表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エスケーブ  作者: Arpad
7/8

エスケーブ#7

 火曜日、部存亡の危機における、緊急個人面談初日。

 最初の被害者は、幸坂結実さんです。

「あの・・・何かあったんですか? 表情が真剣過ぎますよ」

 向かい合う私が放つ焦燥感のせいで、幸坂さんにプレッシャーを与えてしまっているようだ。ここは心を落ち着けて、何の気無しに問い掛けていかねばならない。まずは、笑顔からだ。私は、努めて自然な笑みを浮かべながら、首を縦に振って見せた。

「ごめんね、実は活動報告書の提出が近付いていて・・・部が出来てからもう2ヶ月くらい経つけど、どんな感じなのかを聞いてみようかなって思ってね。折角だから、少し真面目にやってみようとしてるところなのさ」

「そうだったんですね・・・分かりました、協力させてください」

「ありがとう、幸坂さん。それじゃあ早速・・・幸坂さんがこの部の結成に参加した理由だけど、泉さんのプレゼンに惹かれた、で良いのかな?」

「はい、そうです」

「これは、書いても大丈夫かな?」

「はい・・・でも、実を言うとそれだけではないんです」

「え、そうなの?」

「えっと、その、これはあまり書いて欲しくないのですが・・・栗柄君が居たから」

「・・・俺が?」

「・・・栗柄君は、私の趣味を知っても、茶化したり、変な目で見てくる事も無かった。私は、この趣味を誰にも明かすつもりはありませんでした。藤香の件もあったので、在学中は秘密にし続けようと・・・でも、ほんとはその話がしたかったんです。だって良いと思って、好きになったものだから。そのせいで、普通にしていてくれる栗柄君を頼り、自分の考えは間違いないと主張出来る泉さんに憧れて、この部に参加したというのが本当のところです」

「なるほど・・・部の活動についてはどうだろう、何か役に立てたかな?」

「あの・・・部の活動というよりかは、存在に助かっているというか・・・栗柄君が、ここが私の逃げ場所だって言ってくれたのが心強くて。藤香と仲直りする踏ん切りがつかなくて、また逃げようとしたあの日、その言葉が気付かせてくれました。この場所の大切さ、この場所で過ごす時間の密度の濃さを。それは幸せとは程遠いけれど、意味のある時間。私を成長させてくれる、かけがえの無い時間。それらがいつの間にか、私の譲れないものになっていたことを」

「・・・ありがとう、話を聞けて良かった。こんな事を言うと、怒らせちゃうかもだけど、俺は幸坂さんの事を人間不信で、状況に流され易い性質なんだと思っていた。だけど実際は、行動にはしっかりとした考えを持っていて、印象よりもずっと逆風に立ち向かう力の持ち主なんだって思い知らされたよ。そんな人に認められたのなら、この部も存外棄てたものでは無いのかもしれないと思えるよ」

「い、いえ、私はそんな・・・・・・あの、私からも質問して良いですか?」

「もちろん、掛かって来なさい」

「えっと・・・私を助けてくれるのは、その、私が部員だから、ですか?」

「もちろん、そうだとも」

「そ、そうですか・・・」

 幸坂さんは、柳眉をハの字にしながらも、安堵したように何度か頷いた。まだ、話は終わっていないのに。

「だって、部員になっていなければ、きっと幸坂さんと話すこともなかっただろう? もう知り合ったから、知己として力に貸すことが出来るし、他の連中の力も借りられる。なんたって一蓮托生、もはや運命共同体なんだから、俺達は」

「運命共同体・・・あ、あの、用事はこれでお済みでしょうかッ!?」

「え? ああ、終わりだね。参考になった、ありがとう」

「な、なによりです。それでは、私はこれで失礼しますね!」

 幸坂さんは、何やら顔や耳を赤くしながら、急ぎ足で帰っていった。また地雷でも踏んでしまったのだろうか。思い悩んでいると、部室のロッカーが勢い良く開け放たれた。中から、泉さんが憮然とした表情で現れた。実は、泉さんには面談中、ロッカーに隠れていてもらっていたのだ。

「あっ、お疲れ~」

「はあ・・・もしかして私は、明日以降もこうして居ないといけないのかしら?」

「明日は泉さんの番だから、正確には明後日以降かな? 大丈夫、たった二回だ」

「あの中、まだ新品臭がこもっていて、とても息苦しいのだけど・・・今度、閉じ込めてあげましょうか?」

「仕方ないだろう? マンツーマンじゃないと、普通は本音とか言ってくれないだろうし、かといって泉さんには把握しといてもらわないと困るし・・・それで、感想は?」

「・・・そうね、あれはズルい返しだと思ったわ」

「え? どれが?」

「惚けているのか、本気なのか・・・良いわ、忘れて。幸坂さんの話だけど、活動報告には使えないわね。個人的な案件が多過ぎる」

「だよなぁ・・・俺としては胸に刺さるものがあったんだけど」

「ええ、そうね。心を打つことに関しては、貴方以上の腕に育ったと言える。でも、求められているのは良い話ではない。客観的にも成果と呼べるものよ」

「分かってるよ・・・今日はここまでにしとくか、泉さんお疲れ様」

「ええ、具体的な話は明日詰めましょう。今は一刻も早く、シャワーを浴びたい気分よ」

 泉さんは不機嫌を体現するように、ロッカーや部室の扉を手荒に閉めて出ていった。ロッカーの中に、息を潜めて小一時間。私には、頭を下げることしか出来ない。


      

