第五話 まぶたの裏のふるさと
翌朝、ピーヌスは人間に擬態したルーヴをしげしげと眺めていた。
耳と尻尾がある以外は、完全に褐色肌に黒髪の人間……ほぼ完璧な擬態だ。
「そう見ないでくれ、恥ずかしい」
「ふふ……この状態で、帽子とかで隠すの?」
「ああ、そうして交易をしたり買い物をしに行ったりするんだ、ただ急いでいるときや戦いに赴くときは通常の姿のまま外に出る」
興味津々のピーヌスに、ルーヴはたじたじになりながらも説明をする。
その姿を眺めながら、クリムは自分もああいった姿になる可能性があるのかと腕を組む。
正直に言ってしまえば、人間に近い姿になるのは病弱だった頃を思い出してしまうのであまり望ましくはない。
なら、魂を龍に近づけていくか?
人間の心を捨てて、完璧な龍となる?
果たしてそれは本当に正解なのか、その時そこにいるのは自分と言えるのか。
何が正しいのかもどうすべきなのかも分からない。
「クリムちゃん?」
「え、あ、どうかしましたか?」
「買い出しに行こうと言っただろう、ニライカナイなら恩人として受け入れられているんだろう?」
ピーヌスとルーヴは、あきれ顔でクリムの顔を覗き込んでいる。
どうやら考え事に集中しすぎたらしい。
クリムは「考えすぎはダメだな」と首を振ると、ゆっくりと歩き出した。
さて、ニライカナイに食料を買いに来たはいいのだが……。
街の恩人として名が知れた以上、視線というのは集まるものだ。
クリムは龍人だから目立つので、しょうがないところではある。
「おお、これはピーヌスくんにクリムさん……こんにちは」
「あ、どうも町長」
「そちらのお方はもしやもう一人の協力者だという……」
クリム達を見つけ、歩み寄ってくる町長。
彼はルーヴを見つめながら顎をさする。
そんな彼に、ルーヴは「その通り」と一礼した。
「ルーヴ・ルージュ、南西にあるルージュ村で村長の娘をしている」
「む……南西の村、それは……」
「そう、ウェアウルフの村だ」
ウェアウルフの村、そう言われて村長は不思議そうな顔をする。
何せウェアウルフは人間に偏見を持たれており、基本的には不干渉のスタンスを持っている種族なのだ。
そのウェアウルフが山賊退治に協力し、しかも擬態してまで街に来ている。
これは怪訝に思ってもしょうがないだろう。
「我々は基本、不干渉を貫いてきたが……山賊を退治したことからも分かるとおり、害を成さなければ友好的だ」
本当は山賊退治の理由は弔い合戦なのだが。
これ好機とばかりに人間のために山賊を退治したかのように振る舞う。
熱くなりやすいルーヴだが、この辺りは村長の娘らしい狡猾さを持っていると言えるだろう。
「これからは友好関係を作り、交易を行うなどしていけたらと思う」
「なるほど……視野に入れさせていただきましょう」
ルーヴは手の擬態を解除し、ウェアウルフとして握手を行う。
町長もまた、その手をしっかりと握り返した。
もしかすると、これからはニライカナイを擬態していないウェアウルフが堂々と歩き、偏見のない街になっていくのかもしれない……。
しかしそれは、きっとまだ先の話なのだろう。
一時間後、買い物を終えた帰り道……。
大量の肉と野菜を抱えて歩く三人だったが、ふとピーヌスは疑問を口にする。
「そういえば……ウェアウルフは料理ってどんなものを作るの?」
「基本は串焼き料理だけだな、塩をまぶしたものを食べる」
ルージュ村よりもさらに南には、漁師が住む小さな村があるという。
そこでは塩の価値が低いため、安値で調達できるのだ。
狩猟した獲物の骨や毛皮を加工してできた装飾品、それを交易商に売って得たお金を使い塩を購入する。
そして、それを狩猟で得た肉にまぶして焼く。
実にシンプルな流れだ。
「そういうピーヌスのところは?」
「私の住んでた村は牛がいたから、シチューをよく作ってたわね」
「シチュー?」
「牛乳をベースに野菜や肉を煮込んだやつ、パンに付けると美味しいのよ」
二人の会話を聞きながら、クリムはシチューの味を想像して目を細める。
今までは殆ど血の味しか感じたことがなかったので、シチューの味が思い出せないのだ。
せっかく味覚が正常に戻ったのでまた食べてみたいところではあるが。
それもいつになることやら……といったところ。
そんなことを考えていると、突如誰かがクリムにぶつかった。
