第六十四話 皇帝は大忙し
ご存知の通り、クリムゾンフレアはクリムゾニアの皇帝となったわけだが……。
皇帝の仕事とは当然戦いだけではない。
執務というものは多岐にわたるため、行軍を終えれば当然別の仕事が待っている。
身体測定のような休憩タイムはもう終わり。
次の行軍までは不眠不休の慌ただしい時間が続くのだ。
「クリムゾンフレア様、旧テルメ村の復興予算なのですが……」
「陛下、ルイン村より採掘作業の応援を頂きたいとの申し出が」
「山羊の女神を探している、という意味の分からないことを言う旅人が来たのですが……通してもよろしいですか?」
「ルーチェ殿が何やらまた問題行動を……天生隊の兵と大喧嘩をしたらしく」
次から次にやって来る問題……。
龍人の肉体はこの程度では消耗しないし睡眠も必要ないが、心が若干疲労してしまう。
そんな状況に息を吐いていると、また次の問題が投げ込まれてきた……。
「失礼致します、私どもは旅の行商人なのですが……」
「行商人か、売り込みか何かか?」
クリムゾンフレアの問いかけに、行商人は首を左右に振る。
恰幅が良い、如何にも儲かっていますと言わんばかりの行商人だ。
どうやら彼は売り込みではないらしい、ならなんだと言うのか。
そうクリムゾンフレアが考えていると、行商人は一枚の布を取り出した。
「こちらの布は撥水性と密着性に優れた布です、私どもはこれを用いて水中で使える衣類……水着というものを作っておりまして」
「水着……」
「ご存知有りませんか、水中で纏う服です」
「いや、知っているが……もう晩秋だぞ? あとしばらくすれば冬だ」
こんな時期に水に入っても、凍えてしまうだけだろう。
そう考えるクリムゾンフレア。
しかし、その姿を見ていたガットネーロが「ああ、あそこか」と手をポンと叩いた。
元シークレットサービスであることを活かし、周辺警護においていたガットネーロだが……。
どうやら、予想外の形で活躍してくれるようだ。
「知っているのか?」
「猫又之国の南東……海沿いに未開拓地でもトップに治安が良い場所があるんスよ、でもそこってずっと夏が続いてるような環境の場所で……いっそそれを活かしたビジネスをしよう、って話がでてたんスよ」
「はい、そのビジネスを私どもは行っているのです」
話を聞きクリムゾンフレアは「なるほど」と呟く。
要は彼らは、常夏の地にリゾートを作るつもりなのだ。
しかしそれならば、何故ここへ来たというのだろう。
それが分からない。
「これから私はあちらへ移動するのですが、戦時中というのはどうしても野盗が増えるものです」
「む……それはすまないと思っている」
「いえ、責めているわけではないのです、ただ行商に危険が伴うため、リゾートまで護衛をお願いしたく……」
行商人の言葉にクリムゾンフレアは少し考え込む。
自らの撒いた種により迷惑しているのなら、手助けはやぶさかではない。
ここで助けておくことにより、後々この行商人が協力的になり自国の交易路として、また上手くいけば間諜として利用することも出来るのだ。
しかし協力するとしてだ、人員を多く割くことはできないだろう。
まだブラエド本国に攻め入らないとはいえ、いつ向こうが攻めてくるかも分からない状況なのだ。
向かわせるとしても、少数精鋭……それが絶対条件だ。
「分かった、では……こちらから4名、護衛を送ろう」
「4……ですか? それはあまりに……」
「勘違いしないでくれ、少ないだけの理由がある、少ないのはそれだけでじゅうぶんな強者だからだ……何せ、あの北の剣豪もいるのだからな」
北の剣豪、その名に行商人は「おお」と声を上げる。
ズワールト・メテオール……その勇名はやはり行商人達の間にも轟いているのだ。
「ズワールト・メテオール、ルーチェ・アウローラ、ルーヴ・ルージュ、ガットネーロ・ヌッラ……この4人を派兵しよう」
「えっ、アタシもッスか?」
ガットネーロの問いに、クリムゾンフレアが頷く。
まず、任務時間を大幅に短縮させるであろうワルト。
そしてワルトが居ないと何をするか分からないルーチェ。
次に、地理に明るいガットネーロ。
そして保護者であるルーヴ、という構成だ。
「ははっ、お姉ちゃん面倒ごとを押しつけられてら」
「面倒ごとの自覚があるのか……」
ガットネーロの反応に、クリムゾンフレアは絶句する。
