第十話 運命の半身
辰巳ユウコにはかつて兄がいた。
辰巳ユウイチ、文武両道の尊敬すべき兄だ。
「ユウコ、おはよう」
「あ、兄さん……おはようございます」
たまに見舞いに来てくれる程度しか繋がりのない二人であったが……。
それでも、両親のしてくれない見舞いをしてくれる兄を、ユウコはそれなりに慕っていた。
同時に、尊敬もしていた……なぜならユウイチはユウコにはできない運動も、勉強も……何でもできる人だったから。
だが……彼との思い出は、莉子との思い出と違って良い思い出ではない。
かつては幸せだったが……いや、だからこそ。
だからこそ彼との思い出は、辛い思い出なのだ。
「なあユウコ」
「……? どうかしましたか、兄さん」
「何か……俺にしてあげられる事はあるかな」
ユウイチの問いかけに、ユウコは首を振り気持ちだけでじゅうぶんだと伝える。
そんなやり取りが日常化するくらい、兄はいつでもユウコを気遣っていた。
互いを思いやり、心寄せ合う間柄だった。
なのに……なのに、あの出来事は起きてしまったのだ。
「なあ、ユウコ……」
「……?」
ある昼下がり、珍しく院内だけなら車椅子で動いていいと許可が出た日のこと。
兄は、階段を背に立ってユウコをじっと見つめた。
そして、ユウコの肩に手を置くと静かに笑みを浮かべる。
「兄さんはさ、疲れたんだ……」
「……? 何に、ですか?」
「……父さんと母さんの期待に応えるのに」
そう言うと兄は、階段の下をじっと見つめた。
まるで救いを求めるかのように。
「ユウコも……生きてて辛いだろ?」
「それは……辛いですけど、でも……」
「だったら……兄さんと一緒に、ここから落ちて死のう」
ユウコが言い切るよりも早く、兄がユウコに手を伸ばす。
殺される、世間知らずなユウコだってそれくらい理解できた。
しかしユウコはまだ死にたくなかったのだ。
狭い世界しか知らず、何も為せず。
ただ生きているだけの状態を、じゅうぶんに生きたなどとは思えなかった。
だから、辛くても死にたくなんてなかったのだ。
そこからは……咄嗟だった。
「やめてください!!」
パニックに陥りながら、両腕を前に突き出す。
そして、兄は目の前で落ちていった。
階段の下へと……。
「え……」
呆然とするユウコの前で、赤い飛沫が飛び散る。
そして、血は次々と溢れ……。
ユウコはただ、声すら出せずにいた。
これがユウコの殺人の記憶……。
そして、もう一つ……殺人の記憶があった。
洞窟から飛び出した名もなき龍は、ただただ空を飛んでいた。
しかし、洞窟を壊したうえでそんなことを行っていれば当然噂になってしまう。
紅き炎と共に封印の洞窟から現れた恐ろしい魔力を持つ龍……預言に語られる国家転覆の悪魔が飛び回っていると。
この日、龍には名が与えられた。
厄災クリムゾンフレア、国のために倒すべき悪。
それが彼女にようやく与えられた名前だった。
「いたぞ、クリムゾンフレアだ!」
「!?!?!?」
訳もわからぬまま、追われる身となったクリムゾンフレア。
彼女はその理不尽に打ち震えながら、ただ逃げ続けていた。
他のみんなと同じように生きたいだけなのに、何故逃げないといけないのか。
ただ飛んでいるだけなのに、理不尽に責められ……命を狙われる。
苦しくて悲しくて、クリムゾンフレアはただ涙を流していた。
そして……逃亡生活が一月ほど続いた後、その日は来た。
「追い詰めたぞ、我が娘よ……逃亡もここまでだ」
「むす、め……? あなたが、お父さん……?」
問いかけるクリムゾンフレアに、同じ色の鱗を持つ龍は静かに頷く。
そして勢いよく、その手でクリムゾンフレアを壁に叩きつける。
「……!」
「悪い娘だ、洞窟に幽閉され続ければ生かしてやったものを」
父王はそう言い、何度も手に力を込める。
そのたびに壁に叩きつけられ、クリムゾンフレアはうめき声を上げた。
痛い、苦しい、嫌だと。
「なんで、お父さんなのにこんなことするの……?」
「お前が、預言された悪魔だからだ、この国を転覆させる存在だと神から伝えられたのだよ」
「あくま……?」
悪魔、そう言いながら父はクリムゾンフレアを殺そうとする。
その理不尽に、悲運に、クリムゾンフレアは身をよじり……なんとか空に飛び上がって逃げ出した。
(なんで? 私、何も悪いことをしていないのに、預言されたから殺すの?)
