3 天狐の棲む森で(上)
聖域‐ウェータ‐付近の森にて。
森を銀色の風が駆け抜けた。
僕はこの風のこと、知ってる気がするんだ。
何だか、心が安らぐ。
かあさまは僕によくこの森の話をしてくれた。
この森は、何かふしぎな力が流れている。
森で遊ぶのは大好きだ!
秋の風を小さな体に受けながらとっとっと駆ける。
空を見上げ、肺までいーっぱい空気を吸い込む。
今日もいい天気だなあ。
ここは昔、エルフの一族が暮らしていたんだって。
戦いに巻き込まれたエルフたちはいつのまにか居なくなって、それからじいさま達が巣を構えたんだって。
エルフってどんなんだろう?。
僕まだ会ったことないよ。
この森のずーっと先には偉大な魔女の城があるらしい。
いつも、あまり先に行ってはいけませんよってかあさまは言ってた。
なんでだろう?
この森はこんなに気持ちが良いのに。
耳と尾っぽの先が鉛に濁った子狐は森の入り口に辿り着いた。
今日も来ちゃった、僕の秘密の場所!
ここはほんとにふしぎな場所だなあ。
じいさまにここのことを教えても、そんな建物知らないって言ってた。
ふしぎだよねえ。
この透明の道、歩く度にキラキラ光って赤いのと青いのが反射するの!
すっごく綺麗だ。
子狐は里のにいさまたちともここで遊べたらいいのにな、と思った。
建物の一番奥の部屋の壁には、何かの絵と文字が書かれている。
ぼく、天狐の一族は生まれて1年も経てば言葉を話せるようになる。
人型に化けれるようになるのはもう少し先だ。
ぼくはまだ、文字を習っていない。
遠くに行ってるとおさまが帰ってきたら教えてもらうんだ!
「…かあさま、この壁には何が書かれているのでしょうか?」
子狐の呟きが建物の空気に吸い込まれてゆく。
かあさまは、
僕のかあさまは僕が2つの時に、谷底に落ちて死んでしまった。
かあさまはもう帰ってこないんだって。
はやく文字を教えてもらいたいなあ。
そうしたら壁のお話が読める。
きっと素敵なお話なんだろうなあと、子狐は思った。
鉛色の尾っぽがぱたぱた揺れていた。
森の中を駆けて里に戻った。
里の入り口におじさんがいた。
かあさまのにいさまだ。
おじさんはじいさまに言われて里の近くに住んでるおおかみ族とお話する役をしてる。
おおかみさんたちは喧嘩っ早くて仲間内でしか心を通わせないってじいさまが言ってたから、たぶんおじさんはすごいんだと思う。
それにすごく優しくて、里の人はみんなおじさんが大好きだ。
「ルグラン、おかえり。」
「イギヌおじさんただいまー!」
おじさんに抱き着こうとしたら飛び退かれた。
「ルグラン、どこに行ってた?すまないが俺にはその魔力はきついんだ。せめてじいさんぐらい順応があればな。」
「じゅんのー?」
「ああ、お前にはまだ早かったな。あんまり俺たちを心配させてくれるなよ。」
「うわ。」
頭をわしゃわしゃされた。
夕暮れの里をおじさんと二人で歩く。
おじさんは人型で、大人で、なんかかっこいい。
僕も早く人型になれるようになりたいなと思った。
しばらくすると、道の向こうに薬師のおじさんと、たまに遊んでくれるそこの家のにいさまが手をつないで歩いているのが見えた。
「…ねえおじさん?」
「ん、なんだ。」
「僕のとおさまって、いつ帰ってくると思う?かあさまはね、いつか帰ってくるのよって言ってたの。」
「…そうだなあ。いつかなあ。」
おじさんの歩みが遅くなった。
そのままのろのろ歩きながら夕焼けの空を見つめていた。
「なー、俺がー、お前の父親になるのは、いやか?」
銀色がまじった風が僕らの間を通り抜けた。
「なんでおじさんがとおさまー?」
僕は笑顔で問いかけた。
おじさんは僕の前足を取り、ぎゅーっと握りしめた。
狐の姿で手をつなぐには僕が二足歩行をしないといけない。
これ大変なんだよー?って思ったけど何も言わなかった。
僕はなんだか少し、嬉しくなった。
✱
「長様、お水こちらに置いておきますね。」
「ああ、ありがとう。もう行ってよいぞ。」
「かしこまりました。失礼致します。」
側仕えの女狐がぺこりとお辞儀をし、部屋を出ていく。
老狐は5年前に死んだ牙狼の友と、跡形もなく消えた娘婿と、惨殺された娘のことを思い出していた。
近頃、老狐の術は弱くなっていた。
歳のせいじゃろうな。
これではルグランを奴から守るためにかけている守護術も、相当な衝撃には耐えられないだろう。
老狐には不安が募る一方であった。
ふと、地を駆ける音が聞こえた。
老狐は微笑みながら立ち上がり、外に出る。
「じいさまー!ただいま帰りましたー!」
子狐がぴょこんと老狐の胸に飛び込んだ。
まだ人型に変化が出来ないので、子狐姿のままだ。
そこがなんとも可愛らしい。