「うわ……!」
「おっと、申し訳ないッス」
蓮っ葉な口調の少女だ、年の頃は17歳くらいだろうか。
茶と黒のツートンになった髪に金色の瞳をしており、頭には猫の耳……下肢には猫の尻尾が生えている。
明らかに人間ではないことは確かだろう。
「アンタは……ウェアキャットか、こんなところで擬態までして何を?」
「ん? おお、ウェアキャットをご存じなんスね?」
ルーヴ曰く、ウェアキャットはニライカナイより東方に存在する国家に住まう一族。
ここまで来ることはまず無いらしい。
確かに、ルージュ村方面は西側なので正反対だ。
「いや、話すのも恥ずかしい話なんスけど……とりあえず、アタシはこういうものッス」
「あら……? えーと、傭兵ガットネーロ・ヌッラ……?」
「ははは、今は戦争も終わって雇い主に首を飛ばされた根無し草ッスけどね」
傭兵、そう言うだけあってガットネーロは弓を背負っている。
体格もよく見れば中々に引き締まっていて、しなやかながら筋肉質だ。
まさに猫とでも言うべき、柔らかな筋肉……そんな言葉が似合うだろう。
「で、その根無し草が何を?」
「んー、色々目的があってこっちで傭兵してたんスよ、でも首になったし、じゃあ故郷に帰ろうかなあって、けど最近何も食べてなかったッスからね、ふらふらになってどかっとぶつかったわけッス」
かんらかんらと笑いながら、腹を鳴らすガットネーロ。
その様子にルーヴは額を押さえる。
「呆れた……よくその体調で帰ろうと思ったな、アンタ達の住む猫又之国は……」
「私の故郷、テルメ村よりもっと向こうじゃない……歩きで一週間はかかるわよ」
「ははは、そッスねえ、でも仕事がなければ金もないですし、せめて故郷に骨を埋めたいなあと思ったら歩くしかないじゃないッスか」
ここで餓死するくらいなら……ということなのだろう。
ガットネーロは明るく笑っているが、どこか危うさを感じる。
この場にいる誰もが、そう思っていた。
「しょうがない……あたし達と来るんだ、料理を食べさせてやる」
「わあ、良いんスか? じゃあお言葉に甘えるッス」
お言葉に甘える、そう言いながらガットネーロは笑顔でふらっと地面に倒れる。
どうやら、よほど限界が来ていたらしい。
「私が運びますね」
「ああ、よろしく頼む」
ガットネーロを担ぎ上げながら、クリムは息を吐く。
少し歴史が違えば、この少女は誰とも出会わずに餓死していた。
しかし、今はこの出会いにより餓死を免れている。
運命を変えるというのはこういうことだ。
こういった小さな積み重ねこそが……将来的に死を免れるために必要になるのだろう。
数時間後、ルージュ村にて……。
ガットネーロは肉の焼ける匂いで目を覚ました。
まるで誘われるように外に出ると……外には酒宴を行うウェアウルフの群れ……。
寝起きなこともあり倒れる前の記憶が曖昧だったガットネーロは、自分がこれから食事にされるのではないかと考える。
「猫の肉は臭みがあって美味しくないんだけどなあ……」
頬をボリボリと掻き、のんきなことを言いながら腹を鳴らすガットネーロ。
その肩が、唐突に捕まれる。
「ん?」
「起きたか、ガットネーロ」
「あ、その声は覚えがあるッス……そっか、あの時は擬態してたんスね」
肩を掴んだのはルーヴだ。
自分達の肉が焼けたため、呼びに来たのだろう。
その姿を見てガットネーロも、自分が何故ここにいるのかを思い出したようだ。
「食べ頃だぞ、早く行こう」
「いやあ、ありがたいッス、でもどうしよ……アタシは出せるお金ないんスよ」
「別に良いさ、困ってるんだろう、食べていけ」
「マジッスか……? へへ、どうもッス」
お金はいらない、そう言い切ったルーヴにガットネーロは安堵した顔を見せる。
そして、擬態を解除するとガットネーロもまた本来の姿である獣人に戻った。
黒と茶色の毛並みがない交ぜになった、ツートンカラーの猫獣人だ。
この形態だと、身長も少し小さくなるらしい。
「ルーちゃん、ガットちゃん、こっちこっち!」
「ああ、今行く!」
立ち上がって手を振るピーヌス。
その隣で、クリムは既に焼いた肉を食べ始めていた。
肉の濃い味、にじみ出る肉汁、そして辛すぎない絶妙な塩加減……。
全てが絶妙にマッチしている、良い串焼きだ。
(美味しい、鹿肉……美味しい!)
