い声に緋燿は手が止まる。
「仇って、誰の?」
「……老師と、……」
白叡は続きを言い出そうとする。だが、しばらく待っても音となって出てこない。緋燿と嘉甘は黙って待っていたが、焦れたのか望准が再び酒をあおった。
「本当に言えねぇなら無理に聞かねぇよ。次の機会にとっとけ」
「お前がこの席を所望したのだろう。……私が話さねば情報を出さぬ気だったのでは?」
「確かにさっきまでそのつもりだったけどな。お前がそこまで言い渋るんだ、相当の理由があることが分かっただけでもよしとしとくぜ」
望准の言葉に白叡が吐息を吐く。緋燿はこの時にようやく気がついた。
(白叡、いつもと違う席に戸惑って、緊張していたのかな)
聞かれたくない話もあっただろうに、普段は一対一で聞いていた情報を、緋燿たちまで聞いているのだ。もしかしたら相当な負担を心に強いてしまっていたのかもしれない。そんな状況になることを想像していなかったこと、そんな主人に今まで気付けなかったことを緋燿は深く恥じた。
緋燿はふと膝上に重みを感じたと思ったら、目の前を胡桃色が通った。さっきまで望准の隣で丸くなっていた猫が緋燿の膝上に乗っていたのだ。二色の瞳が優しげに細まり、こちらを見上げる。
「胡桃?」
「あまり深刻な顔をしないで? 仇と言っても別に死んでるわけじゃないのよ?」
緋燿が故人の事を言っていると勘違いしたのではと、胡桃はわざわざ補足しに来てくれたらしい。実際に気にした部分とは少しずれているものの、緋燿は頭を切り替えるために話に乗っかった。
「さっきの老師っていうのは昨日望准が言っていた羅……老師って人?」
「そうよ。羅思旋老師。元々凄腕の聖道師で、二人は彼に師事していたの。そして四凶の中の一匹が老師の元隷獣」
「隷獣!?」
緋燿と嘉甘が驚きに声を上げる。しかし胡桃はそよ風のように受け流し、話を続ける。
「鬼妖も隷獣も成り立ちは変わらないんだし、実際にそういうことがあったのよ。何年も前、二人がまだ羅老師の元にいた時のことよ。老師の隷獣は突然契約を壊して襲いかかってきたの。羅老師は腕の良い聖道師だったけれど、死闘の末に脚と片目を失ったわ。そしてもう聖道師として活動できないと、現在は後進の育成に力を注いでるの」
「そうなのですね」
嘉甘は解説を聞いて落ち着いたのか、ほっと息と着いてから茶杯に口をつけた。劉俊冉が言っていた謀反の例というのはこの事だったのかもしれない。
劉俊冉の隷獣犬。望准の喋る隷獣。白叡の老師を裏切った四凶。白叡の隷獣である緋燿。同じ隷獣という存在であったはずなのに、あり方が全く違うように見える。そのことに緋燿は足下が酷く不安定になった心地がした。
目の前の胡桃色の小さく丸い背を撫でる。
胡桃はその手を跳ね除けず、大人しく丸まっていてくれる。それに安心感を覚えていると、ふと望准が緋燿の膝をにやにや笑いながら覗き込んでいることに気がついた。胡桃も視線に敏感のようで、すぐに反応して尾を揺らす。
「なによ坊や?」
「いやー、珍しいなって思ってな。他の隷獣に構うこと今まであんまりなかったじゃねぇか。どういう風の吹き回しだ?」
長い尾が緋燿の腕をくるりと一周する。
「だって他の奴と違って話はできるし、いい子そうじゃない? それに人型にもなるなんて珍しいし」
「珍しい?」
鬼妖にも、他の隷獣に会った機会も少ない緋燿は思わず繰り返した。
「胡桃は話せるんだし、人型にはなれないの?」
「なれないわ。話せる隷獣だって珍しいのに、人型にまでなれるのはもっと珍しいと思うわ。いろんな所を坊やと巡ったけれどあまり会ったことないもの」
「そうなの?」
「ええ。緋燿はもともと何から変化したの?」
「……羊?」
「私はみたまま猫。変化はね、全く違う姿になれる可能性も秘めているけれど、契約者が元の姿に心象が引かれるのか、基本的に大きな変化は起こらないものなのよ。鬼妖のように幾つもの気が合わさって変化したり、変化自体を何度も繰り返したりすることで姿形は大きく変わっていくものなの」
「……じゃあ、俺はどうして?」
鬼妖と成り立ちは同じという話は以前も耳にしていたが、緋燿は途端に己が不可解で恐ろしいもののように感じた。隷獣なのか、鬼妖なのか。白叡と共にいて良い存在なのか、滅せられる存在なのか。
緋燿はおそるおそる白叡に尋ねた。
「……もともと素質があった」
しかしぼかしたような、明確な答えは返ってこなかった。もしかしたらこの話も、緋燿となぜ契約したのか、という話題に触れている事柄なのかもしれない。
「あなたが羊から変化してても、そうじゃなくても、こうして話が通じる同類は少ないから私は嬉しいわ」
緋燿がため息を吐くも、胡桃は気にした様子も見せず自論を語る。
「まー確かに? こんなに人間と変わらない見た目に変化できる隷獣はそれこそ老師の元隷獣くらいしか、見たことないかもな。迅義、どこで契約した隷獣なんだ?」
興味津々に望准も尋ねたが、白叡はこちらの問いには答えることなく無言で茶杯に次の茶を注いでいる。望准はふんと不満げに鼻を鳴らしたものの、それ以上白叡に突っ込んで聞く事はなかった。以前緋燿が尋ねた時もそうだったが、緋燿がどこから来て、どうして契約したのかは友人である彼にも話していないらしい。
「お前が隷獣契約するなんて本当に驚いたんだぜ? 羅老師の隷獣が裏切ったことに対して随分怒っていたし、だから今まで隷獣を持たなかったんだと思ってたんだが」
たしかに劉俊冉と会った際も、白叡は今まで隷獣を契約していなかったと聞いた。隷獣に怒りを覚えていたのだとしたら、白叡は内心どのような感情を緋燿に抱いていたのだろうか。
先ほどの不安も相まって思わず視線をご主人に向けると、白叡も同じく緋燿に視線を向けていた。両者の視線が交わる。白叡はすぐに緋燿から逸らした。
「……たしかに四凶を恨めど、この子には関係のない事だ。隷獣だからと、奴と一括りにして接するつもりはない。この子には……ただ健やかに、共にあって欲しいだけだ」
緋燿は冷めてしまった胸中が温かい何かで満たされるのが分かった。ご主人の言葉一つでどうしてこんなにも隷獣は浮かれてしまうのだろうか。
(俺は、白叡と一緒にいてもいいと許されてる)
以前も似たような自問をした覚えがあったが、何度も形となって心に降り注ぐことに飽きる事はない。満たされることのない飢えのようだった。
思わず綻んでしまう顔を隠すように下に向けると、胡桃が微笑ましげに下から見つめていた。意味がなかったようだ。
「この子、ねぇ」
望准は白叡の言葉に何か含みをを感じ取ったのか、杯を置いて茘枝を摘む。手のひらの中で何度か転がすと、考えが纏まったのか皮を剥き始めた。
「とにかく、せっかく隷獣契約したんだ。本題はこいつにも聞かせて、力になってもらえ」
緩んだ頬を摘みながら緋燿が顔を上げると、望准はにやりと笑う。全員の視線が集まる中、大袈裟な身振りで懐から小さな冊子を取り出した。
「さーて迅義お待ちかねの、四凶が関わっている可能性のある事件のお披露目だ!」