「待て、クリムゾンフレア!」
(酷いよ、そんなの、酷い……嫌だ、やだ……嫌だ!!!!)
悲しみが、絶望が、強い怒りに変わっていく。
なんでこんな目に遭わなくちゃいけないんだ、そんなの理不尽だ。
激しい怒りを込めてクリムゾンフレアは、Uターンする。
そして衝動的な反抗心から……父を思いきり、突き飛ばした。
「なっ……!」
飛行中に突如攻撃された父は、魔力のコンセントレーションが切れてしまい、地上に落下する。
その先には尖った岩があった。
圧倒的な重量を持つ肉体が高空から落ちて……その先には尖った岩。
そうなれば、龍だって死ぬ。
腹を岩に貫かれた状態で、父王は血を吐く。
そして、クリムゾンフレアを睨み付けた。
「何故、お前は、私を殺す……親不孝者、め……」
「あなたが、私を殺そうとしたからに決まってるじゃないか……私は、あなたが閉じ込めなければ、殺そうとしなければ、あなたを憎まなかったのに……」
預言を鵜呑みにしなければ、預言の通りにはならなかった。
だがこの愚かな男は、預言を回避しようという自らの意思で預言を成就に導いてしまったのだ。
クリムゾンフレアは震えながら、亡骸に縋り付く。
そして静かに涙を流した。
「洞窟の中で、何もできないなんて生きてるって言わない……追われるだけの生活も、生きてるなんて言わない……私はただ、生きていたいだけなんだよ……」
心通じ合えなかった父の亡骸に縋るクリムゾンフレア。
その周りに、父の臣下達が集まってくる。
王を殺したクリムゾンフレアに臣従を誓うことで、これまでの追撃を赦免されようと考えたのだ。
こうして、クリムゾンフレアは望まぬ形で父の跡取りとなった。
父殺しを行うことで……。
これが、クリムゾンフレアの殺人の記憶。
(私達は似ている)
(我らは似ている)
精神世界、とでも言うのだろうか。
真っ暗な海の中で、クリムはユウコの姿でクリムゾンフレアと見つめ合っていた。
何故このような状態になっているのかは分からない。
(愛する兄を殺し、生きようとした)
(愛してくれなかった父を殺し、生きようとした)
指と指を絡め合い、顔を近づける二人。
どこか不思議な感覚だった。
シャングリラ・オンラインを見ていたときも、今も……クリムゾンフレアの視点で物を見ていたのだ。
こうして見つめ合うなどという機会は殆ど無い。
(殺人の重さを背負い)
(奪った命の分を生きようとした)
そこまで言い、ユウコは目を逸らす。
その視線の先には自分のひ弱な体があった。
(でも、私は命を落とした……そしてあなたも、5年後に……)
(そうだ、だからこそ……我がその運命を知っているからこそ、君が我に宿った)
(え……? それは、どういうこと……?)
戸惑うユウコを、クリムゾンフレアが翼で優しく包む。
そして、ユウコの頭を優しく撫でた。
(今は分からなくても無理はない、いずれ分かるさ……さあおやすみ、この事は忘れて、また共に旅をしよう、我と君の旅を続けるんだ)
(あ……)
クリムゾンフレアが額にキスをすると、ユウコの瞳が閉じていく。
そして……クリムゾンフレアとユウコの姿が重なり合い、一つになっていく。
胸に龍玉が現れ、真紅の輝きを放つ。
ビキビキと音を立てながら、全身を覆う鱗。
生じる蛇腹、鋭くなる爪牙、増していく筋肉……。
体格は大きくなり、頭には硬質の角が生え、尻尾も生じる。
顔はまるで引っ張られるようにしてマズルが伸び……ユウコは、いやクリムは目を開く。
瞳孔が縦に割れて、龍人の黄金の瞳が輝いた……。
そして、クリムはその翼を広げる。
夢の中での語らいを終え、クリムの旅路が再度始まるのだ。
(行こう、ピーヌスちゃんのところへ……)
クリムは満足げな顔で、夢の海を上へ上へと泳いでいく。
ピーヌスに教えて貰った泳ぎで……彼女に会いに行くために。
「ん……」
「……! ようやく起きたのね、おはようクリムちゃん」
クリムが声を上げたのを見て、ピーヌスが声をかける。
場所は……どうやら宿ではないらしい。
白く清潔な建物だ。
「びっくりしたわよ、血まみれで落ちてくるんだもの、でも……生物兵器を倒しきったのは本当に凄いわ」
「あ、ありがとうございます……ところで、ここは?」
