表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
どうか、ありのままの君で  作者: 天宮綺羅
第一章:愛憎を還す
16/32

第十五話


 霧の出た翌日。陳柘(チェンジェア)は村長からの言伝により、田快(ティェンクァイ)を家に一人残して宴会などで使われる集会所を訪れた。

 緋燿(フェイヤォ)も相変わらず彼女から離れることができないので一緒に中に入ると、すでに姉である陳莇(チェンジュ)を含め他の()()()()と呼べる年齢層以上の村人が集まっていた。

 中でも比較的若い人たちは集会の理由がわかっていないのか、お互いに顔を見合わせては首を傾げている。(チェン)姉妹もそのうちの一人だった。

 陳柘は既に座っている陳莇の隣に腰掛け、顔を寄せる。


「ねぇ、今日の話題は何? なんのためにみんな集められたの?」

「まだ(なん)にも。普段なら事前に知らせがあるけど、今回急だったせいかほとんど知らないみたい。知ってそうな人もいるけど、ちょっと、ねぇ……」

「あー、確かに」


 姉妹の視線が前方、上座に集まるお年寄りたちに向けられる。

 物々しい雰囲気から話しかけづらいことが緋燿にも容易に理解できた。

 難しい顔を突き合わせていた彼らは、集会所が人で埋まったことを確認すると、入り口の戸を閉めて(かんぬき)をかける。普段戸締りをしない陳柘を含めた村人たちは、異様な事態であることをここでようやく悟ったようだった。

 緋燿も触れられない存在とはいえ、重ならないように空いている場所に腰を下ろす。

 静まり返る屋内。皮切りをきったのは上座の中でも中央に座る、白髪が混じり始めた初老の男性であった。


「みなに集まってもらったのはほかでもない。この村に受け継がれてきた儀式を伝えるためである。初めての者は心して聞くように」


 こちらも見覚えがある。現実で白叡(バイルェイ)と緋燿を泊めてくれた村長だ。

 ざわめく村人たちを時折鎮めながら、村長は語り出す。「むかし、あるところに」から始まる寝物語のように。しかしその内容は、めでたしで締めくくることが出来ない内容であった。




 代々村は外れにある清らかな沼の恩恵を受けてきた。

 その水は豊作を生み、各地が飢饉であるときでさえ村人を飢えさせることはなかったという。

 そしていつしかその沼は、神様が度々訪れては恵みを落としていく「ぬまとこさま」として大切にされていった。

 しかしその恵みも有限であった。数百年前、類を見ないほどの凶作に陥った。

 村人たちが急いで沼へ行くと、普段と違って霧が発生し、おどろおどろしい雰囲気に包まれていた。

 飢えを知らなかった村人は耐えることができず、解決策を考案する。


 生贄。


 命を捧げることで、村への恵みを蘇らせようとしたのだ。

 渋る村人たちもいたが、当時の村長の娘が自ら「ぬまとこさま」へ身を投げ入れたことによって恵みは還ってくる。

 証明された方法に喜んだ彼らは、それを神聖な儀式として後世に残すことにした。




「よって濃霧を凶報の証とし、此度も「ぬまとこさま」への儀式を執り行う」


 いつしか誰も言葉を発することはなくなっていた。

 お互いの顔を見やることもなく、呆けた視線を上座へ向けている。

 緋燿も同じ方向を向きながら、胸中に嫌な予感が湧くのを感じていた。


(儀式。生贄。消えたのは霧の日。まさか陳柘が……?)


 思わず陳柘の様子を窺うが、彼女も前方を見つめたまま動くそぶりもなかった。

 村長は続ける。


「儀式はこの村にとって必要不可欠だ。欠かせばたちまち凶作となり、この村は滅ぶだろう。愛する故郷を守るため、愛する我が子を守るため。選ばれた者は役目を果たしてほしい。霧が濃くなりすぎる前に、追って知らせをだそう」


 その言葉を最後に戸の閂が外される。解散の合図のようだが、すぐに動ける者は一人もいなかった。

 村長の宣言は外堀を埋めていくような響きを持っていた。

 愛するもののために死ぬこと。逆らうことはこの村を、ひいては子を家族を愛していないと責めるように。

 のろのろと帰宅し始めた陳柘の後を追いながら、緋燿は鈍る頭を必死に動かし続ける


(陳柘がいなくなってしまった本当の理由はおそらく儀式だ。でも、じゃあ何で男と出ていったなんて話になる? 子供が集められなかったということは、儀式の存在自体田快は知らなかった。彼をごまかすため? いや、子供一人をごまかすために村人全員で探し回るなんて、そんな大袈裟な真似をする必要があるのか?)


