第六話 土の下
「っぷ……!」
「うわあ、大丈夫ッスか?」
酒宴も終わり夜の森。
ガットネーロはピーヌスの肩を支えていた。
昼間ふらふらだった者が、夜には別のふらふらの者を支える、何の因果だろうか?
何故こうなったかと言うと、話は酒宴に遡る……。
「さて、肉も野菜も残りわずかか……しかしあたし達の席は酒が余っているな、飲まないのか?」
「んー、アタシは酒飲んでるッスよ、まあでもルーヴさんほどガツガツはいかないッスね」
ちょびちょびと酒を飲み、肉をつまむガットネーロ。
一方でピーヌスとクリムは酒を飲んでいないようだ。
「二人は?」
「私は禁酒してるのよね、前に猫又之国で酔っ払ってその……刺身と一緒に出た緑のスパイスを単体で食べて悶絶して……いえ、やめときましょう」
ピーヌスの言葉に、ガットネーロは「あー」と頷く。
恐らくはわさびなのだろう。
クリム自身は食べたことはないが、単体で食べる人は少ないということは知っている。
酒に酔った勢いでそのまま食べてしまったということなのだろうが、むしろそれだけで済んで良かったのかもしれない。
「まあ、そういうわけでね……今はあまり」
「猫又之国の酒は確かに強いからな……昔交易商が持ってきたが、米というものが原料らしい、だがここの酒はまだ優しいぞ、森で採れた蜂蜜を使った蜂蜜酒だ」
ルーヴ曰く、この村の蜂蜜酒は口当たりがよく強い酒でもないので飲みやすいらしい。
無論、酒が強くないなら飲みやすさ故の飲み過ぎという問題に気をつけなくてはならないのだが。
「クリムは?」
「あ、えーと、私は……人間でいうと14歳くらいなんで……」
「そうか、なら仕方がないな」
興味はあるが、元の年齢が14歳なので我慢するクリム。
しかし……その隣で、我慢しきれない18歳が誕生しようとしていた。
酒の失敗でまた悶絶するのは避けたい自分、しかし酒好きとして未知の酒が気になる自分。
二つの気持ちが重なり合い葛藤を生む。
その時、ピーヌスの脳裏には二つの自分がよぎった。
「いっぱい飲んじゃいなさい、平気よたぶん」
お酒を沢山飲めと誘う、放蕩的な悪魔の自分と……。
「飲むなら一杯だけにしましょ? 一杯までならセーフよ」
一杯だけにしておけという、謙虚なようでいて楽天的な天使の自分。
こうして、我慢できない女が誕生した。
その後?
言うまでもないだろう。
口当たりの良い酒をついつい飲み過ぎて、結果として嘔吐寸前千鳥足、我慢できない女は酔っぱらいに転生したわけだ。
「おうっぷ……!」
「やっぱり休んでいた方が良いんじゃないか?」
「い、いやよ……遺跡なんて面白そうな場所……我慢したくない……はぁはぁ……よし、治癒術が回ってきた……!」
まだまだ顔は青いが、少しは持ち直してきたらしい。
なんとか自力で立てるようにはなったようだ。
ふらつきも少しは抑えられている。
「大丈夫なのか、その対悪酔い治癒術とかいうのは……聞いたことないぞ」
「そりゃそうよ、オリジナル魔法……だし……」
オリジナル魔法、そう言ったピーヌスにルーヴは更に不安げになる。
だがピーヌスは真剣だ。
徹頭徹尾大真面目、びっぐしりあす。
「毒魔法使いなのよ私……毒魔法っていうのは回復魔法の派生で、相手を癒やす術を理解することにより、その逆を極めるって道なの……だから、治癒術も得意なわけ……うっぷ」
「そうか……まあ、しょうがないな……もう頑張れとしか言えん」
完全にさじを投げたらしく、肩をすくめるルーヴ。
そんな彼女達を見ながら、クリムは「お酒は絶対やめておこう」と誓うのだった。
病院育ちで酔っ払いに縁がなかった身でも、これは分かる。
酔ってもろくな事になりはしない。
「あ……クリムちゃんまで、そんな目で……」
「えっ……!?」
「それより早く行こう、一応遺跡は禁足地扱いなんだ、夜が明けて欲しくはない」
立場の危うくなったクリムに、ルーヴが咄嗟に助け船を出す。
ピーヌスは若干納得がいかないようだが、それでも動き出してくれたようだ。
ピーヌスの視界外で、クリムはこっそり両手を合わせる。
すると、ルーヴは気にするなと言わんばかりに首を左右に振って先を急ぐのだった。
「で……ここが遺跡ね……」
「ああ、村では霊が出る、自分が死んだかのように錯覚するといった理由でみんな入ろうとしない」
「おー、確かにおどろおどろしい感じはあるッスねえ」
遺跡、そう呼ばれている場所はどうやら石造りの古い建物のようだ。
入り口からは地下へ向けて階段が続いており、まるで地の底へ飲み込もうとする大きな口のように底が見えない。
確かに、これなら恐ろしげな噂が立つのも無理はないだろう。
(霊、か……でも霊なんて実際にはいないよね)
霊が実在すれば、あの人にもう一度会えたら。
今までの人生でそう思ったことが何度あったろうか。
その機会さえあればあの後悔だって拭えたはずなのに。
そう思うとクリムは霊の実在などどうも信じることができなかった。
しかし、同時に今の自分は既に一度死んだ身。
となれば、実質的に幽霊なのではないか、とも思ってしまう。
「クリムちゃん、どうかした……?」
「え、あ、今行きます!」
どうやら、また考え込んでしまったらしい。
悪い癖だなと自嘲しながら、クリムは奥に進んでいく。
遺跡の中は意外にも、外から見るより明るいようだ。
壁にはめられた鉱石がほのかな光を発している。
