第十一話 お茶と蛇と姉妹と
運命の半身。
共に生き共に死ぬ、運命共同体。
長らくの願いが叶ったピーヌスにより、クリムがそう認定されていた頃……。
ガットネーロはカフェの屋根の上で、買ったばかりの干し肉を食べながらぼんやりと雲を眺めていた。
特に雲が好きというわけでもない、本当になんとなくだ。
(さて……また一人になるんだろうな、まあいいか、どうでもいい……一人で生きようが死のうが、何も意味などない)
あくびをしながら、ガットネーロは目を細める。
この先に待つのは、また一人になってしまう道……。
そんなことを考えながら、一人無言でいる。
だが……。
「ここにいたのか」
そう言いながら、隣に降り立つ影。
ルーヴが隣の屋根から飛び移ってきたのだ。
手には干し魚が入った袋が握られている。
「ん……どもッス」
「匂いはすれど姿は見えないから探したぞ、上だったか」
ガットネーロの隣に座り、魚を頬張るルーヴ。
その様子を見ながらガットネーロは首をかしげた。
「変なの」
「は? 何がだ、狼が魚を食べるとおかしいか?」
「そうじゃなくて……奇異の目とかないんスか?」
ガットネーロはそう言いながら、腕をひっかく真似をする。
その姿を見てルーヴはガットネーロが何を言いたいのか察した。
ようは、痛みを感じない体質のことで何か思うのではないか……と言いたいのだろう。
「特にはない、状況が状況だから少し驚いたがな」
「はあ……やっぱ変なの」
ガットネーロは呟きながら、無表情で寝転がる。
その心中で何を考えているのか……ルーヴには推し量れない。
いったい何を考えているのだろうか。
「痛みを感じない……って言うと、今までは大概気味悪がられたんスよ、それこそ母親にも」
「それは薄情だな、怒っていい」
「……怒る、か……」
最後に怒ったのはいつだろう。
そう呟きながらガットネーロは目を細める。
その表情には何の感慨も感じられない。
「捨てられたんスよね、アタシ」
「……捨てられた?」
「無表情で気味悪い、って」
痛みを感じず、感情の起伏も平坦。
そんな性質の関係でガットネーロは親に気味悪がられた。
そして捨てられたのだ。
「親は言ってたッス、お前は普通じゃない、気味が悪いって、だからまあ精一杯明るく振る舞って……普通の女を心がけてきたんスよ」
「そうか、苦労してきたな……お前の母を殴ってやりたいよ」
怒り心頭、といった様子でルーヴは握りこぶしを作る。
良い親に恵まれただけに、子を愛せないどころか酷い言葉で負担をかける親が許せないのだ。
そんなルーヴを見ながら……ガットネーロは一人の女性を思い浮かべていた。
「いたなあ……ブラエドに雇われてた頃に、他人の話なのにそういう風に怒ってくれる人、こっちは別にもう親に関心なんかなくて、良いも悪いも思ってないのに」
「ブラエドに? 差別主義者の国にしては珍しい」
「騎士のお姉さんで……まあ善人だったと思うッスよ、無駄に真面目だったし」
一応恩人……と言ってもいいのかもしれない、そんな女性。
大して強い関わりが有ったわけでもないが、そう言える気がした。
「結局、故郷に帰ろうと思ったのも……思い入れがあるわけじゃなくて、あの人にいざというときは一度帰ると良いって言われたからなんスよね」
「なるほどな……」
「結局、帰っても家も家族もないんスけどね、だから外で傭兵してたわけッスし」
あくびをしながらまぶたをこすり、ガットネーロは寝返りを打つ。
そんな彼女の手を……ルーヴが突如握った。
ウェアウルフ特有の、大きく力強い手だ。
「なら……あたしが家族になってやろう」
「は?」
「いや、だから……家族も家もないんだろう、なら家族になってやるよ、今日からあたしらは姉妹でルージュ村が新たな故郷だ、なんでも頼れ」
胸を張りながら言い切るルーヴに、ガットネーロは面食らう。
そして……。
「何それ、変なの」
言葉とは裏腹に、笑みを浮かべる。
そして、ルーヴの手を握り返した。
「じゃ……しょうがないから、お姉ちゃんって呼んであげるッスよ、お姉ちゃん」
「ふ……」
「でも、これじゃ帰る意味が無くなったッスねえ」
「いや、故郷には一度帰ろう、お前の母に挨拶と……文句の一つ言いたい」
「ええ……面倒ッスよ、そんなの……まあいいか、しょうがないッスね」
手を握るのをやめ、ガットネーロは伸びをする。
そして、屋根の上から遙か遠方……猫又之国がある方向をじっと見つめた。
