第九十六話 蜘蛛と狐の暗躍
その日、アルテューマ領主カーリーは部下の報せに杯を取り落とした。
クリムゾニアを探る隠密に志願したものの、手紙などの連絡が一切無くなり事実上の作戦行動中殉職とされていた末娘、アラクネ。
ボロボロの彼女が、着の身着のままといった姿で国境を通りたがっているというのだ。
「すぐ私の元へ通すんだ、いや……北部経由で冷えている可能性があるな、食堂へ通せ!」
まずは温かい食事を与える必要があるだろう、そう考えたカーリーはアラクネを食堂へ通す。
そこへやってきたアラクネは、確かに着の身着のまま……ボロボロの外套にみすぼらしい服、それ以外は何もないといった様子だ。
痛ましい様子に顔を歪めるが……同時に、無事を喜ぶ気持ちが溢れてくる。
「アラクネ……よく無事で、母として心から嬉しいぞ」
「お母様……ああ、その顔を見ていると、戻ってきたんだ……と心から感じられます」
「お前が志願した諜報機関は、お前と連絡が一切つかなくなったと言っていた……お前が作戦行動中無断離脱などあり得ないと思っていたから、命は最早ないものと諦めていたが……本当に無事でよかった」
母として優しく抱きしめるカーリー。
そんな彼女の腕の中でアラクネもまた穏やかな笑みを浮かべる……。
が、その中には当然二心があり、彼女は母の隙を疑っているのだが……それをカーリーは知る由もない。
最早二人は母子である以前に、別々の国家に属する敵なのだ。
「ところでそのマント……背中が妙に膨れているが、それは?」
「実は……道中避難した遺跡にあった謎の宝物、それにより翼が生えてしまいまして……恥ずかしいのでお見せしたくないのです」
勿論、翼というのは大嘘で背中にあるのは擬態魔法で翼に見せかけた腕なのだが。
多腕を誤魔化すために考えた手段がこれ、翼に偽装することである。
ちなみに翼というのは生物学的に人間における腕にあたるものとされているらしい。
故に、鳥人族や龍人族は事実上腕四本であり、クリムゾンフレアに至っては腕も翼も進化して二組ずつになったため、実質八本腕なのだ。
閑話休題、本題に戻るとしよう。
翼に擬態した腕は飽くまで視覚を弄っただけのもの、触っても羽毛の感覚はしないし抜け羽根もない。
その為……念には念を入れて、見られても良いように説明はしつつも外に出しはせず、中に隠すつもりのようだ。
「なるほど……それは困惑していることだろう、体が急に変わったのだ」
「はい……どうしていいか分からなくて、体が急に変化するなど未知のことですから」
勿論それは大嘘だ、体が変化したことを何より喜び生まれ変わった肉体を誇りの証しと彼女は思っている。
故に、ノエルの一件が有るまで擬態は絶対に行わなかったし、今回もクリムゾンフレアの為と自分を納得させた上で渋々行っているような状態だ。
本来は今すぐにでも真の姿を現し、母を頭から喰らい尽くしたいが……しかしそれはクリムゾンフレアの目的を無視し、その温情を踏みにじる行い。
それはクリムゾニアに仕える存在として一番してはいけない……忠愛をはき違えた最悪の蛮行。
ならば堪えなければいけない、そう考えながらアラクネは目を細めた。
「……気持ちの整理はつかないだろうが、何があったか話せるか?」
「ええ……ですがそこまで話せることは多くないのです、私は東部独立地域に上陸後、即座に発見されてしまい……目的だったユウリィ様の所在を突き止めることも出来ず、全ての資材を喪失して北部へ逃亡し、北部の賊からも逃げさまよい続けていたのです」
「そうか……マールツァイト家の子はどうした?」
「ナールングは、逃亡中に襲われて既に……しかし彼は私の中に生きています」
ナールング・マールツァイト、同じ諜報機関に志願した幼馴染みだ。
彼の死に顔を思い出しながら、アラクネは腹をさする。
そう……彼は生きている、アラクネの中でその肉体を育む栄養素の一つとして。
血液に、骨に、皮膚に、毛に……体内に循環し力となっている。
首を折られて死に苦悶の表情を浮かべた死体……それを食すのは人生で最大級の快感だった。
死んでしまったのは残念だが……今はそれより、逃亡しようとした彼を捕縛してから抹殺し、与えられた忠義を示した瞬間に心の底からあふれ出た歓喜の方が勝っている。
母もそんな歓喜の一部へと変えたいが……それは今ではない。
もっと別の、クリムゾンフレアが望む方法、それこそが自分のとるべき手段だとアラクネは理解しているのだ。
「アラクネ……辛いことを聞いて済まない、ゆっくり休んでいきなさい、そうだ……蜘蛛神様への参拝をしたらどうだ?」
「そうですね、それも良いかもしれません、ありがとうございます母上」
どうやら顔を下へ向け笑いを堪えているのが、涙を堪えていると勘違いされたらしい。
