第七十四話 共闘、互いを知るべく
「はあ……アラクネちゃん、ねえ……もっとあなたの体を教えて、糸ってどこで分泌されているの?」
「ひい……! やめてえ……助けてえ……!」
ノエル・ジョワイユ・ブラエド。
ブラエド国の王女である彼女は、人間という生物に対して非常に関心が薄く、民に対しても「面倒になったら見捨てて良いと思う」という態度で生きてきた。
心を開くのも家族ぐらい、その家族ですら最近は父に興味を無くしてきた。
しかし、一方で彼女は自らが唯一興味を寄せる生物学に関して強い執着を抱き……。
ブラエドが人間以外を殆ど有さない国というのもあって、人間以外の種族を見れば大興奮しだす変質者が生まれたのだ。
その人外への興味は、今や人外性愛という性癖にまで至っている。
彼女の本性を知る者は、こう評するだろう……怪人よりよっぽど怪しい人間と……。
「ったく……姉貴がこれじゃ動けないな、様子を見に行きたかったのに」
そんな彼女の一つ違いの弟、それがアステル・グリント・ブラエドだ。
論理派の知識人で、皮肉屋……そしてあくの強い兄姉に囲まれた苦労性。
眉間のしわが絶えない17歳だ。
優れた魔術の才を持ち、その術は主に自らの頭痛と胃痛を癒やすために使われている。
基本的に知識人特有の懐疑心を持つ人物ではあるが、しかし他者を害すことは少ない希有な人物と言える男。
それがアステルだ。
さて……ではそんな二人を率いる長兄ユウェルとはどんな人物なのか?
それは……。
「この場所が残存する山賊砦の一つか……」
「ああ、周辺治安維持のためにも、疾く討伐しなくてはいけないのだが、中々時間が無くて出来ていなかった、何せ帰国してからは机で執務に埋もれていてな……」
「なるほど……貴女の気持ちはよく分かる……む、どうやらあの男が見張りか」
山賊砦を物陰から眺め、二人は様子をうかがう。
見張りは男の山賊一人……攻め入るなら今のうちだろう。
無論、クリムゾンフレアの力なら強制的に攻め入ってとっとと洗脳することも出来るが……。
今回は共同作業を通して互いの志における真贋を見極めるのが目的。
ならば、独力での解決をしては台無しというものだ。
そう考えているのはユウェルも同じなのだろう、最も得意とする体力と再生による力押しを行っていない。
彼もまた山賊砦程度一人で攻略できるが、自重しているのだ。
「貴女はこういう時、どうする?」
「そうだな……我は、あの見張りを捕らえて大きな音を出さずに洗脳し、内通させるか」
「洗脳か……恐ろしい力だな」
恐ろしい力、そう言ってユウェルは息を呑むが、クリムゾンフレアは首を左右に振った。
実際、使用者であるクリムゾンフレアにはそこまで恐ろしく思えないのだ。
その辺りは、実際の使用者とそうでない者の解釈の違い……一つのギャップと言える。
「そうでもないさ、山賊といった刹那的な欲求しか持たない相手以外には、他者の力を外付けで加えないと効かないしな……」
「ふむ、なるほど……刹那的欲求に流されて、言い訳をしながら他者を害するような意志薄弱の者にのみ、か……」
「それに、この力の用途もどちらかと言えば戦いのために汚い手でも使うという決意表明と、少しでも喪われる命を減らしたいという自己満足のためで……」
恥ずかしがりながら説明をし、クリムゾンフレアは頬を掻く。
どうも自分の気持ちをストレートに表現するのは照れるのだ。
気恥ずかしいと言えばいいのか、戸惑うと言えばいいのか……。
それでも素直に気持ちを吐けるのは、やはり彼が前世において兄だったからなのかもしれない。
勿論、前世での死別は幸せなものではなかった。
しかし……だからこそより一層、現世でこそ……という気持ちがあるのだろうか。
そう考えると、辰巳ユウコがユウリィと出会った頃の気持ち……そして、ユウリィは自らの妹が生まれ変わった存在であると自覚した後の気持ち。
それと今の気持ちが同じものであると感じる。
かつての辰巳ユウコとは勿論別人だ、それでも彼女の気持ちは残っている証左だろう。
「なるほど、良いじゃないか……自己満足と言うが、そういう優しさは嫌いじゃない……いや、好ましいな」
「本当の優しさなのかは……その、たまに迷うがな、ルーチェ……じゃなくて、洗脳した山賊の家族に言われたよ、洗脳など死ぬのと同じだと」
「意思こそ魂だとするなら……それはそうなのだろうな、しかし戦いになれば山賊も敵兵も殺めるしかない存在だ、それを形はどうあれ生き長らえさせたのだぞ、私は支持したい」
命自体が終わってしまうのと、思考が変われど命があるのでは大きな隔たりがある。
そう思うからこそ、ユウェルはクリムゾンフレアのやり方を支持してくれるようだ。
ありがたい、良かった……そう感じながらクリムゾンフレアは息を吐く。
面と向かって否定されるのは、龍とて心が痛むのだ。
「それだけ命を大事に思うならば……いや、その話は後にするか、そろそろ行こう」
「そうだな……では、奴の元へ向かおう」
頷き合い、二人は山賊の見張りに近寄る。
そして山賊が気付くよりも早くクリムゾンフレアの手がその口を塞いだ。
山賊は慌てるが、もう遅い。
「……!?」
「しっ、静かに……我はお前の味方だ、いいな……?」
クリムゾンフレアの甘いささやき……。
そこに含まれる魔力が思考を溶かしていく。
疑念、不安、恐怖、様々なものが消えてなくなるのだ。
本来ならこういった外部の助力がないパターンにおいては、龍言語魔法による異形化で全身に快感を与え、洗脳をより助長するのだが……。
