第九十二話 多感な少年と鈍感な粘体
「ふう……執務も一段落か」
「そうね……やっと終わった……」
ルイン村から帰還し、すっかり時間は真夜中。
執務を粗方終え……悩みを抱く者達の気持ちなどいざ知らず、クリムゾンフレアとピーヌスは執務の終了に安堵する。
ため息と共にブレスが出そうになる口を押さえ、目を細める二人……。
もう一生出撃日を決定できないのではないかと思ったぐらいだ。
そこまで思っていただけに、片付いた書類の山は強い達成感を与えてくれる……。
「さてと……出撃日はいつにするか、その協議を行うためにも猫又之国とサーペンタインに早馬を飛ばさなくてはな」
「そうしましょう、本当にようやくって感じよね……」
起こしてしまうのは申し訳ないが、そう考えながらもクリムゾンフレア達は伝令兵の元へ向かう。
伝令兵は城の兵舎にて、常に万全の状態で向かえるよう休んでいるはずだ。
彼らの元へ向かうには、執務室から少し歩くことになる。
まあ急いで音を立てては時間的に迷惑だろう、そう考えて二人はゆっくり歩くが……。
その途中、二人はアルマと鉢合わせた。
「ん……? こんな時間まで起きているのか」
「だいぶ夜更かしなのね、私達も人のこと言えないけれど」
「お前達と同じだ、粘体生物の私には睡眠が必要ない……だから星でも見に行こうと思った」
オレオルも寝てしまって退屈を持て余しているのだろうか、アルマは星を見ると言って天井を指さす。
天井の遥か上は天上だ、夜になればそこに広がるのは星空。
天の光は全て星、なんて名前の小説があったが……飛行機もロケットもない今の時代においては、まさしくその通りだろう。
満天の星々を見るというのは、確かに楽しく美しいものだ。
「星空か……そういえば今更思ったのだけれど、世界がどうなっても星空は変わらないのね、月があって星がある……」
「そうだな、私も世界の真実を知る前にそう思っていた、今思えば元の世界の上に天蓋を作ったのだから変わらなくて当然なのか?」
クリムゾンフレアはそう言うが、どこか自分でも曖昧なように思える。
天蓋がただの物理的な蓋には思えないのだ。
あれはもっと、次元をねじ曲げたものが結果として蓋のような形に見えただけ……そんな気がする。
きっと、だからこそこの世界にも地下は存在して、クルテルが世界を繋いだ場所であるルイン村の地下を除けば温泉が出たりといったごく普通の状態なのだろう。
しかし次元が異なるというのなら、何故星空は変わらないのだろうか、そこが少し疑問となる。
そんな疑問を口にするクリムゾンフレア、その顔を見ながらアルマは頷いた。
「宇宙の海というのは、物理的な海ではないからな」
「物理的じゃない……? そりゃそうでしょ、水じゃないもの」
「ああ、そういう意味ではなく……宇宙というのは様々な可能性へ繋がる異次元空間なんだ」
アルマはそう言うと、右手を上に伸ばす。
伸ばすと言ったも単純な挙手ではない、粘体である事を活かして天井まで伸ばしているようだ。
こういう所は俗に言うスライム特有の力だろう、彼女が見た目は完全に人でも本質は悪魔だということを思い出させる。
「今私は右手を天井まで伸ばした、しかしこれを普通に挙手して済ませた場合や、逆に左手も一緒に伸ばした場合や左手だけ伸ばした場合もあり得るだろう、世界中のあらゆる生命にその分岐は存在し、そういった可能性の数だけ世界というものは無限に分岐する」
「平行宇宙論とか……マルチバース論っていう奴?」
「ああ、そのうち大した分岐がない……本当に世界中を探しても右手左手の差異くらいしか無いような近似値の世界はたまに融合して一つになるんだが……時折食器を右に置いたか左に置いたか曖昧になって探したりするだろう?」
アルマの言葉に、二人は「なるなる」と頷く。
フォークを置いてよそ事をした後、どこに置いたか忘れて探し回るなどよくある事だ。
家の鍵を閉めたか曖昧になったり、今朝食べた食事を忘れたりするのもまた近似値世界の融合なのだろうか?
