第九十八話 マキャベル一族と混沌神の貌
アラクネ達の暗躍と同じ頃。
ニライカナイ近郊では、夕闇の中を一つの影が動いていた。
光の中に生きる者に光の中での戦いがあるように、暗中に生きる者にもまた暗中での戦いがある。
後世に語られる部分だけが歴史ではなく、語られない部分にも当然歴史というものは存在するのだ。
ここからは……その語られざる歴史の部分。
言うなれば影の歴史とでもいうべき箇所だ。
「……ここが、話にあった……」
「そうよ、恐らくここにいる……あの女が」
恐らく、本格的な戦いになればそこへ行く時間はなくなるだろう。
そう考えたクルテルは、クリムゾンフレアとピーヌスに場所を聞き……とある場所へリオンを伴って赴いていた。
そこは……マキャベルの洞窟だ。
千年近くにわたる同胞であるミドガルズオルムに頼み、こっそりとコキュートス大河を越えてきたらしい。
「……入るわよ、この先で……あなたは見たくないものを見るかもしれない、それでも大丈夫?」
「……ええ、覚悟は出来ています」
覚悟……リオンの言葉に込められた意思を汲み、クルテルは洞窟の扉を開く。
すると、中からは異様な臭いが漂ってきた。
腐臭……そして血の臭い、その生ぬるい空気に二人は顔をしかめる。
明らかに異常な気配だ、そんな気配の中……真っ暗な部屋で、一つ……目のような光が灯る。
そこへ、リオンがランタンを向けると……。
「……誰……?」
「……!!! リンダ……? いや……これは違う……!」
ランタンに照らし出されたのは、リンダ・マキャベル。
エアフォルシェンから旅立って、リオンと別れたときよりも数歳大人の彼女だ。
だが……彼女は違う、一目見てリオンはそう気付いた。
座り込んだまま、何かを抱えて血まみれで口を動かすマキャベル。
だが……彼女が何かを言うより早く、リオンが言葉を発した。
まるで……何も言わせないと制止するかのように。
「お前は誰だ……何故妹の姿をしているんだ?」
「……私はあなたの妹、リンダ・マキャベルだよー……兄さん」
「違う、お前はリンダじゃない……リンダだというのなら、その抱えている物はなんなんだ?」
笑顔を維持することすら出来ず、淡々と問いかけるリオン。
そうなるのもしょうがないだろう……そう心がけなければ、彼女の抱えているものに王としてしまいそうなのだ。
吐き気を催すほどの悪臭、その根源に……。
「これは、これはー……これは、その……」
マキャベルの抱えているもの、それは腐食した切り口から延々血を流す……ダルマ状態のマルガリタだ。
切り口が腐食するほど時間が経っているのに、傷は塞がらず延々血を流している。
そもそも延々血を流すというのがもうおかしい、失血しないなどあり得ないはずだ。
では……何故そんな通常ではあり得ない状況が起きた、起こせた?
それは彼女が本物のマキャベルではないことの証拠に他ならないだろう。
「兄さん……ほらー、これ……私の眼帯、忘れたの……? 兄さんがくれた物だよ」
「そう、世界にただ一つの眼帯……私は、妹の遺品としてこれを受け取った、この眼帯に付けた機能はどれも本物で、世界に一つのオリジナルだ」
機能……そう、この眼帯は一見ただの眼帯だが、実際はそうではない。
魔術的探知機能、視覚補助機能……マキャベル家が持つ技術の随を尽くし、隻眼となった妹のために作り上げた唯一無二の存在なのだ。
故に、それがもう一つあるわけがない。
絶対にそれだけはあり得ないのだ。
「……認めたらどう、あなたは人間じゃない……そう、あなたは……」
「それ以上言わないで!」
マルガリタを投げ捨て、マキャベルは銃を手に取る。
銃口をクルテルに向け、力強く叫び……リオンは「しまった」と目を見開いた。
しかし……引き金を引けど、弾は出ない。
カチカチと、むなしい音がするだけだ。
その様子をリオンは、打って変わって哀れみの目で見る。
「それだって……遺失技術の第一人者だった妹なら、容易く直したはずだ、でも君にはそれが出来ない」
「……私は、私は……!」
「お願いだ、妹の見た目を使うなどという死者の尊厳を踏みにじるような真似はやめてくれ、どうかリンダを安らかに眠らせて欲しい」
死者の見た目を使い、尊厳を踏みにじるのをやめて欲しい……その言葉に、クルテルは若干胸が痛くなっているようだ。
意図せぬ流れ弾が起きていることなど気付かぬまま、リオンは真摯にマキャベルを……いや、リンダ・マキャベルの姿をした何かを見つめる。
その視線が耐えきれなくなったのか……マキャベルの姿をした何かは、ゆっくりと膝をついて涙を流し始めた。
「……人間だと、思いたかった……人間と愛し合える存在だと、思いたかった……失敗しても、成功するまで諦めたくなかった……」
「……君は、いったい誰なんだ……?」
「私は……貌、神の持つ貌の一つ……無限に存在する貌、人はそれを無貌と呼んだ」
神の持つ貌、その言葉の意味がリオンにはよく分からない。
一方、クルテルは納得がいったようで「やっぱり」と頷いている。
ここはやはり、人と神の年期の差だろうか。
「神には私のように一つの側面だけを持つ存在じゃなく、有する概念の関係上どうしても複数の貌を有する事になる存在がいるのよ」
「そう……私は、混沌の神から生まれた貌……その一つ」
「混沌……」
混沌、それは即ち無限の可能性そのもの。
無も有も良しも悪しきも生も死も愛も夢も、全てはそこから生まれた。
停滞を良しとしない発展の象徴、安定を得られない不定の象徴。