 明くる水曜日、今日は泉さんと具体的な報告書の内容について議論する。

「そもそも泉さんがプレゼンした、うちの部の目標って覚えてる?」

「ええ、SE部は普通の部活動をやりたくなかった生徒の集まりで、それらの生徒を経過観察することで、我が校に蔓延する潜在的無部活者(何らかの理由で所属する部を辞めた生徒)を減らす為のモルモット部隊。学校側には、そう認識されているはず」

「・・・つまり、今回必要なのは、結論ではなく観察結果というわけか」

「補足するなら、私たちが集った理由と、集ったことで何が起きたのか、ね」

「・・・はぁ、俺達の間で起きたことって何だろうな。そもそも全員が揃うことが稀だったし」

 起きた事と言えば、泉さんに襲われたり、幸坂さんの旧友に尾行されたり、とても書けそうにないことしか無いな。本当にろくでもない。

「例え目標が無くとも、人がある程度集まれば、相互作用的に目標を定め出すもの・・・でも、今のSE部で相互作用が起きているとは言えないわ。はっきり言って、私たちはある触媒を介さないと、まともにコミュニケーションを取れないのだから」

「触媒って?」

「・・・貴方よ、栗柄君。私たちは、貴方を通して他の部員と繋がっている状態なのよ」

「・・・支倉の料亭で、ブレイクスルーは出来てなかったか」

「あの、突拍子の無い暴走の事を言っているなら、答えはイエスよ。私たちは言葉を交わせる程度にはなった、けれどお世辞にも仲良しとは言えない。私達の間でブレイクスルーが起きなかった理由は・・・貴方なのよ、栗柄君」

「理由が、俺?」

「・・・この部は本来、私が集めて、私が壊すはずだったもの。そもそもブレイクスルーどころか、今日まで存続している予定ではなかった。それを覆したのは貴方、融和の道を作り出した。でも、その道を閉ざしたのもまた貴方」

「あぁ・・・どういう意味?」

「貴方の問題処理能力が、高過ぎたのよ。部の維持に支障をきたすであろう、部員の抱える問題を、貴方は迅速かつ他の部員に悟られぬように解決してしまった。それがブレイクスルーの起爆剤になり得ると知っていながら」

「・・・当然だ、人の本性は劇薬だからな。TPOを見極めていなければ、ブレイクスルーどころかブレイクアウト、部が瓦解することになる。劇薬を薬として利用するには、手順を踏む必要があった。例えば、幸坂さんの趣味に関して、部結成時に流布していれば、彼女は潰れていただろう。だが、人間不信の原因を乗り越えた今なら、自らブレイクスルーを始めてもおかしくないくらいだ」

「そう、貴方はギャンブルではなく、堅実な投資を選んだ。部員間の情報共有を意図的に制限しながら、自分はそれぞれの本性を把握していき、手にした情報を限定的に開示する。それはもう、放水量を調整するダムの如く」

「はぁ・・・ダムときたか。というか、話が脱線してきてないか?」

「貴方がこれまでしてきたのは、相互作用の下地作り。本格的なブレイクスルーが起きて、目標を定め出すのはこれからの話ね・・・ゆえに、今回の報告書には何が起きたかは、書く必要が無い。というか、書けないと考えられるのだけど?」

「なるほど、そこに着地するわけね・・・確かに、部内で反応が起こるとしたら、これからだな。だから報告書に書くのは、どんな奴が集まって、そこからどんな事を推論出来るか、みたいな事で良いのかな?」

「そうね、結成からまだ2ヶ月も経っていないなら、そのくらいが関の山でしょう」

「じゃあ、そんな感じで内容を煮詰めていくとして・・・泉さんの理由って、友達作りで良い? 殺人なんて書けないし」

「構わないのだけど・・・私が少し、可哀想な子に成っていないかしら?」

「ん? なんであれ、残念な子に変わり無いだろう?」

「栗柄君・・・殺されたい?」

「ああ、また今度な・・・さてと、後は支倉姉弟と話をして、土日で仕上げる感じかな?」

「・・・ええ、そうね。月曜日に全員で確認して、問題無ければ提出しましょう」

「そうだな・・・よし、今日はここまでにしとこう」

 報告書の方向性は定まった。後は材料を集めていくだけである。


      

