第八十五話 蛇女王と狼の長
箱船計画……その大いなる取捨選択が始まったのは、各種族の祖が文化を築き始めてからだ。
神秘と技術の区別がつかない彼らに、魔術を用いて天災を止めたり予言を行ったりすることで、神の使いであると認識させる。
そして龍人が国を作るべく遣わせた存在であると教え込むことで龍人信仰を生みだしていくのだ。
そうして作られた龍人伝承が一番色濃く残った土地、それこそが猫又之国である。
他の土地は戦争によるアカシックレコードの乱れなどもあり、伝承が残りきる分岐を探しきれず……しっかりと残ったのはここくらいになってしまったが。
それでも大きな戦力となる国家という最良の手札を一つ作れたのは大きいだろう。
世界の分岐というのは足を左右どちらから出したか、といった微細な変化ですら起きるもの。
そんな無限にある分岐の山からこれだけの成果を引き出せたのは、それだけウロボロスが予言の力を使いこなしていると言える。
「建国の祖たる龍の女帝はいずれこの地に降臨なされます、その時のために励むのですよ」
「分かりました、遣い殿!」
その後も計画は進み、本来の歴史であれば空白地だった場所へのサーペンタイン建国……。
また、本来は村であったニライカナイをブラエドと早期に戦争するための贄にすべく交易を仲介して大都市化するなどの工作を進めていったのだ。
さて……そんな暗躍の過程では当然色々なことが起きたりもする。
ミドガルズオルムが身体的に成長しすぎて都市に住めなくなってしまったことなどは、印象深い出来事の一つだろう。
「ミドガルズオルム……本当に良いのですか?」
「ええ姉上、私はあの大河に住もうと思います」
まさか、身体的成長を繰り返した蛇獣人がここまで大きくなるなどとは知らなかった。
しかし……なってしまった以上、もう元には戻れない。
ならば自分が住めなくなった事実を受け入れるしかないだろう、ミドガルズオルムはそう割り切っていた。
妹のそんな成長は嬉しいが……同時に少し複雑でもある。
何せ彼女は生まれたときから共に居た双子の姉妹。
そんな存在と離れるのは単純に不安でもあるし、ここまで苦難を分かち合ってきた存在とわかれたくない気持ちがあるのだ。
しかし……ここで都合良く解決する分岐など見当たらない。
となれば、もう気持ちを切り替えるしかないだろう。
「せめて……あの川にかかる橋をより大きくするとしましょう、そしてあなたをこの国……ならびに民を守護する白蛇として祀り上げ、あの地を聖地に……」
「ありがとうございます姉上、その気持ちだけで嬉しいですよ」
見送られ、大河へと旅立つミドガルズオルム……。
その後大橋の建造が始まり、ミドガルズオルムはその間も行き来する人々を眺めながら修行を続け……今や大橋に匹敵するサイズとなったわけだ。
ずっと橋を見守っていた彼女がキケロ大橋に愛着を持っていたこと、またそこに込められた姉の思いを嬉しく思っていたのは言うまでもないだろう。
きっと、大橋が壊れたときに怒っていたのは、姉に大橋を壊すという選択をさせたブラエドへの怒りというのもあったのだ。
それはさておき……こうして妹と一時の別離となったウロボロス。
だが、別れがあればまた出会いも存在する。
国を治める身となったのもまた出会いを増やす大きなきっかけとなった。
そうして得た出会いは数あるが……最たるものはやはり、ガルム一行だろう。
「女王陛下、お目通り叶い心から感謝致す……俺はガルム、東にあるルージュ村という集落からやって来たウェアウルフだ、将来は族長の地位を約束されており、現在は見聞を広めるべく許嫁のマーナと各地を巡っている、ぜひ貴女の君主としての在り方を学ばせて頂きたい」
後に老ガルムと呼ばれ多くに慕われることとなる男、黒き風の狼ガルム・ルージュ。
その妻であり、一族でも最も血気盛んな斧使い……狩乙女のマーナ・ヴィンター。
彼らは国を離れられないウロボロスのもとによく訪れ、色々な話を運んできてくれた。
時に同行者も増え、北に行けば鳥人族の族長夫妻、零距離の射手カルラ・イラと一進一退の剣士グルル・イラを……。
東に行けば後に猫又之国最強の拳者と呼ばれることになる大臣一族の嫡男、透き通る白の拳者シライ・トオルを……といった具合に、様々な人を連れてきてくれた。
