外伝 湯煙慰安奇譚 ラクエウスは見た! 中編
「はあ、湯船って……良いなあ、疲れが吹き飛ぶよ……」
湯船に浸かりながら息を吐くユウリィ。
考えることをやめて静かに過ごす時間のなんと安らぐことか。
湯浴みというのはこれだからやめられない。
「ほらウルス、体流すぞ」
「う!」
一方、女湯は中々賑やかに過ごしているようだ。
ルーヴがウルスの体を流し、ガットネーロは湯船でラクエウスと会話し……。
そんな彼女達を、クルテルは電気風呂を堪能しながらじっと見ている。
「うー!」
「どわっ! 飛び込んじゃだめッスよー?」
体を洗い終えたウルスが湯船に飛び込む。
それを笑って見ながら、ルーヴが湯船に入ってきた。
そんな彼女の姿をラクエウスはじっと見る。
「なんだじろじろ見て、恥ずかしい」
「いえ……思ったのですけど、お二人は長毛種獣人ですわよね」
「そッスね、綺麗な毛でしょ」
ウインクするガットネーロに、ラクエウスは「うんうん確かに」と頷く。
しかし、湯船に浸かった二人を見て、少し笑みを浮かべた。
「でも……失礼ですけど、今までわたくし獣人の方と一緒にお風呂に入るのは短毛種ミノタウロスのプラケンタや羽毛が堅いソヌス達だけでしたわ、だから二人の姿に……凄い違和感が」
「へ?」
呆気にとられるルーヴ。
その姿を見ながら、クルテルも静かに頷いた。
「なんというか……長毛種は、風呂に入ると別人になるわね」
「そういうことか……」
長毛種だらけの一族で暮らしていたルーヴや、そもそも気にしていないガットネーロはともかく……。
慣れがないクルテルやラクエウスには、どうも珍妙に見えてしまうのだ。
「笑い物にされるのは不愉快だな、久々に擬態するか……」
「お、じゃーアタシもするッスかねえ」
若干苛立ち気味に擬態するルーヴ。
ついでに、特に気にもしていないが何となくで擬態するガットネーロ。
二人の姿が、見る見るうちに人間のようになっていく。
とはいえこれは飽くまで変身ではなく擬態。
魔力を使って視認される情報を弄っているだけであり、実際には獣人のままなのだが。
「これで良し……久々だと違和感があるな」
黒髪に褐色肌の女性、そんな姿になるルーヴ……そして茶と黒のアシンメトリーヘアに金の目を持つ少女になるガットネーロ。
ただ耳や尻尾はそのままだし、触ったときの触感もふわふわだ。
その辺りは、飽くまで視覚を弄っているだけで位置の調整や触覚の操作ができるわけではないというのが如実に表れているだろう。
「これでどうだ」
「おお……違和感ありませんわね」
胸に布を巻きながら問いかけるルーヴに、ラクエウスが驚嘆する。
何気に、胸から下の毛の中に本来なら存在する3個目4個目以降の乳首も消えているなど、中々の気合いの入りようだ。
しかしこうも胸を張っているのは、中々に面白い。
よほど自分の擬態力が誇らしいのだろうか。
「私も久々に姿を変えようかしら」
「ん? クルテルちゃんもッスか?」
「魂を取り込んだときみたいなサイズにはもうなれないけれど、このままのサイズで怪獣形態になるくらいだったら……」
カペルが聞いたら「周りが正気を失うからやめなさい」と怒られかねない発言をし、口元をさするクルテル。