 木曜日、今日は支倉姉との面談である。

「何だよ、話したいことがあるって?」

 支倉姉には事前に、相談したいことがあると伝えてある。

「ああ、活動報告書の事でな。書く前にNGな事とか確認しておきたくて」

「あん? もう出すのか?」

「ああ、文化系はこのタイミングらしい」

「ふ~ん・・・大変だな。まあ良いや、あんま居られねぇし、早めに聞いてくれや」

「助かる・・・まず参加した理由は、実家を手伝う為、それで間違いないか?」

「そうだな、その通りだ。あとは・・・夢探し?」

「ああ・・・」

 支倉姉は、弟の将来を見据え、家を出ることを考えている。その為に、自分は将来何になるのかを探しているのだろう。

「夢は見つかりそうか?」

「どうだかなぁ、今のところピンッと来るものがねぇし・・・そうだ、栗柄ってさ将来はどうするつもりなんだ?」

「・・・俺か?」

「ああ、参考までに」

「・・・悪いな、まだ考えてないんだ。やっと高校受験が終わったところだし」

「そうかぁ・・・まあ、そんなもんだよな、地味太だし」

「平々凡々で申し訳ない」

「地味太だし」

「おい、何故二度も・・・それで、部活の感想は?」

「それな・・・助かってるのは確かなんだけど、正直このままで良いのかなって思わないでも無いな」

「何をだ?」

「確かに、あたしらの要望は叶ってる。てか叶えてもらってばっかりって感じで、申し訳なくなってきたというか」

「いや、別に・・・そういう条件で参加してもらっているわけだし、気にすることは無いんじゃ?」

「何ていうか、お前らと何かしてぇんだよ! 具体的な事は浮かんでこねぇけど、このままはもったい気がしてならないんだ・・・」

 彼女の焦燥感が、痛いほど伝わってくる。ただ無為に過ぎていく時間に対して、急き立てられるそれは、十代特有の病と言えるのかもしれない。たかが十代、されど十代。過ぎ去ってみれば大したことの無い時期だったが、その渦中にいる内は、時が永遠にも一瞬にも感じられ、常に何かに追われていた。そんな文を、どこかで目にしたような気がするが、支倉姉はまさにその渦中にいるのだろう。私としても、大いに共感出来る心境である。

「行く手を閉ざされ、心が張り裂けそうになることを、悶えると表現するらしいぞ」

「・・・はぁ?」

「大人とも、子どもとも言えない端境期、中途半端な俺たちは悶々とすることを義務付けられた存在なのだろうな」

「何だよ、いきなり・・・頭でも沸いたのか?」

「・・・つまり、俺も賛同するってことだよ。せっかく集まっているわけだしな」

「何だよ、それならそうとはっきり言えよな、まどろっこしい・・・おっと、もう帰らねぇと、それじゃあな」

「ああ、お疲れ」

「お前、真面目振ると軽く沸いてるから。肩の力、少しは抜いていけよな」

 そう言い残し、支倉姉は帰っていった。

「・・・俺って、沸いてるの?」

 ロッカーに問い掛けると、ロッカーの神様が答えてくれました。

「ええ、致命的な程に、ね」

 ロッカーの扉が勢いよく開かれ、暑いからという理由で髪を一つに束ねた泉さんが現れた。この姿、軽くトラウマである。

「詩的表現がお好きな様ね、まるでミュージカルもどき。滑稽としか誉められないわ」

「それ誉めてないでしょう・・・それで、今回の感想は?」

「ロッカーには空調を付けるべきね。それと、こんな方法を考えた奴を八つ裂きにする」

「ロッカーの感想!? 面談のでお願いします・・・」

「ああ・・・・・・特段何も。ブレイクスルーの兆しは見えたというところかしら?」

「あはは、だよなぁ。明日中に、明良にも話してみるが・・・たぶんNGの確認だけになるだろうな」

「そう・・・なら、明日にでも草案纏めましょう」

「ふぅ・・・やっとだな」

 

      

 明くる金曜日の体育の時間、私は支倉弟にも話を聞いた。しかし、やはりというか、支倉姉とほぼ同じ感想を答えられた、参加出来ず申し訳ないと。ただ最後に、印象深い事を言っていた。

「俺は高校生活や青春なんてものは捨てたつもりだったが、お前たちとの時間を捨てるのは少し惜しく思う」

 皆、この部に対して愛着のようなものを抱いている様子だが、いったい何処にそこまでの価値があるのだろうか。

「貴方が言ったのではないかしら? ここは、逃げ場所だって」

 泉さんに問うてみると、そう返答された。

「・・・いや、だから何?」

「栗柄君は、聡いのかしら? 鈍いのかしら? ・・・それはさて置いて、ここは私たちにとって、大海原に浮かぶ帰港地の役割を担い始めているのよ」

「なるほど・・・・・・それで、どゆこと?」

「・・・つまり、逃げ込める場所という事よ。駆け込み寺と言った方が良かったかしら?」

「あの離婚に揉めた女性が逃げ込むという?」

「例えばの話なのだけど・・・今日はやけに物分かりが悪いわね、どうかしたの?」

「いやぁ、さっぱり分からなくて・・・」

「そう・・・貴方、近視なのね」

「は? 視力に問題は無いけど?」

「これも、例えよ。遠くは見えるのに、手元が見えないなんてね・・・自己犠牲か何かかしら」

「あのさ、例えはもういいから教えてくれない?」

「はあ・・・貴方が、他人を余りにも受け入れるから、依存性が出てきているというだけの話よ」

「・・・ん? 俺は何かを受け入れた覚えは無いけど?」

「それは・・・残酷ね。無自覚で他人に救いを与えてしまうなんて」

「救った覚えも無いけど?」

「そうね、貴方は無自覚ですもの。幸坂さんの趣味に始まり、支倉さんの面倒な人柄や支倉君の取っ付き難さ、そして・・・私の本性。貴方はそれらを涼しい顔で無視していく。それが、この部を駆け込み寺にしているのよ」

