プロローグ 蝉の声
シャングリラ・オンライン。
かつてそんな名前のMMO箱庭ゲームが話題になった。
箱庭ゲームというのは、自分のキャラを製作し神の視点で見守るゲームのことだ。
様々な世界観を持つサーバーから一つを選び、自らの分身を野に放つ。
そして、その分身がどう生きていくのかを見守る……一種の追体験ゲーム、と言えるだろう。
大規模なサーバーで多数のプレイヤーのキャラが放たれ、オンラインで楽しめることからMMOの名を冠され、MMO箱庭ゲームと呼ばれるようになったのだ。
VRにも対応しているこのゲームを通し、多くの者が自らの第二の人生を味わった。
このゲームのヒットにより、多くの後追い作品が生まれたくらいだ。
だが、シャングリラ・オンラインには後継作とは少し異なる部分があった。
シャングリラが他と違うのは、キャラ製作の自由度。
これがあまりにも高く、高すぎて把握しきれないと言われるほどだったのだ。
来歴、種族、年齢、パラメータ、先天スキル、アライメント。
ありとあらゆる物が自由自在、見た目も多様に設定できて、現実のように見た目の被りはまずないと言われたほどだ。
その自由さに人はのめり込み、多くの分身がこの世界に生み出されていった。
しかし……このゲームには問題もあった。
まず、キャラを作ったらあとはその人生を見守るだけという渋いゲーム性。
比喩ではなく、一切干渉などできず生き死にを見守るだけなのだ。
次に、一度キャラを製作したサーバーではキャラの作り直しができず、次の世界観サーバーを選ぶしかないという問題。
アカウントを作り直したり違うPCを使ったりしても謎の技術により感知され、同じサーバーにまたキャラを作ることができないのだ。
人生は一度きり、ということだったのかもしれないが……。
ビルドや状況次第ではすぐ死んでしまうのに作り直し不可では、些か不満が残るというもの。
そんな問題点により、多くの人がシャングリラを離れていくが……しかし、その渋いゲーム性に魅了されてずっと見守り続けている、という者もいた。
『問おう、汝らは我に手向かうか、それとも従うか……道は二つに一つだ』
「……はあ、格好いいなあ……」
辰巳ユウコ、14歳。
先天性の難病により殆ど病院を出たことがない病弱な少女。
彼女の生まれた歳には、故郷で局所的な流行病が発生した。
それにより大人も子供も病院に殺到し、一時はパンデミックの如き様相だったという。
幸いにも大人は後遺症を抱えずに済んだが、体の小さい子供達は病気の影響も大きく、多くの子供が後遺症を抱えていた。
彼女もそんな子供の一人、母胎の中で感染したことにより特に甚大な後遺症を抱えた身だ。
彼女は自分の余命が少ないのを悟り、シャングリラ・オンラインに自分の分身を作ってその視点を楽しんでいた。
龍帝クリムゾンフレア。
そう名付けられた赤い雌龍、それこそがユウコの分身。
強大なパラメータと無限の寿命を持つ、自分の代わりに生きていく存在……。
彼女がゲームの中で、親友の作ったキャラと生きていく姿を見守るのが数少ない楽しみだった。
病弱なユウコは週に一度しかPCを使うことを許されておらず、毎日はクリムゾンフレアの行方を見られない。
それでも、素寒貧の雌龍から一国の主まで上り詰めたクリムゾンフレアの旅路は、外に出られないユウコにとって想像力をかき立てる最高のスパイスだった。
しかし……。
『おのれ、人間め! よくもピーヌスを……!』
「嘘……」
『呪いあれ! いずれ、我は生まれ変わり汝らを滅ぼすであろう!』
ある日、いつものようにログインをしたユウコは目の前の展開に驚きを隠せなかった。
人間とそれ以外の全面戦争。
原因も分からない、空白の6日間でおきてしまった出来事。
それによりクリムゾンフレアが親友のキャラ共々討たれてしまったのだ。
「な、なんで……」
自分より遙かに長く生きる存在、自分の魂を引き継ぐ存在、自分が死んでも在り続ける存在。
そう思いながら作った存在が、たったの5年で自分より先に死んでしまった。
そのショックと喪失感はユウコの体を蝕み、新しいサーバーにキャラを作ることもできず、ただただ自分の分身がいなくなったサーバーを見ながら……段々と、少しずつ……その命を削っていった。
そして、ある日のこと。
とうとうその日はやってきた。
「ゲホッ、ゲホッ……!」
朝のはずなのに視界が暗い、口の中から沢山の血の味がする。
