第九十七話 狐と蜘蛛の毒牙
子供の頃のときめきを、人は大人になるにつれて忘れていく。
覚えているだろうか、子供の頃は多くの人が少し悪いことをするのにときめきを覚えた。
親に隠れてお菓子を食べたり、こっそりと夜更かししたり……。
時には、学友にちょっとしたイタズラを仕掛けて驚かしたりと場合によってはちょっとじゃ済まないイタズラもして……。
そんないつもと違う悪いことに子供は興奮を覚え、腹の底からときめくものだ。
秘密基地を作るのだって、元を辿ればそういう気持ちからだろう。
冒険心と好奇心……ちょっとだけワルの真似をしてみたい、もしくは活劇小説のまねごとをしてみたいのか、その延長線上で大人には内緒の場所というものを生み出すのだ。
しかしそういうほんのちょっと悪い好奇心は、いつだってもっと悪い大人の食べ物にされる。
アルテューマ領の子供達は、今まさにそんな悪い大人の餌食になろうとしていた。
「みんな、アラクネ様が遊びに来てくれたよ!」
「こんにちは、久しぶりね」
どうやら子供達とはよく遊んでいたらしく、警戒もせずに奥へと通されるアラクネ……の姿を借りたリズベス。
その笑みの裏に子供達は気づけない、もちろんそれは大人だってそうそう気づけるものではないので仕方がないのだが。
何はともあれ……恐ろしい狐の毒牙は、今まさに子供達へ剥かれようとしていた。
研ぎ澄まされた鋭い牙……まるで白刃のようなきらめきを持ち、しかし恐ろしいウイルスも有する牙が……。
「実はあなた達にお願いがあるの、さあ……私を見て」
「え……?」
言葉と共に、子供達へ放たれる光。
男3人女3人の子供達は、みな美しい桃色の光に釘付けとなった。
きらびやかな輝きに言葉を失い、目を見張る……。
もしかしたら華美さの中に漂う異様さを少し感じたかもしれないが、もう遅い。
狐の牙はその喉元へ突きつけられている、あとは食らい付くだけだ。
「実はね、私……お母様達に凄いイタズラをしかけたいのよ、手伝ってくれる?」
子供達が興味を持つような、イタズラというワード。
それにより刺激される好奇心。
普段ならば、流石に領主様へそんなことをするのは……と思うだろう。
だが魅了の力が好奇心を増幅し、逆らえない……。
魅了が心身に与える、ゾクゾクくるような快感……これが好奇心と絡み合い、まるで好奇心が自身に最上の快楽を与えているかのように感じるのだ。
快楽を得る方法など知らない子供達は、当然またと得られるかも分からないこの快楽を手放すまいとしがみつこうとする。
そうなればもはやこの妖しい狐の思う壺だ。
彼らはもう、何をされても抵抗できず逃げ出せない……九本の尻尾に絡め取られ、その中でまどろむしかないのだ。
(この感覚は、悪逆婦人と呼ばれていた頃を思い出す……)
内心で呟き、笑みを浮かべるリズベス。
その姿が生まれ持った金毛白面一族のものへ変わっていく。
そして……ゆっくりと、まるで舞うかの如く手を振るう。
どこか神楽舞を思わせる、ただただ優雅な動きだ。
それだけで彼女がかつては高貴な人物だったことが伺える。
「さあ、あなた達にいたずらに必要な力をあげるわ」
「んっ、あ、ああぁ……!」
舞のように動く手から放たれていく新たな光……今度は黄金のものだ。
その光から少年少女へ、静かに魔力が注がれていく。
クリムゾンフレアがノエルに力を与えるのを見て「自分も出来るかも知れない」と思いついたものだ。
ただ能力の質といえば良いのか、内容は結構違う。
たとえばクリムゾンフレアの場合は……ノエル曰く「魂や遺伝子のような何か」を目覚めさせて人間を異種族へ変えている。
だがリズベスが考案した魔法は少し違い……自らの魔力で体を弄ることにより、相手を自らの縮小複製体にするのだ。
言うなれば体組織の操作……それが一番近いだろうか?
