残された衣装
「メリーさんの……ですか?」
「今度の劇では水兵がたくさん出てきますが、メリーの役だけが冬服なんです」
しかし、それでメリーが術者だと断ずるのは早計に感じた。
そもそも、最初に狙われたのはメリーだったのではなかったか。
それに、メリーは案内を買って出てくれたのだ。もしも術者だとしたら、わざわざ自分の不利益になるようなことをするはずがない。
「術者が、それがメリーさんの衣装だと知っていてあえて怪しい場所に隠した、そういうことではないでしょうか?」
「そう、でしょうか? 私もそうであってほしいですけど……」
七海は「でも」と言葉を繋いだ。
「今日、舞台上で桜花さんが襲われた時、メリーはどこに行ってたって言ってましたっけ? それに、メリーは芙美子さんの魔物をまったく怖がらなかったんですよ。その、私だって初めての時は怖かったのに」
「あの時のことはよく覚えています。けど、それとこれとはやはり別だと思うんです。メリーさん本人が言うように、幼い頃から色々な経験があって、魔物に慣れているだけかもしれません」
芙美子はなだめるように言うと、衣装部屋の中をぐるりと見回した。
「それに、天井裏からここまで来るのにも時間がかかります。昇降機を使っていてはわたしの前に現れるのが間に合いません」
衣装のたくさん並ぶ中に、使い込まれている靴が片方だけ落ちていた。靴に触れると、わずかながら魔力の残滓を感じ取れる。
「どうやら、衣装係さんはどちらかの魔物に連れ去られたと見た方が良さそうです。話を聞けたら良かったのですが」
「うーん……だとしたら、術者は一体どこに行っちゃったんでしょう?」
「本番が近いことを考えれば、すでに逃げてしまったかもしれません」
違う、と勘が告げる。
まだ、術者は近くにいて、なんらかの意図で『さくら座』の役者たちを怖がらせている。
「とりあえず、桜花さんたちのところへ戻りましょう」
芙美子は衣装部屋の出入り口から廊下に出た。
すると、ちょうど桜花とメリーも楽屋から出てくるところだった。
「芙美子くん、なにか進展はあったかい?」
「ああ、ええと……これを見つけました」
芙美子はメリーの水兵服を見せた。
「おそらく、術者がメリーさんに濡れ衣を着せるためにあからさまな場所に隠したのでしょう」
「つまり、あたしが魔物を使ったように見せかけたかった、ってことですか? 嫌な人ですね」
メリーは毒づきながら水兵服を受け取る。
「それに、せっかく火熨斗を当ててもらったのに、もうクシャクシャになっちゃった。衣装さん、もういないのに」
その瞬間、芙美子はハッとなった。
「あの、メリーさん、いまなんと言いました?」
「えっ? ああ、火熨斗を当ててもらったのに、もうクシャクシャになっちゃった、ですか?」
「違います、そのあと。メリーさんが火熨斗を当ててもらった時、衣装係さんはいたのですか?」
「当たり前じゃないですか。衣装の管理は衣装係さんのお仕事なんですから」
「それなら、どうしていま、衣装係さんがいないことをメリーさんは知っているのです?」
芙美子がたずねると、メリーは髪をかき上げながら答えた。
「そ、それは……えっとね、衣装さん、ちょっとほつれ直しの糸を買い足しに行くって言ってて……」
「いや、それはないな」
メリーの弁明を、桜花がさえぎった。
「軍服や水兵服に使う色の糸はじゅうぶんに用意してあると言っていたし、仮に糸を切らしたとしても、本番前で突発的な仕事もありうるのに買い出しに行くことはない。もしそうなったら配達させるだろう」
桜花の言葉に、メリーはうつむき、唇を噛んだ。
そんなメリーに芙美子がたずねる。
「メリーさん、勘違い……ですよね?」
「そ、そうですよ! そんな、あたしが魔物なんて使えるわけが……」
弁解しようとしたメリーだったが、衣服のポケットから手のひら大の鞠が転がり落ちた。
鞠はぱっくりと割れてわずかな瘴気を発散する。
「……あーあ、これじゃ言い逃れはできないか」
鞠を靴で踏み潰しながらメリーはため息をついた。
一瞬にして目元が吊り上がり、口元に皮肉っぽい笑みが浮かぶ。
「地元に魔物を使える婆さんがいたって話したの、覚えてる?」
メリーはその場でくるりと一回転すると、新たな鞠を取り出した。
「その婆さんってさ、あたしの本当の婆さんなんだ。色々と村の人の相談に乗ってただけ、なんだけどね、あの戦争に行ったせがれが帰ってこなかったって、それが婆さんのせいだって怒鳴り込んできた人がいたんだ。婆さんに無事帰るよう祈願してもらったお守りを持ってったのに、ってね」
先の戦役では、日本は大勝に大勝を重ね、逃げ続ける敵軍を奉天に破ったのだとされている。
しかし、実際には辛勝の連続であり、多くの兵が異郷の土となったのだという。
それを知っているから、芙美子はとっさになにを言うこともできなかった。
メリーの投げ上げた鞠が空中で割れ、中から瘴気の塊が吹き出した。
瘴気は肩に袋を担いだ法師の姿を形作っていく。
「隠れ座頭、退くよ」
言うが早いか、隠れ座頭はメリーに袋をかぶせると、そのままも煙かモヤのようになって消えてしまった。
芙美子が駆け寄ると、隠れ座頭のいた場所は床板にわずかな隙間ができていた。
「地下……奈落よりももっと下ですね」




