第三十一話 始まりの日
「はあ、やっぱ温泉って良いわね……」
「ですねえ……心洗われるって感じがします……」
テルメ村で朝を迎えるのはこれで二度目となるが、温泉はやはり良いものだ。
そう考えながら、クリムはのんびりと息を吐く。
そこへ、女将……つまりピーヌスの母がやってきた。
「長湯するとのぼせるわよ」
「大丈夫よ、龍はのぼせないもの」
「そういうことじゃなくて、遠回しにもう食事の時間だって言ってるんだよ、家に戻ってきな」
踵を返す母に、ピーヌスは「だったら素直に言えばいいのに」と呆れかえる。
そして湯船から出ると、クリムへ手を伸ばした。
お湯に濡れた鱗が光を反射し、とても美しい……。
思わず見とれてしまいそうだ。
「ええ、行きましょっか」
なんとか平静を装い、クリムは立ち上がる。
本当に平和な朝だ。
この時間が永遠に続けば良いのに、と思ってしまう。
しかしそうも言っては居られないだろう、行くと言ってしまった以上、行かなければ失礼だ。
そんなことを考えながら周囲を見ていると……ピーヌスが気持ちに気付いたのか、クリムを抱き寄せる。
「また来れば良いのよ、謁見が終わったら帰ってきてお風呂にしましょ」
「ですね!」
笑い合い、二人は脱衣所へ向かう。
この時間が、本当に心から幸せだ。
それを噛みしめながら、二人は家へ帰宅するべく体を拭い、衣類を纏う。
そんなことをしていると……廊下から声が聞こえてきた。
「じゃ、行ってきますわ、最高の成果を期待してくださいませ、んぉーーっほっほっほ!!!」
「おう、よろしく頼んだぜ」
どうやらラクエウスがどこかへ向かうらしい。
その様子を見ながら、ピーヌスは首をかしげた。
「あら、別行動?」
「おう、ちょっとした野暮用ってやつでな」
問いかけるピーヌスに、ケラススが手を上げる。
しかし顔はこちらを向いておらず、どんな表情かはうかがい知れない。
果たして雇用主に言わず進める野暮用というのがなんなのかは謎だ。
しかし、クリム達にとってケラススは契約上の主従と言うよりも旅仲間という側面が強い。
なので、まあこんな事もあるかとスルーしてしまった。
何をしに行ったんだろうね、などと話しながら二人は家へと戻る。
そして朝食の席に着いた。
実にのんきなものだ。
「ねえ母さん、今日のシチュー味薄くない?」
「は? いつも通りだよ、調味料の配分もレシピ通りだって、外の世界で濃い味のものばっか食べたからじゃないのかい?」
ピーヌスと母のやり取りを見ながら、クリムは念願のシチューを頬張る。
あったかくて、もう心が煮込まれた芋のようにとろけてしまいそうだ。
こんなに幸せで良いのだろうか、とすら思ってしまう。
もしこの先生きられれば、この村での穏やかな幸せを一生得られるのだ。
そう思うと、涙すら出かねない。
「そういえば父さんは?」
「弁当持ってもう仕事」
「早いなあ」
風呂に出たときはまだ居たが、帰ってきたら既に出かけていた父。
そんな彼の真面目さにピーヌスは舌を巻いて感心する。
農家に妥協は許されないと父は言っていた。
曰く、農業は自然との根比べらしい。
動物、虫、土壌、天候。
様々なものが一つの軸の変化で違う結果をもたらす。
故に中々気が抜けないという。
(次に来た時には、農業の話とかいっぱい聞きたいなあ)
ピーヌスは退屈そうにしていたが、クリムは農業の話がとても面白いと感じていた。
大変な仕事ではあるが、いつか戻ってきたら農業を手伝うのも良いかもしれない。
そう思うくらいだ。
(ま、でも何はともあれ……生き残ってから、だよね)
クリムはそう考え、シチューをかき込む。
そして、お皿を机に置くと丁寧に手を合わせた。
今はとにかく、目先のことを優先しよう、先を考えるのはこれからだ。
「お、クリムちゃんやるきたっぷりって顔ね」
「はい! いっぱいやりたいことがありますから!」
微笑むピーヌスに、クリムも笑みを返す。
こうして……テルメ村の朝は穏やかに過ぎていった。
まるで、クリムが幼少期に手に入れられなかった時間を与えるかのように。
はたまた、莉子との幸せな時間を取り戻すかのように、だろうか?
