第百十一話 それぞれの前夜 その1 第二の人生
明日、ブラエド本土への侵攻を開始する。
ユウェルにより伝達されたその言葉は全員に伝わり、それぞれがそれぞれに、明日を待つ状態となった。
ある者は親しい者と過ごし、またある者は一人過ごすのだろう。
そう考えながらユウェルは宿のベッドに腰をかけた。
現在クリムゾニア軍に提供されている宿、そのベッドはとても暖かい。
実はこのベッドがかつてクリムゾンフレアの使用した物だということは、ユウェルは知らないだろう。
「やっと二人きりになれましたね」
「そうだな、ご苦労だったリズベス、お前を推薦した身としてとても鼻が高い」
「いえ、ユウェル様に恥をかかせないためなら、私は悪逆婦人に戻ろうとも構いませんから!」
本来の姿である狐獣人に戻り胸を張るリズベス、その頭を撫でユウェルは目を細めた。
こうして頭を撫でるのも、毛並みを堪能するのも……もしかするとこれが最後になるかもしれないのだ。
そう思うと、なんだか不思議な気持ちになってくる。
名残惜しいような、寂しいようななんとも言えない気持ちだ。
愛着、離れたくない、その気持ちが近いのかもしれない。
その思いを察したのか、リズベスはユウェルの顔を見上げた。
「ユウェル様……どうかされましたか? お顔の色が優れませんが」
「……何、思ったのだ、まだ誰にも言っていないが……私は恐らくもうリズベスの主君ではなくなるのだろうな、と」
「そ、それは……クビですか!? 何かご無礼がありましたでしょうか! お願いです、どうかそれだけはご勘弁を!」
驚愕し、慌て出すリズベス。
その顔を見ながらユウェルは数秒キョトンとして……。
そしてすぐに、声を上げて笑い出した。
自分が愛想を尽かすことなどあるものか、と言いたげな顔だ。
「はははっ! そうじゃない、職務を辞めるのは私だ、私はこの先王族である事を恐らく捨てる……そう思っているんだ」
「え、ええっ!? それはまた何故……? 突然過ぎはしませんか?」
「何も今唐突に思った事じゃない、父や有力貴族を殺め国の在り方を一新するなら、元より次期国王とされていた私ではなく、王家の血が流れていないと軽視されていた弟妹に任せるのが一番だ、そう思うのだ」
ようは、王族である母の直系にあたる自分が国を継いでは国を一新させるという証明にならない。
ならば、まずは側室と入り婿の子である弟妹に国を任せ、王家の血を自ら絶やすことにより示していく必要があるのだ。
そして自分はまた違う形で国と世界のため尽力していく。
影から国を支援するにせよ、他の手段をとるにせよ……。
自分が指導者になることだけは避けなくてはいけないのだ。
「だから、もし私が国を去るならお別れにはなってしまうのだろうな……金が払えない以上雇用関係も終わりだ、一人どこかへ消えるとしよう」
「……それは嫌です、あなたがどこかへ行くなら、その時は私も一緒ですよ」
「しかしだな……何をするか、どこに行くかすら決めていないんだぞ、もしかすると見聞を広めるべくよその大陸にでも行くかもしれない」
「それでも……あなたのおかげで私の命があるんですから、中央に流れ着いた私をあなたが拾ってくれたから今生きているんですから、だからこのリズベス、死ぬまでご一緒致します」
力強く言い切り、ユウェルをまっすぐ見つめるリズベス。
こうも真剣に、面と向かって言い切られてはもう否定など出来まい。
若干の気恥ずかしさを感じながら、ユウェルは彼女の手を握る。
そして彼女の目を見つめると、静かに……かつ力強く頷いた。
こうも言われては、腹をくくらなければ男がすたるというものだ。
「……分かった、その気持ち謹んでお受けしよう、私が遠くへ行くときは隣に居て欲しい」
「その、嬉しいです……共に行きましょう、たとえあなたがユウェル・トゥルボー・ブラエドじゃないただのユウェルになっても、ずっとお供します、あなたが私にリズベスの人生を与えてくれたみたいに」
「そうか……己の行いというのは、巡り巡るというが……今更それを強く実感するよ」
ベッドに仰向けとなり、ユウェルは天井を見る。
その顔をリズベスが覗き込んだ。
二人は静かに見つめ合い、笑顔を向け合う。
しかし……ユウェルの顔は、すぐさま引き締まった顔に戻っていく。
今後のことを考えればこそ、今やるべき事をしっかり成し遂げねば、という気持ちになったのだ。
