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密やかなお楽しみ

挿絵(By みてみん)


 いつの時代も、少女たちの悩みというものはそう変わらないものだ。

 つまり、先行きの不安と色恋の悩みである。

 自分の意思では如何(いかん)ともし(がた)いことだからこそ、知りたいのかもしれない。


「ね、芳子(よしこ)。今日の放課後、あれ、やってみようと思うんだけど……一緒にやってみない?」


 級友の春美(はるみ)がそんな声をかけてきたのは、五月の半ば、授業と授業の間の休憩時間のことだった。


「あれって……オシマイさんのこと?」


 芳子がたずねると、春美は口に指を当てて制した。

 そして、周囲をうかがうように声を潜める。


「大きな声を出さないで。もし先生に知られたら面倒なことになるでしょ」

「あ、うん……」


 芳子は遠慮がちにうなづいた。

 オシマイさんというのは、この頃ひそかに流行っている占いだ。

 芳子も詳しいことは知らないが、きちんと手順を踏まないと不幸な目に遭うという話だ。


「あれって危ないんじゃないの?」

「大丈夫よ。きちんとしたやり方を守れば、なにも危ないことはないの」


 春美は自慢げに笑うと、芳子の肩を叩いた。


美代(みよ)も一緒にやるって言ってるの。あと一人いればできるんだから、協力してよ」


 強引な春美のことだから、きっと美代がなにを言っても相手にせず、押し切ってしまったのだろう。

 芳子は少し離れた席に座っている美代の方に目をやった。

 美代はそわそわと落ち着かない様子で教本をめくっていたが、読んでいるようには見えなかった。


「うーん……。ねえ、それ、芙美子(ふみこ)にも来てもらっちゃだめ?」

「だめよ。あの堅物(かたぶつ)のことだから、きっとやめさせようとするわ」

「じゃあ、私もやらないってことに……」

「それもだめ。話をきいてから『やっぱりやめ』は無し。それじゃあ放課後、この教室で待ってるからね」


 春美はそれだけ言うと、さっさと言ってしまった。


「春美って、こういう時強引なのよね」


 芳子はため息をついた。

 もちろん、それが良い方向に転んだこともあるが、今回のように深く考えず、軽はずみに行動して痛い目を見ることもしばしばだった。

 だから、芳子としてもあまり春美の頼みは聞きたくなかったのだが、呼ばれてしまったものは仕方がない。

 もし言いつけを破ろうものなら後々さらに面倒なことになるのも目に見えている。

 結局、参加するしかないだろう。


「オシマイさんなんて、やりたくないんだけどな……」


 もう一つ深いため息をついた時、お手洗いに行っていた親友が教室に戻ってきた。


「どうしました、芳子?」

「いや、まあ……面倒なことになっちゃった」


 芳子は事情を話そうとしたが、刺すような視線を感じて口をつぐんだ。

 見れば、春美がものすごい目でこちらを見ている。


「ごめん、言えないんだ」

「ああ、また春美さんがなにか考えたんですね」


 芙美子も芳子につられたようにため息をついた。

 芳子は何度か(おり)を見て芙美子に話そうとしたが、その度に春美から(にら)まれ、結局なにも言えないままに放課後を迎えてしまった。




 一日の授業が終わると、ほとんどの生徒は学校を出てしまう。

 昼に比べれば無人と言っていいほどに人が減った校舎内で、芳子は密かに教室に戻った。

 すでに他の二人は戻っていて、美代の席を前後から囲んでいる。


「ごめん、待たせた?」

「遅いわよ。なにしてたの?」

「春美ちゃん、そんなに強く言わなくても……」

「いいよ、美代。それで、オシマイさんってどうやるの?」


 芳子がたずねると、春美は机の上に帳面ほどの大きさの紙を広げた。

 いろはと〇から九までの数の他、中心には三角形を二つ組み合わせた星形が描かれている。


「まず、この真ん中の星形に一銭(いっせん)硬貨を置くの。そして、オシマイさんを呼び出す呪文を唱える……」

「オシマイさん、オシマイさん……ってやつ?」

「そうよ。美代、どうしたの?」


 さすがの春美もずっと押し黙っている美代が気になったようだった。

 美代は、なにか思い詰めた顔で紙の真ん中を見つめていたが、ハッと思いついたように顔を上げ、首を横に振った。


「な、なんでもないよ……」

「そう? ならいいんだけど」


 春美はそう言いながら一銭硬貨を星形の上に置いた。


「じゃあ、始めるわよ……」


 三人は硬貨の上に人差し指を軽く乗せた。

 ごくり、誰かが生唾を飲み込む。


「オシマイさん、オシマイさん、加護目(かごめ)を通ってお越しください。これなる硬貨に乗り移り、証を示してください……」


