十番勝負 その十二
第十九章 おまあさまの死
この第二回目の武者修行の旅には、盗賊退治という話も三郎の逸話として残っている。
二本松を過ぎ、伊達氏の領内に入ったところにある桑折という宿場での出来事であった。三郎と弥兵衛はこの宿場の旅籠に泊まり、いつものように馬鹿話をしながら、酒をしこたま呑んでいた。そこに、どやどやと町役人が五人ほど現われ、卒爾ながら、と態度はなかなか慇懃であるものの、生国、姓名、旅の用向きの儀、伺いたいとこれは有無を言わせぬ高圧的な訊き取りがなされた。三郎が一応答えた後、何かあったのかと訊くと、実は昨夜近在の名主の屋敷に盗賊が入り、家の者を全員縛り上げた上で、目ぼしい金品を悉く奪って行ったとのことであった。賊は三人組で、てきぱきと仕事をして、霞のごとく立ち去って行ったと云う。
なかなかに手馴れた盗賊でござる、まだこの宿場に潜伏しているかも知れず、このように旅籠改めをしているところでござる、とのことであった。
弥兵衛は三郎をちらりと盗み見た。案の定、三郎は嬉しそうな顔をしていた。
おお、それは大変でござるな、お役目、まことにご苦労でござる、と言いながら三郎は揉み手せんばかりに嬉しそうな顔をしていた。
ああ、また、だんなさまの悪い癖が始まった、こういう話は猫に鰹節、おいらに酒だ、暇つぶしに関わってみようと思ってござるに違いなかっぺ、と弥兵衛は思った。
「だんなさま、あすははやく、はたごを出っぺ」
三郎の眼がきらりと開き、いかにも不審そうに訊いてきた。
「うっ、何と申した。明日は早めに旅籠を出る、と申したのか? なぜじゃ?」
しまった、おいらはどじを踏んでしまったのか。だんなさまの眼がぎらりと光ってしまった。
「なぜって、だんなさま。とうぞくが出るようなぶっそうなところに、ながいはきんもつだっぺよ」
弥兵衛のこの言葉を聞いて、三郎は激高して言った。
「だまらっしゃい。弥兵衛、お前は何ということを言うのじゃ。盗賊が出て、宿場の者が難儀をしているのに、お前はそうそうに退散すると言うのか。情けない。実に、情けない。もし、わしが尻込みでもしたら、だんなさま、これは世のため、人のためになる良い機会でござる、立派に武者修行の武芸者として盗賊に立ち向かいなされ、たとえ、盗賊に斬られ、お果てになられても、武士としてはあっぱれ本望で、まことに立派なご最期でござりましたと、おいらがおまあさまにお伝え致しまする、安心して闘いなされ、と言うのが、従者であるお前の役目では無いか。ああ、それなのに、それなのに、じゃ。ここいら周辺は物騒ゆえ、明日の朝、そうそうに旅籠を出よう、とお前はわしに向かって言うのか。この、たわけが! 人々の難儀を救うのがわしの務めである。わしの武芸者としての義務である。義務、いや、義理と褌ははずせぬ、と云うではないか。人々の難儀を救うため、わしがその盗賊を退治してくれるわ」
その夜のことである。
弥兵衛はいつもの白河夜船で、高鼾で眠りこけていた。三郎は隣の部屋で寝ている弥兵衛の一段と大きな鼾で、ふと眼を覚ました。廊下で微かな音がした。足音であり、その足音は廊下を挟んだ向かいの部屋の障子の開け閉めと共に消えた。確か、その部屋には古着を売る行商人が一人で泊まっていたはず。厠から戻ってきたのであろう、と思った。
翌日、三郎と弥兵衛が朝飯を食っていると、給仕の娘が、ゆんべ、また盗賊が出たんですよ、と言う。やはり、三人組の盗賊で、あっという間に現われて、あっという間に去って行く、隼みたいな盗賊だべ、と話していた。夕べは、すぐ近くの質屋が襲われたということであった。
大人しく縛られていれば良かったものを、あるじが刀を抜いて逆らったため、無惨にも斬り殺されてしまった、とのことであった。
三郎は今夜も盗賊は出るはずだと思い、弥兵衛を早めに寝させ、自分は忍び装束に着替えて、部屋の布団にくるまっていた。そろそろ、宿の者も寝静まったであろう、窓から出て、屋根に上り、宿場を巡回しようかと思った矢先であった。
廊下を隔てた古着行商人の部屋の障子がゆっくりと開けられる音がした。障子が静かに閉められ、足音を忍ばせて出て行く人の気配を感じた。
米問屋のあるじ、宗右衛門は小便が近い。
今宵も帳簿をつけ終わり、さあ寝る前にするものはして、とばかり、厠に立った。
すっきりして、厠から出て部屋に戻ろうと歩き出した途端、肩口から前に、白刃が突き出された。と、同時に、どすの利いた声がした。
「さあ、小便もすんで、すっきりしたろう。すっきりしたところで、貯めた金銀も吐き出して、すっきりしてもらおう」
三人組の賊は手際よく、順番に家人を起こし、手足を縛り、口には猿轡をかけていった。
「さあて、宗右衛門どん。金銀のあるところに案内してもらおうか」
賊の首領と思しき男が含み笑いをしながら、宗右衛門に囁いた。
賊は全て、黒い布で顔を覆っており、表情は判らないが、三人共、声を立てずに笑ったように見えた。宗右衛門が震えながら、歩き始めようとした時であった。
「どれ、わしも見せてもらおうか。米商いがどれだけ儲かる商売なのか。前から、気になっていたのよ」
