第五十二話 七頭十角の粘体
神はその用途に基づき、多種多様な被造物を生みだした。
人を裁く者、人を見守る者、人を導く者、人に試練を与える者……。
それを人は、時に天使と呼び時に悪魔と呼ぶ。
彼らはどちらかといえば悪魔という呼び名を好み、そちらを主に名乗っていた。
間諜の悪魔サキュバス、現在はカペル・ルクスリアと名乗る彼女もその一柱。
神が人間を探るために生みだした存在である。
「ああ、くだらない……」
かつての彼女は、人に価値を見出していなかった。
人を探るため神が与えし魅了の力、それに流されて靡く男達。
何故そんな低俗な者達に、造物主より授けられた神威を振るわねばならぬのか。
いっそ希死念慮の神である造物主のように人間を殺せる力が欲しい。
魅せる力を持つが故、それに魅せられる者を見下すよう作られた彼女は、ずっとそんな気持ちを抱いていた。
そんな彼女には対となる被造物がいる。
見せる力、という恐れられるための能力を持つ者……投影の悪魔だ。
人型の範囲であれば人間から獣人まで思うがままの間諜の悪魔と違い、投影の悪魔は決まった形状を持たないスライムのような粘体生物。
代わりに自分の姿を好きなように見せる擬態の力を持っており、それを用いて人間に教訓を与える使命を持っている。
なので、見える姿に関しては自由自在に弄れるのだが……。
だが……それでも、固形を持つ者への羨望は尽きない。
「そうかなあ、人間って……固形があるだけで凄いと思う」
「何言ってるの? 主に整備して頂いたら? エラーが出てるんじゃない?」
人間を見ているうちに人間に憧れるようになった投影の悪魔。
人間を見ているうちに人間を見下すよう作られた精神がより強くなった間諜の悪魔。
互いは互いに理解しあうこともなく、平行線の会話を続けていた。
そして彼らは決まって、最後にこう締めるのだ。
「七頭十角様ならどう思われるのかしら……」
「そうだね、七頭十角様のご意見も伺ってみたいかも」
偉大なる七頭十角の悪魔、全ての悪魔の源流とされる最初に鋳造された存在。
全ての悪魔が畏敬を抱き、一部の若い神すら敬意を払う悪魔。
会いにいける存在というわけではないし、面識があるわけでもないのだが、それでも彼ならばきっと的確な判断をするだろう。
悪魔は皆、そう思っていた。
(……懐かしい夢だな、そういえば……裁きが始まってからアイツには会ってない、アイツはどうしてるんだろう)
寝ながら過去を思い返しつつ、カペルは息を吐く。
投影の悪魔は戦闘力を殆ど持たない個体、不意打ちで相手を溶かすならまだしも正面切っての戦いなどまず不可能。
そうなれば爆弾一つで蒸発させられてしまうはず。
なので死んでいる可能性が高いが……だが悪魔の魂は不変、死せどそのままだ。
しかし肉体の再組成を望まないことは出来る。
無論、明確な個我に目覚めていない者はそんな事をしないのだが。
だが投影の悪魔は確実に個我を持っていた。
もしかすると自分の容姿を嫌うあまり、再誕を拒んだ可能性もある。
だとすれば……もったいないな、とカペルは再度息を吐く。
せっかくの姉妹、同じ神により鋳造され女としての個我に目覚めた存在どうし。
なら、積もる話でもしたい……。
そう考えながら、カペルはもう一度眠るのだった。
北海西部の離島……。
そこには一人の悪魔が居た。
かつての裁きの際、彼女は戦いに参加することとなりその命を落とした。
そして再誕するとき……彼女は言ったのだ。
「次はどうか、戦う必要性がない使命をお与えください」
願い叶って、彼女は戦いなどない使命を得た。
前の世界における、人間に学びを与えるという使命とはまた違う使命。
新たな世界で、獣人達に擬態魔法の使い方を教える仕事だ。
もしかすると、これは恐れられ続けてきた彼女への神々なりのお礼だったのかもしれない。
何はともあれ、彼は平和に生き続けていた。
しかも粘体である肉体も少しアップグレードされて、粘体形態と望む形状での半固形形態になれるようになったのだ。
半固形形態での見た目は他生物との差異もなく、まさに至れり尽くせりだったのだが……。
しかし、それでも問題はあった。
悪魔である彼女に老いはない、そもそも作った見た目なので当然とも言える。
世界各地の獣人に擬態を教えるという行脚の旅を終えた後、定住地を決めた彼女に待っていたのはその問題だ。
「ねえ、あの子全然老けないね」
