第六十八話 その記憶は幸か不幸か
蛇のように無表情な監察医の女、高山蛇夢。
彼女はいつも通り死体の解剖を行っていた。
特に疲労を感じたり心を痛めたりもしていないが……。
しかし、そんな彼女にも勤務時間というものはある。
監察医の勤務時間は、この病院においては死体解剖を行うことによるストレスなどを考慮して短めに取られているのだ。
高山は正直、人の死体を解剖する程度に何を思えば良いのかが分からず、方針に疑問を抱いていた。
それよりは生きている者の為、死体が何故死んだかの原因究明にあたる方が効率的なはずなのに。
しかし世の中は効率的とは行かず、ままならないものだ。
「ふう……」
病院待合室で自販機のコーヒーを飲みながら、高山は息を吐く。
そこに、一人の女性がやって来た。
筋肉質で、スポーツでもやっていそうな女性だ。
爽やか……それが第一印象。
同時に少し軽めの明るさも感じる。
「失礼、整形外科の診察室はどちらに?」
「ああ……それはこの待合室を出て左に三つ目の部屋です」
ギプスをしているところから見て、腕が折れているのだろう。
彼女は静かに礼をすると、待合室を出て行く。
なんてことはない、ただの道案内だ。
これっきりの存在、高山はそう考えていた。
だが……。
数十分後、コーヒーをまだ飲んでいると彼女が戻ってきた。
「いやあ、ありがとうございました……すっかり道に迷ってしまいまして」
「いえ、当然のことをしたまでですよ」
どうやら女性はかなりの時間迷子になっていたらしく、心から感謝しているようだ。
そんな彼女に、高山は事務的に返していく。
だがその時……腹の虫が急に鳴き声を上げた。
どうやら腹が減ったらしい、食事にあまり執着していない高山はいつも腹の虫でようやく空腹に気付く。
そんな彼女を見ながら、女性はクスクスと笑った。
そして、財布の中身を確認する。
「お腹がすいてるんですね、よろしければお昼を奢りますよ」
「はあ……良いんですか?」
「ええ、近くの食堂まで行きましょう」
特に断る理由もないので、高山は彼女についていくことにした。
これが彼女達の初めての出会いだ。
ここから、大きく彼女の運命が変わることになる。
そのことは、まだ互いに気付いていなかった。
「へえ……飛鳥さんは野球選手なんだね」
「女子野球で一応プロをね、今はデッドボールで骨折して休んでるけど」
さて、歳も近いことからタメ口で良いということになり、食堂に着く頃には二人とも仲良く話していた。
どうやら彼女……新堂飛鳥は、休養中の野球選手らしい。
確かにアスリートらしく、食事のメニューも鶏肉定食というタンパク源、炭水化物、野菜がしっかり揃ったバランスの良いもので、医者の高山も感心する気配りだ。
職場の仲間には野球好きの者もいるので、もし出会って一緒に食事をしたと伝えれば羨ましがられるかもしれない。
「いつか君にも見せたいな、私のファインプレー」
「うん、いつかテレビで見てみるよ、その為にも治療に専念しないとね」
「そう、それ……治療中は練習できないのが困りものなんだよ」
和気藹々と話し、二人は笑い合う。
その時だ。
ふと……飛鳥は食堂の客に目をやった。
気になる者が一人居るらしい。
「アイツ……!」
「どうかしたの?」
モスグリーンのジャケットを着た、少し不精者という雰囲気の男。
その姿に、飛鳥は敵意を向ける。
どうやらよほど因縁がある相手らしい。
「石川光彦……印税しか頭にないクソジャーナリストだ、アイツのバッシングのせいで、私を骨折させた選手は自殺を……」
フォークを握りしめ、飛鳥は歯ぎしりをする。
今にも刺してやりたい、と言わんばかりの表情だ。
そんな飛鳥に気付いたのか、はたまた飛鳥目当てでここに来たのか……石川は不敵な笑みを向ける。
(……暴力沙汰でも起こしそうな雰囲気だ)
病院で多くの人に触れてきた高山は、何となく彼の人となりを粗暴に感じた。
自分の目的のためなら、暴力も辞さない……。
言うなれば、この間の母親のような人だろうか。
だが……違いは少し有る。
この男は狡猾、そう感じるのだ。
印税しか頭にない、バッシングで人を殺したと飛鳥は言っていたが……。
その為ならば、何でもしそうな雰囲気があるのだ。
あまり近くにいたい人間とは言えないだろう。
「行こう、食事も終えたし……長居したら店に迷惑だ」
「そうだね、行こうか」
ささっと会計を済ませ、二人は立ち去る。