彼らの存在や色々なことを話してくれることは予言で知っていたが……。
それでもやはり、実際に目にし耳にするのとでは大きく違う。
あの時間は長い長い人生の中でも、最良に近い時間の一つだったと言えるだろう。
だがそんな時間も、いずれ終わりは来る。
「今までありがとう陛下、俺はこれから故郷に帰り正式にマーナと結婚し籍を入れた後、故郷を継ごうと思う」
「そうですか……とうとうこの日が来たのですね」
「ああ、父から手紙が来てな……とうとう倒れてしまったらしい」
ガルムが冒険の拠点としてサーペンタインを使い始めてはや2年。
別れの時がやってきた。
前触れもなく、とても唐突な別れ……だがそれも仕方がないのだろう。
彼の父は高齢で本来なら役職を辞していてもおかしくなく、見聞の旅も無理を言って出てきたのだと言っていた。
「世襲制の辛みだな、しかし……貴女のことは決して忘れはしない、もし必要なら言ってくれ、必ず力を貸すために戻ってくる……一族総出で力になるとしよう」
「ええ、ありがとうございます、ガルム」
穏やかな雰囲気の中、名残を惜しみながら二人は手を握り合う。
サーペンタインに伝わり、今もウェアウルフに友好的な理由の一つとなっている女王と狼の親友にまつわるお話はここまでだ。
……もっとも、それは世間に伝わっている分。
この話には少し続きがある。
「……ふむ」
穏やかな雰囲気が続くが……ふと、ガルムは眉をひそめた。
城に飾られた龍の絵を見ながら何かを思い返しているようだ。
いったい何を思い返しているのだろうか。
「……どうかしましたか?」
「いや……そういえば一つ聞いて良いか、陛下は龍の世界を見たことはあるか」
「龍の世界ですか……いえ、私は……」
ガルムの問いかけに、ウロボロスは首を横に振る。
龍の世界というのが存在するのはクリムゾンフレアから聞いているが……それを目にしたことはないのだ。
「俺は一度、そこへ飛ばされた……そして彼らを目にしたんだ」
「そ、それは……本当ですか!?」
「ああ……その時通った門はもう閉じてしまったが」
龍の世界へ行く、その分岐はどれだけ求めても見つけられなかったもの。
そんな分岐をよもやガルムが手にしていたとは思わなかったのだ。
「彼らは……どうでしたか?」
「俺の会った個体は……古風、頑固、尊大……よく言えば威厳があり、悪く言えば偏屈か、そんな雰囲気だった」
「そうでしたか……」
龍の世界、見たこともないその世界がどんなものなのかウロボロスは想いを馳せる。
母の生まれ故郷、そこが気にならないわけがない……。
テルメ村にこっそりと山賊討伐などの支援を重ねているところからも、そういった感情は見て取れるだろう。
「彼らは……不思議なことを言っていたな、あの世界はこちらの世界よりも高次の存在が住まう、更に高次なる存在の住まう世界との中継地点になる世界だと」
「高次の存在……?」
「それが何なのかはよく分からないが……」
高次の存在、それが存在するとすれば……もしかするとクルテルのような神だろうか。
龍の世界にもし行ければ、彼らの仲介により協力を仰ぐことも出来るかもしれないが……。
行ける分岐が見つからない以上、それは机上の空論だろう。
「ともあれ……ありがとうございます、また何かあれば声をかけますね」
「ああ、是非呼んでくれ」
二人は握手をし、一時の別離をする。
だいたい……現在より二十数年前のことだ。
それからしばらく経ち……ピーヌスが生まれる年がきた。
(……今年はピーヌスお母様の生年、か……)
予知能力により理解していたが、いざ迎えてみるとやはりそわそわする。
どうしても……一目見に行きたい、そう思ってしまうのだ。
長い人生だ、赤子は今まで掃いて捨てるほど見てきた。
しかし愛する母が赤子だった頃の姿となると……また違う。
「……何か建前は……ふむ……なるほど」
テルメ村が温泉事業を開始してから、今年で20年らしい。
猫又之国ほど有名ではなく、小さな温泉だが……ちょうど良いタイミングだろう。
二カ国の中継を行う重要地点だから、という理由を使い向かうことは出来る。
そう考え……ウロボロスは部下に通達し、出立の準備を始めるのだった。
表向きはお祝いを行うという建前で、内心には母を一目見たいという本心を抱えて……。




