第六十一話 そしてサキュバスは未知に惹かれた
「……主よ、人間世界に降り立ち件の研究機関と接触することに成功しました」
「ご苦労、それで奴らはどのような研究を?」
「はっ、奴らは環境に優しい採掘用爆弾といったものを研究しているようなのですが……」
「……? 妙に歯切れが悪いな」
夜が来れば、人間が家に帰るように悪魔もまた神住まう高座に戻る。
そして神々に使命の進捗を報告したりもするのだが……。
今日のサキュバスは浮かない顔だ。
「実は……まだ全てを調べきれていないのです」
「ほう……? それは何故だ?」
「所長を務める真壁里桜という男……奴は、魅了が効かないのです、故に奴が何かしらの研究を隠しているかどうかは分からない状態でして……」
魅了が効かない、そう聞いて希死念慮の神も驚いているようだ。
これは異常事態と言える。
「なるほど……もしかすると、そやつはダイモンの一族なのかもしれない」
「ダイモン……とは? 無学をお許しください」
「よい、神すら一部しか知らぬ事だ」
神混じり、それは神と人の間に生まれた子を意味する。
神にも色々いるため、人に興味を持つような概念を持って生まれてきた者は時に人と子を成すことも有るのだ。
それらはほぼ人と変わりないが、時として神威を行使されても抵抗したり反射したり……という現象を起こすことがある。
「なるほど、主よ……あなた様は真壁はそのダイモンだと仰るのですね」
「そうだ、ふむ……これは異常事態だな、しょうがない……お前をこの任から解くとしよう」
「え……!? ですが……」
「万一危険があっては困る、我が子たるお前に無理はさせられぬ」
「……はい……」
解任、そう言われてサキュバスは引き下がる。
だが……納得はいかなかった。
気遣いは嬉しい、だが自分はもっとやれるはずだ。
そうだ、きっとそのはず……。
ならば……。
「ここで退いては、間諜の悪魔としての沽券に関わるわ……」
呟きながら、彼女は朝を迎えた人間の世界に向かっていく。
魅了は効かずとも、きっと自分ならハニートラップの一つや二つできるはずだ。
そう信じてサキュバスは色仕掛けを行うことにしたのだが……。
「真壁さん……」
「ああ、どうも……昨日はお世話になりました、サキュバスさん」
満面の笑みを返す真壁。
彼を見ていると、どうすれば良いのかよく分からなくなってしまう。
そもそもサキュバスは今まで魅了の力頼りだったし、魅了の力が効くような人間は見下してきたので、行為に到った事やちゃんと関係を築いた事は一度もないのである。
そんな彼女にちゃんとした口説きのテクなどないわけで……。
「真壁さん、私を抱いて! そうしたら、いっぱい気持ちよくしてあげる!」
結果が、見ての通りの大暴走である。
これには真壁も流石に面食らった。
笑顔は硬直し、口をパクパクしている。
「え、ええ……あの、サキュバスさん……」
「お願い! 私はあなたを知りたいの、だから!」
「サキュバスさんっ!!」
大声を出されて、サキュバスは萎縮してしまう。
そんな彼女の両肩を、真壁は優しく掴んだ。
そして諭すように首を左右に振る。
「ダメです、何があったのかは知りませんけど……もっと自分を大事にしてください」
「は、はい……すいません……」
正論で返されて、沈んでしまうサキュバス。
こうも見事に諭されるなどとは思っていなかったのだ。
どうすれば良いのか、途方に暮れてしまう。
この戸惑いは、真壁の優しさも大きいのかもしれない。
今まで出会った者達は、魅了をすればホイホイとついてきていやらしい目を向けてきた。
いや……魅了をする前から、サキュバスの体つきにいやらしい目を向けるような奴ばかりだった。
だが真壁は、純粋に自分を案じている……。
そういう優しさは初めてだ。
もうどうすればいいか分からない。
「えーと、すいません……」
「い、いえ……」
「あの、私を知りたいという気持ちはとても嬉しいです、良かったら……この研究所の手伝いなどしませんか? それで、健全にお互いを知りましょう?」
健全に互いを知っていく。
魅了しか知らなかったサキュバスにとって、未知の言葉……。
その響きにサキュバスは心惹かれた。
そして……。
「わ、分かりました……では、働きます……ここで!」
「ええ、よろしくお願いします」
サキュバスとダイモンの不思議な共同生活が始まった。
この日のことは、サキュバスにとって輝く宝物だ。
サキュバスという名を捨て、カペルと名乗るようになった今でもそれは変わらない。
永遠に輝く、宝石のような思い出……。
捨てられない、永遠の宝……。
そう考える度に、彼女は一つのことを思い出すのだった。
