再び、東雲堂にて
病院を離れた芙美子は、とりあえず東雲堂に戻ることにした。
その、路面電車での移動の途中、芙美子はなにかを見落としたような気がしていた。
「義三さんのうわごと……しびと、って言ってたよね。しびとが呼んでるって。なんなの、あれ?」
「あれは、西国の一部に出没する七人ミサキという魔物のことだと思います。人を身代わりにすることで自分が解放される。身代わりにされた人は新たなミサキとなる……そんな、終わりのない呪いの輪廻の中にいる危険な魔物です」
「そんなのがうちの店に出てたんだ……」
「おそらく、何者かが籠目を使って召喚・使役しているのでしょう。元来ひとけの少ない、海辺や村境などに出るそうですから」
東雲堂前の停留所で電車を降りると、建物を上から下までなんども見比べる。
改めて仔細に見てみると、ところどころ、妙に陰っている場所があることがわかった。
外からなのではっきりとはわからないが、どれも籠目の刻まれた蝋人形がある売り場ではなさそうだ。
さらに見ていると、陰りの一つはしきりに上へ行ったり、下へ降りたりを繰り返している。
その動きを見て、芙美子には思い当たるものがあった。
「ねえ、どうしたの? なにかわかった?」
「いいえ、なにもわかりません。ですが、東雲堂の中で、まだ調べていない場所があることを思い出しました」
「調べていない場所?」
「蝋人形のない場所です」
蝋人形の置かれていない売り場、あるいは通路、客の入れない事務所や倉庫……籠目の刻まれた蝋人形に着目したばかりに気付かなかったそうした場所も調べなくてはならない、と芙美子は思ったのだ。
「蝋人形のあった場所だけを見てもしょうがないってことか……」
「それに、外から眺めて気付いたのですが、この建物全体がなんとなく陰ったように薄暗く感じます」
芙美子は入り口に向かって歩きながら、いつも持ち歩いている小瓶を手の中に構えた。
「じゃあとりあえず……店員の控え室とか、見てみる? それとも倉庫が先?」
「いいえ、地下です。建物全体に影響を及ぼしているのですから、地下になにかがあるのかも知れません」
「地下か……昇降機の機械室とか暖房設備を動かす缶室があるくらいだよ?」
「先ほど、気になるものを見たのです。薄暗い、嫌な空気が昇降機とともに上り下りしていました」
「じゃあ、機械室だね。今日は技師さんがいるはずだから、一緒に話をきいてみよう」」
芳子の案内で地下に降りた芙美子は、いままで見たことの無かったその空間に思わず息を呑んだ。
床も壁も天井も、飾り気のないベトン製で、天井には等間隔に電灯が配されているが、それでも最低限の広さしかない通路にはところどころに影が落ちていた。
ひやりとする地下の空気の中を進んでいくと、やがて「機械室」とプレートの貼られた扉が現われる。
「裕一郎さん、開けていいかしら?」
芳子が扉を軽くノックすると、軋むような嫌な音を立てて内側に開いた。
機械油の匂いとともに、顔の汚れた技師が顔を出した。
「ここはお嬢さんが来るようなところじゃありませんよ。この通り油の匂いがきついですし、なにより危険です」
「そんなこと言わずに、ちょっと話を聞いてほしいのよ」
芳子が言うと、裕一郎は逡巡したあと、部屋から出てきた。
薄汚れたシャツがますます匂う。
「話は聞きましょう。けど、お通しするのは勘弁ですぜ」
「ありがとうございます。ええと、裕一郎さん、でしたか?」
「はい、東雲堂の機械全般を預かってます」
「私は宮森芙美子、芳子の友人です。お尋ねしたいのですが、ここしばらくお店で起きている異変についてはご存じですか?」
「ああ、話は聞いてますよ。でも、俺はなにもおかしなものは見ていません。親がよくね、幽霊てなぁ弱い心が見せる幻なんだって言ってましたよ」
裕一郎は腕組みをしてふん、と唸った。
「どんなことでも良いのですが、なにか変わったことやおかしなことはありませんでしたか?」
「変わったこと? いいえ、特にはないと思いますよ」
芙美子は裕一郎の様子をじっと見つめたが、隠し事をしているようには見えない。
しかし、機械室の扉の向こうからは、なにか邪な気配がしている。
「本当になにもありませんか? でしたら、いまこの扉を開いても構いませんね?」
言うが早いか、芙美子は扉を押し開いた。
十畳ほどの広さをした機械室の向こうには当然ながら昇降機を動かすための大きな機械が並び、こちら側には整備用の工具が整然と並べられていた。
そして、そんな空間に似つかわしくない、白木の祭壇が一つ。
機械の並ぶあたりと工具の置かれたあたりのちょうど中間、部屋の真ん中近くに設えられていた。
急ごしらえなのだろう、簡易な祭壇の周囲には、一つ、二つと人影が浮かび上がっている。
「ゆっ、裕一郎さん! これはどういうことですか!?」
芳子が驚いた声を上げる。
その様子から察するに、芳子はこの場に祭壇があることを知らなかったようだ。
「しばらく前に、山伏が来て置いてったんです。俺ぁてっきり、旦那さんが拝みを頼んだのかと……」
裕一郎は目の前で起きていることに理解が追いつかないようで、すっかり逃げ腰になっている。
「芳子、すぐにここを離れてください! 父様に連絡を!」
そう言いながらも、芙美子は小瓶の蓋を開けた。
中から火の粉が飛び出し、めらめら燃える鶏冠と尾羽を持つ、鶏の姿になる。
「頼みます、ふらり火!」