第二十六話 急接近する二人
その夜……テルメ村では、二人の旅人が伸びをしていた。
ブラエドの騎士マルガリタと、洞窟住まいの学者マキャベルだ。
二人は温泉に浸かりながら、ゆっくりと空を見上げる。
「ああ、温泉は良い……実に良い」
「そうだねー、こう、疲れが落ちるよねー」
笑いながら、お湯に肩まで浸かる二人。
その隣に、宿の女将がやって来た。
どうやら、湯加減を確かめに来たらしい。
「お湯加減はいかがですか?」
「ありがとうございます、まさに万全……何一つ不満など有りませんよ」
「それは良かった」
微笑みながら、女将が口元を押さえる、
その様子はまさしく清楚。
温泉しか無いと言われているテルメ村にも、このような花があったのだ。
そう思ってしまう美熟女ぶりだ。
「お二方は旅のお方のようですが、西から?」
「うん、そうだよー、よく分かったねー」
「この村は東方への旅人が経由地に選んだりすることが多いですから」
猫又之国に近しい立地上、やはりそうなるのだろう。
女将も旅人との世間話に慣れているといった様子だ。
しかし一方で、マルガリタは少し恥ずかしげでもある。
「ははは……旅なんて名ばかりの、友人を巻き添えにしての雑用ですが……」
「ふふふ、雑用でも立派な仕事ですよ、うちの娘なんて夢のために修行をするといって、魔術の勉強に出てそれっきりです」
「魔術の勉強、良いじゃないですか、夢というのはやはり魔術師ですか?」
村に一人でも魔術師がいれば干ばつ時に雨を降らせたり、逆に激しすぎる雨を打ち消したりできる。
その力はこういった小村にはかかせないもので、マルガリタの実家セバス家の領地にも魔術師の恩恵を受けている村は有るのだ。
それ故に、マルガリタには魔術の勉強がとても立派なことに思えるが……。
しかし、女将は少しあきれ顔で笑っている。
「それがですね、私の娘がなりたいものが、子供の頃から夢に見ていた……」
女将は面白そうに、娘の夢を語り出す。
プライバシーもへったくれもあったものではないが……。
親にとって子供の夢は、世間話の種程度のものなのだろう。
一方その頃……。
ルイン村では、クリムとピーヌスが並んで瞑想をしていた。
目を閉じ、静かに考え込む二人。
そんな中、ピーヌスが鼻をひくひく動かす。
そして……。
「ぶえっくし!!」
「うわあ!?」
「ご、ごめんなさい……くしゃみが出ちゃったわ」
くしゃみと共に、毒液を飛ばしてしまうピーヌス。
その前で地面が少し溶けるのを見ながら、クリムは肝が冷えるのを感じていた。
龍の肉体は寒さを感じないが、肝は冷える、そりゃ冷える。
「ええと……もしかして体調悪いですか?」
「ううん、誰かが私の噂をしてるんでしょ」
「なるほど……」
噂をされるとくしゃみが出る。
そんな迷信が共通しているのを聞くと、やはりこの世界に疑念を抱いてしまう。
以前なら「そりゃシャングリラ・オンラインは現代人が作ったものだし」で済ましていたかもしれないが。
遺跡の地下……あの“終わった世界”を見た今となっては、この世界が本当にゲームの中なのかすら疑わしいのだ。
そんなことを考えるクリムの隣で、ピーヌスが伸びをした。
「それにしても、龍の体ってほんとに寝なくて良いのね、龍になって初めての夜だけど……なんか新鮮」
「そうですね、寝ることがあるとしたら、余程やることがないとか……人間だった頃の習慣でなんとなく、とか程度でしょうか」
並んで星を見上げ、二人は寄り添い合う。
そして……ピーヌスは立ち上がると翼を広げた。
「ねえ、せっかくだし休憩ついでにもうちょっと高いところから星を見ない?」
「ええ、大丈夫ですよ」
頷き、一緒に空へ飛ぶクリム。
満天の星が視界いっぱいに広がっていく……。
そんな中、二人は手を取り合って見つめ合った。
夜風を切りながら、誰もいない高い高い空で……。
このまま飛んでいけば、星にも手が届いてしまうのではなかろうか。
二人ならきっとそれも不可能ではない、そんな気すらしてしまう……。
そう思うほどの時間の中、ふとクリムは下を見る。
(ルイン村……)
