エスケーブ#3
翌週の月曜日、部室内覧会から一週間、部室には珍しく、明良を除く全員が揃っていた。つまりそれは、言い表せない緊張状態に陥っているということでもある。
目下冷戦中の泉さんと支倉姉。その動向をヒヤヒヤしながら見守る幸坂さんと嘆息する私。ああ、もう面倒臭い、いっその事大戦の火蓋でも切り落としてくれようか。息苦しい雰囲気に辟易していたそんな時、何の前触れも無く、部室の扉が盛大に開け放たれた。
「こんちゃ~っす!!」
見知らぬ女生徒が、威勢良くかち込んできた。想定外過ぎて、皆唖然とするしかなかった。
「あのさ、ここの部長はどなたかな?」
女生徒が問い掛けると、私以外の部員達が、迷いなく私を指差した。よく判らないが、売られた気分だ。
「おお、君か! それじゃあ、ちょっと借りてくわ~」
女生徒は私に歩み寄ってくるなり、腕をむんずと掴むと、無理矢理連行しようとしてきた。
「え、ちょっ、待っ・・・だ、誰!?」
嫌がってみたが、誰も止めてくれない。悔しいから、連行されてやるんだから。適当に嫌がりながら、部室から連れ出される私。部員から見えなくなる辺りからは、素直についていく。
「急に従順になった!?」
「ええ、まあ。振り払うかは、話を聞いてからにしようかと思いまして」
「急に敬語になった!?」
「ええ、2年の樗木梼先輩。凄いですね、名前全部に木が入ってる」
「何で、私の名前を!?」
「生徒手帳に書いてありますから」
私は、2年の緑色カバーの生徒手帳を、樗木先輩に手渡した。
「わっ、本当に私のだ・・・まさか、盗んだの!?」
「失礼ですね、先輩が落としたのを拾っただけですよ。生徒手帳は内ポケットに入れましょう」
「あらら、それはありがとう・・・あれ私、内ポケットに入れていたような・・・?」
「・・・それで、俺を何処へ連れていくつもりですか?」
「え? ああ、生徒会室だよ」
「生徒会室に? 何でまた??」
「なんか、生徒会長が連れて来いって」
「先輩は生徒会の人なんですか?」
「うんにゃ、私は軽音部の部長だよ。お隣さんだから連れて来いってさ。お隣さんといえば、うちのベースが挨拶に来ねぇって怒ってたよ?」
「ああ・・・部室へ挨拶に伺った時は留守でしたよ? というか、部室に人の気配がしたことが無いような・・・」
「あっ・・・ごめん。私たち、音楽準備室を根城にしてるから、そりゃ判んないよねぇ」
「ええ、菓子折り持って伺ったのですが・・・駅前の洋菓子コルッピンの菓子折りを」
「なん、だと!? すぐに献上したまえい!!」
「勿体ないので、美味しく頂きました」
「ぐはぁ、痛い失敗だぁ・・・」
まあ、嘘だから、元から無いけどね。先輩、人が良いにも程があるだろ。
「君たち、良い子たちだったんだね。皆に伝えとくよ」
「はぁ、ありがとうございます・・・それで、生徒会が俺たちに何の用なんですか?」
「それはね、部費の申請に来ないから。知らないんじゃないかということになり、隣の軽音部が世話を焼いてやれと」
「なるほど・・・」
確かに、部費の分配は生徒会の管轄だった。噂によると、部費を盾に学校清掃や奉仕活動に強制参加させるブラックな奴らとなっていたので、そもそも部費も必要無いから無視していたのが裏目に出たか。
「部費、いらないんですよねぇ」
「えぇ!? 部費は大事だよ、楽器とか高いんだから!!」
「いや、うちは楽器買いませんから・・・」
「とにかく、連れて行かないと私らが減額されちゃうから!」
うわ、ほんとにブラックじゃん、生徒会。そうこうしているうちに、我々は生徒会室の前に着いてしまった。ちなみに、職員室の向かいである。
「こんちゃ~っす、なんとか部の部長君を連れて来ました~!!」
部室へ強襲掛けてきた時のように、樗木先輩はノックもせずに扉を盛大に開け放った。
生徒会の面々は、慣れているのか驚くことは無く、既に視線はこちらに向いていた。