「マジか・・・そんなことで?」

「今の世の中、自分を見せた者から潰されていくの。如何にグローバルスタンダードを演じるか、それが現代を生き抜く為の必須事項・・・剥き出しの自分を拒絶されないだけで、相手は受け入れられたと喜ぶ時代なのよ?」

「別に、拒絶するだけのものでも無いだろう?」

「はぁ・・・現実的に見れば、貴方の懐の広さは異常よ? 趣味や人となりもさることながら、殺され掛けた事すら許容するなんて」

「最後のは、許容して無いぞ? 全力で拒絶しているつもりだ」

「・・・襲ってきた相手と学舎を共にし、二人でお話をしている状況は、許容としか言い表せないわ。恐怖に駆られて、警察へ通報。すぐに生活圏から追放するか、逃げ出すのが常識的というものでしょうに」

「いや、だからそれは利害の一致というか・・・部の存続に必要だったからで」

「幸坂さんの趣味も、普通は彼女の人格が疑われる。いかがわしい音楽に傾倒する子は、いかがわしいのではないかと。それはいじめの原因にも成りうるものだけれど、貴方は気にも止めず、理解すら示してみせた。支倉姉弟には、貴方くらいしか歩み寄らない。彼女たちが厄介な存在だと認識されているからだけれど、貴方はそれを意に留めない」

「・・・それは、分かっているさ、空気くらい読める。俺だって、幸坂さんのギャップには驚いたし、支倉姉弟のキャラには戸惑った。でも、それだけの奴らじゃないと感じていたからこそ、関わることを選んだんだ。前にも言った気がするが、俺は聖人じゃない。誰彼構わず受け入れるつもりは無い」

「なら、受け入れる条件は?」

「それは・・・法に抵触していない、とか?」

「私、アウトなのだけれど?」

「まあ、あんたは特例だな。部の存続に必要で、俺以外には手を出してなかった。それに、一応話が通じるからな」

「もし、他にも襲っていたら?」

「それは・・・突き出してたかもしれないな。俺だけだったから、俺が赦せば帳消しに出来たんだし・・・」

「・・・何故そこまで、部の存続に拘るの?」

「それは・・・ここが、エスケー部だから」

「エスケー部だから・・・では、貴方は何故、エスケー部を作ろうと思ったの?」

「ふぅ・・・最初からそれを聞き出すつもりだったんだろ?」

「ええ、そうね。貴方の面談をしていなかったものだから」

「面談ねぇ・・・尋問の間違いじゃない?」

「なら吐きなさい、貴方の行動の理由を」

「理由、かぁ・・・・・・中学の時、俺は運動部に入ってたんだ。ちょっとした興味が動機だったかな? 二年で辞めたけど」

「何故?」

「いや、何故って・・・やってられなくなったからだろ。最初は自分の意思で参加したはずなのに、いつの間にか誰かの思惑に動かされていることに気付いたんだ。学校や顧問の見栄の為、大会で勝つ為に滅私奉公を強制されて、そんな環境にどっぷりと浸かっていた先輩の強迫観念に振り回されながら、俺も泥沼に身を投じようとしていた事にな・・・中学の部活程度で滅私奉公し続けるなんて阿呆みたいだから、俺は辞めた」

「・・・だから、高校ではエスケー部を?」

「う~ん、きっかけはその後の出来事かな? 部活辞めても、プラプラしてたら連れ戻されそうだったから、適当なとこに入ったんだ。メジャーな部の顧問に成りたくなかった教師による、護身術教室みたいなところに。これが、顧問はサボりがちで、後輩の先輩部員とじゃれ合うだけの毎日で、とんでもなく無為な時間だったけど・・・今でも、悪くなかったと思える。彼処には、誰の思惑も巣食ってなかったからな」

「それが、貴方の行動の起源?」

「まあ、そうなるかな? 思い返せば、クラブや部活みたいな、人の集まりってものは、先人の思惑でガッチリ固められているものであって、自分を活かす為のものじゃあなかった。部員という型枠で整形されて、文字通り部を活かす為の存在に改造する為のシステムでしかない。捕まったら最後、思考は狭まり、権威に迎合する見事な改造人間にされて卒業していくってわけだ・・・俺はそれが嫌だったから、既存の部活ではなく、新しい部活の結成に動いた。誰も縛らず、誰にも縛られない、俺のヘイブン。その為なら例え刺されようが、俺は赦す。それだけのことだよ」