何にせよ悪党と一緒にいるなど避けるべきだろう。
こういった手合いは近くにいれば何をしだすか分からない。
幸い奴は店に来たばかり、ついてはこられないはずだ。
「ここら辺まで来れば大丈夫かな……?」
駅一つ分歩き、飛鳥が息を吐く。
その隣で、高山はゼェゼェと辛そうにしている。
インドア派の医者には、食後に長距離を歩くのは厳しいようだ。
「ごめん、私のせいで」
「大丈夫、大丈夫……悪いのはあの人と、私の運動不足だから……」
なんとか呼吸を整えて、高山は笑みを浮かべる。
そしてゆっくりと体を起こした。
もう少し運動をしないと、医者の不養生という奴になってしまうな。
などと考えながら目を細める。
そんな彼女の隣で、飛鳥は息を吐いた。
「まあ、何はともあれ今日は楽しかったよ、また病院には来るから、もしよかったら一緒に食事をしよう」
「うん、その時はまたよろしく」
握手を交わし、二人は笑い合う。
それからも二人の日々は続いた。
何度も何度も食事に行き、互いのことを話し合ったのだ。
高山は天才と呼ばれていたこと、監察医になったのは周囲の推薦によるもので、特にやりたいことが有るわけでもなかったこと。
飛鳥は同じく野球選手だった父に憧れていること、学生時代は主将だったことなど、様々な話を……。
(懐かしい話だなあ……)
過去を思い返し、ガットネーロは目を細める。
かつての人間の目とは違う、猫の目だ。
今やすっかり夜となり野営中だが、辺りもしっかりよく見える。
そんな中……ガットネーロは、過去を思い返しながら荷物のひもを解いて整理していた。
他の面々は既に寝ており、見張りも兼ねているようだ。
そんな中……茂みがガサリと音を立てる。
音からして、動物ではない……人間だ。
ガットネーロは荷物整理に集中している振りをして、音の主の後ろを取るように移動する。
そして、音の主が何も知らずにルーヴへ手を伸ばした瞬間……。
荷物ひもでその首を絞めた。
「……!!!」
もがく音の主。
その手がひもを掴むが、解くことは出来ない。
あとはこのまま絞め続けて殺すだけだが……。
その時だ。
「ん……ん?」
ルーヴが音を聞き、目をうっすら開く。
ウェアウルフ故の耳の良さが原因で起きてしまったらしい。
そんなルーヴのごくわずかな視界に、誰かを後ろから締めているガットネーロが入る。
野営の炎に照らされているその影に……ルーヴは思わず目を見開いた。
疼くのだ、心の奥底の更に底……魂に刻まれたかつての記憶が。
その奔流に、ルーヴは震え……。
「たか、やま……いし、かわ……?」
「……!!!」
ルーヴの問いかけに、ガットネーロがひもを放す。
その瞬間、気絶していた男も地面に落ちた。
どうやらまだ死んではいないらしい。
唾液をぶちまけ、昏倒している男……。
その顔を見て、ガットネーロは目を見開いた。
何故なら男の顔は……。
「……石川……!」
かつて自分が殺めた男と、全く同じ顔だったのだから。
そんな姿を見ていて、ルーヴが動揺しないわけがない。
「な、なんだよこれ……何の記憶、いや、分かる……分かるが……なんで……?」
震えるルーヴ、そんな彼女を見ながらガットネーロは石川を縛り上げる。
あの記憶はルーヴにとって……そして、飛鳥にとって辛い記憶だ。
思い出させたくはなかったのに。
なのに……この男のせいで、思い出させてしまった。
今すぐにでも刺し殺してやりたい……。
だが、必死で堪えてルーヴに駆け寄るガットネーロ。
そのまま、彼女はルーヴを抱きしめる。
「……ごめん、あなたに辛いことを思い出させてしまった」
「……そうだ、思い出した……辛かったんだ、だって……あたしのせいでお前は、お前は……」
静かに震え、涙で毛皮を濡らすルーヴ。
そんな彼女へと、ガットネーロは首を左右に振る。
違う、違うのだ。
「私は前も今回も、望んであなたのために動いたんだ、だから悲しまないで」
語りかけながら、ガットネーロはルーヴの涙を舐めて拭う。
猫のざらついた舌だが……痛みは感じない。
むしろ、優しさを感じるくらいだ。
その優しさの中で、ルーヴは静かに目を細め……。
そして今度はルーヴが、かつての記憶をゆっくりと思い出し始めた。
かつての世界で、自分のために人を殺めさせてしまった記憶……。
そして、逃げることしか出来なかった記憶……どうしようもない罪の記憶を……。