「ど、どうも~SE部の部長です・・・はい」
しばしの沈黙の後、一人の男子生徒が口を開いた。
「どうぞ、こちらに座ってください」
男子生徒が示したのは、コの字型に置かれた机の内側にある椅子だった。どう見ても、被告人席にしか見えない。
「は、はい・・・」
嫌な予感がしながらも、椅子へ向かう。樗木先輩も付いて来ていたが、軽音部さんはもう大丈夫ですよ、てな感じにやんわりと退去願われていた。
樗木先輩が去り、私が席に座ると、生徒会室に凛と張り詰めた静寂が訪れた。正面に生徒会長らしき男子生徒、左右も生徒会員に囲まれている。
生徒会とは、成績が良くて、悪い評判の無い生徒が大抵、教師の要請で立候補する。なので、頭が良さそうな地味目の生徒が揃っている。男女比は五対一、女性問題で荒れそうな比率だ。
これは魔女裁判な事態になるのだろうと、私は覚悟した。口火を切ったのは、正面に座る男子生徒だった。
「私は、生徒会長の岡田です。本日、招集させてもらった理由というのが・・・」
理由はやはり、部費の件であった。意外だったのは、筋道を通して話せば、あっさりと話が進むところだ。部費は必要無いという旨を伝えると、生徒会としてもSE部の活動には興味があるので、必要な時はいつでも相談して欲しいと、中々の厚遇ぶりすら垣間見えた。彼らのように頭の良い人たちには、泉さんと何か通じるものがあるのかもしれない。
話し合いはすぐに終わり、雑談をするほど、人当たりも良かった。生徒会には部費の分配くらいしか権限が無いので、部活動を管理するのも大変なのだそうだ。ブラックだという噂も、部費の大切さ、学校側の配慮を鑑みさせる為の奉仕活動が裏目に出たせいだろう。
部費に頼らない姿勢を称賛されながら、私は生徒会室を後にした。外に出ると、樗木先輩が待っていた。
「大丈夫だった?」
心配してくれたとは、人の良い先輩である。連れ出し方は問題だが。
「ええ、円満に終わりましたよ。樗木先輩のおかげです」
「私は何もしてないよ~。大丈夫なら、私は部活に戻ろうかな?」
「はい、わざわざありがとうござました」
「良いってことよ、後輩君! あ、一つだけ聞いて良いかな?」
「何ですか?」
「後輩君は、何で部活強制のこの学校に来たの?」
「え? 何ですか、急に?」
「いやね、またうちのベースなんだけど、君の部は明らかにエスケー部だって言ってたの思い出して。部活嫌なら、他の学校でも良かったんじゃないかなって思ってさ」
「それは・・・受かった高校の中で此処が一番、偏差値高かったので」
「そっかそっか、大事だよね偏差値。答えてくれてありがとう! さてと、私は行くね」
「はい、お疲れ様です」
樗木先輩は、颯爽と走り去っていった。廊下は走ってはいけませんよ、先輩。苦笑しながら先輩を見送っていると、入れ違いで廊下の角から泉さんが現れた。
「あ、泉さん、もう帰るの?」
「もう? 何を言っているのかしら、17時はとっくに過ぎているのだけれど?」
「え?」
壁掛け時計を見ると、確かに時刻は17時38分を指していた。思ったよりも、話し込んでしまっていたようだ。
「栗柄君が戻って来ないから、部室を閉めて、鍵を戻しに来たのだけど・・・それで、何がどうなったのか、説明してもらえるかしら?」
私は、生徒会でのやり取りを手短に伝えた。
「そう、それが事の顛末なのね」
「勝手に部費を断ったけど、マズかったかな?」
「いえ、問題ないわ。生徒会と友好的な関係を築いたのなら、むしろ上出来と言えるのではないかしら」
「褒めるなんて珍しいね、泉さんなら貶してくると思ってたよ」
「あら、貶される方がお好みだったかしら?」
「いえいえ、褒めて伸びるタイプです」
「そう、覚えておくわね」
泉さんは微笑し、職員室へ入っていった。待っているのも変なので、私は帰路につくことにした。
坂を下りながら、樗木先輩に言われたことを、泉さんに聞いてみれば良かったと少し後悔した。そして、この質問を部員達に聞いてみるのも面白いかもしれない。
