夕暮れの街
『三栗谷荘』を飛び出した芙美子は、南の姿を探して街中を走り回った。
夕暮れが近いとはいえ、街を行き交う人々の数は決して少なくない。
食堂やパーラーなど、飲食のできる店はかなりの数に及び、それらを調べるだけでも手間がかかる。
「お嬢様、お待ちください!」
ケイに呼び止められて、芙美子は一度足を止める。
「お嬢様、南少尉のいらっしゃる場所に心当たりはあるのですか?」
「いえ、ありません。ですからこうして探して回っているのです」
「でしたら、海軍に問い合わせたらよいのでは?」
「いえ、おそらくそれでは取り次いでもらえないでしょう。海軍からすれば、陸軍将校の娘でしかない私はあくまで地方人。間借りしているだけの陸軍士官、それも憲兵将校の動きなんて教えてくれるはずがありません」
芙美子の話を聞いて、ケイも芙美子が街へ出てきた理由がわかったようだった。だとしても、絶えず行き交う人々の中からたった一人の人間を見つけるなど、簡単なことではない。
芙美子は行き交う人々の間を縫うように歩きながら南を探す。
いくつめの角を曲がった頃だろうか、突然人のいない通りへ出た。
「あれ? こんなにすぐ裏通りに出るものでしょうか?」
ケイが首をかしげている。
芙美子の方も、これがおかしな出来事であることはわかっていた。
芙美子の目には、人通りがないのではなく、影法師のように朧げなかたちになった通行人の姿がしっかり見えていた。街のざわめきも、芙美子の耳にはどこかくぐもったように聞こえている。
「ここは、おそらく結界のうちでしょうね。とすれば、結界の主たる魔物がいるはず」
芙美子は魔物を封じた小瓶を取り出そうとしたが、そもそも小瓶をしまっている小箱が見当たらない。
「しくじりました……」
「あの、お嬢様? これを。浜で着替えた時にお預かりしました」
ケイが小箱を差し出してきた。芙美子は小箱を受け取ると、中から赤い小瓶を取り出す。
「一体なにが悪さをしているかわかりませんが……ふらり火、お願いします」
芙美子が小瓶を開くと、中から小さな火花が飛び出し、瞬く間に炎の鶏冠と尾羽を持つ鶏の姿に変わる。
『こけっ』
ふらり火は一声鳴くと、あたりをきょろきょろと見回し、それから困ったようにもう一度『こけっ』と鳴いた。
「ふらり火、近くに魔物がいるはずです。なんとか、見つかりませんか?」
『こけけっ?』
ふらり火はあたりをくるくると見回すと、ひゅぽっ、と小さな火を吐いた。
「要するに、わからないのですね?」
『こけっこ』
芙美子はふらり火を抱き上げると、あたりの街並みに目をやった。
結界の主が何者かはわからないが、こうして閉じ込めている以上、芙美子に敵意を持っていることは明らかだった。芙美子を魔物使いと知って狙ったのか、あるいは単に迂闊な女学生を餌にするつもりだったのか。
「とにかく、こちらから主を探すしかないでしょうね。ケイ、行きましょう」
「はい……」
ケイは明らかに怯えている様子だった。
無理もない。幼いころから魔物を使役する秘術を修得し、訓練してきた芙美子と違い、ケイは七つで宮森家に奉公に出るまで魔物とは無縁の暮らしをしていたのだ。
「あ、あのう、お嬢様……」
「安心してください、ケイ。必ずや結界の主を見つけ出して、元の街へ戻ってみせます」
芙美子は無人……いや、朧げな影の行き交う通りをずんずんと歩いていく。革の靴が瀟洒な石畳を叩き、かつかつという規則的な足音を立てる。
しばらく歩いていると、行く手に白い人影が現れた。
その男だけは芙美子の目にもはっきりと見えるが、さりとて魔物というわけでもないようだった。
「また会いましたね、お嬢様」
白い背広に白い帽子、色黒の肌に口ひげをほんの少しだけ生やした伊達男は芙美子を見てにこり、と笑った。