 おそるおそるオシマイさんを呼び込むための呪文を唱えたが、一回ではなにも起こらない。


「オシマイさん、オシマイさん、加護目を通ってお越しください。これなる硬貨に乗り移り、証を示してください……」


 三人は繰り返し、呪文を唱え続けた。


「オシマイさん、オシマイさん、加護目を通ってお越しください。これなる硬貨に乗り移り、証を示してください……」


 幾度目だろうか……三人の指を乗せたまま、硬貨がすっ、と動いた。

 芳子は表情を硬くする。

 力を加えていないにもかかわらず、硬貨は滑るように動く。


「き、た、り……来たり!」


 春美が興奮で顔を紅潮させた。


「じゃあ、じゃあオシマイさん! あの、親が見合いを勧めてくるのですが、会った方が良いのでしょうか?」


 春美が質問を投げかけると、硬貨が再び動き出す。


「あ……う……な? 会わない方が良い、ということですね。それはどうしてですか?」


 今度の答えは『わかしに』と出た。


「わかしに……若死にですか? 確かに、相手の人は軍人だし、ありえそうだわ……この縁談は断ろうかしら」


 春美がそうつぶやいた時、美代が口を開いた。


「あのっ、オシマイさん……あなたは、」


 いったん言葉を切って息を吸い込む。


「あなたは、何者なんですか?」


 それは、決して問うてはならないとされている、禁忌(きんき)の問いだった。

 一瞬の硬直ののち、春美の顔が、今度は怒りで紅潮(こうちょう)する。


「美代、なんてことをしてくれるの!?」

「えっ、あの……ごめんなさい」

「ごめんじゃないわよ! もし、もしオシマイさんに正体をたずねたりしたら、大変なことになるって……」

「でも、でも春美ちゃんも知ってるでしょ? あの、噂……」


 美代が言っているのは、オシマイさんに関するもう一つの噂だった。

 すなわち、


「オシマイさんなんて、本当はいないんだって。みんなが無意識で動かしてるだけで、オシマイさんなんて来ていないんだって」


 美代が話している間、春美はいらだちを隠せない様子でこつこつと机を叩いていた。

 こつこつと。

 硬貨に乗せていた指を離して。


「は、春美……指、指……」

「なによ、芳子? 指って……」


 春美も、自分の失敗に気付いたようで、紅潮していた顔が今度はみるみるうちに青ざめていく。

 ずいっ。

 突然、硬貨が動き出した。

 急なことで、芳子と美代も硬貨から指を離してしまう。

 それでも硬貨は動きを止めず、次々に文字を指していく。


「お、こ、つ、た……怒った?」

「の、ろ、う……」

「ゆ、る、さ、な、い……!?」


 最後に『い』で止まった硬貨は、それきり動かなくなる。


「ゆ、赦さないって……どういう、こと?」

「ほ、ほら、やっぱり、美代が変なことをきいたから……」


 芳子は、言い合う二人とは別の誰かがこの教室にいるような気がして、周囲を見渡した。

 入り口のすぐ近くに、大きな黒い人が(たたず)んでいた。

 黒く粘り気のある油かなにかを人の形に押し固めたような見た目で、その背丈(せたけ)は入り口のドアよりはるかに大きく、肩が天井に接するほど高い。

 手足はひょろひょろと長く、ドーランを塗ったように真っ白い、仮面のような顔では、黒目だけの眼が三人を見下ろしている。


「お、オシマイさん……?」

「本当に来たんだ……!」


 三人は一瞬の間を空けて、オシマイさんがいるのと反対側の入り口に向かって走った。


『おこった……のろう……ゆるさない……』


 オシマイさんの口から、低い言葉がこぼれる。


「ご、ごめんなさいっ!」


 最初にたどり着いた春美がドアを開けようとしたが、どういうわけかドアはぴたりと閉じて開かない。


「な、なんで開かないのよ!?」


 春美はドアを開けようとやっきになるが、ドアは微動だにしない。


『おこった……のろう……ゆるさない……』


 オシマイさんはゆっくりと近付いてくる。

 ドアが開かないのは間違いなく、オシマイさんの神通力によるものだろう。

 逃がすつもりがないのだ。


「来ないで……ください……」


 オシマイさんが手を伸ばす。


『おこった……のろう……ゆるさない……』

「ひぅ……冷たい……」


 両肩を掴まれた美代が、恐怖に顔を引きつらせてその場に崩れ落ちる。


「み、美代っ!」


 倒れた美代の体を、オシマイさんが腕一本で持ち上げてしまう。

 さらに、オシマイさんの体から新しい腕が一本生えてきた。


『おこった……のろう……ゆるさない……』


 オシマイさんが再び手を伸ばしてきた。


「い、いや……」


 芳子はもうダメだと思った。