「この研究所、山羊を育ててるんですね」
「ええ、マスコットなんです、可愛いでしょ?」
働き始めて一週間、それなりに馴染み始めた頃……。
サキュバスは、ペットの山羊に餌やりをしていた。
可愛らしい子供の黒山羊だ。
「この子は出先の山で親共々崖から落ちてしまったらしく、親がクッションになり一命を取り留めていたものの……足を折って動けなくなっていたところを保護したんです」
「へえ、優しいんですね」
山羊を撫でながら、サキュバスは笑う。
こうして生き物を可愛がるというのは、初の経験で楽しいものだ。
「じゃあ、そこのお墓は……」
「ええ、彼女の親のものです」
山羊の飼育スペース、その隣にあつらえられた墓。
どうやらそれは親山羊のものらしい。
それを見ていると、少し疑問が浮かぶ。
「何故人は墓を建てるんですか?」
「え……?」
「私には、よく分からないんです、その気持ちが」
何故人は墓を建てるのか、それが分からない。
そう言われて真壁は考え込む。
思えば、何故なのか考えたことはなかったかもしれない。
静かに考え……そして、真壁は目を開く。
どうやら考えがまとまったらしい。
「永遠が欲しいのかもしれません」
「永遠……?」
永遠……それは神の領域、人が手を伸ばしても得られないもの。
それを欲して墓を作る、というのが真壁の持論らしい。
だが、それが何故永遠になるのかサキュバスにはよく分からないようだ。
「私も、今考えたものなので上手く言葉に出来るわけではないですが……墓を建てると、そこには名が刻まれますよね」
「ええ、そうですね」
「それを見ると、知人はその人を思い出しますし、その名を知る人がいなくなったとしても、ここにはこんな名前の人がいたんだ……と思うわけです」
そうして名は残っていく、そこにいた証しはあり続ける。
それはきっと擬似的な永遠なのだろう。
その為に人は墓を作るのかもしれない。
忘れないために、忘れられないために……。
「永遠……」
気持ちは何となく理解できた。
だが、そんな思いで墓を作ったとしても、墓はいずれ壊れてしまう。
墓碑は人の命よりも儚いのだ。
長く生きてきたサキュバスはそれがよく分かる。
だが……同時に、永遠を求める人間は興味深いかもしれない。
そう思いながら目を細める。
「永遠、か……あなたも欲しいんですか?」
「え……?」
永遠が欲しいか、そう言われて真壁はキョトンとする。
急に聞かれるとは思わなかったのだろう。
真壁は少しだけ考え込むと……静かに頷いた。
「そうですね……私も、永遠が欲しいから……せめて名前だけでも誰かの記憶に残りたいから、だから研究をしているのかもしれない」
「名前を……」
「歴史の教科書に名前が残るくらいの発明を出来れば、それは事実上の永遠……ですからね」
そう言って、真壁は恥ずかしそうに頬を掻く。
その姿が、サキュバスには少し可愛く思えた。
優しいけれど理解の出来ない男……そう思っていた彼が、急に分かってきた気がするのだ。
彼はきっと、凄く普通の人で……普通をどこまでも突き詰めることが出来る人。
だから優しくすべき人に優しいし、注意すべき時は注意をするし下心もない。
そして、誰でも当たり前の“夢を見る”という行動をどこまでも突き詰めていく。
普通であるからこそ、普通ではない特別な男。
きっと、ダイモンの血筋である以前に、そういう男だから魅了も効かないのだろう。
そんな在り方が、サキュバスには少し偉大に思えた。
「おっと……そろそろ学会の時間ですね」
「あ……じゃあ私、お昼ご飯を作りながら待っていますね」
立ち上がる真壁に、サキュバスは笑みを向ける。
彼女はどちらかと言えば料理上手だ。
といっても、飽くまで市販のレシピを完全に模倣するだけなので、自ら新しい工夫を生み出したりは出来ない。
飽くまで常人レベルの腕前だろうか。
だがそれでも、真壁はサキュバスの料理が好きだ。
直接顔を見られる相手に作って貰うのは、研究暮らしが長く店屋物ばかりで済ませていた身としては非常に温かみを感じるのだ。
そしてサキュバスも……誰かに喜んで貰うというのは好ましい、そう感じている。
今までは産みの親である希死念慮の神にしか抱かなかった気持ちだが……。
それをこうして人に抱くというのは、不思議なものだ。
(永遠、か……)
そんなものは人の世に存在しない、それは重々承知。
真壁の全てを知るのが先か、次の任務が先か、はたまた彼の死が先か。
いずれにせよこの時間はそのうち終わるのだろう。
それまでに、できればこの気持ちを楽しんでおこう……。
そう考えながら、サキュバスは山羊を撫でるのだった。