「そうね、いつまでも小さいまま……ちゃんと栄養を取ってるのかしら」
そのひそひそ話で彼女は自分が周囲から見ると異常であることに気付く。
そして……段々と肉体が老いているように見せると決めたのだ。
背を伸ばす、大人びていくなどして姿を変えていく……。
しかし、彼女は自らの肉体を美しく作りすぎた。
ある日のことだ、彼女の暮らしている町を海賊が襲ったのだ。
海賊自体は大した集団ではない……。
自警団はあっという間に彼らを駆逐し、残る海賊は一人……。
そう“潜伏している一人”だけになった。
安堵し、それぞれの生活に戻る者達……。
そんな中、海賊は彼女を突如物陰に連れ込んだ。
「!? んー、んー!!!」
「へへ……動くなよ……! 綺麗な体じゃねえか……!」
海賊は彼女を誘拐し、奴隷として売却する腹づもりだった。
そうすることでアジトの財宝と併せて、遊んで暮らせるくらいにはなる。
だが……同時に、一つの欲もあった。
絶世の美女として肉体を作っていた彼女に、あろうことか男は欲情したのだ。
それも仕方ないことだろう、まさか目の前の美女が人型ゼリーのようなものとは思うまい。
「へ、へへ……少し味見するだけだ」
海賊はそう言い、彼女の服を剥ごうとする。
だがそれはできなかった。
服に見えるのは飽くまで服のような形にした彼女の肉体。
引っ張っても柔らかく伸びるだけで、脱がすことは一切出来ないのだ。
「な、なんだこれ……」
「い、いや……やめて……何をしたいの……?」
それに異常と恐怖を感じると同時に、彼女もまた震えている。
実際のところ、固形を持つ生物への羨望と憧憬はあれど、彼女にはそういった生物への理解が足りていなかった。
具体的には繁殖をどうやって行うかを知らない、悪魔が神により鋳造されるようにして人間も増えると思っている節すらある。
かつてはサキュバスの相棒であったのに、そういった行為には全く興味を持たなかったのだ。
なので、生殖行為や欲情は完全に未知のもの。
わけのわからない行動に、完全にパニック状態を迎えてしまったのだ。
「い……いやあ!!」
「な……!? むご……!?」
彼女は半固形形態を解除し、完全な粘体に戻って男を包む。
そして男を溶かした。
食事を必要とする肉体でもないため、完全な反撃目的の行為……。
「い、ぎゃ、ごぼっ、ごぼ、たすけ、ごっ!!」
「怖い、怖い、怖い!!!! 怖いのは、嫌!!!」
そこに殺意がなかったか問われれば、無いとは言い切れない。
だがそれを責めることなどできないだろう。
とにかく状況が悪すぎた。
だが……悪いのは状況だけではない。
……運が悪いことに、この時の声を街の住人が聞いていたのだ。
「な、なんだ……!? うわあああ!!! 化け物、化け物が人を食ってるぞ!」
「え……!? ち、違うんです……!」
慌てて半固形形態に戻るがもう遅い。
粘体から人型に戻る姿を見られてしまったのは失策だった。
本来はこのまま逃亡し、折を見て人型に戻るのが一番だったのだが……。
パニック状態の彼女にはそこまで判断するのは無理だったのだ。
「ひ……! 怪物が人型になった……! や、やつは潜伏して人を喰うチャンスを狙っていたんだ!」
「え……!?」
逃げ惑う町民……。
彼らに、彼女は襲いかかってきた海賊を正当防衛で倒しただけだと弁明する。
だが、海賊は既に溶解して顔の判別も付かない。
運が悪いことに街では海賊による行方不明も起きていた。
それ故に、全ての罪を彼女が背負うことになってしまったのだ。
「やめて、やめてください……!」
粘体の体は剣でも槍でも痛みなど感じない。
前の世界の爆薬や、今の世界で言う高位の炎魔法で蒸発させなければ殺すことは不可能だ。
この街に術士がいなかったのは幸運と言えるだろう。
だが……肉体に痛みはなくとも、心は痛む。
「私はずっとこの街に尽くしてきたのに、どうして……」
特別な力を行使したわけではない、しかし疲れ知らずの粘体の体を利用し、様々な雑用を引き受けてこの街のために働いてきた。
なのに、何故こんな目に遭わなければいけないのか。
どうして信じてくれない、何故酷い目に遭わなくてはいけない。
少しくらい弁明を聞いてくれても良いはずなのに。
誰も話を聞いてくれない、誰も信じてくれない。
悲しみと絶望の中、彼女はますますパニックに陥り……。
そして、また人を飲み込んだ。
「……あ……ああ……」