肉をむさぼり、心躍らせるクリム。
その脳内年齢は興奮のあまり若干低くなっているようだ。
「良い食べっぷりだ、ガットネーロ、アンタも食べて良いぞ」
「はーい、へへへ、ほんとありがたいッス」
笑顔で串焼きを食べ始めるガットネーロ。
息で冷ましてすらいないが、どうやら平気らしい。
その様子を見ながら、ピーヌスもまた笑顔になる。
「ここは良いところね、みんな笑顔で暮らしている」
「だろう? ピーヌスの故郷は?」
「寂れた田舎よ、温泉があるからたまに旅人が寄るかな、って程度」
串焼き野菜をよく冷まし、頬張るピーヌス。
テルメ村は本当に寂れた田舎なのだろう。
だが、それでも遠くてニライカナイまでしか行ったことがないルーヴには新鮮な話だ。
「温泉か……行ってみたいな、あったかいんだろう?」
「名所になるほどじゃないけど良いものよ、地面から噴き出たお湯でできてるの、浸かると疲労とかが回復して……」
ピーヌスはそこまで言い、ふとガットネーロを見る。
小さな温泉があるだけの田舎と違い、猫又之国は温泉地として有名なのだ。
温泉と黄金の国、秘境猫又之国。
一度入れば出たくなくなる理想郷。
また猫又は基本メスばかりが生まれるため、桃源郷とも呼ばれているのだ。
「ねえガットちゃん、あなたの故国って温泉地よね?」
「そうッスよ、よく長湯しすぎて親にのぼせるって怒られたッス」
「あはは、そうよね!」
温泉地生まれどうし、温泉話で盛り上がるピーヌスとガットネーロ。
その姿を見ながら、クリムは自分には語れるような故郷の思い出はまず無いという事に気付いてしまった。
病院の中での楽しい思い出など、莉子と遊んだり話したりしたことと、シャングリラ・オンラインを眺めていたことくらい。
この村や温泉地のような、場所特有の話などしようがないのだ。
「そういえば、クリム……アンタの故郷は?」
だが、当然こうなれば話の流れはクリムに向いてくる。
クリムはどう話したものか……と頭を抱えそうになった。
だが、その時……。
「ええと、故郷で私は……洞窟に、いた……狭い洞窟に、力が大きいからと閉じ込められて……それで、ある日外に出た……明るい世界、青空が広がり、火山があって、暖かな気候が続く世界に……」
ふと、頭の中に自分が知らない情景が、自分が設定した内容を遙かに超えるクリムゾンフレアの過去がよぎった。
生まれてすぐ洞窟に閉じ込められたこと。
そう仕向けた父王に復讐し、女帝となったこと。
しかし政変を狙う逆賊に転移の魔法をかけられ、この世界に飛ばされたこと……。
知るはずなどない、クリムゾンフレアの記憶が脳内にあふれ出す。
「へえ……常にあったかい世界ね、それはいいわ、私寒いの苦手なのよ」
「だな、温暖な気候は良い、森が潤う」
盛り上がる二人をよそに、クリムは自分の記憶に戸惑う。
何故、自分はこんな事を知っているのか……。
これが魂が龍に……クリムゾンフレアに近付いていくということなのだろうか。
果たして、これがどういうことなのかは分からない。
だが……脳裏によぎった景色には、確かに懐かしさが有った。
実感を伴う感覚……それによる、自分は確かにそこにいたのだという実感。
クリムの五感の全てが、龍の世界を覚えている。
家臣、民、逆賊、両親……その全てをだ。
「そうだ……故郷のことで、一つ思い出した、明日以降の予定はないと聞いていたんだが、なら夜更かしに付き合ってくれないか?」
「夜更かし?」
困惑するクリムをよそに、ルーヴは酒を飲み干して問いかける。
どうやら、何かしたいことがあるらしい。
「実はな……この村の先に小さな遺跡がある、一度行ってみたいんだが……この村ではみなあの遺跡を恐れていてな、あたしも一人で行くには怖いんだ」
「なるほど、だから土着の迷信を気にする必要がない私達に頼んだのね」
ルーヴの提案に、ピーヌスは乗り気だ。
未知を知ることを仕事にしていると言っているだけはある。
「いいわよ、遺跡なら私も良い修行になるかもしれないからね、クリムちゃんは行く?」
「えっ、あっ、はい、分かりました!」
急に話を振られたもので、クリムはついつい「分かりました」と言ってしまう。
もちろんなにも分かっていない。
徹頭徹尾話を聞いていなかった。
「よし、じゃあ三人で行きましょっか!」
「あ、ついでにアタシもいいッスか?」
「ああ、じゃあ4人で行くか」
困惑するクリムをよそに、盛り上がる3人。
彼女達を見ながら……クリムは、人の話はしっかり聞かないといけない……そう心に刻むのだった。