なんとなく、目的も無く言われたから戻るだけだった故郷。
そこに今は、しっかりと目的を持って戻ろうとしている。
まあ、自分から言い出した目的ではないのだが。
それでも、自分の変化がなんとなく面白く思えた。
「失礼、ピーヌス・ウェネーヌムさんはこちらでよろしいかな」
「ええ、どうかしましたか?」
その頃、借りていた診療所の片付けをしていたピーヌスとクリムは、衛兵の訪問を受けていた。
何が目的なのかは知らないが、手には書状をもっている。
「メルクリア城でウロボロス陛下がお待ちです、陛下は生物兵器打倒の報せを聞き、ぜひお会いしたいと……こちらが紹介状です」
「ウロボロス様が、ですか……? ありがとうございます、ぜひ向かわせていただきます」
衛兵に一礼し、紹介状を受け取るピーヌス。
しっかりと封がされた綺麗な封筒だ。
「えーと、何々……本当だ、ウロボロス様直々に……お茶のお誘いですって」
「お茶、ですか……?」
国家元首直々のティータイムのお誘い……。
あまりにも予想外すぎるものに、クリムは驚愕する。
その隣では、ピーヌスも唖然顔といったところだ。
「確かに、放置すれば国家レベルの危機になったとは思うけど……まさかお茶会に誘われるとはね」
「ええと……時間は……あれ、これって今日ですか?」
「みたいね、激務の間を縫ってだから、ここしか入れられなかったみたい」
今日の夕方、ということになっているが……空を見る限り、もう一時間も無いだろう。
本当に急遽入れたスケジュールと思わせる様子だ。
「ここから王城までは……まあ夕方までに行けるけど、ルーちゃん達はどこなのかしら……」
「ギリギリまで探してみます?」
「そうね……そうするしかないか」
診療所の片付けをちょうど終え、二人は部屋を後にする。
もちろん、書き置きを残すのも忘れない。
これでもし合流できなかったとしても、お茶会の後に王城前で会えるだろう。
そう考え、二人は歩いて行く。
さて、その頃のルーヴとガットネーロは……。
「もう、音がするかと思ったら屋根の上にいるなんて!」
「すまない……つい……」
カフェの店員に、事務所で説教を食らっていた。
おおよそ20歳と18歳とは思えない、情けない絵面だ。
正座をしているルーヴが年上として何故注意しなかったのかと厳重注意を受けている姿……。
その姿は、お世辞にも頼りがいがあるとは言えない。
だが、ガットネーロは「頼りがいのないお姉ちゃんだなあ」と笑いつつも、内心悪くはないと思っている様子だった。
二人が現在そんなことになっているとはつゆ知らず。
ピーヌスとクリムは街を探し回ったが、当然二人は見つからない。
結局、夕方が近付いてきてしまったので二人は諦めて王城に向かうことにした。
「結局、二人はどこに行ったのかしらね」
「もしかしたら、街の外に散歩でも行ってるのかもしれませんね」
王城を案内されながら、のんびりと話す二人。
そうしている間に……どうやら、王城のテラスに着いたようだ。
「ウロボロス陛下はこちらでお待ちです、くれぐれも失礼がないよう」
「あっ、はい!」
一礼し、去って行く衛兵。
彼の言葉に、自分がどこに来たのかを思い出してクリムは息を呑む。
その目の前で、ピーヌスはテラスの扉を開いた。
「ようこそ、来てくださったのですね」
「いえ、こちらこそお招きに預かり光栄です」
「きょ、今日はよろしくお願いします……!」
扉の先にいたのは、昨日目にしたウロボロスその人だ。
傍らには桜色の髪をしたメイドが一人いるだけ、国家元首としては些か不用心な気もするが、予言の力がある彼女には危険がないことが分かっているのだろう。
街を一望できるテラスに座るその姿は、彼女が美しい白蛇ということもあり、まるで神のようだ。
「ふふ……そんなに緊張しないで、さあ席に」
「ありがとうございます、ではお言葉に甘えて……」
「きょ、恐縮です……」
席に座り、三人が三角形のような形で向き合う状態になる。
そんな状態で緊張する二人に、メイドが紅茶を持ってきた。
特産品であるカエデを使ったメイプルティーだ。
「あ、ど、どうも……」
礼をするクリムにメイドが無言で一礼する。
とても物静かな女性だ、職務に私情は挟まないのだろう。
そんな彼女を見ているクリムの隣で、ピーヌスがお茶を口に運ぶ。
右手で、取っ手に指をかけずにつまむよう持ち、顎を上げずに口に運ぶと砂糖を入れずに一口飲む、
そして、カップを戻すと紅茶が飛び跳ねないように砂糖を入れ、静かにかき混ぜながらミルクも入れていく。