気付いたときにはもう遅かった。
もしかすると、生まれて初めての癇癪だったのかもしれない。
溶解した死体が並ぶ中、彼女はただたたずんでいた。
悲しい、だが粘体の彼女に涙はない。
この悲しみをどう表現すればいいのだろう、この罪をどう償えばいいのだろう。
「誰か、聞いてください、お願いします……誰か……」
誰か私の言葉を聞いて。
誰か。
繰り返す呟きに返答はない。
心が壊れそうになる中、彼女は何度も誰かを呼び……。
しかし、答えてくれる誰かはいなかった。
炎魔法を行使できる術士がいなかったのは幸運、と言ったが……。
むしろ、術士がいれば罪を背負う前に死ねたのなら……。
術士がいなかったのは……むしろ不運だったのかもしれない。
「誰か、私の懺悔を、私の懺悔を聞いて……!」
声を上げるが返事はない、誰も答えてくれない、誰も聞いてくれない、誰も。
そんな絶望の中、彼女は塞ぎ込み……。
やがて、自分は誰にも会っちゃいけないやつだったんだ、自分はクズだ……と思うようになった。
そして自ら牢に入り、半固形形態となった体を牢へ繋いで閉じこもるようになったのだ。
七角十頭の見た目になった彼女を、訪れた人々は「きっと恐ろしい怪物に違いない」と放置して逃げていく。
その声を聞く度に彼女は「そうだ、私は恐ろしい怪物なんだ」と自嘲する。
そうして1000年の時が流れ、かつて街だった場所は住人達の来世も寄りつかぬ遺跡になり……。
そうそう訪れる者もいまい。そう考えていたときだ……彼女がこもっている牢屋の扉は、また開かれた。
「誰だ……私はこの地を滅ぼせし者……近寄れば、お前達も滅ぶことになる……去れ」
牢屋に入ってきた龍人二人は、じっと見つめ合う。
そして……個室の扉に手を伸ばした。
「聞いていなかったのか……死ぬぞ」
「警告を出して……ずいぶんお前は優しいのだな」
「何……?」
龍人の言葉に、彼女は訝しげな顔をする。
違う、優しくなんかない。
ただ一人で居たいだけだ。
そうしないと誰かを傷つけてしまう、そしてまた自分も傷つく。
そう言いたかったが、言葉が出てこない。
長らく一人でいすぎたからだろうか。
「優しくはない……己のためだ」
「己のため?」
「私は人喰いの罪を犯せし者……外に出ればまた同じ罪を繰り返す、故にここに居続ける、それが罰……」
「なるほど……贖罪で許されたいか」
許されたい、図星の言葉に彼女は黙り込む。
そうだ……許されたい、だからこそここに居る、己の為に。
しかし龍人は首を左右に振ると「それは違う」と口にする。
「命を奪ったことを悔やむのであれば、奪った命の分生きるべきだ」
「何……?」
「ここで惰性の反省を繰り返すだけなど生きているとは言わない、それは奪った命を冒涜している……それでは許される日は来ないだろう、違うか?」
奪った命の分生きる、それこそが贖罪であり、惰性で閉じこもっているのは奪った命への冒涜。
逃避でしかない。
龍人の言葉を、彼女は否定できなかった。
図星だったのだ、自分でも内心「これは何の償いにもならないのではないか」と繰り返してきたのだから。
「だが……言ってみろ、償うなら何をすればいい、何をすれば償える?」
「それを見つけるのもまた償い……我はそう考える、少なくともここで思考を停止して閉じこもるのは、奪った命への償いでも何でもないはずだ」
償い方を見つけるのもまた償い。
そう言われ、彼女は考え込む。
そこに龍人はドアを開けて歩み寄り、手を伸ばした。
「もし共感するなら……一緒に事を為さないか?」
「……一緒に、か……」
誰かと一緒に何かをするなど、何年ぶりだろうか。
あの日々を思い出すと、流れもしない涙が出そうになる。
真の償いを探すのならば……1000年の惰性を終わらせるときが来たのかもしれない。
「……分かった」
重い腰を上げ、彼女は粘体に戻る。
これには龍人達も驚愕したらしい。
そんな彼女達へ、体の一部を伸ばし……彼女は手を掴む。
彼女なりの握手だ。
「私は、アルマ・アスル、かつて人と居たときはそう名乗っていた……まだ何をすればいいか分からないが、何かしてみようと思う、よろしく」
挨拶をし、かつて使っていた半固形形態……薄青の髪を持つ美女の姿になるアルマ。
ここから……彼女の新しい時間が、真の償いが始まろうとしていた……。
まずは償い方を見つける。
先は長いな、とアルマは天井を見上げるのだった。