「なるほど、月鉱石が照明になってるのね……よし、トラップは無さそうよ」
「特に伏兵がいそうな臭いもしないか……だが気をつけろ、霊はきっと臭わない」
霊の存在を警戒するルーヴに合わせて、他の三人も周囲を警戒しながら進む。
だが、特に何かが出てくる様子は無さそうだ。
やはり迷信は迷信……なのかもしれない。
「この遺跡、造りからしてたぶん1000年は前よね……古代文明よりは近い時代だけど、かといって最近でもない」
「はえー、そんなこと分かるんスね」
「考古学者の友達がね、いつもうんちく話すから覚えちゃったのよ」
すっかり警戒も緩み、建造された時代について話しながら奥へ進んでいくピーヌス。
どうやら、本当にトラップはないらしい。
気付けばルーヴもある程度警戒を解き始めていた。
「……あ、階段が終わるみたいッスね、部屋が見えてきたッスよ」
「あれは……石碑ですか?」
「みたいだな、そしてその前には……斧?」
辿り着いたのは小さな部屋だった。
そこには、汚れた石碑と斧がある。
色を塗られた骨でできた装飾が施された、きらびやかな斧だ。
「これは……あたしの村で死者を悼む時にする装飾だ、死者の愛用品に装飾を施して墓前に飾る……ふむ、どうやらここは古代の墓所らしい」
「なるほど、つまり墓所が時代と共に忘れ去られて、霊の出る場所と噂されて恐れられるようになったのね」
「幽霊の正体見たり枯れ尾花って感じッスねえ」
墓前に安置されている斧に、ルーヴはゆっくり触れる。
そして持ち上げると斧をしげしげと眺めた。
何かを気にしているようだ。
「どうかした?」
「いや……何か見覚えがある気がしたんだが、気のせいか、そもそも同じ村で作られているんだ、材質も同じで当然か」
そう言うと、ルーヴは踵を返して歩き出す。
そして、入り口で振り返ると頭を下げた。
「今日はありがとう、大したことのない場所で済まなかったが……あたしとしては勉強になったよ、恐れるだけでは何も分からないし、実際に見てみれば意外と大したことがない、つまりこう……知ろうとすることは大事なのだな、と」
「そうね、知らなければ恐れていいのか敬えばいいのか、それとも他の見方があるのか……何も分からないもの」
「だな、とりあえず他の者にも教えておこう、墓に眠る者も忘れられてはかわいそうだ」
談笑しながら歩き出す3人。
しかし……クリムはふと、墓がきになって汚れをこっそり拭う。
下から出てきたのは知らないはずの文字……1000年も前の古代文字だ。
だがクリムはそれが読めた。
何故か読むことができたのだ。
そして……。
(村長の娘、誇り高きルーヴ……山賊に敗れここに眠る……? 墳墓の建造に協力した紅き龍の女帝に感謝を……?)
背筋がぞくりと寒くなる。
思わず振り返るが、ルーヴは今まで通り3人と一緒に歩いている。
その姿を見ながら、クリムはこの遺跡が1000年前のものだと思い出した。
(ただ、1000年前に同名のウェアウルフがいただけか……で、その墓作りに龍が協力したんだ、それだけだよね、ビックリした……)
村長は龍の存在を知っていたのだ、それもかなり詳細に。
ならばこの村が過去に龍と何かしらの関わりを持っていたと見て間違いないだろう。
凄い偶然もあったものだ、そう考えながらクリムもまた踵を返す。
その後ろで供えられた斧は何も言わず、ただ鉱石の光をたたえていた……。
翌朝、クリム達は村長邸で目を覚ました。
ウェアウルフの村は宿がないため、一番広い村長邸で宿泊したのだ。
「おはようクリムちゃん、いたた……はー……回復魔法使わないと……」
「おはようございますピーヌスちゃん、あはは……」
二日酔いで少し頭が痛むらしいピーヌス。
そんな彼女に挨拶をしながら、クリムは辺りを見回す。
どうやら、奥ではルーヴとガットネーロが何やら話しているらしい。
「ああ、おはよう二人とも」
「どうもッス」
笑顔で近寄ってくる二人……その手には地図が握られている。
どうやら、猫又之国までの地図のようだ。
「確か二人は今後の目的がないのだろう、あたしは見聞を広めるために、ガットネーロを故郷まで送っていくことにした、二人も来ないか?」
「へえ……確かに久々にあっちに帰るのは良いかもしれないわね、クリムちゃんはどう?」
問いかけられ、クリムは少し思案する。
死の運命を越えることが目的だが、その具体案は特にないままだ。
なら、死の原因であるブラエドとの戦争から遠ざかるために遠くの国に行くのは良いかもしれない。
「分かりました、ぜひ一緒に行かせてください」
「よし……そうと決まれば、まずは朝食にしよう」
ルーヴはそう言うと、ゆっくりと厨房へ向かっていく。
奥には狩猟してきたばかりであろう鹿が横たわっているのが見える。
鹿肉……どうやっているのかは教えてくれないが、ウェアウルフは臭みを取る秘伝の技術を持っているらしい。
それにより難点がなくなった鹿はまさしく絶品。
その味を思い出しながら、クリムは生唾を飲み込んだ。
(今日の朝ご飯も楽しみだなあ……!)
食に愛着がなかった者が、美味しさを知り食に目覚める。
学ぶということは、こういった風に変化をもたらすものだ。
これから先、旅をすれば沢山の学びを得る機会があるだろう。
その先にルーヴやクリムがどう変わっていくのか。
ピーヌスはそれを内心楽しみに思っていた。