かつてクリムゾンフレアの目を通してみた風景とは違う。
健在で、人気があるルイン村。
その風景を見ていると、自分がこれを守ったのだと少し胸が熱くなる。
あの親方も、ケラスス達も、リィ達も。
尽力の甲斐あって命を繋ぐことができたのだ。
今回も、最低限の死はあったが……。
それでも最悪の事態だけは免れた。
誇っても良いはずだ。
「ねえクリムちゃん」
「……? どうかしましたか?」
思索にふけるクリムに、ピーヌスが寄りかかる。
そして笑みを浮かべると、クリムの胸に頭を寄せた。
まるで鼓動の音を聞くかのように。
「私ね……実は、龍になったこと……」
「……」
ピーヌスの言葉に、クリムは息を呑む。
もしかすると、嫌なのだろうか。
クリムは正直、ピーヌスが自分同様の存在になったことが嬉しかった。
元人間の龍人……そんな存在は世界中を探してもまず二人といない。
クリムにとってピーヌスは、紛うことなき唯一の人なのだ。
そのピーヌスがもし嫌がっていたなら……。
だとすれば、どうすればいいのだろうか。
そう考えてしまうと、どうしても不安になる。
だからこそ、ピーヌスが自らの変化をどう捉えているのか気にしていたのだが……。
いざ聞くとなると、心臓が躍動してしまう。
だがピーヌスはそんなクリムの胸を撫で……優しく微笑んだ。
そして……。
「夢が叶って、心の底から嬉しいの……! もう、震えちゃうくらい!」
毒のよだれが溢れるほど興奮した面持ちで、ピーヌスは叫ぶ。
その様子に、クリムはただただ面食らってしまう。
同時に、今までの緊張はどこへやら……。
柔らかな安堵が胸に溢れてくる。
なんだか微笑ましい気分だ。
「私ね、子供の頃から貴女の夢を見て……ずっと龍になりたいって思ってたの! 修行理由だって本音を言えばそう! 龍になりたいから!」
「ピーヌスちゃん……」
「こんなこと言っちゃうと引かれちゃいそうだから言えなかったけど、とうとう爆発しちゃったわ……でもそれだけ嬉しいの!」
嬉しそうなピーヌスを見ていると、なんだか自分も嬉しくなってくる。
ドキドキと胸が動悸して……何も考えられなくなりそうだ。
衝動、とでも言えばいいのだろうか。
熱いものが胸にこみ上げてくる。
その命ずるがままに……クリムはピーヌスを抱きしめ、唇を奪った。
いや、唇を奪うなんて生やさしいものではない。
長いマズル同士の、食らいつくような……ないし吸い尽くすようなキス。
口内で火龍の肉厚な舌と毒龍の蛇のような舌が触れあう。
互いの唾液が混じり合い、目を開けばもう互いの顔しか見えない。
そんな中……クリムは、欲望に身を任せた自分を少し恥じらいつつも……同時に、嬉しく思い始めた。
愛、欲望、それに正直に生きるのが龍の生き方だ。
クリムゾンフレアがそう囁いている気がする。
これが、魂の最適化ということなのだろうか。
愛する者をこれからも守る、その為ならきっと惜しみなく力を使えるだろう。
そう確信すると、力がどんどん膨れ上がってくる……そんな気がした。
「ぷはっ……」
「あっ……」
そろそろ呼吸が苦しくなってきたのか、口を離すクリム。
そんな彼女に残念そうな目を向けながら、ピーヌスは目を細める。
そして、クリムの胸にもう一度頭を寄せた。
「大好きよ、クリムちゃん」
「はい……私も、大好きです」
「テルメ村であなたを紹介するのが楽しみだわ」
「ご両親への、紹介……ええと……初めてのことでどうすればいいのか分からないんですけど、礼服……とか着ますか?」
「ふふ……良いのよ、あなたはあなたらしく居て」
両親に挨拶する。
まるで結婚報告のような言葉に、クリムは少し緊張した。
あなたらしく、ピーヌスはそう言うが、果たしてどこまで自然体が貫けるだろうか。
それは今後次第……。
そう考えてドキドキするクリム。
そんな彼女の隣で、ピーヌスは「でも両親にどうこの体を説明するかだけ、少し悩むわね……」と苦笑するのだった。
翌朝……ピーヌスは、渡された遺跡発掘協力の報酬により、とうとうローブを手に入れた。
本人のオーダー通り、毒龍に相応しい真っ黒なものだ。
手には新調した杖も持っており、まさにご満悦。
