桜の巻・其の壱 猪口暮露
晴香によると春の町とは紫式部の源氏物語に登場する光源氏が造営した庭の事のようだ。どうやら他にも夏、秋、冬の町とあるそうでおそらく他の受験生達はそれら3つのいずれかに行ったのだろう。思い返せば受験票の色が全部で4色だったのはそれぞれの季節の色を表していたのだ。
「春の町はさあ、何があったの?」
「光源氏含め、光源氏の大事な女性が住んでいたみたいよ」
「へぇー、そんな事よく知ってるね」
「まあ、一応私、高校で文学研究部に入っているからね。ところでさっきから私たち以外に人っ子ひとり見かけないわね」
「そうなんだよ。俺が最初にいた地点からここに来るまでに誰も見かけなかった」
俺は途中立ち止まって人形のゼンマイを回しつつ他の受験生を見つけるためにさらに道を進んだ。途中、路地に入り込んで進んで行くと酷く枯れていてよく分からないが桜、梅、桃の木がそれぞれ一本ずつ並んだ広場に出た。重厚感のある黒い砂利が所狭しと地面に敷かれている。
「なんだこれ!」
俺は思わず声に出した。酷く枯れていると言ったがそれぞれ変な枯れ方をしている。立派に花や実を付けているものの桜は黒に近い灰色をしており、梅は生気を失ったように青白く、桃は黒を帯びたおどろおどろしい赤色をしていた。さらに気になったのは3つの木はそれぞれ所々枝が切られたような痕があったのだ。晴香が桜の木に近づくと風が吹いて灰色の桜の花びら空中に舞った。すると次の瞬間、晴香の首に巻いていたマフラーがいきなり動き出し、桜の枝をねじ斬ったのだ。それに追随する様にして俺の人形もさっきまで意味もなく動き回っていたのが突然、枝を斬り飛ばしたのであった。すると次の瞬間、桜の木の切断面が眩耀げんやくし、俺たちは気を失った。
気がつくとどこか知らない所に・・・と思ったが雰囲気こそ違えど春の町だった。優美で荘厳だった建物は燃え、焦げたかのように荒廃している。至る所に咲き誇っていた桜の木は花もつけず完全に枯れてしまっている。空気は埃ほこりっぽくて俺は思わず咳き込んだ。涙目になりながら晴香を探したが離れ離れになってしまったようだ。おそらく晴香も最初にいた地点に飛ばされてしまったのだろう。だから晴香も同じ事を考えるはずなので初めのように真っ直ぐ歩いて行けば晴香と落ち合えるはずだ。俺は人形いや相棒のゼンマイを回して一緒に歩いて行った。
それにしても不気味だなぁ。そう思いながら顔を顰しかめて進んで行くが俺の相棒は相変わらず少し微笑んだままだ。時々、冷たい風が吹くのでその度に身震いした。その後、前方に晴香の姿が見えたのでおーいと声をかけ大きく手を振りながら近づいていくが晴香はこちらに見向きもしない。ずっと真っ青な顔で地面を向いている。具合でも悪いのか?だとしたらすぐに助けないとと思いさらに晴香に近づいた。
「大丈夫か?晴香」
何も答えない。
「さっきから地面ばっか見てどうしたんだ?」
「何なのこれ・・・」
そう言って晴香が地面を指差した。するとそこには尺八を持った小人?いや、何故か頭にお猪口を被って黒っぽい着物を着た小さい女がいた。しかもそんな奴らが何十人と行列をなしているのだ。
「うわ!何だこいつら!」
俺は思わず叫ぶと次の瞬間そいつらは手に持っている尺八を吹き始めたのだ。ピーヒョロピーヒョロと風貌が不気味な割には良い音色を出す。俺らが呆気に取られているとそいつらは俺らの事なんか気にせずに列をなして演奏しながら何処かへ行ってしまった。
「何だったんだ今の」
「気味が悪かったね」
俺たちは想定外の事が立て続けに起きたため気が動転しっぱなしだったが二人揃って深呼吸をして冷静さを取り戻した。
「ふぅ、にしても不気味な世界ね。そもそもまだ合格条件がわからないのよね」
「そうなんだよなぁー。ん?何あれ?あそこの壁になんか書いてあるぞ?」
俺の斜め向かいにある屋敷の壁に何か書いてあるようだ。近づいてみると墨で町内の地図が描かれている。どうやらこの春の町は綺麗な正方形の中に収まっているようだ。
「意外と狭いのね。あれ?何か動いてるよ」
墨で書いてあるはずだが地図上を壱という文字が列をなしてぞろぞろと道なりに徘徊している。試しに壱の文字を押してみると地図の横に
「猪口暮露ちょくぼろん[妖あやかし]
・壱
・無害」
という文字が浮かび上がった。
「この壱ってさっきの妖怪を表しているんじゃないか」
「確かに。壱の位置がさっき歩いて行った方向に一致してる」
「だけどこの壱ってのは何を表しているんだろう」
「うーん」
しばらく思案したが思い当たる事は無かった。
「でもさぁ、ここに突っ立ててもしょうがないからさっきの猪口暮露とか言う奴ら追ってみようよ」
「うん・・・。気は進まないけど」
俺たちは地図を見て現在地と猪口暮露の位置を把握し、幽幽たる曇天の下走り出した。
桜の巻・其の弐に続く