そんな一連の流れを終えると、取っ手を回してティースプーンを置き、再度飲み始める。
完璧で綺麗な流れだ、村娘の出でありながらこのマナーの良さは、流石の旅暮らしといったところだろう。
(す、凄いなあ……)
見よう見まねで飲みながら、クリムは内心舌を巻く。
とてもではないが、病院育ちの自分ではこうはいかないだろう。
「さて……あなた方を招いたのは、此度の件のお礼を伝えるためです、生物兵器を打倒し我が民を守っていただき、ありがとうございました」
「いえ、お役に立てたのでしたら幸いです」
「わ、私達はすべきことを果たしただけですので……」
礼を言われるのは悪い気分ではない。
だがそれはそれとして、どうしても緊張はしてしまう。
相手が国家元首ともなればなおのことだ。
「できれば滞在をしていただきたいところですが、あなた方はこれからも旅をするのでしょう?」
「はい、これから東へ向かいテルメ村を経由し猫又之国へと向かう予定です」
ピーヌスの返答に、ウロボロスは満足げに頷く。
そして一枚の書状を手渡した。
どうやら、雇用契約書らしい。
「これは現在私が雇用している傭兵団の契約書です、護衛契約の権限を貴女方に委譲しましょう、勿論料金は先払い済みなのでご安心を」
「……! これはどうも、ご丁寧に……いい!? た、大罪の7姉妹!?」
契約書を見ながら、ピーヌスは大声を上げて仰天する。
だがクリムには何を驚いているのか分からないようだ。
「ピーヌスちゃん、この名前って……?」
「た、大罪の7姉妹は……東の英雄と呼ばれる一団よ……つまり、超凄いの、私の村にまで名声が響き渡るくらいに」
大罪の7姉妹、それはリーダーのケラスス・スペルビアに率いられた7人組の傭兵だ。
東の英雄と呼ばれ、特にケラススは東方の剣聖と称される。
そんな呼び名の通り、彼らは東方で大きな功績をあげてきたという。
かつては世界を救った……などという噂すら立っているくらいの大物だ。
「よ、よろしいのですか……このような……」
「ええ、私は予言の力により自らの死を回避できますので、正直持て余していたところだったのです、でしょうケラスス」
笑いながら、ウロボロスは傍らに問いかける。
そこには……先ほどのメイドがいた。
桜色のショートヘアが特徴の、メイド……。
彼女は「クククッ」と笑うとヘッドドレスを外し、腕を組んだ。
「だなぁ、何だかんだで俺ぁ姫さんにやらんでいいって言われてる護衛を、メイドのまねごとをしてまでやるくらいには暇してるぜ」
「と……本人の言うとおり、暇を持て余している状態なのです」
物静かなメイドが、唐突にべらんめえ口調の傭兵になる。
そのギャップもさることながら、オンオフを切り替えるプロフェッショナル精神に二人は圧倒されてしまった。
そんな内心を知ってか知らずか、ケラススは笑顔でクリム達と握手をする。
「ま、てなぁわけで俺はお前さんらの預かりだ、これからはよろしく頼むぜ」
「は、はあ……」
「へへ、てなわけでだ、じゃあな姫さん、アンタの下で働けて暇ではあったが楽しかったぜ」
手を振り、旅支度のため去って行くケラスス。
その背を見ながらクリムは少し疑問を抱いた。
(あれ、でもウロボロス様って……予知ができるんだよね、どう動けば良いかをリアルタイムで理解できるくらい精度の高い予知が、そんな方が……なんで戦力を遊ばせていたんだろう、契約の必要性とか契約期間とか、的確に判断できたはずなのに)
考え込むクリム。
その時だ、突如クリムの耳元に誰かの息が触れた。
「貴女達二人を守らせるためですよ」
「ふえっ!?」
思わず飛び退くクリム、どうやらウロボロスが体を曲げて顔を近づけたらしい。
蛇の長く柔らかい体だからこそできる芸当だろう。
「えっ、どうかした?」
視界外だったらしく、問いかけるピーヌス。
しかしウロボロスは口の前で人差し指を立て、首を左右に振った。
「い、いえ、なんでもないです……」
どうやら、ウロボロスはクリムの存在を予知で知っていたようだ。
もしかすると、生物兵器の事件もクリムと知り合う口実作りのために放置していたのかもしれない。
下手をすると……時間指定が急なのも、この3人だけで会うためにそうした可能性すらある。
そんなウロボロスに底知れなさとわずかな恐怖を覚えながら……クリムはゆっくり、紅茶を一口飲む。
緊張のせいか、紅茶の味は少し薄く感じた。




