第八十三話 蛇の姉妹は思い返す
「ミドガルズオルム、調子はどうですか」
「姉上、こちらは上々です……ブラエド兵をまた数名食ってやりましたよ」
サーペンタインとニライカナイをかつて繋いでいた橋、キケロ大橋……。
その跡地にて、コキュートス大河を見守る大蛇ミドガルズオルムに、ウロボロスが声をかけた。
純白の鱗を持つ、蛇の姉妹……しかしその能力は大きく異なる。
修行の末にアカシックレコードを見る未来視の能力を得たウロボロスに対して、ミドガルズオルムは肉体を兎に角鍛え、自らの種における限界を突き詰めた結果、常識外れの巨体を手にした存在だ。
その大橋ほどもある威容を見上げながら、護衛の兵士達は息を呑む。
「コキュートス大河に住まうという伝説の大蛇様……サーペンタインの守り神が、まさか実在していたとは……」
「しかも、ウロボロス様の妹君……こりゃあ公表された日にゃあ歴史学者は騒然とするだろうよ」
伝説の大蛇が実在していた、しかもそれが王妹殿下だった……そんなことが明かされれば、当然大混乱となる。
そんなわけで現在はコキュートス大河に駐在する兵士や護衛にしかその正体は伝えられていないという。
「あなたには辛い生活を強いました……ですがこの戦が終われば、正式に王妹として公表できるでしょう」
「良いんですよ、姉上とお母様達の為じゃないですか」
これまでは戦時の隠し球とするため……そして現在は戦時中に混乱が増えないようにするため。
そういった理由で秘匿されている彼女に、ウロボロスは負い目を感じているようだ。
しかし逆に、ミドガルズオルムは気にしていないらしい。
「姉上は姉上に出来ることを、私は私に出来ることを、それをするだけでしょ?」
「ミドガルズオルム……あなたは立派になってくれましたね」
目を細め、ウロボロスは過去を思い返す。
辛い記憶も多いが……それでも、妹が立派に成長してくれたのは喜ばしいことだ。
「今度はお母様達を連れてきますね」
「ええ、よろしくお願いします」
笑い合い、二人は頷き合う。
そして……彼女達は互いに、ゆっくりと思い返していた。
在りし日の思い出を……。
「あっ、見てクリムゾンフレア! 卵が……」
生まれて初めて聞いた声は、嬉しそうな女性の声。
そして目を開いて視界に入り込んだのは、赤い龍人と青髪の女性だった……。
1000年にわたる長い時を生きても、未だ忘れ得ぬ記憶……。
その1ページ目だ。
「ほら、私達がお母さんよ」
「ふふ……すっかりその気だな、しかしそうか……我らの娘か……」
辰巳夫妻の研究により高い知能を有するように作られたウロボロス達は、生まれた時点で物心がついていた。
勿論まだ学んでいなかったため言葉は知らなかったが……。
それでも、そんな赤子なりに彼らが親だということ、そして傍らの蛇が姉妹であることは理解していたらしい。
もしかすると辰巳ユウコの遺伝子上の血縁であること及び、クリムゾンフレアが辰巳ユウコの魂を継いでいる事も彼女達の認識に関係しているのかもしれないが、そこまでは不明だ。
「ねえ、この子達の名前はどうする?」
「そうだな……ユウコ、お前には何かあるか」
二つの魂が共存している状態であるクリムゾンフレアは、心中に宿る辰巳ユウコの魂に名前の案を伺っている。
そして……。
「神話か、なるほど……それはいいな」
「あら、ユウコちゃんは何か思いついたの?」
「ああ……ユウコがいた世界、この子達の卵が誕生した世界の神話から取って、ウロボロスとミドガルズオルムなんてどうだろうか、だそうだ」
ウロボロス、ミドガルズオルム。
共に“尾を飲み込む蛇”の呼称であり、その有り方から永遠の象徴として語られる存在だ。
その名の通り、そして蛇の体のように長く長く生きて欲しい、そんな願いが込められた名前……。
それを姉妹は、心の底から誇りに思っていた。
クリムゾンフレアが歩んだ5年の旅路において、蛇の姉妹が加わったのは2年目……つまり3年間しか共に在れなかったが……。
それでも姉妹は、何よりも彼らを愛していた。
「ピーヌスお母様、クリムゾンフレアお母様は?」
「お酒で火照ったから、少し夜風に当たるそうよ……ふふ、一人にして欲しいですって、ちょっと“あんな事”をしただけで……シャイなんだから」
ある日の宿……ピーヌスは笑いながら、ミドガルズオルムの問いに答える。
一方、ウロボロスはお酒に興味津々らしい。
果実酒の瓶をつんつん突きながら、口を開けて見つめている。
「お酒……どんな味なのかなあ」
「あら、ウロボロスちゃんはお酒に興味があるのね、ふふふ……美味しいけど、ウロボロスちゃんもミドちゃんもまだ子供だから駄目よ」
「子供は飲めないの?」
「そうそう、大人になってから……ああ、でもあなた達ってどこから大人なのかしら」
孵化して1年だが、既に二人は人間でいう6歳くらいの見た目になっているのだ。
このまま成長すれば成人女性くらいの大きさになるのもすぐだろう。
となると、肉体年齢準拠で飲酒の可否を決めれば良いのか、実年齢準拠にすべきなのか……それは分からない。