善でもあり悪でもある神、人を愛しも憎みもする神、ある意味で人間に最も近い神、それが混沌の神だ。
「混沌の神はその性質上、神では唯一人の心を得ている状態がデフォルトの存在」
「ただ……広すぎる可能性という概念は、多種多様すぎる人格を生みだし、中ではいくつもの人格がせめぎ合っていた……だから貌として人格を切り離す必要がある、私はその貌が一つ……いらないと切り離された存在」
「……それが何故、リンダの姿を?」
問いかけられ、混沌の貌は眼帯を外す。
そこには黒く深い孔が有った。
本来なら機能不全を起こした瞳があるはずの場所……。
しかし、そこに何もない……。
「……私は孤独と満たされぬ人類愛、そして愛されたい気持ちの貌、埋まらない心の孔の化身」
「……寂しかったんですか、切り離されて……」
「そう、だから私は私の子孫が放った無念に惹かれ、死んだ肉体に宿って自分を人間だと思い込みながら生きてきた……そうだ、この体が馴染むのは神の血筋だからなんだ」
「子孫……!?」
子孫、そう言われてリオンは愕然とする。
よもや先祖が神だったなどと想像できるわけがないのだ。
ただただ戸惑うしかない……。
そんな彼を見ながら、混沌の貌は首を左右に振った。
「別に私じゃない、他の貌……それか大元が成した落とし子なんだと思う、マキャベル……かつては真壁だったかな、あなた達というダイモンの血脈は……」
「私達が……神の血を引く一族……」
「きっと、だからこそあなた達一族は明らかにオーバーテクノロジーな発想を持つことが出来たのね、無自覚に混沌の海から可能性を引き出していたのよ」
クルテルの補足を聞き、リオンは納得がいったように頷く。
一方、クルテルもまた納得がいった様子だ。
神の血、神の因子というものはただ血脈で引き継がれるだけの物ではない。
血脈が潰えようとも、その者が転生した時点で新たなダイモンとなり、血脈が再始動していくのだ。
それこそが神の持つ不滅性を引き継いだ存在の運命。
無限に繋がっていく血の流れだ。
「……しかし、これで一つ確信できたわ」
「何をですか?」
「……倒すべき敵の目算、発展の裏に存在する黒幕の正体」
クルテルはそう言い、腕を組む。
そして混沌の貌をじっと見つめた。
そう……確信した黒幕は、彼女に関係している。
「私達が倒すべき相手、それは……混沌の神が生み出した貌、もしくはその本体よ」
「……! ブラエドの昨今の所業は、裏に神かその化身がいると?」
「ええ、だから異常な発展を行い過激な行動に出た……ブラエド王はもしかすると、混沌に触れて可能性の波に脳が耐えきれず、正気を失ったのかもしれないわね」
恐らく、同じ神が産み落とした存在がいるからこそマキャベルとして振る舞っていたこの貌もここに顕現した。
それと同じように、きっと別の貌もまた顕現しているはずだ。
それも……ここにいる貌のようなまだマシな貌ではない、もっと別の過激ないし邪悪な貌が……。
「……ごめんね、あなた達の推測が正しいのか……切り離されている私には分からない、ただ応援だけするね……」
「あっ……リンダ!」
混沌の貌が体から抜け、リンダ・マキャベルの肉体が倒れる。
肉体的には神が宿ったことで修復されているが、既に魂は死に伴って抜けている……言うなれば抜け殻の肉体だ。
それを抱きしめてリオンは涙を流す。
目の孔はなくなり、元々の機能不全を起こした瞳に戻っているが……。
それも、健康な目も……どちらも開くことはない。
もう永遠に閉じたままなのだ、魂は既に輪廻転生へ向かっているのだから。
リンダ・マキャベルの肉体と混沌の貌が持つ関係は、言うなれば希死念慮の神と辰巳ユウコが持つ関係と同じものだ。
故に、もしこの肉体もN.N.も中から神が抜ければ同じ状態になるのだろう。
「……ごめんね、素直に死なせてあげればよかった、その子はもう植物状態で目を覚ますことも出来ない、ただベッドに横たわり死を待つだけの体になってしまった」
「……植物状態……」
「本当に、ごめん……」
栄養摂取も排泄も、全て他者が行わなければいけない。
しかしそれだけしても、魂が抜けているため二度と目を覚ますことはない……そんな存在になってしまったリンダ。
腕の中の彼女を見つめるリオンに、混沌の貌は静かに謝り続ける。
黒くあり、白くあり、赤のようでもあり、青くも見える、固形のような、粘体のような、流体にも気体にも見える存在。
混沌という概念を可視化したらこう見えるのか、そう感じる存在は……ただただ、人間的な謝罪を繰り返した。
死体すら残らなかったという妹、そんな彼女の肉体とこのような形で対面し……どうすればいいのだろうか。
リオンに答えはない。
そんな中、混沌の貌は静かに動き始めた。
「行くの?」
「うん……しなくちゃいけないこと、見つけたから……本当にごめんね……私から言う権利はないから、マルガリタくんにもごめんと……」
そう言い、消えていく混沌の貌。
すると、洞窟を覆っていた異様な臭気と気配は消え去り……。
あとには、クルテル、リオン、植物状態のマキャベル、そして無傷に戻ったマルガリタが残されていた……。
「……勝手だ、神様なんて……謝罪くらい自分ですればいいのに……」
リオンの呟きに、クルテルは目を細めるしか出来ない。
そうだ、神なんて勝手な存在だ。
それを自分でも理解している、理解してしまう。
だからこそ、だからこそ……。
人間を完全に理解して、人間になってみたい……そう思うのだった。