ユウコは、かつて大量に吐血した他の患者が「目が見えない」と言っていたのを思い出していた。
(私の番が、来たのね……)
ナースコールに手を伸ばそうとするが、それもできずにベッドから転がり落ちる。
しかし不思議と痛みは感じない。
痛覚が先に死んだということなのだろうか。
血の味も、濡れた体の不快感も、少しずつ感じなくなっていく。
血の臭いすらもうしない、どんどん五感が壊れていくのだ。
(生きたい……まだ、死ねない……)
手を伸ばそうとするが、触覚も視覚も機能しなくなり、自分が何に手を伸ばしているかすら分からない。
這いずり回ることもできない……のか、それとも自覚がないだけでなんとか這っているのか、それすら不明だ。
(ああ、ダメだ、もう何も見えない……)
真っ暗な視界の中、病院の外にある木から蝉の鳴き声が聞こえてくる。
やがて死ぬ、景色は見えず、蝉の声。
かつてとある俳諧師は、すぐ近くに来る死を理解せず鳴いている蝉を、こんな句にしたという。
しかしユウコは、その句がまるで夢見た景色を見ることすら叶わず、蝉の声だけを聞きながら死んでいく自分を指しているかのように思えていた。
(死にたく、ない……私は……私が……った……の分も、生きないと……いけない、のに……な……)
父、母、親友、そして……兄と弟。
自分と関わってきた様々な人を思い浮かべ、涙を流す。
生きなくてはならない、そう分かっているのに……。
あがこうとするが、指一本動かせない。
蝉の声すら遠ざかって行く。
その絶望の中で、14歳の少女の命はあっけなく喪われていった。
「ん……」
暗闇の中、ふと消えていったはずの感覚が戻ってくる。
暖かい、夏のうだるような暑さではない、まるで母の腕の中のような暖かさ。
それを感じながら、ユウコはゆっくり目を開いた。
そう、目を開いたのだ。
「え、嘘……」
声が出る、目が開ける、周りが見える、体が痛くも苦しくもない。
それだけでも訳がわからないのに、辺りの景色を見たユウコは更に混乱を深くした。
自分は確かに病室で目を閉じたはず、だが周りに見える景色はどこかの洞窟の中……。
後ろを振り返れば、何やら門のような遺跡があるが……もちろん、病院で見たことがある物ではないのは確かだ。
しかし、それでもユウコにはこの景色に見覚えがあった。
(この洞窟、確か……シャングリラ・オンラインで私がスタート地点に選んだ場所……?)
そう、この洞窟はユウコがかつて自分の分身が生まれる場所に選んだ洞窟。
山の中にある、異界の扉の洞窟という場所だ。
クリムゾンフレアの死後に旅を始まりから思い返そうと考え、このポイントをぼんやり眺めていたのでよく覚えている。
(クリムゾンフレアは、どこかの異界からこの洞窟に来たって設定にしてたよね……)
来歴設定を思い出しながら、ユウコは立ち上がろうとする。
しかし、体の勢いがあまりに激しく、ユウコは制御しきれずに転倒してしまった。
「うわっ! いた……くない……?」
倒れた勢いで背中が地面に当たるが、痛みは感じない。
そのことを疑問に思いながらユウコは今度こそ立ち上がり、近くにある水晶へと歩いて行った。
(確かこの水晶が、かなり大事なアイテムで……クリムゾンフレアは手に入れなかったのを後悔してたんだよね、懐かしいや)
白銀の水晶、シャングリラ世界でも有数のレアアイテムで、体内に取り込むと有事に「自身が持つスキルを複製し他者に与える・傷の回復・力の増幅」のどれかを一度行えるというマジックアイテム。
それを知った頃には既に誰かに取られており、クリムゾンフレアは旅の途中に「これさえ有れば我が力もより強くなったというのに」とよく呟いていた。
そんな旅路を思い返しながら、水晶に近付くユウコ。
そして彼女は……水晶に映った顔を見て、驚愕した。
「え……クリムゾンフレア!?」
声を上げて目を瞬かせるユウコ、それと同時に水晶に映ったクリムゾンフレアも黄金の瞳を瞬かせる。
ユウコが口を開けば大きな口を開き、手を伸ばせば頑強な手を伸ばす。
頭に手を伸ばせば強固な感触がし、水晶を見るとクリムゾンフレアも黒くて大きな角を触っているようだ。
もしかして、と思いユウコが手を見ると……。
彼女の手は、赤い鱗に包まれた龍の手になっていた。
それだけではない、足も同様に鱗に包まれており、胸から股にかけては白い蛇腹ができている、そして胸の谷間には龍玉なんてものも有る。
腕や肩だって鱗に包まれているし、背中や下肢には自在に動く翼や尻尾が揺れ動く。