その真意はよく分からない。
だが……。
「楽しい、ね……」
「ん……? ええ、そうね……良い思い出になってるわ」
隣に泳いできたウルスに言ったこの一言。
結局これが全てなのかもしれない。
……と、その時だ。
「ひやああああ!?」
男湯から突如響く悲鳴。
それに反応し、ウルスが目を見開く。
彼女は一気に跳躍すると、そのまま敷居を飛び越えていってしまった。
「あ、おい! そっちは男湯だぞ!」
ルーヴが止めるがウルスは止まらない。
そして……。
「ユウ、リィ……! どうか、した……?」
「あ、う、ウルスちゃん……! 今、なんか変な影が……っ!? ぎえええええぇぇぇ!? なんでこっちにいるの!?!?!?!?」
再度、大きな悲鳴が響き渡るのだった。
その声を聞きながら、クルテルは笑みを浮かべる。
そして……。
「ああ、本当に……お姉様がいないのは残念だけど……それでも良い思い出になる」
静かに呟き、肩まで湯船に浸かるのだった。
「はー……染みるな、雪国の温泉ってぇのもまた格別だ……ソヌス達もエアフォルシェンで待たせるんじゃなくて、連れてくりゃあ良かったな」
「オレはよその温泉を知らないが、雪国と他ではそうも違うのか?」
「ああ、なんというか……猫又之国で言うとこの風流っていうのか? そういうもんがある、勿論他国の温泉も違った風情が楽しめるんだがな」
その頃、北部ではケラスス達も温泉に入っていた。
視界の先に広がる白一色。
それを眺めながらの入浴というのも、また乙なものだ。
酒が欲しくなるほどの安らぎ……。
そして、体の芯から温まる充足感。
それらを満喫していたところで……ふと、ルーチェがワルトの話を思い出す。
「そういえば、あれ言わなくていいんですか?」
「ああ……あれか」
「ん? どれでぇ」
どれだどれだと聞かれては、答えないわけにもいかないだろう。
水を差すことにならなければいいが……と考えながら、ワルトは息を吐く。
「ここの宿は出るらしい」
「出る? 何が」
「霊だ」
霊、その言葉にケラススはキョトンとする。
しかし……少しすると、話を理解して笑みを浮かべた。
「なんでぃ、その歳で霊なんざ信じてんのか?」
「いや……単純にお前が気にするようだったら……というだけだ」
「はっ、ないない! もう24だってぇんだ」
24、何気にこの面々の中では一番の年下である。
そのことを不思議に感じながら、ルーチェは雪降る空を見上げる。
真っ黒な夜空から注ぐ真っ白な雪。
山住みとはいえ、雪が降るほど標高が高いわけではない場所で生きてきた彼女にとっては、少し不思議な光景だ。
「だいたい……ガキの頃ならまだしも、今は霊よりも生きてる人間の怨念のが……なあ?」
「……何よ」
視線を感じ、ルーチェは口をすぼめる。
明らかに不機嫌そうな表情だが、それが面白い。
「別に、霊なんざ所詮は現世に干渉出来ない存在だ、でも生きてる人間には刺されることも殺されることもある、ならそっちの方が怖いだろ、ってえだけよ」
ケラススの言うことには一理ある。
だが、それは飽くまで霊が現世には干渉できないという前提での話だ。
ではもし、霊が現世に干渉できるとしたら?