物事とは意図せずして良いように動くものだな、そう考えながらアラクネは立ち上がる。
しかしおかしな話も有るものだ、蜘蛛神信仰をしていた自分が今や蜘蛛の怪人なのだから。
当時の自分に話したところで、きっと信じてくれないだろう。
そう考えながらアラクネは口内で糸を弄ぶ。
(我らは護国の使命を帯びた者達、故国の門を塞ぐこと蜘蛛の巣の如し……か)
アルテューマ家の家訓を思い出し、アラクネは感慨深げに歩く。
アルテューマ家は国境の門を守る自分達と、間断なく巣を張り巡らせる蜘蛛神を重ね、蜘蛛神を信仰している。
アラクネという名も蜘蛛神の神話に出てくる聖なる蜘蛛の名から取られたものだ。
その為アラクネもかつては護国の使命に燃えていた、アルテューマ家で最も前のめりな女とすら言われていたが……今は違う。
ブラエドへ向ける護国の意思など存在せず、内に有るのはクリムゾンフレアへの忠誠とクリムゾニアの民及び同盟者の為に何かしたいという気持ちのみ。
かつては心の底から崇拝していた蜘蛛神も、その逸話を如何にして利用してやるか、それだけしか考えていない。
そんな思考を蜘蛛の巣の如く張り巡らせながら……アラクネは、蜘蛛神に参拝するという名目で屋敷の外に出た。
勿論、一人になりたいと護衛を付けないのも忘れてはいない。
傷心というのは実に便利なものだ。
そんなことを考えながら路地へ入るアラクネ……彼女に、一人の衛兵が近付いてくる。
衛兵は、周囲を確認すると兜をあげて……見る見るうちにその姿が、服装まで含めてアラクネと同じものへ変わっていった。
リズベスだ、彼女が衛兵への変身を解除し、アラクネと同じ姿に変わったのだ。
「お待たせ、アラクネさん」
「ふふ……違うでしょ、アラクネはあなた……私はこれから蜘蛛神の化身になるのよ」
笑いながら両手をクロスさせ……まるで服を脱ぐかのように腕を広げるアラクネ。
するとどうだろう、腕が通過した後に……その後ろから出てきた顔は、蜘蛛のそれに変わっていた。
呼応するように他の部位もどんどん擬態を解除して、蜘蛛怪人のそれになっていく。
溢れる柔らかな毛並み、翼型から腕に戻る多腕、鋭い爪……。
どれをとっても人間離れした姿だ。
そんな彼女をリズベスは静かに見つめているが……その時だ、ガタリと何かが動く音がした。
見ると……そこには、一人の少女がへたり込んでいる。
「……! 見ーたーなー……?」
「ひっ……!」
まるで古い怨霊物語の主役のようにもったい付けておどろおどろしく振る舞いながら、アラクネは少女に歩み寄る。
怯えて声も出ない様子だ、それは実に重畳といえるだろう。
今にも小便でも漏らしそうな少女に、アラクネは嗜虐心を刺激されるが……。
しかし同時に呆れてもしまう。
「ちょっと、誰もいないんじゃなかったの?」
「子供というのは意図せずミラクルを起こすもの、どうやらそこ……木箱の陰に上手いこと隠れてたみたいだねえ」
「わ、私……私……」
怯えすくむ少女、そんな彼女の顎をリズベスが撫でる。
そして……その目が光を放った。
そのまま少女を包む光、桃色の暖かな輝きは少女の心を急速に溶かしていく。
全身を覆う快感、まるで母の腕に抱かれているかのような温もり……。
そして、体中あらゆる場所をまさぐられているかのような感覚。
嬌声を上げる少女は、未知の感覚に震えているようだ。
大人ならばもっと手順を踏まなければいけないが、子供の未成熟な脳みそならこれでじゅうぶんだろう。
少女は、不思議な胸のときめきを感じ二人を見つめていた。
生まれて初めての“衝動”に戸惑っているのだ。
体のいじり方もしらなければ“潮流”の時を迎えてすらいない少女にこれは刺激が強いだろう。
「慌てないで……ふふ、私達をどう思う?」
「あ……き、きれ、い……です……」
「そんな私達のためになら、なんでもできる?」
「はい、なんでも……」
アラクネの姿をやめ、色気有る体格に複数の尾を持つ狐獣人……金毛白面九尾の一族としての姿に戻るリズベス。
そんな彼女達に、少女はただただ見とれる。
もう彼女は抗えない、この衝動と魅了に……ただ従うしかない。
そう、リズベスがこの場にいるのは何も変身によりアラクネの行動を補助できるから、というだけではないのだ。
この魅了の力……それがアラクネとクリムゾンフレアの考える作戦に大いに役立つ。
だから今回のメンバーとして抜擢された形になるのだ。
「しかし……ユウェル王子に言われるまで知らなかったわ、あなたがそんな力を持っていたなんて」
「そりゃー、ユウェル様以外には教えてないし?」
気だるげに言い、アラクネの姿に戻りながら少女を撫でるリズベス。
そんな彼女の脳裏には、少しだけ過去の話がよぎっていた。
西大陸にいた頃の話だ。
当時、金毛白面一族の力に酔っていたリズベス……いや、カヨウ・ダッキは魅了した地方領主に取り入り、贅沢の限りを尽くしていた。