明くる火曜日の放課後、今日は泉さんに用事があるとかで、私が鍵を開ける当番だ。部室の前には、幸坂さんだけが待っていた。可哀想だが、17時までの話し相手になってもらおう。
というわけで、昨日の事を説明しつつ、あの質問を聞いてみることにした。
「幸坂さんは、何でこの高校を選んだの?」
「えっと・・・実家から通える、最大限に遠い学校がここでして」
「ああ・・・なるほど。やっぱり実利的な理由だよね」
「・・・後は、制服が可愛かったので、はい」
「制服・・・」
考えた事の無い観点だ、だって男子ってどこも変わらないじゃないか。行けるところに行く、それくらいしか無いと思っていたが。
「じゃあ、部活動強制って知ってた?」
「はい、一応。なので、軽音部と手芸部を注目していたのですが・・・」
「ああ・・・」
私は調べずに入ってしまったからな。最初に集った学友達も、知らなかったと言っていたし、男子ってやっぱり抜けてるのかしら。
「それにしても、その部活のチョイスからして、ギターが出来て衣装も作れますみたいな?」
「・・・・・・はい」
やってしまった、冗談のつもりが図星を突いてしまうあれ。
「あの、幸坂さん? 俺がたまたま図星を突いたとしても、認めなくて良いからね?」
「すみません・・・既に把握されているのかと」
「拭い去れないストーカー疑惑!?」
「・・・心配しないでください、栗柄君には本気の目で興味が無いと言われてますから」
根に持たれているのだろうか。ここは何を言おうと悪い方向に行きそうなので、話題を逸らしてやりましょう。
「そう、これは連想ゲームなんだよ、きっと。幸坂さんという人を知るための」
「私を知る為の、連想ゲーム・・・それなら、楽しいかもしれませんね」
意外な好感触、これは引き下がるわけにはいくまい。
「ちょっと待ってね、ギターが出来るってことは、練習をしているはずだから・・・もしや、部活に来ない日は練習しているとか?」
「うっ・・・正解です」
「推測になるけど、恥ずかしがり屋な幸坂さんの事だから、防音設備が無い限り、練習場所は家ではないだろうね。となると、考えられるのはカラオケ? ギターを持ち込みながらの、一人カラオケだ!」
「うぐっ・・・正解です」
ああ、正解する度に、幸坂さんが吐血しているように感じる。
「良い、良いと思うよ~!」
私には、そう叫ぶことしか出来なかった。ちなみに、幸坂さんのテンションは缶コーンポタージュを進呈することで、改善することが出来ました。
「部活来る日って、休喉日?」
「けほっ・・・正解です」
水曜日、法則的に泉さんと二人きりになる曜日。満を持して、あの質問をぶつけてみようと考えていたが、今日は柘植教諭が転がり込んできた。教頭対策なのだろう、週一で来るようだ。
柘植教諭は今日も、大量の書類を抱えてきた。そして、ちょっとした愚痴を呟きながら、減らない仕事を片付けていく。
滲み出る、教職という仕事の過酷さ。教師には成りたくないなと、つくづく考えさせられる時間である。こんな姿を垣間見ていなければ、教師という存在を生徒が茶化すこともないだろうに。
だが、生徒にとって教師とは圧倒的な存在であり、それが鍍金なのだと判った時、教師も呆気ない存在なのだとバレた時は、今よりもナメられてしまうのでは無いだろうか。友達のような先生や兄弟のような親、聞こえは良いが、それらの立場の人は本来、弱味を見せてはいけないのだ。それが、生徒や子の為であり、自分の為にもなるからだ。
とか考えちゃったりもするが、我々は事情が違う。顧問に潰れてもらっては困るのだ。その為なら、笑顔で愚痴を聴くし、出来る限り尊敬の念も忘れない。言い方は悪いが、利用し利用されるのが、我々の間柄なのだから。最低でも3年間、我々の逃避行にお付き合い頂きましょう。先生、オーダーされてもコーヒーは出てきませんよ。あ、買ってこいと。我々の分もですか、ごちになります。
