第九話 殺人者たち
「ここは、危険かもしれない……逃げるべきでは……?」
問いかけながら、周りを見回すクリム。
だがピーヌスは首を左右に振った。
逃げるべきではない、と言いたいのだ。
「移動するのは店員さん、あなただけよ、あなたは……衛兵隊に報告を、私達は犯人が逃げないように……ここを見張る必要があるわ」
「犯人が……? だが、部屋には誰も見当たらないぞ」
「だとしても……店員さんが部屋を開けるまで、ドアを開ける音はしなかったのよ?」
そう言い、ピーヌスは部屋の中を見つめる。
確かにその通りだ、だが……犯人は部屋の中には見当たらない。
首を……恐らく何度もズタズタに引き裂かれた被害者と、倒れた椅子があるだけだ。
「これが不可視の犯人なのか、はたまたどこか隙間に入れるようなものなのか……分からないわ、とりあえず……私は彼の部屋を調べて手がかりがないか探す」
ピーヌスはそう言い、反対側にある殺された客の部屋に向かう。
ガットネーロは「じゃあアタシも」とついていき、ルーヴとクリムは部屋の見張りに残った。
ドアを閉じ、誰も出てこないように部屋の前で閉め切るというだけだが……効果はあるだろう。
「部屋には……鞄に、カゴ……?」
「ひっかき傷のあるカゴッスね、蓋が壊れてら」
カゴの隣には、何か紙が置いてある。
インクは乾いておらず……まだ書きたてのものらしい。
最初に書いてある文字からして……報告書のようだ。
「報告書……?」
「えーと、グシオン研究所……グシ研? それって、ブラエドの国家機関ッスよ」
元ブラエドの傭兵であるガットネーロには、グシオン研究所という名前に聞き覚えがあった。
国に認可された研究機関で、主に兵器開発を行っている場所だ。
男がその研究員なのか……はたまたその研究レポートを奪った狼藉者なのか。
どちらにせよ、ただならぬ事態なのは間違いがないだろう。
「ええと、研究動物記録……?」
「生物兵器……ってことッスかね?」
生物兵器……魔法を使い、動物を改造した生物だ。
魔法によって改造された生物であることから、魔物という通称でも呼ばれる。
その魔物に関するレポート……正直に言えば、不穏な空気しかない。
「被検体A78は……非常に臆病な生物だ、基本的に一カ所に籠もり、そこから動かない」
「臆病……ッスか、それは兵器失格じゃ? 戦場で戦えないなら兵器の価値ないッスよ」
「いえ……恐ろしいことに、この生物は非常に強い力を持ってるみたい」
書かれているスペックはこうだ。
この生物は非常に臆病で、とても戦場では使えない。
しかし生物としてのスペック……特に攻撃能力と攻撃本能は大きいのだ。
それを利用し、あることを考えた。
この生物を市街地に放り込んでみてはどうか。
臆病で攻撃的な生物は、生き残るために外敵と判断した者を殺し尽くすだろう。
つまり……。
「この生物を、市街地に放り込む……」
「それを目的に、あの男はカゴを持ってきたのかしら」
「臆病で、でも力が強い生物にそんなことをすれば……」
「未知の場所への恐怖から、暴れるでしょうね……」
更に、恐ろしいのはこれだけではない。
この生物は単為生殖が可能なのだ。
「単為生殖……?」
「交尾を必要とせず子供を産めるってこと……つまり、放っておけば増えるのよ……!」
あまりの事態に愕然とし、口元を押さえるピーヌス。
その時だ……彼女達の後ろで、ドアが開く。
衛兵隊の一人が来たらしい。
朝番が少ないのか、人数は一人だけだ。
「では、中を調べさせていただきます」
「……待って! 中を調べては駄目!」
叫ぶピーヌス、だがその時には既に衛兵は椅子を立て、天井を調べ始めていた。
そんな衛兵に……鋭い何かが向く。
首を狙った一撃だ。
だが、首と鋭い何かの間に紅いものが入り込む。
クリムの手だ。
「っあああああ!!!」
目を見開き、叫び声を上げるクリム。
その手からは血があふれ出している。
龍の皮膚を破るなどというのは、並大抵の刃物ではできない……恐らく純粋な物理的攻撃ではないのだろう。