「なるほど、貴方の行動原理を解く為の、計算式を教えられた気分ね・・・でもその生き方、人間の文明圏に居る限り、報われないのではないかしら?」

「そうだろうな、まったくその通りだ。この先はどこもかしこも、逃れ様のない思惑の渦巻く嵐の中で、改造されていないと、生き残れないのかもしれない。だが、それでも構わないと思う。自分を殺した後の将来なんて、地獄とどう違うんだ? そこまでして生きたいとは、残念ながら思えないな。まあタダで死ぬ気も無いから、俺が思惑を仕掛ける側に成るつもりだけど」

「・・・誰も縛らないのではなかった?」

「ああ、学校という名の、狭苦しい檻に収監されてる間はね。どう生きていくか考えている奴らを邪魔したくないし、邪魔させたくない」

「そう・・・やはり貴方は殺すしかないみたいね」

「・・・どこをどう解釈したら、その結論に至るのかな?」

「見てられないほど痛々しいから、かしら?」

「あ~はいはい、どうせ頭沸いてますよ。もう、過去話は懲り懲りだ。早く草案考えないと、時間が・・・」

 ふと時計を見上げると、時刻は17時を過ぎていた。

「なあ・・・明日、登校な?」

「ええ・・・そうね」


      

 土曜と日曜、その尊い犠牲を払い、泉さんとの激論の末、ようやく活動報告書の草案が完成した。

 そして月曜日の放課後、急いでそれを部員たちに回し読んでもらい、了承を得られたので用紙に清書し、急いで生徒会室へと向かった。運命の時、生徒会役員に囲まれ、異端審問のように報告書を検分されるのかと思うと、少し足取りが重くなる。好意的だったとはいえ、手厳しいものになるだろう。意を決し、最後の角を曲がると、生徒会室の前に行列が出来ているのが見えた。一先ず最後尾に並んでいると、この行列が報告書の提出待ちだというのが漏れ聴こえてきた。

 あっという間に列は捌け、私の番がやって来た。生徒会室前の特設席に、二人の生徒会役員。一人が報告書を受け取るなり部名を読み上げ、もう一人が記録を記していく。後は、結果は明後日に出るので生徒会室まで来るようにと教えられて、受付は終了した。礼を言ってから、私は部室へ戻った。部室は既にもぬけの殻、私もホッとしたせいか、体調が優れない気がするので、今日は帰ることにした。

 部室を閉め、職員室で柘植教諭に事情を話すと、早退を許してくれた。そういえば、報告書に柘植教諭の事を一文字も書いていなかったのだが大丈夫だっただろうか。家に着く頃には、意識が徐々に朦朧としてきていた。寝不足のせいなのか、異様に眠たい。私は制服を緩めることしか出来ず、ソファへと倒れ込んだ。その時には既に、私の意識は失われていた。

 次に自己を認識した時は、日が暮れ、部屋は真っ暗になっていた。

 結構な時間寝入ってしまったようで、身体が凝り固まって痛い。そんな身体を無理やり伸ばしつつ、気怠さに抗いながら立ち上がって、照明のスイッチを手探りで見つけ出し、点灯した。照明の眩さに一瞬目を焼かれ、悶えること数秒、ようやく目を開けられた。

 キッチンカウンターの椅子に、長髪の女が座っていた。

「・・・・・・うわぁっ!?」

 自分でも意外なほどビビった悲鳴を上げて、私は飛び退いた。女は俯いたまま、動かない。これやもしや、もしやなのだろうか。私はまさかの事態にオーバーヒートしそうな思考を落ち着かせながら、女の様子を窺った。見れば、うちの高校の制服である。よもや、活動報告書を出せなかったことを悔やみ、浮かばれない生徒だとでも言うのか。

 思い返せば、私は面白いほど思考が迷走していた。そんな私を嘲るように、女はクスクスと笑い出した。何か始まった、私が警戒レベルをマックスに引き上げたその時、女はゆっくりと顔を上げる。