どちらかといえば、クリムゾンフレアの能力よりはウロボロスの能力に近いかも知れない。
「あう、ああ、あっ……!」
さて……魔力で全身をいじくり回されるというのは、異常なまでの快感が生じるものだ。
口を開き、舌を垂らす子供達。
激しい衝動を理解しきれず涙を流すが……そんな彼らの鼻が黒ずんでいき、その周囲から毛に包まれ始める。
顔貌は前に長い獣のそれになり、耳は位置を変えて頭頂部に移動し、三角のものとなる。
顔の左右には髭が三本ずつ伸びピクピクと揺れているようだ、まるで触覚のように思えてしまう。
「あう、がう、ぐっ……う……!」
獣のようなうなり声、それと同時に生え替わる前の乳歯が抜け落ちて牙になる。
顔を覆っていた毛はいつの間にか全体を覆い、上半分を金色のものが……そして下半分を、白面という名の由来なのか白いものが覆っているようだ。
その美しさを見ると、西大陸の人間が神秘を感じたというのも頷ける。
「ひいっ、ぎっ、ひ……!」
激しい変化の波に襲われる中……一人の少年が顔を思わず押さえる、しかしその手もまた毛に包まれていき……黒く、人とかけ離れた形状の獣らしいものへ変化する。
指どうしが癒着したことで本数すら変化し、肉球が生えた手……それを見つめる目は、これまた獣らしく瞳孔が縦割れしたものだ。
呆然とする少年……しかし、その胸が突如ざわめき……物理的にサイズを大きくする。
胸元に生えたふさふさの白い毛並み、その下に覗く胸は確実に女性のものになってしまっているようだ。
あり得ないものが生まれた胸……逆に股ぐらからは、男にあるべきものが消えていく。
今のガットネーロに話せば、染色体がどうこうXXがどうこう蘊蓄が出るのかも知れないが……それはまたの機会にしておこう。
何はともあれ、メスの狐獣人……そんな姿になった少年は、恥じらいからか動揺からか……前屈みになって体を押さえこもうとする。
しかしその瞬間、臀部から尻尾が伸び……少年だった雌狐は、声にならない咆哮を上げながらよだれをぶちまけ、横になった。
「う、きゅうん……!」
「ふっふん……お誕生日おめでとう私の複製、これからいっぱいイタズラを教えてあげるからね」
荒い息を吐く子狐、気付けば周りの子供も……案内役にした子含め同じようにメスの子狐として完成している。
魅了によりリズベスに魅入られた彼女達は、この変化を大いに喜んでいるようだ。
さて……これで彼女達はリズベスと同じ能力を持つ存在になった。
能力だけではない、内に秘める邪心もまた若き日のリズベスにそっくりな生き写し……。
もはや、どんなイタズラを行うことにも躊躇を見せないだろう。
後は、作戦が進むまでに能力の使い方を教え込み、金毛白面一族として完成させるだけだ。
「さあ、いっぱい楽しいことを学ぼうね」
「うん、お姉ちゃん……!」
魅了され、少年期特有の悪い欲求を抑えきれなくなった子供達。
これから彼らに待つのは、クリムゾニアの一員として活動する道だ。
それを彼らは何よりの喜びと考え、その為に生きていく。
幸せかどうかはさておいて……この先アルテューマ領に待つのはクリムゾニアの謀略により支配される未来だ。
ならばその時、支配のため暗躍する側として活動できるならそれが一番幸せなのだろう。
少なくとも子供心に被支配側になっていく絶望など味わわず済むはずだ。
その後イタズラ心が嗜虐心などへ発展していくかは知らないが。
まあそれはその後の彼らの自由というものだろう。
リズベスは飽くまでユウェルのために行動するだけ、その結果この街の子供がどんな未来を歩むか……そんなもの関係ない。
彼らが嗜虐心の果てに悪党を虐げるようになろうが、はたまら弱者を虐げる魔王となろうが知ったことではないのだ。
「さあて……ここからはどうなるかな」
ここからどう動くか、作戦の行方はどうなるか……。
それらを夢想しながら、リズベスは魔術指導を続ける。
少しだけ……ほんの少しだけ、悪逆婦人だった頃に戻りながら……。
まるで悪逆婦人の力を引き継ぐ後継者を生み出すかのように……。
さて、一方その頃アラクネはというと。
「蜘蛛神教会へようこそ旅の御方、当教会は蜘蛛神ナカを信仰する教会です、誰にでも分け隔てなく門戸を開いておりますので、お気軽にお声をおかけください」
「ええ、ありがとうございます神官様」
一礼するアラクネに、神官……アラクネの姉ソルティーが微笑む。
現在、アラクネはリズベスがアラクネの姿になっていることと併せて、旅人のフリを行っている。
みすぼらしい旅装束を纏っていたのはこのためでもあったのだ。
さて……姉妹だからこそ、存在を認知されているからこその出来ることがあれば、気付かれていないからこその出来ることも存在する。
水面下の暗躍とはまさしく、その出来ることをフル活用して行うものなのだ。
「神官様、奥のあのお部屋は懺悔室ですか?」
「ええ、些細な辛いことから重大なことまで……様々な話を伺う懺悔室です、何かございましたらあなたもどうぞ、教会は来る者を拒みませんよ」
「ええ、それではお言葉に甘えて……」
懺悔室へ入っていくアラクネ。
この街の出身である以上、彼女は教会の人員配置というものを知っている。
これでも元は蜘蛛神教会の敬虔な信徒だったのだから。
内心で忘れたい過去とは思っているものだが……それでもまあ、役には立つものだ。
「失礼致します」
「ええ、いらっしゃいませ……今日はどのような懺悔を?」
「それは……私は実は、この街へある事を行おうと思っているのです」
「ある事……とは?」
「それは……水面下での浸食です、神官様」
「ぐっ!?」
アラクネの糸が、声を通すための穴を越えて神官の首を絞める。
死にはしない程度、飽くまで酸欠により気絶する程度の絞首だ。
それにより神官が倒れたのを確認すると、アラクネは彼を糸で縛り上げて口を塞ぐ。
教会はシフト制であり、隔日勤務の司祭以外は当日勤務予定の神官が懺悔室とメインホールに一人ずつ配置される。
今日は司祭のシフトがない日であり、勤務しているのはソルティーとあとは懺悔室の男だけだ。
あとは、参拝客に気付かれずソルティーを捕縛すればこの教会は自分の支配下となる。
教義になど興味のない一般参拝者に蜘蛛神の化身と名乗って都合よく操るのはそれからだ。
内心楽しみだ……くだらない信教などに縋る哀れな者達が自らの傀儡になるというのは。
彼らの崇拝対象になるというのは、一種の神様気分と言えるだろう。
そう考えると、神という存在も実は信心を胸に崇拝する人間を内心唾棄しているのでは……と思えてくる。
無論、所詮は一人間の考え……信心について神の考えることというのはもっと深甚なものなのかもしれないが。
ともあれ、今は都合よく利用するだけだ。
そう考えながら笑みを浮かべ、アラクネは懺悔室を後にするのだった……。
次にその毒牙を向けるべき相手、自らの姉を思いながら……。