声と共に、隣室の襖がさっと開けられた。現われたのは、忍び装束を着た大男だった。
「汝が首領か。古着を売るより、こちらの商売のほうが儲かると見えるのう」
言われて、首領と思しき男が刀を構えた。
「わしと同じ旅籠に泊まったのが、運の尽きであったと思え」
その大男は黒っぽい木刀のようなものを構えながら言った。
「町役人さま。本当でございます。その大きな男があっという間に、三人の盗賊を打ち据えたのでございます。ええ、刀ではございませなんだ。木刀とも思われませぬ。賊の刀を弾き返して、打ち据えたのでございます。木刀ならば、斬り落とされていたはずでございますから。何か、鋼でも巻いた木刀であったかも知れませぬなあ」
気絶して縛られている盗賊を前にして、宗右衛門が駆けつけた町役人にこのように語った。
「だんなさま。こんかいのごかつやくは八番勝負にかぞえんだっぺかね」
「弥兵衛、よい、よいのじゃ。今回のことは番外勝負よ。歴とした試合では無かったからのう。しかし、それにしても、隕鉄巻きの木刀が今回も役に立ったのう」
「しかし、それにしても、えらくきまえのよいあきんどでございましたない。こんなに、もらっていいもんだっぺかない」
「まあ、貰っておけ。折角、先方も喜んで、くれると言うのであるから」
佐吉は顔中をくしゃくしゃにして喜び、ほんの気持ちでございます、と言って相当な重さの小粒銀を三郎の懐にねじり込んだ。
「弥兵衛、この銀子でこれからも毎日酒がたらふく呑めるぞ」
「くれると言うのをいらないと言うのも、世のどうりではございませぬな。まっ、ここは、金持ちけんかせず、とやらでゆうぜんとえんりょなくもらっておくことにすっぺよ」
このようなわけで、それからの三郎と弥兵衛の旅は毎晩どんちゃん騒ぎとなった。
三ヶ月ほどの武者修行を終えた三郎たちはのんびりと岩城に帰って来た。
しかし、三郎を待っていたのはこの上なく悲痛な知らせであった。
それは、おまあさまの突然の死の知らせであった。
玄関口で三郎の袖を握り締めて、吾平が泣きながら、おまあさまの死を知らせた。
三郎が武者修行の旅に旅立って、ひと月が過ぎた頃、領内で悪い風邪に似た病いが流行った。
高熱を発し、体が急激に衰弱する流行り病で、多くの人が命を失った。
命を失った一人が、おまあさまであった。
「吾平、お前は何を言っているのじゃ。おまあさまが亡くなられた、と。・・・。お前は何ということを言うのじゃ。たわけ者め。言うにこと欠いて、一番ありえないことを言うとは。わしが騙されるとでも思うのか。わしに会えた喜びのあまり、気が狂ったのか。いや、気が狂ったのであろう。そうに違いない。わしは、なあ、吾平。わしは昨夜、おまあさまに会っているのじゃ。わざわざ、わしの旅先の枕元に立ってくれたのじゃよ。そして、わしはおまあさまに会い、言葉を交わしたのじゃ。おまあさまはすこぶるご壮健であらせられたわ。わしは、おまあさまのやんごとないお顔の麗しく輝く眼を見詰めながら、一世一代の勇気を奮って、わしのところに来ては戴けないか、いや、はっきり申せば、わしの嫁御寮になっては戴けないだろうかと、わしとしては精一杯の勇気を振り絞って申し上げた時、おまあさまは天女のようなお顔を少し俯き加減にされて、ただ今の言葉、今まで生きてきた中で一番嬉しい言葉と聞きました、私に否やはございませぬ、全て三郎殿のお心のままに、と申されたのじゃよ。そのおまあさまが、お前は亡くなられたと申すのか。たわけめ。わしが信じると思うか。騙されると思うか。えい、憎いやつめ、そこに直れ。汝を父とも思っていた、この三郎、一生の不覚であった。お前の暴言を許すことはかなわぬ。成敗してくれるわ」
後になって、吾平がしみじみと語った言葉が残されている。
「あの時のだんなさまの姿は忘れられないお姿でござった。あのようなだんなさまは初めて見た。気が触れた、としか思えないご様子であった。おまあさまも幸せなお方であるなあ。だんなさまほどの男にあれほど、惚れられるとは。女子冥利に尽きるとでも言うか」
庭先に、今を盛りと牡丹が大輪の紅い花を咲かせていた。
「おまあさまは思えば、牡丹のような女性であられた。牡丹という花は、咲かす花も美しいが、散り際も潔く美しい。美しいままで儚く散って、だんなさまの心に清らかで艶やかな永遠のお姿をお留めなされた」
吾平の言葉を聴く弥兵衛の目に涙が浮かんでいた。
三郎の手元に、一枚の鮮やかな陣羽織がおまあさまのお屋敷から届いた。
黒い羅紗の下地に朱の縁取りが施され、南郷家の家紋が緑の刺繍で仕上げられていた。
おまあさまが三郎のためにひと針、ひと針、丁寧に縫って拵えたという陣羽織であった。
お姫様はこの陣羽織を楽しそうに縫っておられました、と持参したお女中は目を潤ませて三郎に語った。
三郎はこの陣羽織を両手で捧げ持って、居室に籠もり、数日の間、家人には姿を見せなかった。時折、居室から聞こえてくる、泣く声の激しさは家人を驚かせるものであった。
そして、弥兵衛はその間、片時も離れず、三郎の居室の廊下にじっと控えていた。