人間の要素など二足歩行であることくらいしか残っていない、紛うことなき龍の肉体だ。
(今際の際の幻覚なんかじゃない……確かに私は、感覚を持っている……)
目を開き、舌で口元を舐め、痛いくらいの強い手拍子をし、その音を聞き、洞窟の匂いを嗅ぎ……。
確かにここにある、しっかりとした五感を確かめる。
目の前の景色は夢なんかではない、思考も含めて色溢れるしっかりとしたものだ。
つまり……。
「わ、私、もしかして……シャングリラ・オンラインの中に、クリムゾンフレアとしているの……!?」
死んだはずの自分がシャングリラ・オンラインの中にいる、それも同じく死んだはずのクリムゾンフレアとして。
断じてVRではない肉を持つ体で、視覚だけの存在ではなく確かにここにいる。
その事実に混乱しながら、ユウコは水晶に映る自分をじっと見つめた。
(もしかしたら……これは神様が私にくれたチャンスなのかもしれない)
生きたい、今まで何度も何度もそう渇望して……しかし結局叶わなかった願い。
それを叶えるチャンスが、世界を変えて与えられた。
病に苦しむこともない、強靱な肉体……。
どこまでも望む景色を見に行ける、真っ白な病院とは違う鮮やかな世界……。
これらはもしかすると、神からの授かり物かもしれないのだ。
未だ混乱する自分を落ち着かせるため、なんとかポジティブに解釈をするユウコ。
(そうだ……クリムゾンフレアはスキル:不老の存在により寿命がないんだもの……ここでなら私も、あの人の分も生きていくことができる……)
あの人、そう言って思い浮かべたとある人物。
その顔を思い出した瞬間、胸にチクりと痛みが走る。
ユウコにとっての大きな後悔、心に刺さったトゲ。
しかしユウコは首を左右に振ると、顔を上げる。
(後悔してるなら、それこそ生きなきゃいけないんだ……前を向こう、莉子ちゃんにもう会えないのは悲しいけど……でも、ここで今度こそ生きるんだ!)
親友を思い浮かべながら、ユウコは目を細める。
しかし涙は出てこなかった。
生きるという決心が哀しみに勝ったのだ。
(……私はユウコじゃなくてクリムゾンフレアとして……この世界で生きていく! 今度こそ、病死も戦死もしないんだ!)
決意に呼応するように龍玉が赤く輝き、水晶を取り込んでいく。
かつてのクリムゾンフレアが取り逃したマジックアイテムを、運命を変えてみせるという決意の証しとするかのように……。
「さて……確か、出口の先だったよね……私があの子と出会うのは、水晶が誰にも取られてないって事は、時系列的にはクリムゾンフレアがこの世界に来た瞬間……のはず」
そう呟きながら、クリムゾンフレアは自分が人間だった頃の記憶を思い出す。
遡ること5年前……まだシャングリラ・オンラインが始まったばかりの頃。
当時は重病人用の個室ではなかったユウコは、同室の女の子と仲良くなっていた。
名前は松田莉子、ユウコより少し年上で頭の良い女の子だ。
先に快方に向かったことで短い共同生活とはなったが、退院しても頻繁に会いに来てくれた大事な友達。
そんな彼女と、まだ一緒の病室で暮らしていた頃。
「そういえば、ねえねえユウコちゃん、そのノートPCで面白いもの見れるのよ」
病院から出られない分せめて良い物を、と親が買ってくれたゲーミングノートPCとVRヘッドセット。
しかし、ユウコはそれがあまり好きじゃない。
ユウコの両親はずっとユウコから目を逸らしていた。
病を持つ娘に向き合わず、他の親のように見舞いをすることもやめて。
そんな自分が抱く罪悪感に「少しでも娘を大事にしている」という言い訳をするために物を与える。
それでも一切見舞いには来ない……そんな両親。
ユウコにとって、この頃のPCは両親への複雑な気持ちの象徴だった。
だが莉子はいまいちハマれていなかったそれを指さし、シャングリラ・オンラインの存在を教えてくれたのだ。
分身の目を通し、その旅路を見守る夢のような世界……。
しかも、アクションゲームなどとは違い見守るだけなので、体の弱いユウコでも咄嗟に動かしたりする必要がないゲーム。
それはまさしく、タイトル通りの理想郷だった。
「私も登録するからさ、良かったら一緒に登録しない?」
「はい! ありがとうございます、莉子ちゃん!」
二人仲良く、シャングリラ・オンラインに登録した日。
一緒に設定を考えて、楽しい時間を過ごした記憶は今も思い出せる。