しかし始まったものはいずれ終わる。
やがて、旅立ちの時間が来た。
「じゃ、改めて行ってくるわ、母さん! 父さんにもよろしく!」
「はいはい……まったく、今度はすぐとんぼ返りするんじゃなくて、やることやりきるんだよ!」
「はーい」
「じゃ、じゃあ……お母さん、私もお世話になりました」
「ええ、馬鹿娘をよろしくお願いしますね!」
笑いながら手を振る母に、ピーヌスは「バカじゃないっての!」とぶーたれる。
しかし母はそんなことお構いなしだ。
この辺りは年の功だろう。
まだまだピーヌスでは母には敵わないのだ。
ピーヌスもそれを理解しているからか「いつか母さんを口で負けさせられるくらい立派な大人になってやる」と内心意気込む。
その決意を胸に、ピーヌスは飛び上がった。
それに続いて、クリムも飛び上がって手を振る。
そんな二人を、母は手を振りながら……見えなくなるまで見送っていた。
そこからの旅路は、まさしく順風満帆。
行きの慌ただしさは何だったのかと思うほど、トラブルなく馬車は進んでいった。
ラント村を通り、メルクリアへ着き、封鎖解除がされたキケロ大橋を通りコキュートス運河を越える。
あっという間の数日を経て……一行はニライカナイに辿り着いた。
「これは、クリムさん! なんだか久しぶりですな」
「あ、町長さん! どうも!」
「そちらの同族の方は?」
「私よ、ピーヌス」
「えっ、ぴっ!? えぇ!?」
街を通る一行を見て、町長が声をかけてくる。
その姿を見ながらクリムは懐かしい気分に浸っていた。
旅の始まりからそこまで時間は経過していないはずだが……怒濤の毎日だったからだろうか。
「いったい何があってそんな事になったのですか」
「ふふふ……夢叶った、ってことよ」
「はあ……まあどうなろうともあなた方は街の恩人、何がありましたら言ってください」
上機嫌なピーヌスに、町長は内心「以前の冷静な様子は猫でも被ってたのだろうか」と思いつつ、それでもなんとか笑顔を取り繕う。
そして、笑顔自体は繕い物だが……言葉は心からの本心で話し、頭を下げた。
その様子に、クリムはなんだかんだで喜ばしい……と感じていた。
ラント村で人の悪意に触れたせいだろうか?
