一難去っても
鋭い銃声が響いた。
見張所の上から水兵が小銃を撃っていた。
目標は沖合、いま、まさに海岸へ向かってきている黒い波だ。
弾丸は青白い光の尾を引いてまっすぐに飛び、波にぶつかると一際強い光を放って爆ぜる。
「あれは……魔物用の特殊弾!?」
芙美子は思わず目を見張った。
宮森男爵の考案した、普通の銃でも魔物に一定の効果を発揮することのできる特殊弾に間違いない。
しかし、特殊弾はその価格と限定的な用途からそれほど多く生産されているわけではない。
それを目の前の水兵たちは惜しげもなく撃っている。おそらく、あの波は魔物の仕業で、そしてこの海水浴場に現れたのも初めてではないのだろう。
「お嬢様、こちらへ!」
「え、えぇ……」
芙美子と芳子はケイに言われるがまま、海水浴場を離れた。
救助の短艇の上に、助けられた春美たちの姿も見えた。どうやら、全員無事なようだ。
「助かりましたね、芳子」
「うん、なんとか……でも、あの波って一体なんなんだろう?」
それは芙美子も疑問を持ったことだった。
「わかりませんが、少なくともあの波そのものは魔物の本体ではないでしょう。あれだけの攻撃を受けてもなんの反応もないのですから」
それとも、特殊弾が効いていないのかもしれない。
喉元まで出かかった言葉を、芙美子は飲み込んだ。
そうこうするうちに、救助を終えた短艇はそのまま波の前を横切り、防波堤の影に逃げ込んだ。
黒い波は無人となった海水浴場に乗り上げ、見張所の寸前まで到達すると、それまでの勢いがうそだったかのようにずっと沖へ引き上げ、消えていった。
「消えた……?」
芳子がぼうぜんとつぶやく。
波は去ったとはいえ、今一度海に入って泳ごうなどという人はさすがにいないようで、海水浴場に戻ってくる人はほとんどいなかった。
芙美子たちも例外ではなく、再び着替えて街へ出ることになった。
「それで、なんなのよ、あの黒波は」
九死に一生を得た春美がこぶしを振り回しながら文句を言う。
「芙美子、なにか見えなかったの?」
「ええ、わたしにも、あれは黒い波にしか見えませんでした」
「じゃあ、魔物はどこにいるの? 海の中?」
「そうかもしれません」
芙美子としてはそう答えるしかなかった。
黒い波が魔物そのものでないことは間違いない。しかし、特殊弾がなんら効果を上げていない以上、魔物の本体はどこか別のところにいるのだろう。
「あれは、海軍も苦慮しているでしょうね」
芙美子は答えながら周囲を見回した。
街の表通りは観光客目当てのパーラーや洋品店、土産物屋に食堂、民宿などが建ち並び、人通りも多い。海から近い平地部分は路面電車が通っていて、ずいぶんと開けた印象を受けるが、やはり海軍の鎮守府があることと無関係ではないだろう。
行き交う人をよくよく見れば、海軍士官らしい白服の姿もまったくないわけではない。真っ昼間から外出しているはずはないから、なんらかの任を帯びてのことなのだろう。歩きながら、間断なく周囲を見回しているのがその証拠だ。
「ねぇ、一度甘い物でも食べて落ち着こうよ」
美代が手近なパーラーを指さした。
「ん、そうね。あんな目にあったんだし、ちょっとくらいいい目を見てもいいはずだわ」
春美が首肯したので、芙美子たちはぞろぞろとパーラーに入っていった。
フリルのついたエプロンを締めた女給さんが出迎えて、空いた席へ通してくれた。
その席へ芙美子、芳子が上座側、春美、美代が下座側に座った。お付き女中であるケイは席には座らず、芙美子の後ろに控える。
と、そのケイが「あっ」と驚いたような声を上げた。
「どうしました?」
「ああ、いえ……あそこに南少尉が」
ケイの視線を追った芙美子も「あっ」と小さな声を上げることになった。
南が数人連れの女性たちになにやら聞き込んでいるところだった。