「ふふっ・・・貴方、やはり面白過ぎるわ」

「ひっ・・・・・・ん? あれ、泉さん?」

 女の正体は泉さんだった。見慣れた顔、というか生気のある存在で、私はホッと胸を撫で下ろした。

「なんだよ、脅かさないでくれよ・・・」

「まさか、ここまで面白い反応が見れるなんて・・・ふふっ、予想外だったわ」

 なんとも底意地の悪い笑みを浮かべる泉さん。くそ、これだから部室で寝るとろくなことが無い。

「・・・あれ?」

 私は自分の思考の間違いに気付き、背筋が凍った。ここは、私の家である。

「何で、ここに居るんだよ!?」

「ふふっ、今更ね。でも期待通りのリアクションには、ありがとうと言っておくわ」

「どうやって此処を知った!? 少なくとも、部屋番号は知らなかったはずだ!!」

「ええ、そうね。だから、柘植先生に聞いたら、教えてくれたわ」

「そうか、学校に登録してある住所を・・・いや待て、個人情報なのにどうやって?」

「様子を見に行きたいと言ったら、教えてくれたわよ?」

「簡単だな!? 何してんだあの教師・・・というか、泉さんは先に帰ってたんじゃなかったのか?」

「・・・ん? ああ、失念していたわ。本人は自覚していないのだった」

「自覚? 何を?」

「貴方は今日、学校を休んだのよ。今は、火曜日の夜なの」

「・・・は?」

 何を言っているんだ、この侵入者は。私は泉さんを警戒したまま、テレビを点けてみた。番組表は火曜日の日付、画面には火曜日にやるバラエティー番組が流れている。

「・・・えぇ、マジか」

 私は、丸一日以上眠りこけていたというのか。いったい、どれだけ疲れていたというのか。

「信じてもらえたようね、感想はいかがかしら?」

「あ、ああ・・・たった一日だが、浦島太郎な気分だ」

「まあ、タイムトラベルなんて素敵ね」

「茶化すなよ・・・それで、何が目的なんだ?」

「何って、貴方の様子を見に来たと言ったはずだけど?」

「それは手段だろ? 俺が聞いているのは目的だ」

「・・・そうね、話しましょう。私が、此処へ来たのは・・・」

 彼女の言葉に耳を傾けた瞬間、明かりが消え、部屋が真っ暗になってしまった。しまった、と私が照明のスイッチに手を伸ばしたその時、金属のヒンヤリとした冷たさを首筋に感じた。途端に明転、視界が戻ると目の前に泉さんが居り、あの日私を刺したナイフを私の首筋に添えていた。

「・・・殺しに来たのか?」

「・・・いいえ」

 泉さんは、あっさりとナイフを引っ込めると、代わりに照明のリモコンを手渡してきた。これで操作していたようだ。

「このナイフを取り返しにきたのよ」

 ナイフをペン回しのように弄んでみせる泉さん、程なくして慣れた手付きで持参した鞘に刀身を納めた。

「一応、大事なものだから」

「なら、凶器にするなよ・・・」

「大事だからこそ、ここ一番で使うのでしょう?」

「なるほど・・・」

 なんだか、納得させられてしまった。

「・・・あれ? そのナイフは隠しておいたはずなんですけど?」

「ええ、苦労したわ・・・まさか、靴箱の奥にデッドスペースがあるなんて」

 まさか、あの場所を嗅ぎ付けるとは、捜索者の視線、臭い、思考からも外れる良い場所だったのに。

「何で判った?」

「強いて言うなら・・・女の勘、かしら?」

 女の勘、怖い。

「はぁ・・・まあ、見つかったなら仕方ないか。用が済んだなら、帰ったら? もう夜なんだし」

「そうね、貴方の無事も確認出来たことだし」

「俺の無事?」

「綺麗に手入れはしていたつもりだけど、一抹の不安があったものだから・・・杞憂に済んで良かったわ」

「ん? よく判らないが、心配ありがとう??」

「そこまで首を傾げるのなら、正直に言ったらどうなの?」

「そうだな・・・俺を殺そうという奴に心配されるのは気味が悪いが、その心意気には礼を言っておこうと思う。ありがとう、泉さん」

「・・・絶句、とは今のような状況を言うのかしらね。そう真っ直ぐに言われてしまうと、暇潰しにガサ入れしていた自分が滑稽に思えてしまうわ」

「何してんだよ!?」

「ナイフを探してたと言ったでしょう? 青少年的な品は皆無だったけど、本棚は面白かったわ。本棚は、その人を顕すものだから」

「そうですか・・・ちなみに、俺ってどんな奴?」

「そうね・・・常人振ろうとする奇人を演じる常人と言ったところかしら?」

「・・・ごめん、聞き取れなかった」

「・・・つまり、努力家ということよ。良かったわね?」

「中身の無いシュークリームを口に押し込まれた気分だよ。大事なところを忘れてないか?」

「いいえ、本人が意図していたなら聞き取れたはずだろうから、今は口をつぐんでおくわ。だから忘れなさい」

「釈然としないな・・・だが、話が進まないようだから、忘れるとしよう。さあ、帰った、帰った!」

「あ~れ~」

 泉さんの背を押しながら玄関へ向かうと、気の抜けた低音かつ棒読みのわざとらしい悲鳴を上げられた。腹立つなあ、もう。

「・・・そうだ、玄関。泉さん、玄関の鍵はどうしたの?」

「あぁ・・・ピッキングよ」

「なるほど、ピッキング・・・いや、それ犯罪だから。さっそく抵触案件だから!」

「管理人が留守で、インターホンにも反応しない。中で人が倒れているかもしれないそんな時、偶然手元にピッキングツールを持ち合わせていたら・・・貴方は使わないのかしら?」

「どんな特殊事例だよ、それ・・・分かった、不問にするから、ほら行くよ」

「あら、付いてくるつもり?」

「そうだよ、暴漢にでも遭遇したら大変だろ?」

「心配は不用よ、見くびらないで」

「いや、だって・・・今の泉さん、絶対刺すでしょ?」

「・・・ええ、そうね。サクッとしてしまうかもしれないわね」

「それに、万が一ってこともあるから。一応、お見舞いに来てくれたわけだし、義理は果たさせてよ?」

「分かったわ・・・でも、それは結局心配しているのでは?」

「そうかもな・・・偉そうで、何考えてるか分からなくて、テイザー打ち込んできて、ナイフで刺してきて、さらには未だに殺害予告してくる、イカれた阿呆だけど・・・欠くわけにはいかない部員だからね」

