第六十二話 やがてサキュバスは青年を喪う
永遠、そんなものは人の世のどこを探しても存在しない。
分かっていたはずだけれど、分かっていたはずだけれど……。
それでも、覚悟をしていてもいざ目にするのは大きく違う。
この頃の彼女は、そんなことなどまだ分かっていなかった。
人を魅了し、夢を見せる彼女が……もしかするとこの時は、人に魅了されて夢の中にいたのかもしれない。
「おはようございます!」
「おはようございますサキュバスさん、今日も元気ですね」
朝の挨拶を交わし、笑い合う。
この時間だけでもう幸せだった。
未知なる存在と触れあうことが出来て楽しい、と彼女は言っていたが……。
その本質はきっと……。
「……ん? どうかしましたか?」
「あ、いえ、なんでもないです!」
まさかこの自分が人間に敬意を抱く日が来るなんて。
そう考えながらサキュバスは目を細める。
そして、気持ちを誤魔化すように山羊の餌やりへ向かうのだった。
(魅了に流される人間を見下す気持ちは変わらない、でも……彼らももしかすると、強くなっていけるのかもしれない、そんな可能性を少しだけ信じられるようになった)
これがエラーだというのなら、エラーとはなんと心地良いのだろうか。
そう考えながらサキュバスは日々を生きていた。
そんなある日……。
「そうだ、サキュバスさん……良かったら今夜天体観測に行きませんか?」
「天体観測……ですか?」
真壁の申し出に、サキュバスは戸惑う。
星の輝きを楽しむ、それは神や悪魔達が持たない人間特有の情緒だ。
それを……人間ではない自分が行って、本当に楽しめるのだろうか。
疑問と躊躇いがよぎってしまう。
だが……せっかくの真壁からの誘いだ。
不安はあるが、受けることにした。
「天体観測に向かう場所ではですね、あの山羊を拾った山なんです」
「へえ、結構遠かったんですね」
流々宮は海沿いの都市のため、山へ向かうには電車に乗っていく必要がある。
電車という文明を知ってこそいれど、今までは目的地に直で顕現していたサキュバスには初の体験だ。
おっかなびっくり……といった様子で電車に乗る。
「凄い……本当に動いてる」
「ふふふ……電車は初めてなんですね、外国の方かと思っていましたが、流々宮の出身なんですか?」
「え、あ、はい! そうですね……歩きで行ける距離しか行ったことがなくて」
微笑む真壁に笑顔を返し、サキュバスは電車に胸をときめかせる。
夕暮れの町並みが次々に目の前を通り過ぎていくのは、不思議な美しさだ。
普段はなんてことないビルの一つ一つさえ、オレンジの光に照らされると不思議と綺麗に見える。
我がことながら単純……しかし、こう単純になってしまうのも仕方がないと思えた。
今までは気にしてこなかったものも、一度気にすると好奇心をくすぐられるものだ。
好奇心は無知という生娘を酔わせる酒。
その魅力には悪魔とて逆らえない。
「そろそろ着きますよ」
「あっ、はい……!」
どうやら、夢中で景色を楽しんでいる間に目的地に着いたようだ。
時間が経つのは本当に一瞬のこと。
名残惜しいが、降りないわけにはいかないだろう。
「もうすっかり、日が暮れてきましたね」
「ですね……わあ……!」
夜と夕方の境目、黒と橙の混じる空。
今まで気にしていなかった綺麗なものに、サキュバスは心躍らせる。
その姿はまるで、純真無垢な子供のようだった。
さて……そのまま日は沈み、星が見える時間がやってくる。
一番星を探すサキュバスを微笑ましく眺めながら、真壁はココアを作っていた。
「はいどうぞ、熱いから気を付けてくださいね」
「ありがとうございます!」
ココアを受け取り、フーフーするサキュバス。
そんな彼女を眺めながら、真壁もまたココアを飲む。
並んで見上げる星空は、また格別だ。
「凄い……本当に、星って綺麗なんですね……!」
「ふふ、都会じゃ見られない綺麗さですよね」
サキュバスと真壁は悪魔と人間であり、全く別の種だ。
だが今は、こうして同じものを感じていられる。
今だけは、種など関係なく二人は同胞なのだ。
それがサキュバスは嬉しくて、なんだかこそばゆかった。