「こ、これはなんなん……うわっ!」
椅子から降りようとした衛兵が、驚きのあまり足を踏み外す。
そのまま頭を打ってしまってようで、昏倒する衛兵。
そこにまた鋭い何かが振り下ろされようとするが……。
そこで、クリムの足が刃を下ろそうとした何者かを蹴り飛ばす。
「ぎあっ!」
蹴飛ばされた何かは、潰れたような悲鳴を上げて壁に衝突する。
いや、実際に内臓破裂などを起こしたのだろう。
龍の全力の蹴りだ、それもやむなしといったところか。
「はあ、はあ……」
壁にぶつかった何か……。
鎌が生えたイタチのような生き物。
その近くに火を浮かせながら、クリムは衛兵を持ち上げて連れ出す。
だがその背中へと鎌が振り下ろされかけ……そこで、ルーヴの斧がもう一匹の怪物をたたき落とした。
「一匹だけじゃないか……!」
「そうよ、こいつらは単為生殖で増えるの、警戒を忘れないで!」
衛兵とクリムに回復魔法をかけながら、ピーヌスが叫ぶ。
その隣で、ガットネーロが天井から下りてこようとした一匹を弓で射貫いた。
確実に、そして鋭く……急所を狙う一撃だ。
「こいつらは、何なんだ?」
「この国に持ち込まれた生物兵器……臆病で、それでいて凄く強い生き物……らしいわ、だから……外敵と判断した存在を見たら、それを殺し尽くそうとするの」
「たぶん、あの男が留守の間に暴れ、部屋をめちゃくちゃにして屋根裏に逃げ……それを察されないために物取りの仕業ってことにして、後で回収しようとしたところを殺されたんスかね……」
ドアから部屋を覗きながら、見つけた情報を話す二人。
その話を聞きながら、クリムは自分が仕留めた死体を見つめる。
明らかにおかしい方向で二つに曲がり、口からは血が溢れている死体……。
龍の全力は、これほどまでに恐ろしい光景をもたらすのだ。
「分かってると思うけど……奴らは確かに無辜の生物兵器、ただ連れてこられた……連れてこられてしまった存在だけど、でも容赦しちゃだめよ……奴らは飼い主を殺め、そして今も私達に危害を加えようとした、放置すれば無辜の民が死ぬの」
「ええ……分かってます、一殺多生……それしか道はない」
躊躇いないクリムの返答に、ピーヌスは一つの確信を覚える。
しかし、今はそれを意識の片隅に追いやり戦いに集中することにした。
「しかし……上に何体いるのだろう、血の臭いで邪魔されて分からないな……こいつらは臭いがきつすぎる」
「恐らく、臆病だからこそ他の獣に察知されないようにそう進化したんでしょうね……どうすべきか……」
「屋根裏にどれだけいるか確認しようとしても、上ろうとすれば斬られるッスもんね」
「斬られる……」
傷の治った手をさすりながら、クリムは考える。
先ほどは思わず声が出たが、痛みは慣れっこだ。
それに龍の肉体は頑丈で、少し斬られて出血したところで大きな痛手とはならない。
ならば……すべきことは一つだろう。
「私が先行して上ります、頑丈ですから……で、注意を全部引きつけるんでその間に上へ」
「待って、それは流石に危険よ」
「でも……他に方法はないでしょう?」
クリムの問いに、三人は考え込む。
実際に方法はないのだ、こうしている間にも増えてしまう可能性はある。
ならば……。
「大丈夫、すぐ合図を出しますから!」
「分かった……でも、死にそうになったらすぐ下りるのよ」
ピーヌスの言葉に頷き、クリムは屋根裏へと入り込む。
龍の体に今存在している入り口は狭いので、若干壊しながらだが……しょうがないだろう。
「!?」
「いた……! こんなにいっぱい!」
広い屋根裏部屋に立ち、辺りを見回すクリム。
かなり繁殖が進んでいるらしく、生物兵器は両手両足の指でも数え切れないくらいの量だ。
その全てがクリムを敵と判断し……飛びかかってくる。
「ぐ……!」
尻尾を振り、生物兵器に多くのダメージを与える。
ブレスも龍言語魔法も宿で使うわけにはいかないので、直接攻撃勝負だ。
(とりあえず、今呼ぶわけにはいかない……! この数、もし矛先が私以外に向けば……大惨事だ!)
