第二十話
濃霧が晴れたとき太陽はすでに高い位置にあり、時刻は昼に差し掛かるほど過ぎていた。
そのため緋燿と白叡は村長に一言別れを告げて、すぐに村を出発することにした。
緋燿は白叡の隣を歩きながら大きく深呼吸をする。原っぱと木々に挟まれた小道はとても長閑で、澄んだ空気が心地よい。今まで霧が満ちていたことが嘘のようであった。
挨拶をした際に村長から迷惑をかけたお詫びに何か出来ないかと言われたようだが、それは白叡が断っていた。
「これから村内で話すことが山ほどあるだろう。それに鬼妖が関わらない以上、私たちが関与するべきではない」
今回の鬼妖発生の原因がわからない以上、再発を防ぐためにはこれ以上の恨みを「ぬまとこさま」に溜めないことが第一だ。直接目撃した村人が三人だけとは言え、村中に周知され、対応が話し合われることになるだろう。
「こんなことがあったし、儀式、止めるよね?」
「それは分からない」
「え! 何で!? また鬼妖が出たら、その時白叡はいないんだよ? 危険すぎるし、すぐに止めるんじゃないの?」
緋燿は驚いて白叡を見上げたが、彼は表情を変えぬまま淡々と答える。
「長い慣習は、長ければ長いほど止めづらい。特に今回の儀式は行うと決断するだけの理由があったのだ。再び沼の恵みが枯れた際に別の解決案が生まれていなければ、儀式を再度行う可能性は十分あるだろう」
「そんな、じゃあ、白叡が止めろって言うのも駄目?」
「部外者の私に言われて仮に止めたとしても、それは一時的であって根本的な解決にはならない。後はそこに住む人次第だ。見た所、すぐに枯れるような沼ではなかった。時間はある」
「えぇ……」
いっそ素っ気なさすぎる態度に、緋燿は言い淀んだ。
白叡の言っていることは半分ほど理解出来たものの、納得できるかは別であった。
「じゃあ、今回俺たちがしたことって無駄だったの?」
道すがら落ちている石を爪先で蹴り上げる。不格好な石は思った方向に飛ばず、ころんと原っぱの方へ転がっていった。草葉に見えなくなった石に緋燿はため息を吐く。
しかし白叡は石が転がった方向を眺めながら、遠くを見るように目を細めた。
「……緋燿。無駄かどうか、結果を決めるのは私たちではない。第一、君は結局無駄になると分かっていたら行動しなかったのかい?」
「ううん、そんなことない。同じか、あれ以上にいい方法を探して力を使うよ。……あ」
諭す言葉に緋燿は今一度考えてみたが、すぐに答えが出た。そして不思議と笑いがこみ上げてくる。
(無駄になるのか、なんて。先の結果を考えたって意味なかったんだ)
笑う拍子に体の周囲で垂れ布が揺れたので、収まりが良くなるように軽く笠を動かす。今のところ一角が見られた話題に白叡が触れることもなかった。
(そう言えば一角や顔はどこまで、誰にまで、見せてもいいのかな?)
笠内の一角を緋燿が撫でていると、ふと白叡が振り返った。歩いてきた道奥をじっと見つめた後、口元にわずかに笑みを浮かべる。
「緋燿。昨夜の行動が無駄だったかどうか、彼に聞くのが一番いい」
徐々に大きくなって聞こえてくる声に緋燿も振り返った。小さな影が走ってくる。緋燿も衝動的にこちらから駆け寄った。
「燿兄ちゃん!」
「田快!」
村からそこそこ離れたせいか、少年は急いで追ってきたようだ。肩で息をしているので、整うのを待つ。その間も白叡は近寄ってくることはなく、静観の姿勢を保っていた。
緋燿は垂れ布を上げ、顔が直接見えるようにすると少年の肩を撫でた。しかし少年は握り拳のまま、突然太腿の辺りを殴ってきた。勿論痛みはないが、一向に止まる気配がない。
「どうしたの、こんなところまで? 何か村であったのか?」
「なにか、じゃないよ! お礼も、別れの挨拶すらさせないでさ!」
「それは、ごめん」
彼らには落ち着く時間が必要だとの考えから、確かにまともな挨拶はせずに出発してしまった。それが余程お気に召さなかったようだ。
しばらく殴り続けて落ち着いたのか、田快が今度は握り拳をお腹の前辺りに突き出してきた。緋燿はその拳の下に手のひらを差し込むと、少年の拳が開かれる。しゃらんと軽い音を立て、見覚えのあるものが落ちてきた。
「これは……」
「これ、母ちゃんの形見の耳飾り。兄ちゃんに一つ持ってて欲しいんだ」
照れながら笑う少年に、緋燿は反射的に耳飾りを握り返させた。
「これは、陳柘の……!」
「そう。本当は母ちゃんが沼で落としたのを伯母ちゃんが拾って今まで持ってたんだって」
「それなら尚更、田快が持つのが一番でしょ? なんで俺なんかに」
「俺、決めたんだ。これからもあの村で生きていくって」
慌てたせいか掠れた声が出た緋燿に対し、田快は大きくはっきりとした声で宣言した。
「儀式自体は憎いし、今までと同じように陳伯母ちゃんや村の人と過ごすのは難しいと思う。でもね、それでもあの幸せは嘘じゃなかった。伯母ちゃんのこと、皆のこと、大嫌いになれなかったんだ。だから全部捨てて新しい場所で生きるんじゃなくて、好きも嫌いも全部抱えて、おれが村を変えていくんだ!」
母親と同じ、未来を信じる強い意志に緋燿は思わず微笑んだ。
「そっか。田快なら絶対に出来るよ! 俺も応援してる!」
「ありがと! それでさっきの耳飾りだけど、兄ちゃんは母ちゃんの過去、を夢でみたんだろ?」
「……うん。不思議な体験だった」
「つまり俺と陳伯母ちゃんの次くらいには、母ちゃんのことよく知ってる人ってわけだ。母ちゃんは最後、外に行けば家族が幸せになるって思ってたんだろ? 父ちゃんが村の外の出だったからかな? おれにはもう一つ残ってるし、だからこれだけでも外に連れ出してくれない? ……陳伯母ちゃんもいいって言ってくれたんだよ」
再び差し出された片耳の耳飾りを、緋燿は今度は突き返さなかった。花弁模様の細工がされていて、目の前まで持ち上げると風に揺れてしゃらりと小さな音を立てる。
「分かった。大事にするよ」
「よかった! ……じゃ、またな兄ちゃん! 近くに寄ったら今度はちゃんと顔出せよな!!」
目的を果たした田快はそうして村へと引き返していった。
あっという間に消えた後ろ姿に少し寂しさを感じたものの、目指す未来へ進みだした姿に嬉しさが勝る。
(俺も、君みたいに頑張るから)
「私たちも帰ろう」
先の道より普段と変わらない無表情のまま、白叡が緋燿を招く。
緋燿は耳飾りを壊さないように手のひらで包み込むと、彼の隣に並んだ。
そうして二人は、銀寒邸へと遮るもののない道をゆったりと歩み出した。
これにて第一章完結です。ありがとうございました。