「何はともあれ……立派な大人になったら一緒にお酒を飲みましょうね、ユウコちゃんの世界では、蛇は大酒飲みの象徴なんですって、うわばみって……だからあなた達もいっぱいお酒を飲むようになるかも」
「いっぱいお酒……分かった、私もいっぱい飲めるように立派になる、だからピーヌスお母様の魔法もっと教えて欲しいな」
「じゃあ、わたしはクリムゾンフレアお母様に体を鍛えて貰う!」
和気藹々と話す三人……。
その姿を、散歩から帰ってきたクリムゾンフレアはそっと見守る。
いずれ家族四人で酒を酌み交わす日が来るのだろうか……。
そんな穏やかな未来に、想いを馳せながら……。
(その時は、どんな酒を飲むのだろうな……いつになるのか楽しみだ)
だが……。
その日は来なかった。
クリムゾニア建国から2年、クリムゾンフレアの旅路においては5年目のこと。
ブラエドとクリムゾニアの間に戦争が発生。
それにより、二人はルイン村遺跡の奥……かつて在りし世界に避難することになったのだ。
「クリムゾンフレアお母様……ピーヌスお母様……私達、こんなとこで待つなんて嫌だ!」
「大丈夫、私達すぐに終わらせて戻ってくるから……ね、クリムゾンフレア」
「ああ……だから、良い子で待っているんだぞ、ウロボロスもミドガルズオルムも」
「お母様、でも……でも……」
懇願する二人を制し、クリムゾンフレア達は天蓋の彼方へ飛んでいく。
二人はその背中を泣きながら見送るしか出来なかった。
また会える、きっと戻ってくる。
二人はその場から一歩も動かずに天蓋の穴を見上げて願い続けたが……。
しかし二人は一向に戻らず……結局これが今生の別れになってしまったのだ。
「どうしよう、二人ともずっと戻ってこないよお姉様……」
「……会いに行こう、もう待ってられない……!」
クリムゾンフレアから習った飛翔魔法を行使し、ウロボロスはミドガルズオルムを連れて飛び上がる。
最初は何度も失敗し、飛び立つことが出来なかった。
墜落し、転倒し……鱗はどんどん傷ついていく。
だが何度もチャレンジし、飛翔し……途中何度か魔力をリフレッシュさせるための脱皮により抜け殻を撒き散らすも、なんとか二人は天蓋を抜けて現世へと舞い戻ったのだ。
しかし……。
「な、何これ……」
そこで目にしたのは、多くの建物が倒壊して水浸しになった世界だった。
人も獣人も、誰もいないもぬけの殻の世界……。
その中を二人は、戸惑いながら進む。
まるでこの世界がかつて在りし世界のように停滞してしまったかのようだ。
何があったのか、誰かに聞きたい……だがそれを聞ける者はいない。
そんな中、なんとか勝手知ったるクリムゾニア王城に辿り着いたが……そこも既にボロボロだった。
勿論人気など一切無い……そんな中、ミドガルズオルムはふと壁を見つめた。
「姉上、これ……壁に文字が」
「え……?」
そこに書かれていたのは、クリムゾニア敗戦の経緯……。
そして皇帝と皇妃は敗死し、辛うじて回収できた遺品である龍玉と杖だけが地下に安置されたということだった。
つまり……クリムゾンフレアとピーヌスは死んだのだ。
「そんな……そんな!」
急ぎ、城の地下へと向かう二人。
そして彼らは目にしたのだ、遺跡に安置されていた杖と龍玉を……。
それは紛うことなき母の一部と、もう一人の母が愛用していた杖にほかならない。
「ああ、クリムゾンフレアお母様、ピーヌスお母様……」
「遺体は、見つからなかったの……? なんで……」
うずくまり涙を流す二人。
ミドガルズオルムはもうどうすればいいか分からない様子だ。
だが……ウロボロスは、なんとか顔を上げる。
「行こう……」
「行くって、どこへ……?」
「私達だけが最後の存在なわけない……きっと、どこかに誰かがいるはず……探さないと……」
何とか希望を抱こうとするウロボロス。
だが……ミドガルズオルムは首を左右に振る、まるでイヤイヤをするかのようだ。
「探すって……どうやって?」
「それは……」
ウロボロスは言葉に詰まってしまう。
それもそうだろう、具体的な案が有るわけではないのだ。
キョロキョロと周囲を見回し、なんとか案を探そうとするが……。
その時、ふとピーヌスの杖が目に入った。
『魔法にはね……遠くのことを知るような便利な魔法もあるのよ』
自分に魔法を教えてくれたピーヌスを思い出し、目を細める。
そして……結論が出た。
「私……魔法の修行をして、遠くを見れるようになるわ」
「遠くを……」
「それで、誰かを見つけて話を聞いて、お母様達の分も頑張って生きないと……」
お母様達の分も頑張る、ウロボロスのその言葉に感じ入る物があったのか……ミドガルズオルムは少し黙り込む。
そして、彼女も股顔を上げた。
「分かった……じゃあ、私はその間危険があっても大丈夫なように、体を鍛えるね……」
まだ泣きながらだが、なんとか微笑むミドガルズオルム。
こうして……彼女達は新たな一歩を歩み出したのだ。
まだまだ幼い身ながら、茨の道だと理解しながら……。
着実に、この世界の命運を左右することになる大きな一歩を……。




