第六十七話 激情は君と
リゾート地へ向かう道中……。
昼過ぎを迎えた森の中で、ふとガットネーロはナイフを取り出す。
その様子にルーチェは何か気に障ることをしたのかとビクつくが、ガットネーロはただ眺めているだけのようだ。
内心安堵し息を吐くルーチェ。
その隣から、ワルトはガットネーロの様子をじっと見つめた。
「ナイフに愛着でもあるのか?」
「んー……愛着というか、不思議なんスよね」
不思議、そう言いながらガットネーロはナイフスピンを行い、軽くジャグリングもしてみせる。
そしてナイフをキャッチすると正中線前でナイフを構えながら目を細めた。
その脳裏には、かつての世界が浮かんでいるようだ。
「こっちでもあっちでも、刃物を扱うなんて……」
「あっち?」
「ま……こっちの話ッスよ」
「ふ……あっちだこっちだと、右往左往して忙しい奴だな」
忙しい奴、そう言われているがガットネーロは静かにナイフを構えている。
そして、軽やかに数歩踏み出すと、森の茂みへとナイフを振るった。
どうやら蛇がいたらしい。
「うわっ、よく気付いたわね……山育ちの私でも気付かない距離よ」
「ま、お姉ちゃんほどじゃないッスけど嗅覚はあるんでね」
「けど、その判断の速さは流石だな、あたしも見習わないと」
「へへ、褒めても何も出ないッスよ」
笑いながら、ガットネーロは蛇を解体していく。
恐らく今日の昼食にするつもりなのだろう。
身を捌き、各種臓器や牙といったものを抜き、更に鱗を剥いでいく。
あっという間に血抜きもされて、蛇は肉の塊になっていった。
どうやらこの種は特に毒性もないらしい。
「見事な解体技術だな、目を見張るものがある」
「ま……昔取った杵柄ッスよ」
昔……というのはこの世界のことではなく、かつての世界の記憶なのだろう。
謂わば蛇を解体したのは、昔培った技術のリハビリテーションといったところだろうか。
蛇の肉を裂き、調理しやすいサイズにしていくガットネーロ。
その脳裏には、かつての世界で刃物を振るっていた記憶がよぎっていた。
かつての世界にいた……監察医の記憶が。
「高山先生!」
「……ああ、どうかしたかな」
監察医、高山蛇夢。
未知の感染症や薬物による死亡の疑いがある人物を死後に解剖し、原因究明を行うという医療行為。
それを生業とする女だ。
眉一つ動かさずに平然と死体を解剖する姿から、一部では悪魔と揶揄されることもあるが……。
彼女は気にした様子も無く、毎日淡々と仕事をこなしていた。
正直に言ってしまえば、彼女には何故死体を解剖する行為に眉をひそめなくてはいけないのかがよく分からない。
生はただの生きている肉体の活動で、死はただの現象だ。
尊ぶ気持ちも悼む気持ちもよく理解していない。
だから何故、死体解剖を忌避するかも理解できないのだ。
「それが、この間の子供のお母様が……」
「ああ、またか……お父さんには許可を取ってるのになあ……なんで嫌がるんだろう」
高山は呟きながら、病院の入り口へと向かう。
そこでは、受付にがなり立てている女性がいた。
「奥様、他の患者様達のご迷惑になりますので病院ではお静かに……」
「……! あなた、この間の監察医よね! 息子を返してちょうだい!」
「旦那様から許可は頂戴しております、独断でお返しすることは出来ません」
穏やかな顔で、淡々と相手をする高山。
しかし女性はそれが気に入らないようだ。
人間、自分が怒っていても相手が萎縮などせず平常心でいられては苛立つものなのだろう。
その非効率は高山にはよく理解できないものだった。
「奥様、ご子息は未知の感染症に罹患している可能性があるのです、つまりこのまま遺体焼却などを行えば感染症が広がってしまう可能性も有る、奥様お一人のために多くを殺すかもしれないのですよ、となれば稀代の虐殺者……ご子息もそれは望みません」
「……!!! お前に何が分かるのよ!」
高山の言葉は正論だ。
しかし正論は時に人の心を逆なでする。
カッとなった女性は高山に掴みかかり、顔面を殴打した。
そのまま高山が倒れるが、マウントポジションを取って何度も殴る。
「おい、何やってるんだ!」
「警察を!」
「もしもし、警察ですか!? 興奮した女性が当院医師に暴行を!」
屈強な患者に羽交い締めにされる女性。
そのまま警察が呼ばれ、高山は女性ががなり立てる声を聞きながら緊急避難で一番近い病室に運ばれていく。
そこで血の出た唇を拭い、高山は息を吐いた。
「これで彼女も終わりだね」