爪を振るい、翼を広げ、なぎ倒される生物兵器達。
しかしその数は一向に減らず、逆にクリムの傷は増えるばかりだ。
その痛みにクリムは目を細める。
(龍になってから、痛みなんて全然感じてなかった……でも、これはやっぱり……痛い!)
血があふれ出し、視界が見えづらくなる。
死の目前に経験したブラックアウトとはまた違う、目に血がかかっているのだ。
「くう……!」
多勢に無勢なうえ、視界すら遮られて攻撃が禄に当たらない。
まさかこのような状況になるとは想いもしなかった。
慢心があった……としか言い様がないだろう。
「くそ……!」
痛みには慣れっこだといっても、流石にここまでの状況は慣れていない。
クリムはとうとう膝をつき……生物兵器の鎌が、肩に刺さった。
「が……!!!」
吐血し、倒れ込むクリム。
その上に生物兵器が乗る。
血の味に懐かしさを感じる余裕もない。
身をよじるクリムを生物兵器は、何度も刺してくる。
まるで楽しむように顔をゆがめながら。
それを見た瞬間、クリムはこの生物兵器が純粋な防衛本能だけではなく……相手を攻撃することに楽しさを見出していたから、クリムにねちねちとした攻撃を加えていたと気付いた。
勝手に連れてこられたのは確かに被害者的状況だ、しかしこいつらは……決して無辜の存在ではない。
臆病だから、などという考察はレポート者の勘違いで、実際は殺しを楽しんでいるのだ。
一カ所にこもる習性も、単に慎重だから……というだけなのだろう。
(私は……死ぬの……? こんなサイコキラーの手で、また……)
立ち上がろうとするが、それができない。
もはやこのままなぶり殺しにされるだけ……。
そんなのは、絶対に嫌だ。
(死にたく、ない……こんなクズども……嫌だ、死ぬもんか……)
クリムの中に記憶が蘇る。
死にたくない、その一心で伸ばした手。
落ちる男、飛び散る赤い飛沫。
生き残るために殺した記憶。
クリムゾンフレア……そしてクリムに共通する、殺しの記憶が。
(私は……私が奪った命の分も、生きるんだ……!)