最初は手の平を返して……と思った彼らの善意が嬉しいのだ。
そう感じるのは、クリムが少し成長した証しかもしれない。
「なんかこういうの……あったかいですね」
「ふふ、そうね」
笑い合いながら、二人はニライカナイを通っていく。
その途中、クリムに親しげに声をかける人がそれなりに居たのが少し嬉しい。
中には、ピーヌスが誰なのかを気付く者もいた。
これにはピーヌスも驚愕を隠せないといった顔だ。
その後しばらくは驚きが抜けなかったようで、そのことばかり話していたが……。
流石に、ブラエドに着く頃にはその顔は真面目なものに変わっていた。
「さて、じゃあ謁見……という名の直談判ね」
「そうですね……」
ブラエド王都、ピラータ……。
同じ石造りの街だが、白くて明るいメルクリアとはイメージが大きく違う。
道を歩けば貴族が何やら噂話をし、よどんだ瞳の平民が周囲を睨み付ける。
そんな中、そういう気力すらない者は道に転がり貴族に足蹴にされて……。
全体的に言えるのは、暗く重々しい雰囲気の街、ということだ。
そんな街で、マルガリタが一行を出迎える。
「お待ちしておりました!」
「どうも……」
一礼するマルガリタに、周囲の貴族がざわめきだす。
やれ「あの子を見て」だの「敵前逃亡の家系の子じゃない」などと言いたい放題だ。
中には「閑職に回されて人外とつるむなんて、国を壊す気?」と言う者もいる。
正直に言えば不愉快だ。
「何あいつら……」
「申し訳ございません……とにかくご案内を……? そちらのお二人は?」
クリム達三人を案内しようとするマルガリタ。
だが、その視線に二人……リィとウルスが止まる。
ローブで正体を隠している二人……、当然謁見予定にはない人物なので、警戒している様子だ。
「この二人は、王様に合わせるべき人物です……謁見に連れて行かせてください」
「分かりました、そこまで仰るのなら……」
渋々……といった様子ではあるが、マルガリタが歩き出す。
現在ここに居るのは、山賊退治メンバー三人と先の二人だけだ。
大罪の7姉妹とガットネーロは、謁見している間に宿を取ると言って去って行った。
一気に賑やかさがなくなり、少し寂しくなってしまう……。
だが、寂しくても謁見は待ってくれない、このまま行くしかないだろう。
意を決して歩く五人。
そんな中……ふと、一つのものが目に入る。
豪華な街に突如現れた、焼け焦げた家……。
街では珍しい木造建築と言うこともあり、目立っている。
「あれは……」
「ああ、あそこはドゥルキス家の跡です、凄惨な火事で生存者はいなかったと……」
マルガリタの言葉に、リィが顔をしかめた。
その様子にクリムは一つのことを察する。
そしてマルガリタに問いかけた。
「何人お亡くなりに……?」
「使用人十数名と、公爵夫妻、それとご子息が……」
「そうでしたか」
やはり、ドゥルキス家というのはリィの家なのだろう。
ユー・リィというのは恐らく偽名なのだ。
クリムがそんなことを確信していると……城が見えてきた。
とても立派な王城だ。
高さではメルクリア城にも引けを取らない。
「では、こちらへどうぞ」
案内を受け、謁見の間へと歩いて行く五人……。
その前で豪華な扉が開き……華美な装飾が施された謁見の間が現れた。
そこでは、一人の男が玉座に腰をかけている。
ひげが特徴である60代くらいの男性だ。
恐らく彼が王なのだろう。
「陛下、山賊退治の恩人をお連れいたしました!」
「結構、下がってよろしい」
「は!」
王の言葉を受け、マルガリタが下がっていく。
その姿を見届けて……陛下と呼ばれた男は微笑んだ。
好々爺……といった雰囲気で、とてもではないがこんな荒れた国の統治者とは思えない。
「さて、お初にお目にかかる……私がこの国の王だ」
王はそう言うと、窓の外を指さす。
そこは見事に荒れている様子だ。
「この国は荒れているだろう?」
「は、はい……」
「ここ十年の戦争、それによる大量雇用と解雇、そして貧富の差……それはこの国を変えてしまった」
目を細める王は、とても慈愛に満ちており、悪い人には見えない。
こんな荒れ果てた国ならば、王はろくでもない人物だと思っていたが……それは間違いのようだ。
「陛下……この国の現状を、貴方は憂いていらっしゃるのですね……」
