パーラーの名物
東雲堂百貨店は、千代田市でも大きく、人目を引く五階建ての瀟洒な建物だ。
そこでは、和装洋装に舶来の小物、文具書籍に季節ごとの贈答品まで、様々なものが売られている。
街の流行を先導するそんな高層建築の最上階にあるパーラーは絶品のアイスクリームで知られている。
匙ですくって口の中へ運ぶと、口いっぱいに甘い味と冷たさが広がってなんとも言えない美味だ。
「ねえ、芙美子。あたしの話、聴いてた?」
そんなアイスクリームに舌鼓を打っていた芙美子は、親友の声で我に返った。
「あぁ、はい……なんでしたっけ?」
「んもう! そんなに私のこと嫌いかな?」
「嫌いではありませんが、少々面倒だなとは思います」
芙美子が即答すると、芳子はぷくっと頬を膨らませた。
「んもう、かわいげがないな」
「すみません、そういった方面には疎いもので」
芙美子は素直に謝った。
芳子の方もすぐに元に直る。
この二人の間では、こんなやりとりはいつものことだ。
「それで、一体何の話でしょう? 私にできることでしたらお手伝いしますけど」
「うん、それなんだけど……祓いを頼めない?」
「それは難しいですね。父様よりまだ駆け出しなのだから依頼は受けるなと言われていまして」
芙美子は答えると、アイスクリームをもう一口すくった。
それを見た芳子が不敵ににやり、と笑う。
「このアイスクリーム、私が出したんだからね」
その言葉に芙美子はハッとしてアイスクリームと芳子の顔を交互に見つめ、そしてため息をついた。
「……そうでしたね。仕方がありません、二十銭ぶんの働きはしましょう。ですが、私の手に負えないと判断したらすぐに父様に引き継ぎます。それでいいですか?」
「さすがは芙美子! 話せばわかる、私の大親友!」
芳子は芙美子の両手を握り、ぶんぶんと激しく振った。
その大仰な仕草に芙美子は少し呆れた。
「少し鬱陶しいです。それで、一体どんなお話でしょう?」
芙美子がたずねると、芳子は声を潜めるようにして話し始めた。
「実はね、しばらく前から出る、って噂が立ってるのよ」
「……詳しく聴きましょう」
「十日くらい前だったかな……夜警さんがね、見回りの途中、婦人服売り場で変な人影を見たんだって」
「変な人影、ですか? 泥棒の類いではなかったのですか?」
「ボンヤリしていた上にすぐに消えちゃったからはっきりとは見えなかったらしいの。夜警さんは泥棒かもしれないってそのあたりを調べてみたんだって。でもなんの痕跡もなかったから見間違いだって思ったみたい。でも、その次の日、今度は紳士服売り場のテーラーさんが見ちゃったの」
芳子の話を聴きながら、芙美子は頭の中に百貨店の見取り図を思い浮かべた。
「やっぱり薄ボンヤリとしか見えなくて、すぐに消えちゃうの。さらに次の日は、化粧品売り場、その次の日は呉服売り場……って具合に、七日くらいは見たって人が出たのよ」
「それだけでしたら遺念の一種かもしれませんね。大勢の人で賑わっていた場所が静かになったあと、その賑わいに引かれて集まった亡霊などがうっすらと姿を見せるというもので、特に害はありません」
「それだけじゃなかったのよ。八日目にね、最初に人影を見た夜警さんが急に熱発して倒れちゃったの。今は来栖病院で養生してるわ」
芙美子はそっと周囲をうかがう。
客の方は百貨店のパーラーというたまの小さな贅沢に舌鼓といった様子だが、給仕たちの間にはどことなく緊張感が漂っている。
「義三さんが倒れてから、同じように人影を見たって人が次々と倒れちゃってね……元々遅くまで働くような店じゃないけど、今じゃ誰も夜まで残りたがらないし、閉店の時刻が近付くとみんなそわそわしだして、店中の雰囲気が変な感じなのよ」
「立て続けに倒れたのですか? 確かにそんなことがあれば不安にもなりますね。ところで、人影を見たという人で、まだ倒れていない人はいますか?」
「うん、いるにはいるけど……みんな怖がっちゃって、家に籠もってるみたい」
「そんなことが続いていれば不安にもなりますね。ところで芳子、明るいうちに人影が目撃されたという場所を見ておきたいのですが」
「わかった。じゃあ、最初は化粧品売り場だね。同じ階だからすぐ行けるよ」
芳子は善は急げとばかりに伝票を取って立ち上がった。
「あの、芳子……」
「うん?」
「せめて、アイスクリームを食べ終わってからで良いでしょうか?」