心中で叫びながら、クリムは爪を振るう。
すると生物兵器の首が飛び、血がシャワーのようにあふれ出した。
その光景に生物兵器達が愕然とするが……クリムは、一気に距離を詰める。
「図に、乗るな……命を奪う、重みも知らぬ……下等生物が……重みを抱えて、生きる“我ら”に……敵うと思うな……!」
クリムゾンフレアに近付いていく精神。
それに併せて爪や牙が更に鋭くなり、筋力も増す。
ビキビキと音を立て、全身が変化する。
より強靱に、より禍々しく、より強く。
目はより鋭く、瞳孔が細まって光彩が龍人のそれというよりは龍のそれになり……。
クリムは四足歩行になると、うなり声を上げた。
「さあ……覚悟せよ!」
爪を振るえば首が飛ぶ、牙は向けられた鎌を噛み砕き、相手を掴めば首と胴体を力尽くで引きちぎる。
そうして溢れた血にまみれ、真紅の龍はまるで炎のような怒りを燃やす。
我を忘れている、としか言い様がないバーサーカーの如き姿。
その姿に恐れをなしたのか、鎌を砕かれた生物兵器達がこっそりと逃げ出す。
だが、下にいるピーヌス達はその存在に気付いたようだ。
「こっちに来た……!?」
「まさか、やられたのか!?」
「待って欲しいッス、鎌が砕かれてる……それに基本引きこもりなんスよね、じゃあ……降りてくるのはおかしいッスよ、こっちに来る理由がない」
「……つまり、逃げ出すほど恐ろしいことが起きた……!?」
上で何が起きているのか、ピーヌスは息を呑む。
だが考え込んでいる暇はない。
生物兵器達は逃げだそうと突撃してきたのだ。
「ふんっ!」
走ってきた一体を、ルーヴの斧が切り伏せる。
続けて、窓から逃げようとした一体をガットネーロが的確に射貫き、その隙に横を通ろうとした一体が、ピーヌスが咄嗟に仕掛けた毒の罠にはまって吐血する。
その様子を見ながら、ルーヴはこれで最後かと息を吐く。
しかし……次の瞬間屋根裏から、今まで以上の勢いで一匹が降りてきた。
その生物兵器は、勢いよく外に逃げようとし……移動先にいたガットネーロに飛びかかる。
邪魔だと判断し、殺そうとしたのだろう……その牙が勢いよく腕に突き刺さった。
魔力のこもった鋭い牙により、裂ける肉……あふれ出す血。
だがガットネーロは顔色一つ変えずに腰に収めていたナイフを取ると、生物兵器の頭を刺した。
「……油断はまだできないッスね、気を付けて」
ガットネーロはナイフを回転させて血を飛ばし、鞘にしまう。
そして、腕の血が垂れるのも気にせず弓を構えた。
だがルーヴは弓を手で制しながら、首を左右に振る。
血が流れているのが心配なのだ。
「血が出てる、痛みがある状態なら弓なんて引けないだろう、治療して貰え!」
「今は警戒優先……治療なんてしてる暇ないでしょ、それに……別にいいッスよ」
ガットネーロは別に良いと言い切り、ただ前だけを見ている。
無表情で、痛みに顔をゆがめることもなく。
その様子を見て……ルーヴは一つのことに気付いた。
「まさか、アンタは……」
「どうせ、アタシは……」
「痛みを感じていないのか?」
「痛みなんか感じないんで」
愕然とするルーヴ、逆に表情一つ変えないガットネーロ。
その隣で、ピーヌスは回復魔法を放つ。
だがガットネーロは怪我が治ったということにすら気付いていない様子だ。
本当に痛覚が機能していないのだろう。
そんなガットネーロの様子を見るのをやめて、ルーヴもピーヌスも警戒に集中する。
今はとにかく、降りてきた生物兵器を倒すことに集中しなくてはならなかった。
そして、同時刻……。
クリムは、血の海となった屋根裏で辺りを見回していた。
もう生物兵器はいない……いや、そんなことはない。
下の部屋から奪ってきたであろうシーツの中に、生物兵器がまだいた。
生まれたばかりであろう、鎌も未発達の個体が。
親が殺されたことも理解できず、乳を求めて鳴いている。
クリムはその姿をじっと見て……。
無表情で爪を振り下ろした。
「害獣駆除は……幼体から、繁殖を防がないといけない……恨んでくれて良い、さようなら……だ」
傷つける楽しみを覚えた親と違い、この個体はまだ何もしていない無辜の存在だ。
だが、いずれ害獣になるのなら生かしておくわけにはいかない。
一殺多生とは、そういうことなのだ。
クリムゾンフレアとクリムにはそれを為す覚悟があった。
遠い遠いあの日……生きるために他者を殺したあの日から。
だが……それでも。
(ああ……流石に、体が疲れた……な……ねえ、クリムゾンフレア……こういうのって……疲れるね……)
ゆっくりとへたり込み、クリムは息を吐く。
そして、力尽きるように後ろに倒れ、そのまま階下へと落ちていくのだった。