「左様、とても心苦しいよ……民もみな、心を痛めて変わってしまった」
「陛下……」
この人なら話しても大丈夫だ。
そう考え、クリムはリィに目配せをする。
それに従い、リィはフードを外した。
「陛下……お久しゅうございます」
「む……その顔は……ユウェルの婚約者の」
「はい、ユウェル王子の婚約者、ユウリィ・ドゥルキスでございます」
王子の婚約者、そう言われてピーヌスとルーヴが目を見開く。
一方でクリムはやっぱりと息を吐いていた。
風呂で見たリィの……いや、ユウリィの体つきは幼く未発達だが、確かに少女のそれだったのだ。
「今までどこに? 死んだと聞き、ユウェルはとても悲しんでいたぞ」
「はっ……まずは長らく行方を明かせなかった非礼をお詫びします、そして……何があったかを今からお話ししたく」
ユウリィは跪いたまま、クレフティス家の所業を話し出す。
キメラ製造実験のため、言葉すら話せない実験動物として子供を飼っていること。
今ここに居るウルスはその被害者で、それを匿ったせいでドゥルキス家は焼かれた事実。
彼らは家を焼きウルスを回収しようとしていたが、途中から殺害にシフトし、追っ手を放ってユウリィ達を殺めようとしていたという所業……。
自分の体験したことを全て……。
それに続き、クリム達もこれまでの道程にて見たクレフティス家の所業を話す。
グシオン研究所より奪った実験動物の国外持ち出し、そしてラント村での人間羊化……。
その話を、王は興味深げに聞いていた。
「なるほど、分かった」
「陛下……では……」
「うむ、衛兵!」
王の一声に従い、衛兵達が謁見の間へ入ってくる。
そして……。
一斉に、クリム達へ槍を向けた。
「え……」
「この者達は国家の機密に触れた、全員始末せよ」
唖然とするクリム達。
先ほどまでの好々爺とした態度とは真逆の冷徹な王に、驚きを隠せない。
だが、クリムは同時に猫又之国でした決心を思い出してブレスをためる。
いざとなれば王を殺す腹づもりだったのだ。
もう決心ができている以上、外すことはない。
だが……。
「甘いわッ!!!!」
「……!!!」
王の一喝、それと共にまるで王の背に百の顔が存在するかのような錯覚に陥る。
その威圧感に、ブレスが放てない。
それはピーヌスやルーヴも同じらしい。
ユウリィも呪文のコンセントレーションが追いつかないようだ。
ウルスに至っては完全に萎縮している。
野生の本能が危険を告げているのだろう。
絶体絶命のピンチに、クリムはもはやここまでなのかと息を呑む。
だが……。
「あらあら、楽しそうですわね!」
声と共に響く爆音。
何かが謁見の間で爆ぜたのだ。
それにより衛兵達が吹き飛び、ある者は死にある者は倒れ込む。
そしてドアが勢いよく開いた。
「んぉーーっほっほっほ!!! こっちですわ!!!」
「……!? ラクエウス・アワリティア……! 10年戦争で滅びたはずの、アワリティア家の娘!? 窮鼠風情がああああ!!!」
「わたくしとて、猫を噛む力程度ありましてよ!!」
激昂する王に舌を出し、煽るラクエウス。
そんな彼女に近寄ると……周囲からまた爆発音がした。
「魔力爆弾を城のあちこちにしかけてありますの、どこも衛兵詰め所に繋がる道ですわ、さあ逃げますわよ!」
「は、はい……!」
ラクエウスに従い、逃げていく一行。
だがクリムは振り返ると王を睨み……。
しかし、自分には奴を殺す力はまだないと、諦めて走り出す。
そんな彼女の前にケラススがやって来た。
「こっちだ!」
叫ぶケラスス。
その肩が誰かに捕まれる。
マルガリタだ。
「爆発音が聞こえてきてみれば……お前……スペルビア! スペルビア・クレフティスだろう!」
「ん!? ハッ、久しいなマルガリタ・セバス、未だクソみてえな国に忠義を尽くしてると見える」
マルガリタを払いのけ、走り出すケラスス。
その後ろから王の「奴らを追え」という怒号が聞こえてくる。
マルガリタには何が起きているか分からない。
だがここで騎士としてすべきことは彼らを追うことだろう。
「待つんだ! 事情を聞かせてくれ!」
叫び、追いかけるマルガリタ。
こうして……地獄のような追いかけっこが始まろうとしていた。
後の人々はこう語る。
この日こそが、大きな始まり……。
後の世に夏秋戦争と呼ばれる大きな戦いのきっかけになった日であると。