ピーヌスに褒められ、クリムは思わず気恥ずかしくなってしまう。
だが、今は照れるよりもここがどこか聞く方が先だ。
見たところ、病院に雰囲気が似ていて落ち着かない。
「ここは街の診療所よ、あなたを治療するために運ばせて貰ったの」
「そうだったんですね……重かったですよね、すいません……」
「良いのよ、別に」
ピーヌスはそう言うと、読んでいた本を棚にしまう。
治癒術大全……というものらしい。
クリムのために読んでくれていたのかもしれない、と思うのは思い上がりだろうか。
「ねえクリムちゃん、一つだけ聞いていい?」
「はい、なんですか?」
「私ね、山賊相手にあなたが殺人者の義務を語っていたとき、思ったの……まるで自分に言い聞かせているようだ、って……そして、昨日の一殺多生を受け入れている様子……」
「……」
ピーヌスの言葉に、クリムはばつが悪そうに目をそらす。
だが……すぐにピーヌスの方をむき直した。
その様子を見て、ピーヌスも話を続けようと判断したらしい。
「あなたは、人を殺したことがあるのね」
「……はい」
ピーヌスの言葉に、クリムは静かに頷く。
ここで否定するようでは駄目だ。
問われたなら、否定せず向き合わなくてはいけない。
「私には……兄がいたんです、兄は病院で暮らしている私にも、よくお見舞いに来てくれる人でした、大事な人だったんです、でも……ある日、私を殺そうとして……咄嗟の反撃でした」
「そっか……」
「私は、私が生きるために兄を殺した……その罪悪感に言い訳をするのは簡単ですけど、でもそれをしたくなかった、そんなのは……生きているなんて言えない、私は兄から奪った命の分生きる、なら全て受け止めないといけない……そう思ったんです」
実際、無理心中に巻き込まれかけての正当防衛は認められ、だから自分は悪くないと言うことはできた。
だが、そんな大義名分を抱えて自分が殺人を犯したという事実から目を逸らすことはできない。
そんなのは生きているとは言えない、自分自身が認めない、そう思ったのだ。
殺めた分背負って生きる、痛みを抱えて生きる。
そうしなくては殺めた者に申し訳が立たない。
そう考えながら生きていたからこそ……死んだ時無念で仕方がなかった、新たな生を受けた時喜ばしくて仕方がなかった、もう一度……今度こそ生き続けようと思った。
「これが私の過去……です」
「……待って、でもあなたって健康体じゃない、病院……?」
「ええ……私は……私は、一度死んだんです、そしてこの世界に本物のクリムゾンフレアに宿るような形で生まれ変わった」
クリムの言葉に、ピーヌスは一瞬驚く。
だが、すぐに「なるほど」と言うと、合点がいったような様子で小さく頷いた。
そして、クリムを優しく抱きしめる。
「ありがとうねクリムちゃん、秘密を明かしてくれて嬉しいわ……」
「い、いえ……元々、どう説明すれば良いか分からなかっただけの秘密……ですから」
喜ぶピーヌスに、打ち明けた程度大したことではないと首を振るクリム。
だが……ピーヌスは、そうではないと言わんばかりに首を振り返した。
そして……。
「あなたのおかげで確信が持てたの、あなたは私の……運命の人だって」
「そ、そうですか……運命の……運命の!? ええええええ!?」
あまりに突然の言葉に、クリムは混乱し始める。
そんなクリムの隣に座りながら、ピーヌスは笑みを浮かべた。
とても穏やかな笑みだ。
「私はね、ずっと夢を見ていたの」
「夢……?」
「龍と人の魂を持つ誰かの夢、その夢を見る度私は『彼女は私の大事な存在、運命を共にする半身だ』って確信して、満たされなさを感じていた」
そう言うと、再度抱きついて頬ずりをする。
そしてにこやかに笑みを浮かべた。
ようやく求めていた存在に出会えたのだ、と言わんばかりに。
「改めて……私は確信したわ、あなたが私の運命の人……半身なんだって、ふふ……本当に、打ち明けてくれてありがとう!」
(う、運命の人……私がピーヌスちゃんの、運命の半身……?)
あまりの急接近に胸がドキドキして、龍玉が紅い光を放つ。
だが……不快なドキドキではない。
むしろ、クリムは満たされるような気持ちを感じていた。