「それはどうも・・・新手の宣戦布告?」

「違う、事実の列挙だよ。気に入らないなら、適当に脳内で切り貼りしといてくれ」

「はぁ・・・そうするわ」

 泉さんはこれでもかとばかりに深い溜め息ついて、玄関を出ていった。やっと外に出たか、私も玄関出て、ちゃんと施錠してから、その後を追った。バレてしまったので、白状するなら、私の住まいは学前の隣駅が最寄りの、マンションである。少し高台にあるので、駅までは下校時のように、坂を下っていくことになる。

 私たちは黙って坂を下っていたのだが、泉さんが唐突に話を切り出してきた。

「明日、SE部の命運が決まるわね」

「・・・そう、だったな」

 明日が、活動報告書の裁定が降る日である。泣いても笑っても、認められなければ廃部である。まあ、我々なら淡々と受け止めるのだろうが。

「・・・廃部になったら、栗柄君はどうするつもり?」

「そうだなぁ・・・ノープランかな。泉さんは?」

「右に同じ」

「やっぱり? ・・・というか、こんなやり取り前にもしたな」

「・・・そうね、部承認の時だったかしら。そういえば、栗柄君は茶道部に行く手筈ではなかった?」

「あぁ・・・気が変わったというか、今が意外と悪くないというか・・・俺としては、常にプランBを用意しておくべきだと考えているが、どうも今回は考えつかない。どうやら気に入ったらしくてな、不退転の構えというわけだ」

「その様ね・・・報告書に取り組む姿には、鬼気迫るものがあったから」

「必死こいてただけだよ・・・泉さんがノープランのままなのは、まだ壊すつもりだから?」

「最初はそう、でも今は存続させることしか考えていないわ。そうでなければ、報告書の作成を手伝うわけ無いでしょう?」

「あはは、確かにそうだ。なんだ、やっと俺を始末するのは大変だって事に気が付いたか?」

「そうね、難無く片付けて、こんな息苦しい世界から解放されるはずだったのに・・・先の事を考えさせられている。まったく、不合理なことね」

「生憎、今の泉さん程度に殺されるやるつもりは無いんでね」

「・・・私程度、とはどういう意味かしら?」

「だって、お互い未だ何も為してないだろ?」

「・・・はい?」

「人は死んだ時に完成するんだ。あの時殺されてやってたら、泉さんは俺を殺す為に、俺は泉さんに殺される為に生きてきたみたいな事になるだろ? 俺達はまだ、実績を残して無いんだからさ」

「あぁ、そういう・・・学生の身分では、私達はまだ一人の人間として扱われていない。卒業後、職を得ることなどで私たちは人間として確立される。だから今殺されると、殺し殺された者としか記録されないと言いたいのね?」

「ああ、概ねその通り。死後の事を気にするなんて可笑しいかもしれないけど、そんなのってつまらないだろう?」

「そうかしら? ロマンチックとも言えるのではないかしら、殺し殺される為だけの人生だなんて」

「どこの悲劇作家だよ・・・いや、もはや喜劇か?」

「とはいえ、私は何に気兼ねすること無く、貴方を始末しに掛かるのだけど」

「人目は気にしましょうねぇ・・・」

 そこから駅まで、また会話が途切れた。私としては、気まずいからというわけでは無く、単にネタが無いだけだ。泉さんの理由は定かではないが、これほど沈黙が恐ろしい人は居ないのではないだろうか。そして、改札口まで沈黙を貫いた泉さんであったが、不意に歩みを止めた。何だろうか、私も二度見した後、足を留めた。

「・・・それでも、廃部になったら、貴方は私を告発するのかしら?」

「・・・え?」

「栗柄君が私を見逃したのは、部の存続の為。なら、その部が無くなれば、貴方が私を野放しにしておく理由は無くなるはずよ」

「なるほど、その通りだな・・・ああ、それを確かめに来たんだな?」

「ええ・・・答え次第では、貴方という痕跡を消さなければならない」

 泉さんの雰囲気が、見るからに変わった。そこに冗談めかしたものは無く、どす黒い感情が漏れ出たかの様に重く垂れ込めている。

「・・・宜しくない」

「・・・え?」

「その殺意は、実に宜しくない。なんて醜い殺意なんだ。利己的な殺意ほど、醜い事は無い」

「いきなり何を言って・・・」

「泉さん、あんたは何を恐れているんだ? 罪が露見することか? 俺を殺せなくなることか? 部活が、無くなることか?」

「私は、何も恐れてなんて・・・」

「利己的な殺意を懐く時は、自分に損害が発生する時だ。推測してみよう。泉さんが恐れているのは、おそらくは廃部だろう。廃部すれば、俺が泉さんに付き合う必要も無く無くなり、最悪告発されてしまうかもしれない。そうなると、暴発しそうな衝動を発散する場所無くなるからだ。本当に恐れているのは、理性が衝動、つまり本能に負けてしまう事なんだろう?」

