第五十八話 夜明けのコーヒー
さて、北部で新たな謎が生まれている頃、クリムゾニア城では……。
すっかり夜も更け、それぞれが寝る前の軽いルーチンなどをこなしている時間になっていた。
明日の料理の仕込みをする者、よい子なので早く寝る者、ポエムを綴る者など、やることは様々だ。
そんな思い思いの行動を取る中……訓練室では、ガットネーロとルーヴが特訓をしている。
「はい、お疲れさんッス」
「……!」
一声と共に、ガットネーロの訓練用ナイフがルーヴに突きつけられる。
背後から突きつけられたそれが意味するものはただ一つ、ガットネーロの勝利。
これが戦場ならばこのまま首を斬られていただろう。
無論、これは飽くまで特訓。
死ぬものではないが……悔しさはある。
「やるな……くそっ……!」
「落ち着いて落ち着いて、思うにお姉ちゃんは嗅覚に頼りすぎなんスよ、だから嗅覚を誤魔化されると不意を突かれやすい……じゃあどうすればいいか考えるッスよ」
どうやら今は訓練室に障害物を配置して、隠密相手の対応訓練をしているらしい。
当初はルーヴ有利だったのだが……。
現在はガットネーロが優勢らしい。
その秘策は、ズバリ訓練室に置いてあった休息用の果実液だ。
これを周囲にばら撒き、更に自分も頭から被ることで嗅覚を誤魔化すことに成功。
これで一方的有利を築いた……というわけだ。
果実液をわざわざ用意してくれたプラケンタに申し訳ないし、保冷魔法をかけたラクエウスにも怒られそうだが……。
まあ、訓練中にうっかりぶちまけたとでも言っておけばいいだろう。
「よーく感覚を研ぎ澄ますんスよ、お姉ちゃんならきっと心眼の境地だって夢じゃないッス」
「簡単に言ってくれる……!」
あちこち移動しながら声をかけるガットネーロに、ルーヴは口をすぼめる。
そして、目を閉じて精神を集中する……。
ガットネーロは流石シークレットサービスのプロと言うべきか、足音は完全に消している。
それは果実液がぶちまけられた現状でも変わらない。
足音も嗅覚もあてにならないのなら、頼れるのは気配だ。
気配もまた極力抑えられてはいるが……それでもゼロにはできない。
なら勝機は有るはず。
「そこだ……!」
「おっと……惜しい!」
気配をたぐり、後ろ蹴りを放つルーヴ。
だがガットネーロは首を動かして蹴りを回避すると、無防備な片足へと足払いをかけた。
当然ルーヴは勢いよく転倒し、蹴りの勢いのままもんどり打ってしまう。
湿っているせいで受け身にも失敗したらしく、ルーヴは臀部を打って「んおっ!」と声を上げた。
「ったたた……やるな……だが、あたしももうすぐだ……追いついてみせる……!」
尻餅をついたまま、顔を下へ向けるルーヴ。
彼女は何とか痛みを堪えて顔を上げるが……。
一方で、ガットネーロは口をぽかんと開いていた。
「ん……? どうした……?」
「あ、いえ、なんか……知らない情景が、頭に……これは、アタシの記憶?」
震えながら、ガットネーロが呟く。
ルーヴは立ち上がると、その腕を優しく掴んだ。
「大丈夫か……? もしかしたら、果実液まみれになったせいで風邪を引いたのかもしれない、体を洗って休もう」
「え、ええ……そうッスね……」
震えるガットネーロを支え、歩いて行くルーヴ。
そんな二人を見ながら、カペルは息を吐いた。
どうやら体調不良が治って少し運動していたらしい。
「……前世を思い出そうとする者が増えている、確かに前の世界はいい世界とは言えなかった……だから未練を残した者が多いのも分かる、でも何故……? ここまで多いのは異常事態だわ」
1000年前の時代には、ここまで魂が不安定ではなかったはず。
そう考えながらカペルは腕を組む。
今の世界は1000年前の再現をするかのように育ってきた世界……。
だが大きな違いはある、その違いとは何か?
