第九十話 痛みは連鎖するものだ
国では監視の目も国民感情のため優等生に振る舞っている部分も有ったので、圧し殺しているところは有ったのかもしれない。
だからこそ国外に出たことでハイになり、いつも以上に理性のタガが外れたという面はあったのだろう。
そして同時に、国外に出たからこそ冷静に自分を思い返す余裕もでたわけで……。
それこそが今まさに、ノエルを追い詰めているものだった。
心の余裕というのは常に良いものというわけではないのだ、むしろ余裕があるからこそ思考の時間が増えて……それにより自らを傷つけることもある。
「呼ばれて来たが……こんな様子のノエルを見たのは初めてだな……」
「だね、姉貴がこんなに怯えるなんて見たこともない」
すっかり怯えきり、震えている様子のノエル。
下手に声をかければ、不安定化した情緒によりまた普段の調子を取り戻し、取り乱し……の繰り返しになるため、声をかけることは出来ていない。
その為、何を思いだしているのかも聞けない状態だ。
何せ今ここに居るのはユウェル、アステル、アラクネ、ワルト、ルーチェ。
一番知識のあるワルトでも読書による聞きかじりレベル、看護を学んだアステルも飽くまで傷病看護であり精神的な傷は専門外。
こういう状況でどうすればいいのか分からないのだ。
そんな一同の元へ、ユウリィが走ってくる。
かなり焦っている様子だ。
「すいません、遅くなりました!」
「ごめ、んね……二人で、散歩……してた」
どうやら城に村と所在がハッキリしていた二人と違い、彼女達は散歩していたらしく連絡が遅れたようだ。
そんな彼女達にユウェルは「気にするな」と首を左右に振る。
しかしユウリィが来てくれたならば一安心、これで少し話が進むだろう。
「ユウリィ、君は精神に干渉する魔法を学んでいたな」
「ええ……極限状況でもない限りあまり強い力は出せないですけど……」
「ぜんぜん大丈夫だよ、少し姉さんを落ち着かせてくれればそれでいいんだ」
少し姉さんを落ち着かせる、そう言われたユウリィは震えているノエルを見た。
ようは、俗に言うトランキライザーの役割を行うために呼ばれたのだ。
正直あまり自信はないが……そうも言ってはいられない。
今にも倒れてしまいそうな、普段の姿からは想像も出来ないか弱い姿のノエル……。
これを見れば自信が無いと首を左右に振るなど出来ないだろう。
「分かりました、では……少し待ってください」
深呼吸をし、精神的に集中する。
この能力を使用するには集中が必要なのだ。
ルイン村で行使した時のような究極の集中が得られれば辺り一帯に効果を及ばせることも可能だが……しかし、あれは飽くまで飢餓という極限状況が生み出したもの。
その状態を過ぎてしまえば、行使できる能力は一人を対象として恐怖を忘れさせるくらいになってしまう。
もしかすると、記憶を奪う力へと咄嗟に発展させられたように修練を積めば他の感情にも干渉できるかもしれないが……。
しかし、今は恐怖だけだ。
(怖いとか戦場じゃ使えないとか決めつけないで、もう少しこの能力も修練しておけばよかったな……)
実のところ、この能力はドゥルキス家の伝統というわけでも、ブラエドの魔術師ならみな持っているものというわけでもない……ユウリィの先天的能力だ。
由来も理由も分からないこの能力、正直ユウリィはあまり好いてはいない。
果たして両親の血筋による先祖返りなのか、もっと別の理由なのか……。
それすら分からない能力を頭の片隅に置きつつも、ユウリィは内心不気味がって生きてきた。
ルイン村の一件で極限状態になり縋ってしまったことで、むしろ恐ろしいとすら感じ始めたくらいだ。
しかし、こうして役立てる機会が来るとなれば……修練しなかったことを少し後悔してしまう。
「……よし、いきますよ……」
精神を集中し、ユウリィはノエルの恐怖を抑制する。
するとどうだろう、ノエルはゆっくりと震えを止め……顔を上げた。
そして、周囲をキョロキョロと見渡している。
「ノエル、大丈夫か?」
「お兄様、アステル……」
「落ち着いて、ゆっくり話してよ……母上との間に何があったか」
二人に諭されながら、ノエルは目を伏せる。
何を考えているのだろうか。
それはノエルにしか分からない。
「頼むよ、二人とも性別の差があるからって理由で、僕には色々教えてくれなかっただろ? 母上は兄貴と距離を取っていたし、聞かないと何も分からないんだ」
家族なのに……いや、家族だからこそだろうか。
ノエルとアステルの母は、異性であるアステルやユウェルと距離を取り、二人に秘密で何かをしていたようだ。
その子細を知るのは当然ノエルだけ、なので彼女が明かさなければ何も始まらない。
そんな状況ゆえ、どうしても視線が集中する。
恐れはある程度ユウリィが取り除いているので……有るのは純粋な嫌悪だろう。
「……穢されたこと、思い出しちゃった……ずっと蓋をしてたけど、ゆっくり考えたら思い出しかけて……そこで体を触れられて、一気にぶわって」
「穢された……?」
「母上が、父上と自分を繋げるための道具としていつかお前も父上を喜ばせられるようにしろって、無理矢理……」
腕を抱き、ノエルは牙を食いしばる。
