逃げ道の先
ダスト・シュートは意外にも楽屋のすぐ外に設えられたゴミ箱へと通じていた。
芙美子は一度外へ出てみたが、すでに法師らしい姿はどこにもない。やはり、どこかへ逃げ去ってしまったようだった。
楽屋に戻ると、メリーと七海が残った少女たちから話をきいていてくれた。
桜花も自身が狙われているというのにやってきて少女たちをなだめている。
「あっ、芙美子さん! みんなにきいてみましたが、どうやらあの法師の魔物は突然楽屋の中に現れたようですよ」
メリーが芙美子の顔を見るなり、すぐに教えにきた。
「囚われた蘭さんたちはたまたま小道具の軍刀を持ってて、それで法師に立ち向かおうとしたみたいです」
それをきいて、芙美子はため息をついた。
魔物と戦うのに、本物の武器であっても使い手に相当の技量がなければ傷一つつけることはできない。まして、二人が使ったのは舞台用の模造品で、彼女たち自身も特に武道を修めていたわけではない。
心意気は立派だが、無謀な挑戦だったと言わざるを得なかった。
「だから、あの魔物に囚われたのですね……」
「芙美子さん、外にはなにも?」
「ええ。残念ながら、魔物の逃げ道はわかりませんでした。しかし、術者が近くにいるのは間違いないと思います。ともすると、その術者のところに戻っているかもわかりません」
そう答えはしたが、芙美子としてはなんとも落ち着きの悪い状況だった。
背筋がいやにぞわぞわとする。
それとなく周囲をうかがうが、奇妙なもの、目に付くものは特には見当たらない。
それなのに、なぜなのだろう。
芙美子は、どこかから見られているような気がして、しきりに周囲を見回した。
七海が気にして声をかける。
「芙美子さん、どうしました?」
「うーん……なにか引っかかるんですよ。なに、とはっきりは言えないのですけれど、なにか……」
何度も楽屋の中を見回した芙美子は、視線が壁に設えられた鏡台の一つから発されていることにようやく気付いた。
その鏡台に近付くと、壁と床に、ほんの少しだが擦ったような傷がついている。鏡台を動かした跡だ。
「七海、この鏡台は頻繁に動かしたりはしませんよね?」
「動かすのなんて大掃除の時くらいだと思いますけど、それがなにか?」
「ここに動かしたような跡があるんです。それも、つい最近」
言いながら、鏡台を壁に沿って動かしてみる。
鏡台の後ろの壁には大きな穴が開いていて、隣の部屋と繋がっていた。その穴から布の魔物が飛び出して、芙美子の体に巻き付いてきた。
「なっ……!?」
「芙美子さんっ!」
芙美子は必死にもがいたが、魔物の力は思いのほか強く、体を動かすことができない。
「なな……み……おうか……さん……」
芙美子は桜花だけでも逃がそうと思ったのだが、二人はそう受け取らなかった。
「芙美子さん、いま助けます!」
「少し待ってくれ、芙美子くん!」
七海は魔物にしがみつき、その体をぐいぐいと引っ張った。
さらに、桜花がサーベルを抜いて、引っ張られた部分に差し込み、さらに強く引っ張った。
やがて、魔物は根負けして芙美子の体を離す。
床に投げ出された芙美子は咳き込みながらも赤い小瓶を取り出した。
「た、たのみます……ふらり火!」
『こけーっ!』
小瓶から飛び出したふらり火は翼を広げて跳び上がり、逃げようとした魔物に真っ赤な鶏冠を擦り付けた。とたんに、魔物の体に鶏冠の炎が引火し、魔物は全身炎に包まれながらあっちへふらふら、こっちへふらふらと飛び回った。
その度に少女たちから悲鳴が上がるが、魔物を包む炎が他の者へ燃え移ることはない。
『こけけっ!』
ダメ押しとばかりにふらり火が鋭い爪で引っ掻くと、魔物ははらりと床に落ち、跡形もなく燃え尽きてしまった。
「えっ、逃げちゃったの……?」
「いいえ、あの魔物は倒しました。ここまであっけないのですから、やはり法師の魔物とはまた別の魔物のようですね。法師の魔物ならもっと手強いでしょう」
芙美子はそう言いつつも、穴の奥に体を突っ込んだ。
楽屋の隣は衣装部屋で、そこそこの広さの部屋の中に数々の衣装が並べられている。
「これは一体……?」
芙美子は穴の周囲を改めてみた。
壁の具合から見て、穴そのものはさほど新しいものではないようだ。
衣装部屋の方も穴を隠してあったようで、床を見れば引きずった跡が近くにある帽子の棚まで続いていた。
「これだけの棚、何人かで持ち上げたか、あるいは……。七海、ちょっと来てください」
芙美子が呼ぶと、七海も穴を抜けて衣装部屋へやってきた。
「この棚ですけど、いつからここにあったか覚えていますか?」
「うーんと……たぶん、リハーサルの頃だと思います。芙美子さんがいらっしゃるからと衣装に着替えた時はまだ元の位置にありましたから」
芙美子はその棚に近付いて調べてみた。
たしかに、棚は中身を置いたまま移動させたようで置かれたものの配置が乱れているし、壁との間にやや広い隙間ができている。
「ふむ……だとすると、魔物に移動させたのでしょうか? あれは……」
隙間を覗き込んだ芙美子は、丸めた水兵服が無造作に押し込まれているのに気付いた。
引っ張り出し、伸ばしてみると、左の袖にわずかなほつれがある。ほつれの周囲には黒いペンキの汚れがついていた。
「芙美子さん、これって!?」
「おそらく、大道具の機関銃にぶつかってほつれたのでしょう。誰のものかわかりますか?」
「ええ……でも」
「教えてください、七海」
芙美子がたずねると、七海は渋々答えた。
「それは、その……メリーのものです」