「予言者の存在? それにより動かされた者達による5年早い戦争? 本来死んでいた存在の生存、またはその逆……? 違う、それだけじゃここまで魂が不安定にはならないはず……」
そこまで呟き、カペルは立ち上がる。
一人で考えても答えが出ないことは分かった。
ならば力を借りるほか有るまい。
母であり、今や姉でもある……神にしてはみみっちく、人間が大好きなどこかの神様に……。
そう考えて、カペルは歩き出すのだった。
「なあ、ガットネーロ……本当に大丈夫か?」
「ええ、大丈夫ッスよ、心配性ッスねえ」
一方……浴室のガットネーロは、体を洗ってスッキリしたらしく普段通りの様子に戻っている。
……いや、もしかしたら虚勢なのかもしれないが、それは本人にしか分からない。
ルーヴもそこが不安なので、大分心配に思っているようだ。
「ま、でもあなたのそういう心配性……アタシは好きッスよ、どっかの誰かみたいなエゴにまみれたものじゃない、純粋にアタシを大事にしてくれているって感じるッス」
「……馬鹿、恥ずかしいこというなよ」
照れ笑いするルーヴに、ガットネーロも笑みを返す。
そして二人は見つめ合うが……だが、ガットネーロはふと目を伏せた。
そして……いつもの笑顔ではない、ルーヴと二人きりの時だけ見せる本性の顔で……。
泣きそうな笑みを浮かべた。
「……でもね、お姉ちゃん……アタシは一つ思うんだ」
「……何を?」
「お姉ちゃんといると……お姉ちゃんと妹じゃ満足できなくなってくる」
我慢できなくなってくる、それはルーヴにとって意外な言葉だった。
義姉妹の契りを交わした際に嫌とはいわなかったので、まさかこれでは足りないなどとは思っていなかったのだ。
足りないなら、もっと満足させてやろう。
そう考えながらルーヴは小さく頷く。
そして……。
「分かった、じゃあお前を満足させてやる、何をすればいい?」
「お……言ったね? 良いんだね?」
「ああ、女に二言はない」
言い切るルーヴに対して、ガットネーロが笑みを浮かべる。
猫獣人らしい……肉食獣の鋭い笑みだ。
食物連鎖で言えば狼獣人の方が上のはずなのに、食われそうだ……と感じてしまう。
「……む……な、なんというか……」
「今更怖じ気づいたは無し、もうアタシ……止まらないから」
言葉と共に無理矢理奪われる唇。
そのまま長マズル同士の食らいつくようなキスが始まる。
そして、ガットネーロの勢いに負けてルーヴは浴槽に倒れ込んだ。
「あれ、ラクエウスちゃんどうかしたの?」
「か、怪奇現象ですわ……! 温泉に続いて、また……!」
キッチンにネグリジェ姿で青い顔のラクエウスが走り込む。
その姿を見ながら、プラケンタは首をかしげた。
どうやら温泉の一件以来、ラクエウスはすっかり霊現象が苦手になったらしい。
「浴室の前を通ったら、苦しそうな女性の声が聞こえましたの!」
「うわあ、それは確かに怖いね……」
何が起きたかを聞いて、恐怖に共感するプラケンタ。
そんな彼女に縋りながら、ラクエウスは「でしょ、でしょ!」と頷く。
「もう無理ですわ! 一緒に寝てくださいませんこと!?」
「うん、ちょうど仕込みも終わったからいいよ、なんか昔を思い出すね」
「そうですわね……懐かしい話ですわ、あの頃はまだこうしてよその国で傭兵をやるなんて思ってもいませんでしたわ……」
思えば昔、傭兵になるよりずっと前はベッドで一緒に寝ていたものだ。
プラケンタの体は温かくて、冬場はよくしがみついていた。
今となってはもう懐かしい記憶だろう。
「あの頃と比べれば色々喪いましたけど、でも得たものもいっぱい有って、そして……」
「変わらない者もいる……」
笑みを浮かべ、二人は見つめ合う。
そしてゆっくりと手を握りあった。
喪った命への哀悼は尽きなくとも、こうして共にいればそれだけで幸せな気持ちになれる。
わざわざ口に出すまでもなく、二人はそれを確信していた。
「眠くなるまで、思い出話でもしよっか」
「ふふふ、それも良いですわね」
二人はキッチンを後にして、寝室へ歩いて行く。
静寂の中、小さな幸せがここにはあった。
さてさて、数時間後……。
空は明るみ夜も明けようという時間帯。
クリムゾニア城の外では、城から持ってきた椅子に腰掛けながらガットネーロとルーヴがコーヒーを飲んでいる。
日の出を見つめるガットネーロは少し満足げで、一方ルーヴは若干やつれ気味だ。
「……まさか本当に、本当に夜明けのコーヒーを飲むことになるとは……」
「ふふふ……良いじゃん、お姉ちゃん……ううん、今は二人きりだし名前でいいか、ルーヴ……こういうのも悪くないでしょ?」
「まあ……悪いとは言ってない、無理矢理だったが……」
呟きながら、ルーヴはコーヒーをすする。
毛皮の下はきっと顔が真っ赤なのだろう。
狼獣人ゆえそういった変化は見て取れないが、それでも内心の照れくらいガットネーロにはお見通しだ。
「あー、もう……! これからお前をどういう顔で見れば良いんだよ……!」
「ふふ、別に今まで通りで良いんだよルーヴ、その日が来るまでは私達は普通に義姉妹……でも、いつか互いに姉妹じゃ満足できない日が来たら……」
「分かった……! その時は腹をくくる、ウェアウルフの誇りを見せてやるさ!」
二人の間に何があったのかは想像に任せるとして……。
二人はどうやら、軍の中の誰よりも早く“とあるライン”を越えたらしい。
それが何かはまあ想像に任せるとして、だ。
ガットネーロが自分を奥底ではそういう対象として見て、自分もまた心の奥底ではまんざらではないと思っていること……。
それを知った今、ルーヴは今まで通りに振る舞えないかもしれない。
そんなとき、助け船を出してくれるのはきっとガットネーロなのだろう。
(まあ……普段通りに振る舞えなくなったのはガットネーロに無理矢理色々と奪われたせいだが……それは置いておこう……)
経緯はどうあれ、片方がピンチの時にもう片方が助け船を出す。
それは美しいあり方だ。
(もし……こいつが窮地に陥ったら、あたしもこいつを助けてやりたいな……)
それこそが、想い合う者どうしの在るべき形。
そう考えながらルーヴはもう一口コーヒーをすする。
その時だ、ガットネーロが突如もたれかかり、寝息を立て始めた。
どうやら眠くなってきたらしい。
日の出を見ながらコーヒーでも飲もうと言い出したのは自分なのに、困ったものだ。
そんなことを思いながら、ルーヴは笑みを浮かべる。
そして、ガットネーロを抱き上げると城の中へ戻るのだった。
今日も明日もその先も、こうして幸せでいられるように……と祈りながら。