だが気を取り直すと首を左右に振り、咳払いをした。
「まあ、こういうわけだ、どの者も精鋭揃い……安心してくれていい」
「ありがとうございます! 無事辿り着いた暁には、皆様に優待券を……!」
「あ、ああ……ありがとう」
優待券は別にいらない……とも言えない雰囲気にクリムゾンフレアは圧される。
その様子を、ガットネーロは楽しげに眺めているようだ。
助け船でも出して欲しいが、緊急性のない状況でそこまでするような女ではないだろう。
仕方がないので、優待券は素直に受け取るとしよう。
必要なくとも後で誰かに渡せばいい話だ。
そう考えながらクリムゾンフレアは息を吐く。
だが……ふと、その動きを止めて目を細めた。
(……思えば、旅が始まった頃はピーヌスと川遊びをしたりもしたな)
戦争は5年後だと思っていた頃。
まだ余裕を持っていた頃……。
あの頃を懐かしむと、少しだけ胸がチクリとする。
川で穏やかに遊ぶ時間、ティータイムを楽しむ時間……。
そういった遊びは表に出ていたユウコだけではない、奥底にいたクリムゾンフレアも楽しんでいたのだ。
なのに今は……しょうがないことだが未知を楽しむ気持ち、余裕……そういったものが失われてしまったように感じる。
あれだけ好きだった食事をろくに楽しめない体になったのに、それを容易く受け入れたのなど最たる所だろう。
大事な存在であるはずの味覚を惜しむ余裕すら失われてきているのだ。
そう思うと、少しだけむなしさのようなものを抱いてしまう。
(……やはり優待券はちゃんともらうか、戦争が終わった後にでも休みに行くとしよう)
無論、終戦後も激務には追われるだろうし、それが終わる頃までリゾートが存続しているのかも分からないのだが。
それでも、目標があるというのは一つのモチベーションになる。
いつか時間が出来たときに、ピーヌスと二人リゾート地で遊ぶ……。
それを思い浮かべるだけで、もっと頑張れる気がした。
この戦い、いつか海で遊ぶためにも絶対に負けるわけにはいかない。
皇帝とは思えない庶民的な決意だが……。
しかし、だからこそこの決意は大きな力になるのだろう。
庶民的で普遍的な、当たり前だったり素朴だったり……そんな願い。
それを大事にすればこそ、きっとその願いは大きな力、原動力となるはず。
それに、一つ一つの小さいものを大事に握れる手は、大きなものだって握れるはずなのだ。
そう考え、クリムゾンフレアは大きく頷く。
そして戦いへの決意をより一層高めていくのだった。
「というわけで、この商人をリゾートまで連れて行くことになったッスよ」
「何が、というわけでよ」
ガットネーロに説明を受けて、ルーチェは面倒くさそうな顔をする。
一方、ワルトはどこか興味深げだ。
「海で泳ぐか……文献で見たことはあるが、どんなものかは考えたこともない文化だな」
確かに、雪国出身のワルトからすれば海で泳ぐなどというのは想像も出来ない文化だろう。
寒冷地の人間にとって、水は途方もなく恐ろしい存在だ。
勿論寒冷地ではない場所だって水に落下して流れに飲まれれば死ぬ。
だが寒冷地ではそれに加えて、凄まじい冷たさの水が刃のように牙を剥くのだ。
そんな環境で遊泳などという文化を想像するなど難しいだろう。
「私は川で泳いだことありますけど……結構気持ちいいですよ、でも海って川と何が違うのかよく知らないんですよね」
「川と海の違いか、確か成分が違うんだったか……」
内陸部出身山育ちのルーチェに、本による聞きかじりではあるが海と川の違いを教えていくワルト。
この辺りは、読書好きの力と言ったところだろう。
そんな彼らをみながら、ルーヴは息を吐いた。
何せこの二人と行動を共にするのは今回が初めて、ワルトの噂も届かないような土地の生まれなので、彼女がどれくらい強いかも知らないのだ。
(まったく、こんなハイキングムードで大丈夫なのか……?)
呆れながら、ルーヴは腕を組む。
年齢的にはこの中で下から2番目なのだが、ルーチェの小柄さもあって上から二番目だと思っているようだ。
もし本人にそんなこと言おうものなら、25歳だと激しく主張しただろう。
まあそういった勘違いもあって、ルーヴは自分がしっかりしなくては……と決意する。
鼻をひくつかせて周囲を探り、気を張り巡らせ……。
少し空回り気味ながらも、しっかりと気合いを入れるのだった。