「それが平行世界の融合だ、しかし当然分岐というのはそうやって融合できるような小さなものばかりではない、故に融合しきれない大きな分岐こそが……」
「分かった、宇宙に広がる星の数々なのね!」
「ご名答、水金地火木土天海冥といった惑星……いや、かつての世界が滅びる前には冥は外されていたか? ともあれそれも、それ以外の星も……全ては世界の可能性の姿というわけだ」
「……なるほど、世界の可能性を繋ぐ海、それが宇宙……」
「故に時空の境界は常に曖昧で、どこから宇宙を見ても同じ星空が見えることになる……前の世界における人類は宇宙開発に手を出すも、それを知るところまでいけなかったようだな」
そこまで言うと、アルマは「もっとも、観測の神による受け売りだが」と腕を組んだ。
受け売りだとしても、宇宙の話というのは中々に興味深い。
ピーヌスは可能性に幾つもの分岐があるということをウロボロスから聞いていたが、選ばなかった可能性もまた宇宙のどこかに存在しているのだ。
そんな世界で自分はどう生きているのだろうか、そう思うとワクワクする。
これはまさに、スペースだとかコズミックだとか、そんな手合いのロマンだろう。
「分岐か……想像も出来ないな」
「まあ……そんな可能性を感じられるから星を見るのが好きなんだよ、私は」
そう言い、アルマは「自分が罪を犯さず人と平穏に暮らした世界も有るかもしれないしな」と笑う。
その世界の自分はきっと、幸せに生きているのだろう。
だが同時に、自分は今の可能性を辿ったからこそオレオルに会えた。
ならばこの可能性こそが自分にとって一番の幸せなのだろうとも思う。
オレオルの傍らで、オレオルを慈しみ、オレオルの成長を見守る……。
それができない世界なんて想像するだけで恐ろしい。
なので想像するのは、オレオルと色々なことをして、色々な場所を見る可能性ばかりなのだが。
「今こそが一番幸せな可能性、ね……」
「勿論他の可能性など知れないからこその感覚かも知れないが、それでもそう思いたい」
「そうだな、この世界の可能性を愛するからこそ……きっとこれからの行動にも責任と誇りを持っていける」
そう言うと、クリムゾンフレアはピーヌスを抱きしめてキスをする。
そんなクリムゾンフレアに、ピーヌスも嬉しそうにキスを返した。
キスが情愛を伝えるために行うものだというのはアルマも知っている。
いくら性愛に疎い粘体生物でも、人に紛れて生きていた以上それくらいは学んでいたのだ。
しかしこうして実際に行うのを見るのは初めてで「なるほどこすうるのか」とまじまじ見つめてしまう。
その視線に、クリムゾンフレアとピーヌスは少しばつが悪そうにした。
「……あまり見るな」
「そうね、恥ずかしいわ」
「そういうものなのか、分かった……すまない、ごちそうさまでした、二人でごゆっくり……と言えばいいのか? とにかくお邪魔粘体は退散するとしよう」
一礼し、歩いて行くアルマ。
その背中を見ながら、クリムゾンフレアとピーヌスは「なんだかなあ」と呟き見つめ合う。
そして……苦笑し、互いの腕を笑顔で小突き合うのだった。
「さて……どっちだったか……出口」
アルマは呟きながら、クリムゾニア城の中で立ち止まる。
正直な話をすると、アルマは方向感覚が曖昧だ。
これが粘体であるからなのか本人が持つ素の性質なのか、それは他の粘体を知らないため分からない。
「すぐに退散しないで、ちゃんと道を聞けばよかったな」
そう考えてアルマは扉を開く。
その先は食堂だ。
食事を行わないアルマには縁遠い場所と言えるだろう。
そんな食堂の奥に、小さな光が見える。
うっすらと、範囲は狭い……魔法によるものではなく恐らく火の光だ。
「む……誰かいるのか?」
問いかけながら奥へ進むアルマ。
その視線の先にいたのは……オレオルだ。
不審者では無かったことに安堵するが……同時にビックリしてしまう。
寝ていたはずなのに何故ここにいるのか分からないのだ。
「ん? オレオル、あなたこんな所で何をしているの? 寝てたんじゃ?」
「あっ、いた! お姉ちゃん起きたらいなかったんだもん、粘体に食事は必要ないって言ってたけど、やっぱりお腹すいたのかなって」
お姉さんとしての口調になり、問いかけるアルマ。
そんなアルマにオレオルが抱きつく。
どうやらアルマを探しに来たらしい。
それで蝋燭を片手にこんな所にいたようだ。
心配させてしまったことに、少し心が痛くなる。
「そう、心配させたわね、ごめんなさい、一緒に部屋まで戻りましょうか」
「うん!」
頭を撫でるアルマに、オレオルが笑う。
そのまま二人は連れ立って部屋まで歩いて行くことにした。
勿論、オレオルの案内でだが……。
方向音痴は今のところ土地勘が無いなどと言って誤魔化したり、オレオルより後に歩いて対処しているが……。
それもいつまでもつのかは分からない。
もしバレたらどんな反応をされるのだろう、そう考えるアルマ。
そんな彼女に、オレオルが振り返って首をかしげた。
「そういえば、お姉ちゃんって何するために起きてたの?」
「星でも見ようかなと思っていたの、天体観測っていうやつ、よかったら今度こんな遅くじゃない時間に一緒にしましょう」
「うん!」
輝かしい笑顔を見せるオレオルに、自然と頬が緩むアルマ。
二人は寄り添い、そのまま部屋に戻る。
そして一つのベッドで横になった。
粘体であるアルマと一緒に寝るのは、まるでウォーターベッドのような感覚で柔らかく、ひんやりとしていて気持ちが良い。
だが……。
「おやすみ、オレオル」
囁き、額へキスをするアルマ。
その感触にオレオルは顔を真っ赤にする。
感触は粘体特有のひんやりとしたものだが、キスをする部位……つまり唇の形状は人に擬態している以上、当然人同様のものだ。
ともすれば、当然キスをされたとき肌に感じる形というものも……。
そして、抱きしめてくるアルマにどぎまぎしながら……下半身に初めての感覚を覚えるのだった。
勿論、アルマは小児性愛者ではなく、そもそも性愛というものを知らない。
純粋な親近感と好意、そういった情愛によってこの行動をしている。
しかし思春期へ入ろうとしている少年にとってこの行動がどれだけ刺激的なのかは言うまでもない。
そんな事はいざ知らず、オレオルの頭を撫でるアルマ。
その感触を抱きながら、オレオルはなんとか寝ようと目を閉じるのだった……。