「私は、パラメータは少しピーキーにして、その分スキルを多めに振って……」
「じゃあ私、パラメータに多めに振りますね!」
そうして出来上がったのが龍帝クリムゾンフレア、そしてその片腕ピーヌス・ウェネーヌムだ。
ごく普通の村に生まれるが優れた才覚に恵まれた人間、ピーヌス。
彼女は村の者達から送り出され、魔術の力を高めるべく旅に出る。
その先で異界より現れたばかりのクリムゾンフレアに出会い、最初の友になる……それが用意された筋書き。
そこからは完全に二人の手を離れ、彼女達はシャングリラで自分達の物語を築き上げてきた。
山賊に悩まされるウェアウルフの村を救い、遺跡を攻略し、大国を旅し、国を築き上げ……。
最後に待っていたのは揃っての敗死だったが、それでも良い旅だった。
(今度は、むざむざ死なせるもんか)
拳を握りしめながら、胸を張って洞窟から出る。
眩しい、あまりにも眩しい日の光。
それを背負いながら、山の清涼な風を纏いながら……彼女はそこにいた。
「へえ、転移の反応を辿ってみたら……龍人とはね」
青くて長い髪、赤の瞳……手には松でできた杖を持ち、黒いローブを纏った少女。
その姿は莉子とは全然違うが……だが、顔つきや声にはどこか莉子の面影があった。
「莉子ちゃん……」
「ん? 勘違いしてない? 私はピーヌス・ウェネーヌムって名前があるんだから、リコじゃないわ」
思わず莉子の名を口にしてしまうが、確かに彼女は莉子ではない。
飽くまで莉子が作ったキャラ、ピーヌスだ。
さみしくなる気持ちをぐっとこらえて、クリムゾンフレアは頭を下げた。
「すみません、友人に少し似ていたもので」
「別に良いけど……ふうん、あなた……なんというか、ナリの割りに丁寧なのね」
ピーヌスの言葉にクリムゾンフレアはギョッとする。
確かに、クリムゾンフレアの見た目は中々に厳つい。
ずっとゲームを通して見ていたクリムゾンフレアは、龍の女帝に相応しい威厳と威圧感のある口調だった。
しかし今の中身はユウコなのだ、中身が変われば口調も変わる……それは当然のことなのだが、いざ実感すると不思議な気持ちになってしまう。
「そ、そんなことはない、我は龍の女帝、龍帝クリムゾンフレアである、1000の時を生きし……偉大なる存在で、えっと、あるぞ」
「……ふふっ、無理してるの見え見えよ」
「むむむ……」
クスクスと笑うピーヌスに、クリムゾンフレアは目を細める。
頑張って口調を作っても無理があるらしい。
(お医者さんたちはみんな敬語だったから……影響で癖になってるんだよね、人と話すときに敬語を使うの)
「で、クリムちゃんはこんなところで何してるの?」
「えっ、クリムちゃん!?」
「だってあなた、クリムゾンフレアって感じじゃないでしょ、それより……答えてよ、質問に」
兄や弟と反りが合わないぶん姉のように慕っていた女性……そんな莉子と瓜二つの存在……それは飽くまで姿形だけだと思っていた。
だが、中身も瓜二つであることにクリムは内心動揺してしまう。
正直に言ってしまえば、涙が出てしまいそうなくらいだ。
しかしピーヌスはそんな内心には気付いていないことだろう。
「私は……異界より、この世界に参りました」
「へえ……転移反応はそういうことだったのね、でもなんでここに?」
「それは……」
クリムは問いに目を伏せる。
どこまで話したものか迷ってしまうのだ。
一度死を迎えたところまで?
この世界は別世界からゲームというカタチで観測されているところまで?
何を話せば良いか分からない。
「そ……言えない事情なのね」
「あ……は、はい……」
どうやら、辛い事情があると解釈してくれたらしい。
実際、死を迎えたことも二度と莉子に会えない事も辛いことではあるのだが。
そういう点も含めて、触れないことを選んでくれるのならばそれに越したことはないのかもしれない。
「そうだ、右も左も分からないなら……私が案内してあげるわ」
「え……良いんですか?」
「ええ、私これでも面倒見良いのよ」
案内の申し出、それをきっかけに仲が深まる。
シャングリラ・オンラインで見たことがある光景だ。
それを見るという形ではなく、実際に経験すると……また違うものがある。
そう感じながら、クリムはピーヌスの申し出に静かに頷いた。
「じゃあ善は急げね、行きましょうクリムちゃん」
「は、はい、よろしくお願いします……ピーヌスちゃん!」
これが、二人の出会い。
一度死を迎え、楽園に辿り着いた者の冒険の始まりだった。