そう考えて目を細めるルーチェ。
その時だ……。
彼女の後ろで、ドサッと音がした。
「きゃ、きゃあああ!!!」
「む……」
思わずワルトに抱きつき、震え上がるルーチェ。
その頭を撫でながら、ワルトは首を左右に振った。
「安心しろ、ただの雪だ、木から落ちたらしい」
「な、なんだ……雪……雪かあ……」
脱力してもたれかかるルーチェ。
その様子にケラススもワルトも思わず笑顔になってしまう。
何を笑っているんですか、と言いたかったが……。
その力も出ないので、ルーチェはただただ脱力し続けるのだった。
「で……見たと、何か動く影を……?」
「は、はい……」
風呂上がり、宿の居間にて……。
震え上がるユウリィから説明を聞きつつ、ルーヴ達は眉をひそめる。
不審者が居たというのはいただけない。
それはもう、宿全体の安全問題だろう。
「覗きでも出たのかしら」
「かもな、とりあえず警備を増やすようにガットネーロのツテで……」
ルーヴがそこまで言ったところで、ラクエウスはポンと手を叩く。
そして部屋に入ったばかりの時に見たものを思い出した。
「そういえば! わたくし見ましたの……!」
「え? 風呂を覗き見た?」
「じゃないですわよ! 何が悲しくて覗きなんて惨めな真似しますの!? というか一緒に居たでしょうが!」
話をちゃんと聞いていないルーヴに、ラクエウスは憤慨する。
しかしいつまでも憤慨していては話が進まない。
なんとか心を落ち着けると、ゆっくり説明を始めた。
「実は……部屋についてすぐ、窓の外に変な影があって……でも窓を開いたら、そこには誰も居ませんでしたの!」
「何……?」
「その時は、幽霊の正体見たり枯れ尾花と言われて納得しましたけど……あれはきっと、ふし……」
不審者、そう言おうとするラクエウス。
だがその言葉は最後まで紡がれなかった。
ガットネーロが割り込んだのだ。
「たーたーりーじゃー……!」
「えっ!?」
「たたりッスよ……霊の噂は本当だったッス……!」
どこから取り出したのか蝋燭で顔を下から照らし、低い声を出すガットネーロ。
その様子に、一同息を呑む。
「な、なんだ霊の噂って……例の噂の間違いか?」
「いやいや、ゴーストの霊ッスよ……今思い出したッスけど、この場所は曰く付きの土地なんスよね」
曰く付き、実におどろおどろしい響きだ。
そう言われては、否が応でも身構えてしまう。
いったいどんな曰くがあるというのか、そう考えながら誰かが生唾を飲み込んだ。
「かつてこの場所は東の未開地から流れてきた猛獣に困っていたらしいッス」
「猛獣……」
「しかしある日、そのリーダーの番を捕らえた狩人は番を人質……いや虎質に取り、リーダーをここへおびき寄せ……そして殺した」
それはさぞ無念が残る死に様だったことだろう。
誰もが同情し、虎を哀れむ。
無論生存競争である以上仕方がないし、手段を選ばないのも至極当然のことなのだが。
それでも、悼まずにはいられない。
「その後、虎の怨念は地上に残ったッス……そりゃそうッスよね、愛を利用されて妻ともども殺されて、成仏なんてできるわけがない」
「……つまり、出る霊は……」
「ええ、霊は生物に干渉できない……でも物には干渉できる、だから八つ当たりのように物を揺らして人間を怖がらせると……」
そこまで語り、ガットネーロは蝋燭を消す。
そして、沈黙が流れた……。
その沈黙を断ち切ったのはルーヴのため息だ。
「……馬鹿馬鹿しい、良いから警備を増やすように言いに行くぞ、大方霊の噂に乗っかった不審者だろう」
「はーい、ノリ悪いッスね」
ルーヴに引きずられていくガットネーロ。
彼らを見送った後、ユウリィは縮こまって震えながら一礼し、無言で部屋へ向かう。
ウルスも一緒だ。
その後を追うように、クルテルも「アホらし」と言い残して行ってしまった。
居間にはラクエウス一人だけ残される。
その状況が少し怖かったので、ラクエウスは部屋へ戻ろうとするが……。
その時、彼女の後ろで物音がした。
何かが落ちた音だ。
「……? こ、これは……!」
どうやら落ちたのは、小型の書棚のようだ。
サーペンタインから取り寄せた一級品であるこの書棚は、そう易々とバランスを崩し勝手に落ちたりなどしないだろう。
落ちることがあるとすれば……それは誰かが落としたときだ。
「ま、まさか……そんな、はは……ありませんわ、ポルターガイストなんてない、ないはずですわ……」
呟きながら、書棚を戻すラクエウス。
しかし彼女は、滝のように噴き出る汗を止めることが出来なかった。