黒い毛皮に白毛が混じった老狐がびっこを引きながら抱きとめる。
老狐は腕に柔らかなクリーム色の毛皮の温もりを感じた。
「おお、おかえり、ルグラン。また森の建物で遊んでおったのか?」
子狐‐ルグランは森の色濃い魔力を纏って帰ってきた。
普通なら魔力酔いで立ってはいられないはずなんだがのう。
ルグランの風で乱れた毛を整えてやりながらやさしく微笑む。
「はい、じいさま。あったかいのがキラキラーって光ってすごく綺麗なんですよ!」
「ほほう、そうかそうか……」
老狐‐ミヌラムは一瞬目を見開いて何か言いたげな顔をすると、ふいに言葉を止めた。
この頃こやつは親によく似てきた。
わしにこの子を守る力があったならば…。
今話したところで理解できんじゃろうなあ。
こんな小さい子に、こんなにも酷な…。
「…じいさまー?」
ミヌラムははっと我に返って、子狐を見つめる。
そして、諭すようにやさしく言った。
「いいかい、ルグラン。他の者達に入口の建物で遊んだことを言ってはいけないよ。これはわしとの約束じゃ。いいな?」
「はいじいさま、ぼく言いません!」
子狐がすり寄る。
「うむ、いい子じゃ。」
ふんわり鼻孔をくすぐる森の香り。
ミヌラムはルグランを抱きよせた。
抱きながら持てる力の限りの守護術をルグランにかけた。
あの男に殺されたこの子の両親を想って。
「じいさま、あったかいね。」
「そうかい?」
「そうだよ。」
ミヌラムは娘によく似た子狐をもう一度抱きしめて、言った。
「さて、お腹が空いたじゃろう?今日は鹿の肉があるぞ。」
「やったあ、鹿肉!!行こうじいさま!」
ぱたぱた。
ルグランは嬉しそうに尻尾を振った。
闇に溶けていた2人の影が灯り始めた家々の明かりに照らされて、やがて家の中に消えた。
別れはすぐそこに迫っていた。
✱
「父上、報告に参りました。今よろしいでしょうか?。」
「ああ、入れ。」
里の一角にその家はあった。
締め切られた部屋には、フラウダとその息子トールが対面していた。
フラウダがグラスに酒を注ぎ、息子へ渡す。
「まあゆっくりしろ。飲め。」
手を振り、部屋のろうそくの火を消す。
トールは一息ついて、口を開いた。
「今日もあの子供は1人で森へ。気持ち悪いぐらいの魔力を纏って爺さんの元に戻ってきました。」
「ふん、魔力酔いもなく森を出歩くなど…父親に似て薄気味悪い奴だ。」
「それだけではなく、どうやら神殿にも立ち入っているようで。」
「…それは本当か?」
「間違いなくこの目で確認いたしました。」
フラウダは牙狼族からの書状を眺めながら言った。
天狐族と牙狼族の里は近い場所にあり、長年ギクシャクした関係が続いていた。
現族長は、狩りの得意な牙狼が狩った獲物を貰う代わりに、牙狼の里に老いぼれが得意な守護術をかけてやっていた。
それにより、歴代でも類を見ない友好関係を築けていた。
そう、5年前までは。
フラウダは、牙狼族の数を減らすべきだと考えていた。
友好関係など生ぬるい。
誇り高き天狐族が、牙が長いだけの犬っころと同等の関係など言語道断だ。
減らすのではなく、全て奴隷か、根絶やしにするべきか?
魔力順応力が高い天狐は瀕死になると周囲を巻き込んで爆発するという。
故に他より少しばかり順応が高いあの男はこの里で大事にされていた。
あいつに魔力を吸収させることで、里の魔力酔いが減らせるからだ。
私にはそんな順応はなかったが化かすのは誰よりも得意だった。
それを見込んで5年前にあの子供の父親を騙してふっとばしてやった。
だがあの男、うまく犬っころを避けやがった。
里のために使ってやろうとしたのに、とんでもない役立たずだったのだ。
助けようとした老いた犬っころが1匹、巻き添えを食らって一緒に吹き飛んだらしいが。
あの男とじじいの娘の子供。
想像するだけで吐き気がする。
魔力順応が分かるようになるのは人に変化できるようになってからなのだが、もうこの際そんなことはどうでも良い。
少なからず役に立つはずだ。
それに、だ。
あのボケた爺さん、出来損ないの息子に族長を継がせる意思がある、とかいう噂まで流れた。
族長の継承は族長の指名で行われる。
私より弱いものが族長などと、天狐族の名が汚れるわ。
「まあ良い。どうせあの爺さんも子供も死ぬのだ。我々の役に立ってから、な。」
「奴に薬は効いているのでしょうか?」
「ああ問題ない。側役で家に出入りできるバカな女にやらせたからな。」
「では父上、決行は予定通りで?」
息子、トールは薄ら笑いを浮かべた。
明日には我が父が族長になり、俺が次期族長だ。
「これですべて私の物だ。」
そうしてフラウダは残りの酒を煽った。
お読みいただき感謝なりー