酒池肉林の贅沢を毎日繰り返し、圧政を敷く毎日……。
しかしそんな日々はある日崩れ去ったという。
ダッキの正体とその魔術は、通りすがりの男により露見した。
天才的呪術師、そう名乗る男はダッキが行使していた最上級の魅了をいとも容易く解除。
地方領主は魅了から解き放たれ、悪逆婦人華陽妲己は一気に恐ろしいテロリストとして追われる身になったのだ。
故に西大陸を離れ、中央に訪れ……この地で再起しようと考えるも、大陸の違いにより中央大陸共通貨幣であるアウルムもなく、ほぼ着の身着のままである彼女には魅了を試みるチャンスすら無かった。
空腹により上手く練られない力では服装まで変化する余裕は無く、服もボロボロ……貴族のフリだってできない。
野心を抱き、贅沢の限りを尽くした結果がこれでは、当然反省もするというもの。
だが反省すれど、謝罪すれど……誰も彼女に目もくれない。
もはや後悔すら歴史の中に消えていくのだろうか。
そう思えたときだ……。
そんな彼女に手を差し伸べたのが、ユウェルだった。
「大丈夫か?」
気付かぬうちに王城の庭へ迷い込んでいた彼女を、ユウェルは秘密裏に保護した。
そして彼女の過去、反省、後悔……それらを聞き、ダッキを密偵として雇用、エリザベス・ブラン・ノワールとしての戸籍を与え、新たな人生を歩ませたのだ。
反省を信じるお人好しだったから、自在に動かせる密偵が必要だったから。
きっと清濁色々な理由があったのだろう。
何にせよ、リズベスはこの事でユウェルに強い恩義と情愛を感じていた。
そして今度は……彼に必要とされない限り魅了は使用せず、魅了などという強風が吹けば倒れる脆弱なものではない、魅了に頼らない強固な人間関係を築こうと決めたのだ。
しかし、今はユウェルたっての願いにより、クリムゾニア軍のため魅了を行使している。
なんとも不思議な話だ……。
封じた魅了を使う理由が、ユウェルに頼まれたからとはいえ、ユウェル以外の為だとは。
そう考えながら、リズベスは少女を抱き上げる。
そしてアラクネの方を向いた。
「ねえ……この子、使えるよね?」
「そうね……ふふふ、難攻不落のアルテューマが子供の手により瓦解するか、いいじゃない……! そっちは任せるわ!」
邪悪な笑みを浮かべ、舌舐めずりをするアラクネ。
彼女を見ていると、リズベスはクリムゾンフレアの能力と自分の能力の違いについて考えてしまう。
クリムゾンフレアの能力は洗脳であり、自分の能力は魅了だ。
この二つには大きな違いがある……そう考えている。
自分やカペルの行使する魅了は飽くまで自らに惚れさせる能力、精神の根底まで変えるわけではない、だから優れた術士による解除が出来るのだ、もっともそれができる者は本当に一握りの優れた存在だけだろうが。
対して……クリムゾンフレアの使う洗脳は、相手の精神を根底から覆す能力だ、故に解除の方法は存在しない。
刀鍛冶で例えるならば……魅了が刃はそのまま剣の持ち手だけ作り替える力なら、洗脳は刃の部分すら根本から別の素材へ変えてしまっているのだ。
精神……それこそその人物がその人物である証しとするなら、肉体の変化も併せてまるでその力は新生物の創造をしているかのようだ。
それはもはや、魔術といった域ではなく……。
「ねえ、どうしたの“アラクネ”ぼーっとして……早く動きましょう」
「……! そうですね、分かりました……蜘蛛神の使者様」
声をかけられ、立ち居振る舞いをアラクネのものにしながら歩き出すリズベス。
何はともあれ、今は作戦行動中だ。
色々と考えるのはまた今度で良いだろう。
そう考えながら歩くリズベス……。
向かう先はただ一つ、子供達が集まるという秘密基地だ。
アルテューマ領の子供はとある場所で、大人には内緒の基地を作っている。
そこで子供達を魅了、手駒とし……。
秘密裏に進めていくのだ、アルテューマへの浸食を……。
全く、こんな事を思いつくなんて我ながら“いい趣味”をしている。
そう考えながら、リズベスは子供の案内を受け歩くのだった。
「そっちは任せたわよ」
一方、アラクネは蜘蛛神の寺院へと向かっていく。
そこには一人の女……アラクネの姉がいるのだ。
アルテューマ家次女、ソルティー・アルテューマ。
彼女に会えば、敬虔な蜘蛛神信徒である彼女はどんな顔をするのだろうか。
そう考えながら、アラクネはほくそ笑む。
楽しみだ、敬虔な信徒様に対して真に信ずるべき存在を教え込むのは……。
路地裏に静かな嘲笑を響かせ、アラクネは人間形態に戻る。
といっても今現在アラクネはリズベスなので、また別の姿への擬態だが。
何はともあれ人間に扮し、アラクネは笑う。
そして、静かに静かに……この地を在り方終わらせるべく、歩くのだった。