 その時、最初にオシマイさんがいた方の入り口が耳障りな音を立てて開かれた。




「芳子っ! 無事ですか!?」


 飛び込んできたのは、芙美子だった。

 オシマイさんを一目見るなり険しい表情になると、ポケットから親指ほどの大きさの赤い小瓶(こびん)を取り出し、(ふた)を指で弾くように開けた。

 小瓶から赤い火の粉が飛び出すと、(またた)く間に大きくなり、火のように赤い羽根をした鶏の姿になる。


「行ってください、ふらり火!」


 芙美子が命じると、ふらり火は翼を広げて飛び上がり、オシマイさんの背中に鋭い蹴りを見舞った。


『おこったぁ……のろう……ゆるさない……』


 オシマイさんがぐるりと方向を変え、ふらり火を捕らえようと手を伸ばす。

 しかし、ふらり火はその手に着地すると、そのまま肩まで駆けてゆき、今度はオシマイさんの右目をつついた。

 言葉にならない絶叫を上げながら、オシマイさんは二歩、三歩後ずさる。


「ふらり火、美代さんを!」


 芙美子に言われて、ふらり火は美代を捕らえている腕に飛びつき、激しく突つき始めた。


『おこった……のろう……ゆるさない……』


 オシマイさんはふらり火の攻撃から逃れようと腕を振り回すが、ふらり火はなかなか離れない。

 そこに芙美子が駆け寄り、美代の体を抱きかかえるようにして引き離しにかかる。

 それを見た芳子も、あわてて芙美子に加勢する。

 やがて、春美も加勢するにおよんでようやく、オシマイさんは美代を放した。


「ふらり火、とどめです」


 芳子たちが美代を抱えて少し下がったところで、芙美子がふらり火に次の指示を下した。

 ふらり火は『こけっ』と一声鳴くや口を大きく開け、真っ赤な火を吐いた。

 その火はオシマイさんの体に燃え移り、瞬く間に全身を包み込んでいく。


『おこったぁぁぁぁ……のろうぅぅぅぅ……ゆるさなぁぁぁぁ……』


 オシマイさんは燃えながら腕を振り回して暴れていたが、徐々に動きが鈍くなり、ついには燃え落ちて一山の灰となった。

 どこからか吹き付けた風がその灰までも吹き飛ばし、後にはなにも残らなかった。

 なにも。

 火の痕跡さえも。


『こけっ!』


 ふらり火は誇らしげに一声鳴いて、芙美子の元ヘ駆け寄ってくる。


「ふらり火、よくやってくれました」


 芙美子はふらり火を抱き上げてあやしながら、美代のそばにしゃがみ込み、額に手を当てたり、首で脈を診たりした。


「多少精気を奪われたようですが、重症ではなさそうです。おそらくしばらく休めば快復するでしょう」


 ロイド眼鏡の向こうの眼は、どこか悲しげでもある。


「芙美子、助けてくれたんだ……ありがとう」


 芳子が謝ると、春美も釣られるように頭を下げた。


「芳子がなにか言いたげでしたので、様子をうかがっていました。しかし、結界を破るのに手間がかかってしまったのは申し訳なく思います」


 芙美子がそう返した時、美代が小さくうめき、薄く眼を開けた。


「美代っ! 良かった!」


 春美がいまにも抱きつきそうな勢いで美代の体を揺すぶった。


「春美ちゃん……オシマイさんは……?」

「芙美子が来て、やっつけてくれたわ! あたしたち助かったのよ!」

「そう、なんだ……」


 なんだかわからないという感じの美代に、芙美子はふふっ、と小さく笑う。

 芳子は、そんな芙美子に疑問をぶつけてみた。


「ねえ、さっきのやつって一体、なんだったの?」

「あれは、黒坊主と呼ばれることもある魔物です。皆さんがオシマイさんをしているのに引き寄せられて、やってきてしまったのでしょうね」

「え? 引き寄せられてって、じゃあオシマイさんは……?」


 芳子がたずねると、芙美子はふ、と小さく笑った。


「オシマイさんなんて、本当は来ていないんですよ。いえ、正しくは皆さんの無意識が作り上げている、というべきでしょうか。素人が占い遊びに手を出したりすると、あのように余計なものを呼んでしまったりもするんです。おそらく気付いてはいなかったのでしょうが、あれはオシマイさんを始めた頃から教室の中に入り込んでいましたよ」

「そ、そうなの……」


 芳子はその光景を想像して、ぶるりと身を震わせた。


「春美さん、これに()りたら、もう魔術儀式の実践などしないでくださいね。今回は私の手に負えましたが、次がどうなるかは、わかりませんよ」

『こけーっ!』


 芙美子とふらり火に脅かされて、春美は何度もうなづいた。


「さて、それでは、私は父と約束がありますのでこれで失礼します」

「ありがとう、芙美子」


 立ち去る芙美子の背中に、芳子はもう一度礼を言った。

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