奈落よりも深き舞台
芙美子たちは一度奈落へ移動し、増村に通用路を開けてもらってさらに地下へ降りた。
天井を様々な配管が這っている暗い通用路の奥には、昇降機を動かす機械室や暖房を司る蒸気釜といった設備が並んでいる。
そのさらに奥、まるで舞台のように広まった空間に、メリーは立っていた。
「メリーさん!」
駆け込んだ芙美子が声をかけると、メリーは楽しげな笑みを浮かべた。
「やっぱり来たんだ。……まあ、そうでしょうね」
「魔物にさらわせた人たちを開放してください」
メリーは答えず、天井を指さした。
天井にはこの場にふさわしくない大きな電気式のシャンデリアが下がっていて、そこに白いものがいくつも括り付けられている。シャンデリアを支える張線や電灯を灯すための電線も相まって、まるで巨大な蜘蛛の巣のようだった。
「あれは、舞台で桜花さんをさらおうとした魔物!?」
「そうよ。春風桜花さえ手に入れば、他はいらなかった。だから、ああして括り付けてあるの」
「僕さえ、だって? 一体どうしてそんな……?」
桜花が狼狽したようすでたずねると、メリーは芝居がかった動作で両手を広げた。
「あなたのような芯の強い人間が、外法衆には必要なの。……ああ、安心なさい、あの人たちはまだ死んではいないから」
言いながら、手にした鞠を中空に投げ上げる。
「隠れ座頭!」
『カカカッ……オ呼ビデスカナ……』
瘴気の中から隠れ座頭が姿を現わし、芙美子に袋を振り向けてきた。
「……芙美子くんっ!」
間一髪、桜花が芙美子を突き飛ばした。
芙美子は床をゴロゴロと転がって難を逃れたが、代わりに桜花が袋に囚われてしまう。
「はっ、放せ……!!」
もがきながらも、桜花の体は袋の中に閉じ込められてしまう。
隠れ座頭の薄い目が妖しくぎらり、と光った。
しかし、芙美子は慌てず、騒がず、静かに立ち上がった。
「……今です、桜花さん。小瓶を開けてください」
刹那、隠れ座頭の袋が倍にも膨れ上がり、内側から突き破るようにして毛槍が飛び出した。
「なっ……!? なにをしたの?」
突然のことに、メリーも隠れ座頭も理解が追いついていないようだった。
その間にも袋の裂け目は広がり、中から槍毛長を伴った桜花が飛び出してきた。
「なにがあるかわからないので、桜花さんと七海にはあらかじめ小瓶を持たせていたんです。さて、メリーさん。大人しく投降してください。捉えた人たちを開放して、それから……」
「嫌よ。一反木綿!」
メリーの声に反応して、一反木綿たちは少しずつ人質の拘束を緩めていく。
「あの高さから落ちたりしたら無事では済まないわね。さあ、どうする?」
芙美子はシャンデリアを見上げた。
手元にいる魔物たちはいずれも空を飛ぶことはできないし、落ちてくる人を受け止めることもできそうにない。
このまま放っておけば、囚われていた人々は床に叩きつけられてしまうだろう。
どうにもいい方法が浮かばない。
「芙美子くん、人質のことは任せてくれ!」
若い男の声と共に聴き馴染みのある軍用の長靴の音が空間に反響した。
見れば、若い陸軍将校が駆け込んできたところだった。いましも腰のホルスターから拳銃を抜こうというその動きは役者ではなく、本物の将校に間違いなかった。
「南少尉!? 一体どうしてここに……」
「『さくら座』の新作を観に来たら、上でケイさんから頼まれたんだ。まあ、こんなことになるとは思わなかったが」
言いながらも、拳銃を両手でしっかりと構え、一反木綿の一体を狙い撃ちにする。
空間内に銃声が轟いたと思うと、狙われた一反木綿はその場で千々に裂け、囚われていた若い女優が空中に放り出される。
南は落ちてきた女優に向かって軽く跳躍、空中で抱き留めるとそのまま床に転がって勢いを殺した。
「くっ……!」
「大丈夫ですか!?」
「ああ、問題ない……それより、芙美子くんは彼女を」
南に言われる間でもなく、芙美子はメリーの方に向き直った。
「槍毛長!」
『エイッ!!』
槍毛長はその毛槍を隠れ座頭に突き出した。
鋭い一撃であったが、隠れ座頭は上体を傾けてこれをかわすと、空いた手で槍の太刀打ちを掴んだ。
そのまま思い切り引っ張られ、槍毛長は床にひっくり返ってしまう。
隠れ座頭がそこへ馬乗りになって、開いた右手に妖気弾を作り始める。
「残念ねぇ、お嬢様? あたしの勝ちかしら?」
メリーが勝ち誇ったように笑う。
「そうだ……槍毛長! 頭突きをしてください! 兜の前立てで隠れ座頭を突くんです!」
『ムウゥゥゥ……エイッ!』
芙美子の指示を受けた槍毛長は渾身の力を込めて、頭突きを繰り出した。
互いの距離が近かったため、槍の穂先と同じ形の前立ては隠れ座頭の体に深々と突き刺さる。
驚いた隠れ座頭は体を起こし、後ろへ跳び下がった。
槍毛長はそのすきに起き上がると、毛槍を構え直し、いま一度隠れ座頭へと突き込む。
一方で、南はもう一人の人質を救出したところだった。助けられた人質は七海と桜花が安全な場所へ運んでいく。
毛槍の一撃をかわした隠れ座頭が妖気弾を放ち、反撃に転じる。
槍毛長は飛んでくる妖気弾をかわしながら一歩、二歩、三歩まで踏み込んで再び槍を突き出した。
その槍は今度こそ、隠れ座頭の胴体を捉えていた。
『カカッ……ココマデ、カァ……!!』
隠れ座頭の体がどす黒い瘴気となって霧散し、槍毛長が勝ち誇ったように槍を突き上げる。
「こうなれば……こうするしかないわね!」
負けたと見たメリーは後ろの壁にあったスイッチを押す。
次の瞬間、シャンデリアを吊っていた張線が次々に切除される、ビーンという音が響き渡った。
強い負荷に耐えきれず、電線が火花を散らしながら切れる音。
そして、シャンデリアが芙美子たちの頭上に降り注いだ。