「……クリムゾンフレアに一つ頼もうと思う、王城を攻める前にクレフティス家とグシオン家の領地も調べなくてはいけない」
「両家の領地……ブラエドでも相当の端にある場所ですね」
グシオン家、クレフティス家、両家は研究を行っている代わりに領地が僻地となっている。
これは研究資金の支援を行う分、万一生物兵器の脱走などのトラブルがあれば周囲に迷惑をかけず自分達だけで対処するように、という方針によるものだ。
なので彼らの領地に攻め入るならば市街地戦の心配は一切無い。
「そうだ、クリムゾンフレア達の話を聞くに、両家は恐らく……父に言われ何かしらの研究を行っているはずだ、そしてその領地から逃げてきた母に瓜二つの少女……」
「……大分クサいですね」
「だろう?」
髪をかき上げ、目を細めるユウェル。
その脳裏に母の顔が思い浮かぶ。
病弱で、ベッドの上で苦しんでいることが多く……しかしいつも優しかった母。
その母と瓜二つの少女は内面的には全くの別人なのだが、それでもやはり彼女を彷彿とさせる顔をしている。
もし何かしらの関係性があれば、その時は……。
「その時はどうしたものかな……私は彼女をどう見て、どう接するかだ」
「母上様ご本人ではないのでしょう? なら、普通に接して良いのでは?」
「そうかもしれないな……だが、父の何かしらの思いによる犠牲者なら、普通に接することが出来ないかもしれない、弟妹にもなんと言ったものか」
母、父、弟妹……。
家族に抱く複雑な気持ち。
それを抱きながら、ユウェルはうつらうつらと船をこぎ始める。
そうしてまどろみながら……彼は少しずつ、夢を見ていた。
どこか遠い世界の夢を。
辰巳ユウイチ、漢字で書くと悠一と書く彼は辰巳家の長男だ。
彼の記憶の中にいる母は、いつだって辛そうな顔をしていた。
母は記憶喪失で、いつも不安と戦っていたという。
自分にだけはその旨をよく話してくれた。
記憶が何もないまま、過去と夫だけ与えられた彼女……。
彼女にできる一番の精神安定は、夫への愛に縋ることだった。
本当は愛している気持ちなど持っていない、だが過去も何も思い出せない自分にとって、縋れる存在は彼しかいないのだ。
だから彼に縋り、子供も成したと……。
それでも悠一を愛していると言ってくれていたのに、そんな彼女が狂い始め、悠一への愛すらなくしてしまったのはいつのことだったろうか……。
悠子も、悠理も……父綴夫すら、彼女の狂気に付き合わされていたような気がする。
ああ、思えば……今生での母はそんな彼女と正反対の理知的な人だった。
穏やかで、優しくて……しかし声や見た目はどこか彼女に似ていた気がする。
そう、まるで本来なら彼女が持っていた欠けたピースのような、それを補完するかのような……。
そんな存在になっていたような……。
「……!」
「!? ユウェル様、どうかしましたか? 急に目を覚まされましたけど……」
「あ、ああ、いや……何か変な夢を見た気がする……なんだ……?」
息を吐き、ユウェルは頬を掻く。
その顔を再度リズベスが覗き込んだ。
彼女の心配げな顔を見ていると、隠し事は出来ないだろう……。
気付けばユウェルは、ぽつぽつと何があったか話し始めていた。
「……母の夢を見たんだが、それだけじゃない、遥か昔……そう、遠い昔だ、遠い昔にもう一人母が居て……その二つの母が、双方を相互に補完するはずだったような……そんな不思議な気持ちになっていた」
「母が二人? 相互補完……? よくわかりませんね」
「だろう? 私にもよく分からない……いや、待てよ……」
欠けたピース、相互補完……。
それらの言葉を呟くと、一つ思い浮かんでくる。
もしかすると……ウルスが生まれた意味もそういう事だったのでは無いか?
相互補完のために生まれたか、ないしはウルス自体が周囲の欠けたパズルのような存在なのか。
もしかすると、やはりマルガリタのように……。
そこまで考えて、少しゾッとしてしまう。
恐ろしい空想だ、ウルスが母の成れの果てかもしれないなど。
ピースの欠けてしまった母もしくは、そのピースを埋め合わせるために生まれた存在だとすれば、どんな顔で接したら良いのかとうとう分からなくなる。
そう考えながら……ユウェルは、どうかこの推測が間違っていて欲しいと静かに願うのだった。