 未だにすっきりとした真実が見えてこない。

 陳柘は家に帰り着くと、表向き陽気に過ごし続けている。しかし夜、眠る田快の頬を愛おしげに撫でる姿には胸が締め付けられた心地がした。見ているだけとは、なんともどかしいのだろうか。行き場のない気持ちが内側から緋燿を刺してくる。

 集会からあっという間に二日が経ったが、未だに陳柘に連絡はない。日に日に濃くなる霧が刻々と迫る期限を告げているようで、見ているだけの緋燿の方が緊張で参ってしまいそうになった。

 そして三日目の寝静まった夜のこと。とんとんと控えめに戸を叩く音に、横になっていた陳柘が身を起こした。緋燿も勝手に座っていた(とう)から立ち上がり、彼女とともに戸口へ近づいていく。

 家族を引き裂く宣告者到来の予感に緋燿は無意識に一角に力を込める。

 しかし陳柘が開け放った戸の先にいたのは想定外の相手であった。


「……どうしたの、姉さん。こんな夜遅くに。もう夜霧で先も見えないでしょう? 危ないわ」


 陳柘が一瞬言葉に詰まりながらも潜めた声で陳莇を招き入れようとする。しかし陳莇はそんな彼女の腕をいきなり掴んで、戸外へ引っ張っていってしまう。彼女の突然の行動に陳柘は目を見開いたものの、一度だけ室内を振り返ってから、家の外に出る。背中越しに戸を閉めると姉の腕に手を添えた。


「姉さん。姉さん、泣かないで。何があったの? 話せる?」


 温めるように何度も腕をさすってあげている陳柘は、姉の様子から何かを読み取っているようだ。体は小刻みに震え、目元を腫らし、涙と鼻水で顔中を濡らした幼子のような陳莇に答えを急かすこともなく、寄り添い続けている。

 犯しがたい雰囲気をただ見ていることしかできない緋燿は、胸元を握りしめた。

 濃霧という状況下で、夜中に泣きながら妹の元へやってくる理由に胸騒ぎが大きくなっていく。


「……どうしよう。あたし、どう、したら。柘柘(ジェアジェア)、こわい、あ、ああ、いやだ……でも、柘柘、快快(クァイクァイ)……う、あああ……」


 支離滅裂な意味のない独り言。明確な答えなど、口にされずとも悟らざるを得なかった。


(陳柘じゃなくて、陳莇が生贄に選ばれたのか)


 病気でも事故でも寿命でもない、他者の幸福へ捧げる自死。己の人生に当たり前に存在してきた、家族のための死。

 突きつけられる恐怖や愛はどれほど重いことだろうか。その気持ちを推し量ることなど緋燿には到底不可能で、唯一受け止められる妹は、表情を悲痛に歪め、ただただ姉を抱きしめた。

 嗚咽を零す陳莇は、陳柘の肩口にしばらく顔を埋めた後、己の袖で顔を擦りつつ離れた。

 顔全体がいっそう赤くなり、跡も残っているものの、陳莇は笑顔を作り上げる。無理な力が入っているせいで歪なものの、それは妹を気遣わせまいという強さからきていることが、追憶を辿ってきた緋燿にも容易に理解できた。


「ごめんね、いきなり来て。でも時間が、時間がもうなかったの。明後日、なんだ。だから明日の夜、最後にもう一度だけ、時間を頂戴」

「……わかったわ」

「ありがとう。……よし、もう大丈夫! それじゃあ、おやすみ!」


 それに気づかない陳柘ではないはずだが、自分から何かを言い出すことはない。手を振って濃霧へ消えていく姉を見送ると、しばらく霧闇を見つめ続けた。そしてふらふらと室内へ戻っていくと、そのまま(むしろ)の上で眠る田快の隣に入り入り込む。両腕でゆっくりと息子を抱き寄せると(ふすま)を頭からかぶる。こんもりとした山から僅かに聞こえてるのは寝息ではなく、堪えるような嗚咽だった。


 緋燿も勝手知ったる家に入ると、凳に腰掛けた。横になっている家族を見下ろし、頭を掻き毟りながら深くため息を吐く。


(これが妄想の(たぐ)いでないのなら、真実死ぬのは陳莇だ。しかし実際にいなくなったのは陳柘。いったいどういうことだ。どうして陳莇ではなく、彼女が死ぬことになった?)


 もちろん陳莇が死んでほしいということではない。

 しかしこの辛い出来事が()()()()()()()()()()()なのならば、これ以上の別の問題が待ち受けていることは明白だった。

 坂を転げ落ちるような展開に疲れ果て、そのまま卓子の上に上半身を折り曲る。緋燿にも勿論安眠など訪れることはなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