しかし、今は内通をして貰う必要がある以上、肉体まで変化させるわけにはいかない。
何せ洗脳と異形化を共に行った者が擬態魔法を頑なに嫌がるのは、アラクネで確認済みなのだ。
「さあ、こっちへ来るんだ……」
「……」
うつろな目で、無抵抗のまま物陰に連れ込まれる見張り。
その様子を見ながら、ユウェルは周囲を警戒する。
どうやら山賊団には気付かれていないらしい。
ならば後は、少し時間がかかるが洗脳して内通者に仕立て上げるだけだ。
「いいか、山賊の君……君には私達の内通者になって貰いたい」
「……ぷはっ……はあ、はあ……内通者……? でも、それは……」
うつろな表情のまま、ぼんやりと息を吐く山賊。
その耳に、クリムゾンフレアは吐息が当たる距離で語りかけた。
ピーヌスが見たら嫉妬しそうな……いや、実際に遠巻きに様子を見ているピーヌスが嫉妬している距離感だ。
「これは君達が生きるために必要なことだ、山賊である君達はもはや後がない、軍によりこの国の平穏のため殺される未来が決まっている……だが、頭を垂れ恭順すれば、それだけで皆生きられるのだ、軍属として償いをするチャンスもある」
(……償いか、なるほど)
山賊がそのまま償いますと言って奉仕活動をしたところで、信じる者はいない。
しかし洗脳して意識を完全に変えればどうだろうか、前とは別人であるということが奉仕に説得力を生み、そして作戦に参加して真面目に戦ったという実績を得ることで確かな償いになるのだ。
そうすれば、市井の者達も彼らを認めるだろう。
少なくとも……償いをした後に「信じられるか、死んで償え」と石を投げつけられることはないはずだ。
(どこの国でも、犯罪者が出所後に被害者遺族から闇討ちを受けて死ぬ……そういう話は絶えないからな)
その辺りも踏まえての洗脳ならば、やはり優しさなのだろう。
山賊になったという時点で八方塞がりの人生に可能性を与えてあげるというのだから。
もしかすると山賊になる前から八方塞がりで、それを打破するべく山賊になったのかも知れないが……。
もしそうなら、非常に軽率だったと言えるだろう。
沼から出ようとして、より深い沼地に足を踏み入れるようなものだ。
言うなれば、クリムゾンフレアの洗脳は沼地から引きずり出す救いの手……そう言えるのかもしれない。
(甘いと見るか優しいと見るか、慈悲によるものでも洗脳は否とするか……それは人によるのだろうがな……むっ!)
ふと、ユウェルは森の中を動く影に気付いた。
人の脚力とはかけ離れた猛スピードで近付く大きな影……。
熊だ。
人の味を既に覚えているのか、熊は山賊へ爪を振るおうとする。
「させん!」
だが間一髪、ユウェルは間に割って入って肩で爪を受け止める。
傷は深いが……しかし、一瞬で治癒すると熊の爪を再生した肉体が外へはじき出した。
「ユウェル王子!」
「案ずるな、貴女は自分の仕事に集中を!」
集中を、そう言われては洗脳に集中せざるを得ないだろう。
クリムゾンフレアは洗脳のため、再度山賊に顔を近づけた。
一方、ユウェルは静かに剣を構える。
「人の血を覚えなければお前も山で生きられただろうに……だが、それを覚えた以上、お前は人里に降りてくる前に倒さなくてはいけない、恨むなよ」
「見るんだ、お前達山賊が山を根城にして熊に食われるから……また、山に来た者を殺めて熊の餌にするから、熊もこうして死ぬしかなくなる……今のお前達は人にも獣にも迷惑をかけているのだ」
「……あ、山賊は、迷惑……めい、わく……」
断炎の聖剣アガートラーム。
炎を断ち切る刃、そう称される美しき白刃……。
それが振るわれる度、熊が傷つき剣に血が付着する。
一方、勇猛果敢なノーガード戦法を行うユウェルも反撃で傷つくが、その度に傷は一瞬で治癒し、肉体が復活するようだ。
無論、本人の肉体由来ではないアイテム由来の超治癒にデメリットは存在する。
しかしそのデメリットはこの状況においては大したものではないので、気にせずに突っ込んでいき熊に確実なダメージを与えていくのだ。
「見ろ、あの男を……誰かのために戦う姿……勇猛果敢、獅子奮迅……まさしく男のあるべき形だと思わないか? それに対して自分はどうだ、恥ずかしくないか、変わりたくはないか?」
「あ、ああ、あ……恥ずかしい、です……言い訳をしながら山賊をするなんて、ダメです……変わり、たい……」
今の自分への恥じらいに、山賊が顔を赤くする。
それと同時にユウェルが渾身の一閃を放ち……その体を赤く染めた。
羞恥、鮮血、タイプの違う二つの赤が二人の人間を赤く染め上げる。
そんな中で、山賊の心は完全に折れ……クリムゾンフレアへの忠義に染まった。
「忠誠を、誓います……今までの私がこんなに恥ずかしい存在だったなんて、気づきもしませんでした……どうか償いの機会をお与えください……!」
「いいだろう、では……早速、内通者として動いて貰おうかな」
「はっ……!」
うっとりと顔を赤らめ、涙を流しながら敬礼する山賊。
その様子に、ユウェルは「なるほどこれが洗脳か」と舌を巻く。
そして同時に、殺して済ませる事も出来る相手を迂遠な手順を経てでも延命させる彼女は優しい……と感じるのだった。
こうして、共同作業での山賊退治は進んでいく。
その先に待つのは協調か、決別か……。
まだ分からないが、しかしユウェルは上手く手を取り合える未来が来るかも知れない、そう感じていた。




