舞台上の異変
リハーサルとはいえ、春風桜花の演技を舞台袖の間近な距離から見られるという状況に、芙美子は知らず心が躍っていた。
所作の一つひとつ、台詞の一言一句が胸をざわめかせる。
脚光のもとで堂々と演じる桜花の姿は凜としていて、主役と呼ぶにふさわしいものだった。
「こうして間近に見ると、すごいものですね……」
「でしょう? 桜花さんはいつだって、誰よりも早くから誰よりも遅くまで稽古に打ち込んでるんですよ。きっとそれがスタアたる所以なんでしょうね」
七海が隣で胸を張っている。
そのまましばらく、うっとりしながら稽古を見ていると、舞台の上の方から白い布のようなものがひらひらと落ちてきた。
「あれはなにかの演出ですか?」
芙美子がたずねるが、返事がない。
見れば、七海は落ちてくる布を見つめたまま固まっている。
「七海……?」
「あっ、あの布は……」
風にただようように落ちてきた布だったが、ある程度の高さまでくると突然意思を持ったように動き出し、舞台上の桜花の体に巻き付いた。
「お、桜花!」
「桜花さん!?」
劇団員の間にざわめきが広がっていく。
その間にも、布は桜花の体を包んだまま飛んでいこうとする。
なかなか高く上がらずにもぞもぞと動いているのは、桜花が中で抵抗しているためか。
「七海、これは演出ではないのですか!?」
「あ、う、うん……芙美子さん、あれっていったいなんなんですか?」
「あれは……いえ、いまはそんな場合ではありません」
芙美子は舞台上に走り出しながら小瓶を取り出した。
小瓶の青い蓋を親指で跳ね上げると、神妙な光とともに、毛槍を手にした鎧武者が現れた。
身の丈は並の男よりも高いが、その顔は紙に隠されていて見えない。
兜の前立ては手にした槍の穂先と同じ形に見えた。
「頼みます、槍毛長!」
『エイッ!』
槍毛長はその布に槍先を向けると、そのまま勢い良く突きかかった。
しかし、槍の穂先はわずかに逸らされ、桜花を包む布だけをかすめるように斬った。
その傷からは赤い血のような液がにじみ出す。
「もう一度です!」
『エエイッ!』
槍毛長が再び槍を突き出すと、布は桜花を解放し、それまでとは打って変わった速さで天井へ向けて逃げていった。
芙美子がその先を目で追うと、照明が取り付けられた梁の上に人影があるのが見えた。
布はその人影に近付くと、霞のように消え去った。
「あの人も、魔物使い……?」
人影はそのまま走り出して見えなくなってしまった。
仕方なく、芙美子は人影を追うのを諦めて舞台に投げ出された桜花のもとへ駆け寄った。
すでに七海とケイが桜花を助け起こそうとしている。
「桜花さん、無事ですか?」
「あ、あぁ、芙美子くんか……助かったよ」
桜花は身を起こすと、他の団員たちに手を振って無事を伝えた。
「まさか、こんな時にまであれが現れるとはね」
「こんな時、とは? 以前にもあったのですか?」
芙美子がたずねると、桜花はうなづいた。
「今日、宮森閣下が見えたら相談しようと思っていたんだが……この舞台の稽古が始まった頃から、あの魔物はたまに現れていたんだ」
「最初はあたしと、同室のメリーが襲われたんです。でも、いままでは人間を包むだけで、連れて行こうとなんてしなかったのに……」
「それは、おそらく何者かがあの魔物を使役しているためだと思います」
「魔物を使役する、か。まるで安倍晴明や蘆屋道満のようだね」
桜花はなにか納得したようにうなづいた。
「そうだとしたら、芙美子くんは、その術者を捕らえることはできそうかい?」
「安請け合いはできません。私はまだまだ駆け出しの身ですから」
「芙美子さん、そこをなんとか。まださっきみたいなことがあったらと思うと怖いの」
桜花と七海の顔を交互に見て、そして芙美子はため息をついた。
「わかりました、最善を尽しましょう」
「お、お嬢様!?」
「ケイ、いいのですよ。公演が終わるまで、とりあえずはそれを一つの時間制限にしましょう」
「は、はぁ……」
ケイは不満げだったが、芙美子は気にせず、舞台と客席を見回した。
「まずは、上……術者らしき人影のいたあたりを調べてみましょうか」
「じゃあ、あたしが案内します!」
七海の案内で舞台の上へ上がろうとした時、舞台袖から一人の少女が飛び出してきた。
「ちょっと、ここは関係者以外立ち入り禁止よ!」
「あぁ、いいんだ、メリーくん。彼女は関係者だ」
桜花が少女を宥めてその場を取りなした。
「失礼、この子は今田メリー。うちの劇団の新人だよ」