ずっとこのままでいたい……。
そう心から思う、だが……永遠はどこにも無い。
いずれ別れる日は来るのだろう。
その日まではこの繋がりを大事にして、彼の永遠になりたいという夢を応援したい……サキュバスはそう思っていた。
(星は死に、光になる……しかしその輝きはこうして人に注ぎ、永遠となる……美しい在り方……ああ、今ならあなたの夢も理解できるわ……)
真壁はいずれ星になりたいのだ。
同じ道を志す人の中で輝く星に、彼らを導く道しるべに。
それはきっと素敵なことなのだろう。
そう考えながら、ココアを一杯飲み……その甘さに微笑むのだった。
永遠はない、人はいつだって儚い。
しかし儚い命でも明日唐突に喪われるなどということはないはずだ。
そう思いながらサキュバスはそれからも、足繁く真壁の元へ通い詰めた。
そして、一ヶ月後……。
「ねえご存知、七島の方で……」
「ええ、戦況は悪化しているらしいわね……」
どうやら人類の戦争は戦況が悪化しているらしい。
しかしそれも、兵器研究などしていない真壁には無関係。
主戦場も遥か遠くの島なので、戦火もここへは及ぶまい。
そんな風に考えながら、研究所へと向かっていくが……。
ふとサキュバスは足を止めた。
警備員が寝ているのだ。
「もうどうしたのよ、また運んで……ほし……?」
そこまで言い、サキュバスは凍り付く。
血の臭いがするのだ。
よく見れば警備員は血を流して倒れている……。
そして、中からも血の臭いはするようだ。
「真壁……さん……?」
声を震わせながら、急いで中に入る。
そこでは血を流しながら、真壁が倒れていた。
「真壁さん!」
「はは……してやられました……前々から、軍の科学者の人に……新型の炸薬……技術を、戦いに使わせろって……とうとう、実力行使……」
血を吐きながら、真壁は笑顔を見せる。
そんな彼を抱きしめながらサキュバスは念を飛ばす。
(誰か来て! 近くに悪魔はいないの!? 治癒が使える悪魔、来て!)
しかし誰からも応答はない、近くに悪魔はいないようだ。
血を流しながら苦しむ真壁になにをすればいいのだろうか。
人体に関する知識など皆無のサキュバスには分からない。
この時ほど、自分を魅了しか使えない存在に生みだした神を恨んだことはなかった。
「良いんです、サキュバスさん……もう間に合いませんから」
「そ、そんな……! でも……!」
手を優しく握る真壁に、サキュバスはうろたえる。
何故、もうすぐ死ぬと分かっているのに真壁は自分を気遣えるのか。
それが理解できない、真壁を理解してきたはずなのに、再び何も分からなくなってしまう。
「どうして、どうして……!」
「ふふ……永遠になる夢は、叶いませんでしたね……でも、これでいいのかも……永遠になれないなら、あなたに忘れて貰える……」
「え……?」
「辛い思い出を、遺したくないですから……私の事なんて、忘れてください……」
そこまで言い、真壁は大きく息を吐く。
そんな彼を抱きしめながら、サキュバスはイヤイヤをする子供のように首を左右に振った。
「忘れるなんて、そんな、そんな……!」
言いたいことが上手く言葉にならない、何を言えばいいのか分からない。
そんな中、サキュバスは混乱し……。
そして、気付いた頃には……。
「真壁さん……?」
目を開いたまま、真壁は動かなくなっていた。
その頬をサキュバスは静かに撫で……目を閉じさせてあげる。
そして、彼を抱きかかえて歩き出した。
「お墓を、作らないと……永遠に、しないと……」
手で地面を掘り、墓穴を作っていく。
どうやって墓を掘るかのやり方なんて知らない。
完全な自己解釈での墓作りだ。
「……真壁さん……」
爪が折れるのも厭わず地面を掘り続け、開いた穴に真壁を埋める。
そして……山羊の墓のように木の板を立てるとそこに真壁のネームプレートを貼り付けた。
これが正しい墓なのかは分からない。
だが、人間がどう墓を作るかなど知らないサキュバスにはこうするしかないのだ。