しかしクリムは、昨日抱きしめ合った裸体の感触を思い出し、あの感触をしばらく味わえなくなるのか……と内心思っていた。
「リッちゃんも昨日は目に毒でごめんなさいね」
「い、いえ……大丈夫ですので」
頭を撫でられ、赤面するリィ。
いかにも少年といったウブさだろう。
それを見ていると、クリムは下心むき出しの自分が少し恥ずかしくなってきた。
欲望に忠実なのが龍の流儀だとしても、公衆の面前では自重が必要だろう。
そう思うことで、クリムは何とか自分を律する。
「さあて……じゃあここからはテルメ村まで一直線だ、早速向かうとすっかねえ」
「はいはい、じゃあ早く馬車に乗るッスよ……あー、まだ気分悪い……」
御者台に座るガットネーロは、まだ酔いが残っているのか気分が悪そうだ。
しかし、ルーヴはまだ青い顔で「馬車で吐いたらすまん」と言っているので、それよりはマシだろう。
そんな彼らが馬車で出発するのを見ながら……クリム達もまた飛び上がる。
そして今回は、クリムとピーヌスだけが先行する形で一足早くテルメ村に向かっていく。
ピーヌスには積もる話もあるだろうし、一足お先に……ということになったのだ。
実際は積もる話だけではなく、両親へのクリムの紹介もあるのだが……それは二人の秘密。
なにはともあれ、二人は馬車を追い越し、テルメ村へと進んでいく。
風を切り、木々を越え……。
やがて、蛇猫街道に戻ると小さな村が見えてきた。
遺跡を出てすぐに目にした、湯気の出ている建物が特徴的な小村だ。
「ここがテルメ村……」
硫黄泉の香りを嗅ぎながら、クリムは村を見渡す。
へんぴな村だが……ピーヌスの故郷と言うだけで、ここが少し特別なものに思える。
付加要素というものは大きいのだ。
そんなことを考えていると……飛来した二匹の龍に、村の者達がおっかなびっくりといった様子で近付いてきた。
「こ、ここへ何のご用ですかな……?」
村長と思しき、他より少し身なりの良い者が尋ねる。
そんな彼に、ピーヌスはまるで邪龍のような笑みを浮かべ……。
口を大きく開き……舌舐めずりをする。
「我らはこの村を侵略しに来た劫火と猛毒の邪龍……大人しく降伏すれば命までは取らぬぞ、しかし抵抗するならばこの村を炎と毒沼に沈めると宣言しよう……」
「な、なんですと……!」
脅し文句を言うピーヌスに、村人がざわめく。
そんな中、クリムも驚愕し声を上げた。
「ええ!? 何言ってるんですか!?」
「いや、なんであなたも驚くのですかな!?」
村長にツッコミを入れられながら、硬直するクリム。
その前でピーヌスはなおも邪悪な笑みを浮かべ……。
その頭に、風呂桶が命中した。
「いだっ! 貴様ら……毒沼に沈みたいようだな……我の闇の力、受けてみよ!」
「何言ってんだいピーヌス! 声で分かるよ! なんだいその体は!」
「げえっ、母さん!? ちょっとイタズラしただけじゃない! いいでしょ故郷なんだからこれくらい!」
桶を投げたのは宿の女将だ。
彼女とピーヌスのやり取りに、村人のざわめきが更に増す。
「え、ピーヌス!?」
「龍のお嫁さんになりたいって言ってた、あの!?」
「夢の中の龍に出会って、自分も龍になるために村を出た!?」
「本物の龍になったのか!?」
驚愕する村人達。
彼らはピーヌスの過去をああだこうだと話す。
そして……視線が一斉に、クリムを向いた。
「つまり……彼女が、ピーヌスが言っていた夢の龍帝様……!?」
「本当に実在していたなんて……」
「いつか迎えに来てくれるって言ってたのは、嘘じゃなかったんだな!」
「えっ!?」
視線の矛先がクリムに向く。
当然クリムはどうすれば良いか分からないが、ピーヌスは絶賛母親と口論中だ。
「何が邪龍だい家の手伝いもできない子が、お友達も困ってるじゃないか!」
「そうなったのは半分くらい母さんのせいでしょ!」
二人はすっかり白熱しており、止めることは難しい。
これでは助け船も求めることはできないだろう……。
「ど、どうも……」
とりあえず、クリムは頭を下げて挨拶をする。
そして、二人の口論が早く終了するように祈るのだった。