「それは・・・」

「最初に本能に負けたのは中学の時、いじめっ子に報復した時だろうな。それは、命を守る為の本能的な防衛だったのだろうが、あんたは自分が感情のままに動くと他人をどうするのかを目の当たりにして、恐れたんだ。自分自身の本性に」

「・・・続けて」

「そこであんたは、さらに感情を殺し、人と距離を置くようにした。誰かに負の感情を抱いたら最期、今度は殺害すら辞さないだろうと感じていたからだ。だが、人の感情はどれほど抑圧しようとも、揺れ動いてしまうものだ。俺は何かしらの理由で泉さんに不快な想いをさせたのか、ターゲットに選ばれた。あとターゲットにされてたのは支倉姉弟かな? そんなターゲットを一塊にする為、泉さんは俺の計画を利用した。ちなみに、幸坂さんはオマケというか、数合わせで、最初からターゲットにはしてなかったんだろう?」

「・・・それで?」

「それで・・・おそらく支倉姉弟をターゲットにしたのは、イチャつくカップルに見えたからじゃないか? でも、話したら誤解だと判り、ターゲットから外された。そうなると、残されたターゲットは俺だけになる。あんたは、部活という隔離空間を利用して、俺を排除する機会を待ち、実行した」

「・・・」

 泉さんは無言で、真っ直ぐと私を見据えてきた。

「実行して気付いたはずだ。自分を振り回していた衝動は、殺人衝動ではなかったことに。泉さんはただ、本気で喧嘩がしたかっただけだったじゃあないか? ポテンシャルが高過ぎて、本気で人とぶつかると相手が砕け散ってしまうから、無意識下で自らに枷を嵌めた。まあ、その結果、俺にぶつける本気度がおかしくなったんだろうがな。それでも耐え抜いた俺に対して、怒ったことだろう。だが、同時に心が躍っていなかったか? それは、衝動の正体が、狩猟本能の様なものだったからだ。本気で競い合える相手を、追い求めていたというわけさ」

「・・・興味深いお話ではあったけれど、それが何だと言うのかしら?」

「おっと、結論がお望みか? 結論、泉さんの衝動は殺人衝動ではないので、恐れる必要はありません。それと、告発もしないので落ち着いてお帰りください、かな?」

「・・・何故、告発しないの?」

「それは、面倒臭いというのが大きいけれど・・・泉さんがこんなことで終わるのが、もったいないと感じたからかな?」

「もったい・・・ない?」

「泉さんって、綺麗だし、頭良いし、行動力もあって、たぶん育ちも良いだろ? なのに、つまらないことで人生を締め括るなよ」

「つまらないこと? 私の苦悩がつまらないことだと?」

「ああ、そうだ、つまらない。全くもって、スペックの無駄遣いだな、見ていて腹が立つ。そんだけの条件が揃っているのなら、人の羨む成功を築き上げてみせろよ。そしてそれから、栄光をポイ捨てでもするかのように、俺を殺すというミステリーを残して死んでいけ」

「・・・ふふっ・・・あっはっはっはッ!」

 泉さんは、急に噴き出し、腹を抱えながら、辺りに響き渡るほどの大爆笑を始めた。あまりにイレギュラーな光景に、私は少々面食らってしまった。猫だましという奴か、不覚。

「本当に、貴方って馬鹿な人ね・・・悔しいけれど、貴方の法螺話のせいで、そうとしか思えないようになってしまったじゃない。確かに、誰もが首を傾げる謎を残して逝くというのは、とても愉快だわ」

「そうか、それは良かった」

「けれど、同情されるのは不愉快ね」

「同情・・・とは少し違うかな。むしろ、やっかみに近い。良い手札を持っているくせに、それを溝に棄てようとするあんたに、苛立ってだけの話だよ」

「貴方だって、悪くない手札のはずだけど?」

「虚勢だよ、ハッタリ。無いものが有るように、小さなものは大きく見せるのが心理戦の妙というものだろう?」

「・・・今も、心理戦というわけね。まあ、今日はこんなところで納得してあげる。今後とも、ストレスが溜まったら、挑ませてもらうわ」

「・・・え、あれ止めないの? 先送りに同意したんじゃ?」

「ええ、それは最高に愉快だったけれど、別に今仕留められても私は愉快だから、付け狙うわ」

「堂々と言い放ちやがって・・・」

 悔しいが、もはや清々しいとも言える。泉さんらしさが戻ったことに、私はどこか満足していた。

「もう20時か、帰宅ラッシュに巻き込まれる前に、さっさと帰りな」

「ええ、そうするわ・・・また明日」

「ああ、また明日」

 改札の向こうへ歩き去る泉さんを見送りながら、私は嘆息した。

 彼女は、泥濘にタイヤを取られた車のようなものだ。その泥濘は、どれほど優秀でも単独では抜け出せない。空回りして、もがき苦しんだことだろう。私が、後ろから押してやったことで、彼女はまた走り出せただろうか。走り出せれば、良いのだ。例え、嘘まみれだったとしても。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