今やその肉体は龍人となり、母に弄ばれたときの体とは違う。
だがそれでもその感覚はよく覚えているのだ。
「服を剥かれて全裸に貶められて、嫌だって叫んでも母上が無理矢理……」
「……あのアマ……僕たちを鎹としか見てなかったのは知ってるけど……そこまでしてたのかよ……」
嫌悪感を胸に実母を「あのアマ」と唾棄し、拳を握るアステル。
以前、姉に対して「異種族へ性的に迫りそう」なんて目を向けたことに少し後悔しているところも有るのかもしれない。
「結局、正妃様が行方不明になって代用品の役割を求められてから母上はもう何もしなくなったけど、代わりに……」
「二人を見なくなった、か……」
「見捨てられたのよ、さんざん弄ばれたのに……いらなくなったらポイ、それでもう見向きもされない」
ノエルはそこまで言うと、頭を抱えてうずくまる。
母に弄ばれたことが恐怖の領域なら、ここからはまた違う領域なのだろう。
嫌悪か、怒りか、それとも……また別の気持ちか。
「人間が嫌いになった、二人と父上以外はみんな大嫌いだった、きっと皆私を汚らわしい目で見てるんだって、だから母上に強いられた優等生の私しか必要としてくれないんだって」
「だから姉貴は……」
「そう、だから生物学を学んだ、人間以外を好きになった、性愛の意味でもそう、動物は人間と違って純粋な繁殖欲の為に身を結ぶ、穢すだけ穢して捨てたりなんてしないもの、だから……人以外になりたかった」
人間をやめたいと強く主張したのもそういう理由だったのだろう。
そんな気持ちを吐き出すように呟くと、ノエルはうっとりと龍人の体をさする。
鱗と蛇腹に包まれた肉体を触り、息を吐く姿はどこか艶めかしい……。
龍人だからこその色香を感じるものだ。
「けど、実際に異種族と出会って……分かった、自分には信じる心がもう残されてないって、普通の恋愛をしてそれでも傍に居てくれるなんて信じられない、きっと捨てられる、そう思ったら無理矢理愛して束縛しようとするしか出来なかった」
「そんな本心に蓋をして、向き合う暇なんて無かったから……」
「そう、どんどん泥沼化していった……」
きっと母に対しても思っていたのだろう。
母が自分に無理矢理行為を迫ったように、自分も母を殴って首を絞めてでも無理矢理束縛すれば……きっと母は自分を見続けてくれていたに違いないと。
そんな暴力的衝動と理性がごちゃごちゃになり、無理矢理に相手を拘束するが暴力までは振るえず、過剰なスキンシップとなる。
これがノエルの変態的行為の理由というわけだ。
それを知り……アラクネはなんと言って良いか迷う。
ノエルには確かに、無理矢理迫られて怖かった。
しかしそれは母に無理矢理穢されて捨てられたことのトラウマによる連鎖だったのだ。
全てを許容できずとも、責めることもまたできない。
どうすればいいのか迷うアラクネ。
そんな彼女にノエルは静かに頭を下げた。
「色々ごめんなさいね……無理矢理迫ったりして、馬鹿だった、自分がされて嫌だったことを人にして」
「い、いえ……その……」
「本当に馬鹿だった、ごめんなさい」
謝られてはもう何を言っていいか分からない。
ただ黙り込むアラクネ。
そんな彼女の中には、一つの気持ちが渦巻いていた。
「ユウリィもありがとう……あなたのおかげで、冷静に色々見つめ直せたわ……そう、あなたのおかげで……母上を殺すって目標が出来た」
「あ、あの、ノエル様……」
「食い殺してやる……頭から食らいついて、首から上と胴体を引き離した上で血の花を咲かせて、王城の外壁に打ち付けて飾りにしてやるんだ……」
母への憎悪を呟き、ノエルは目を閉じる。
そして……この場にこれ以上いる気分にはなれなかったのか、痛みから逃げるようにして翼を広げ、空へ飛んでいくのだった。
魔力による上昇、そして滑空……。
追えるのはアステルくらいだが、追いつくのはまず無理だろう。
それだけ龍人は素早いのだ。
(……お妾様が彼女に痛みを与え、彼女は私に痛みを与え……痛みは連鎖した、そのケリのためにノエル王女は実母を殺そうとしている……)
去りゆく背中を見つめ、思考するアラクネ。
先ほど渦巻いていた気持ち、それはいずれノエルの母にけじめを付けさせないといけないという気持ちだった。
だが……けじめにも方法は有る。
本当に彼女の言うような方法で良いのだろうか?
きっと彼女の母が死に痛みを感じる者もいる。
王を殺す、騎士を殺す、有力貴族を殺す……それとただの側室を殺すのは大きく違う。
憂さ晴らしでしかない殺しなど行ってしまえば、筋が通らないという一つのロジックエラーが生まれ、それはやがて憎悪になる。
ならば戦後の世界を憎悪で脅かされないためにも、別の手段を探すべきなのでは、そう考えているのだ。
(……変な話だ、私に嫌な気持ちを与えた人なのに……その人のことを考えて、やるべき事を探してる)
ブラエド時代は国への忠義とユウリィへの敬意だけを考え、クリムゾニア時代もまた与えられた忠義と敬意、そして元故国への敵意だけを糧にしてきた。
そんな自分がこうも誰かのことを考えている……それも、自分に酷いことをした相手のことを。
不思議で仕方がない、だが……。
これまた不思議と……悪い気、というものはないのだった。