「え……まさか、計算ずくだったんですか……?」
「そうだよ、いつまでも足を引っ張られては困るからね、早々に退場して貰う必要があった」
平然と言い放ち、切れた唇にポケットから出した絆創膏を貼っていく高山。
その様子に、彼女を病室へ運んだ医者は戦慄した。
暴行をすれば、あの女性の正当性は認められなくなる。
そうすれば解剖を進められるはずだ。
それを目して、その為に正論で挑発を行い、怪我をしてまで事を進める……。
恐ろしい女と言わずして、なんと言うのだろうか。
「どうかした?」
「あなたは……恐ろしい人だ、何故あなたは平気で殴られることが出来るんですか? 痛いはずなのに……」
「痛み、か……別に痛みなんて……どうせすぐ引くからなあ……一々気にするなんて効率が悪いよ」
すぐ痛みは引く、なら痛みを気にする意味は無い。
そう言いながら高山は眉一つ動かさない……その様子に、医者はついて行けないと感じていた。
「あなたは……まるで悪魔だ」
「悪魔……悪魔は人の発展に寄与なんてしないと思うけどなあ」
効率の悪魔、人型の怪物……。
そう呼ばれる女、高山蛇夢。
そんな前世の記憶を、ガットネーロはゆっくりと思い出していた。
「それにしても……それだけのナイフの扱い、どこで学んだんだ?」
「ああ……一応これでも元ギャングッスからね、一度も実戦に出たこともなく訓練をしてただけの身の上ッスけど」
ギャングに買われ、一年間修行に励んでいたこと。
その際に白兵、弓術、馬術、隠密術、潜入技術などを学んでいたことをガットネーロは語る。
思えば現在は前世の記憶によりある程度の医療知識、特に解剖学に関する知識も得ているわけで。
私は凄い存在になってしまったな……とガットネーロは独りごちる。
もっとも、前世と現世では技術形態も大きく異なるのだ。
ならばかつての知識を持っていたところでそれを役立てられる機会など多いとは思えないが。
その辺りは、ガットネーロ自身それなりに聡明なので理解しているようだ。
(大事なのはこのナイフ技術然り……どう状況に即して扱っていくかだよね)
例えばこのナイフ技術は人を殺めるために覚えたものだが、状況に応じて食材作りや脅迫に使用できる。
医療知識も同じような扱い方が出来るのだ。
(ようは現世においても使える部分だけをスポイルし、それを上手く利用する……状況に応じて)
医者であった高山蛇夢の記憶は、薬は毒となり毒も薬となる、という見識をガットネーロに与えた。
ようは一般に薬とされるものでも、用法外の使用や用量違反をすればそれは毒となる。
逆もまた然りで、毒をもって毒を制す……毒を利用することで他の病原体を殺めるやり方もあるのだ。
そもそも薬剤というもの自体、毒性のあるものを上手い具合に毒性を抑えることで人体に悪影響を与えず病原菌だけを殺せるようにしたものなのだから。
こういった成り立ちを理解すれば、用法用量をしっかり守らなくてはならないという理屈も理解できるだろう。
(つまり……もし誰かがルーヴに危害を加えたら……刺す、締める、それだけじゃなくて……薬を無理矢理飲ませることで犯人と気付かれずに殺すことも出来るということ)
勿論、その時が来たらの話だが……。
ガットネーロとしても面倒ではあるので来ないことを祈ってこそいるが、いざ来れば容赦はしないだろう。
ルーヴの命とそれ以外は大きく優先順位が違うのだ。
殺めようとも胸は痛むまい。
……そうだ、あの頃からそうだった。
前の世界で、生まれて初めての執着に、尊いと思える命に出会った時から。
ずっとそうだった。
(……)
脳裏に“彼女”のために奴を絞め殺した日がよぎる。
ずっと虚無だったあの世界での自分に、初めて生まれた激情。
そうだ、この世界でだってルーヴは自分の圧し殺してきた激情を甦らせてくれた。
いつだってルーヴは自分の激情と共にある。
彼女は自分にとっていなくてはならない存在、それを守るためならなんだって出来るはずだ。
(二人で平和に生き続けるためには、何人殺せば良いんだろう? あの世界では……一人だったな……)
自分達の平穏のため、一人の男を殺めたことを思い出す。
私達はその後、二人で逃げ出して……そして……。
(ああ、いっぱい思い出す……あの懐かしい時間を……)
二人の日々を思い出すと、どうしても出会いの瞬間を回想してしまう。
そのまま、ガットネーロの記憶たどりは二人の出会いへとシフトしていく。
ルーヴのためなら、何人でも殺してやるという決意を深めていくかのように……。