「……忘れるなんて、無理だよ……私にはそんな機能ない……でも、安心して……私は永遠の存在だから、あなたのことずっと覚えてるから、死んでも光を放つ星のように、あなたは私の中で永遠になるから、だからさ……」
そこまで言うと、サキュバスは静かに……ようやく出てきた涙を流す。
そして……。
山羊を抱え上げると、復讐心を胸に抱えて神住まう高座へと戻るのだった。
「主よ、報告いたします……」
「申してみよ」
「真壁研究所は、ただ採掘用の爆弾を作っている場所でした……ですが、軍がそれを兵器に転用すべく襲撃を……」
何が起きたのか、事の顛末を語るサキュバス。
それを希死念慮の神は静かに聞いている。
「主よ! このように食い合うようでは、人間はいずれ恐ろしい発明をします! 私に強奪を行った科学者を討ち滅ぼすための権利をお与えください!」
「……それは早計だ、まだ待て」
「何故ですか!?」
復讐心に突き動かされ、叫ぶサキュバス。
だが希死念慮の神は冷静に、まだ様子を見ろという。
それがサキュバスには気に入らなかった。
「敵は真壁さんを殺したのに! のうのうと生きて、のうのうと!!!」
「落ち着けサキュバス……エラーが出たか……?」
「うるさい!!!! この痛みを抱えたのもあなたのせいだ! あなたが私を、治癒が出来る体に産んでくれなかったから!」
頭をかきむしりながら、サキュバスは希死念慮の神の声を遮る。
そして山羊を抱えると、神に背を向けた。
「……どこへ行く?」
「私は、私は、私は……もういい!」
叫び、そのまま転移していくサキュバス。
行く先は無論人間の世界だ。
今……彼女の中には、復讐心の炎が燃えたぎっていた。
なんとしても彼を殺めて研究成果を奪った奴を見つけて殺す。
ただそれだけのために、彼女は地上へ降り立ったのだ。
勿論、これはただ憎しみのためだけではない……。
こうして彼の仇を憎むことで、彼の存在を永遠にするのだ。
それを討ってからも、勿論想いは続く。
想い続けることで彼の存在を消さない。
何千年でも何万年でも、ずっと……。
永遠に……。
(いつか、あなたもまた生まれ直すんだよね? その時は絶対にあなたを見つける……終わりなんて来ないから、あなたは永遠になるんだ……)
生まれ変わりがいるのなら、いつかまた会おう。
そう決意しながらサキュバスは山羊を連れて歩き出す。
その後、20年ほど先……裁きの日が来るまでの足取りは知れていない。
確かなのは、その時に投影の悪魔と再会したこと、人間についたこと、そして……希死念慮の神を打ち破る一助となったこと。
それだけだ。
間の部分に何があったかを、サキュバスは……いや、カペルは何故か語りたがらない。
何はともあれ、こうして彼女の思い出話は終わった。
「ああ、ほんと……真壁と再び会えたのは運命だわ……」
時は変わり現在……。
うっとりと笑顔になるカペル。
思えば現在の彼女が子山羊の姿なのは、二人で育てていた子山羊を意識してなのだろうか。
アルマはそう思ったが、同時に彼女の重い感情に若干の畏怖を抱いて、何も聞けなかった。
「私、もう一回会いに行ってくる! それじゃ!」
言うだけ言って、カペルは走って行く。
その姿を見ながら、クルテルは人間の姿に戻り息を吐いた。
もしかすると、彼女の初めての反発を思い出したのかも知れない。
「若いわね……いや、若さを取り戻したのかしら」
「誰かを想うから、そうなれるのでしょうか」
アルマの問いに、クルテルは静かに目を閉じる。
そう、人を想うという気持ちは偉大なものだ。
沢山の力を与えてくれる……。
だが……。
(……カペルは、一時は復讐心で力を得ていた……そうだ、誰かへの想いが力を与えるとして……その想いが必ずやプラスの感情とは限らない)
そこは、憎悪で一つの力を得たクリムゾンフレアや愛憎を活力にしたルーチェも証明していることだろう。
では……。
(もし私が思うこの戦い、文明の悪しき発展……その裏に蠢く存在が、人への歪んだ想いで力を得ている者だとしたら?)
クルテルは息を吐き、目を細める。
やるべき事を為す……そのためにも考えなくてはいけない。
自分が何をどうすべきなのか……。