この日の帰路、忘れかけていた視線を後頭部に受けた。尾行、当然巻いてやったが、今回はあまり深追いして来なかった。追うだけ無駄と、理解したのかもしれない。
いったい何の目的で、尾行してくるのか。私には身に覚えが無かった。
木曜日、今日は結果的に支倉姉とサシになる曜日。彼女は憮然と、毎度お馴染みの質問を投げ付けてくる。
「それで、あの女の目的は判ったのかよ?」
「ああ、悪い。色々あって聞きそびれた」
「ハァ? 色々ってなんだよ?」
支倉姉に月曜の一件から、今日までの変遷を大まかに説明した。そして、面倒だから、あの質問で話題を変えてしまいましょう。
「あ? あたしらがここにした理由? そんなの決まってんだろ、家から一番近い高校だったからだよ」
「部活強制なのは、知ってた?」
「ああ、明良が気付いてた。でもよ、背に腹は変えられないじゃん? 他は遠くて、手伝いに間に合わないし」
「背に腹か・・・他に理由とかあった?」
「制服が可愛い」
「・・・あはっ☆」
支倉姉は身を乗り出して、私の胸ぐらを絞め上げてきた。
「おう、何で笑った?」
「い、いや、その・・・もしかして笑うところかなって・・・違う?」
「笑うところじゃねぇから! マジだから!! というか、笑う前に表情死んでたから、そっちが本心だなぁ!?」
「ぐぉっ、絞まる・・・ま、まさか、お前にもそんな価値観があったとは!?」
「・・・あたし、にも?」
支倉姉が、私の胸ぐらから手を離し、我々は再び着席した。
「ええ、はい。幸坂さんも同じ事言ってました」
「あいつが・・・なんか、自然だな」
「でしょう?」
「あん?」
「・・・コホン、暁乃も女の子だもんな。毎朝制服に袖を通したら、姿見の前で回ってみたり、なんてね~」
「・・・あはっ☆」
「文句あっかー!?」
顔を真っ赤にして、支倉姉は部室から飛び出していった。だが、程なくして、けろりと落ち着いた表情をして、彼女は戻ってきた。
「ナイスなキャッチボールだったぜ、栗柄」
親指を立て、満足げな支倉姉。
「だろ?」
私も親指を立てて、答える。支倉暁乃、時に茶番じみたリアクションを相手に求めてくる困った奴。
「それで、この前さ・・・」
駄弁る前に、あのテンションに付き合うのは至難の業だろう。まったくもって、面倒極まりない奴である。
金曜日、今週最後の登校日。明日からは、もうゴールデンウィークだ、早いもんである。
今日は誰も居ないので、一人で読書タイム。喧騒から離れた場所での読書は、なんと言うか身に入るものである。目の前の情報に没入し、文字の海をたゆたうのだ。白状しよう、眠たくなってきた。読書って実は、喧騒の中の方が進むんだよなぁ。
私は本を片付けて、ブレザーを背もたれに引っ掻けると机に突っ伏した。少しくらい、寝ても構わないだろう。考えてみれば、不思議なものである。夢想のようなエスケー部を、会って間もない奴らと本当に作ってしまったのだな。
無難に生きれば、言葉を交わすことも無かったかもしれない。個性的で、悩みの尽きない奴らだった。知るよしも無かった事が、毎日のように収集されていくのだから、眠くなっても仕方ないよな。
眠気のままに、微睡みへと沈んでいく。ほんの一瞬の事のようだったが、ドアの開閉する音で目を覚ました頃には、日も落ちかけ、夜闇がゆっくりと拡がりつつある。つまり、17時はとっくに過ぎている頃だ。
「寝過ぎた・・・」
ぼんやりとする頭の片隅で、部室の扉の開閉音がしたことを思い出した。
扉の方を見ると、女生徒が立っていた。幽霊かと胆を冷やしたが、よくよく見てみると泉さんだった。何故か、長い御髪を一つに纏め、体操ジャージを着用している。見るからに体育帰り、おかしな話である。
おかしいと言えば、泉さんは私用があると帰ったはずだ。それに、今日の授業に体育は無かったから、一度帰ったのか。それなら、何をしに来たのか。何故だろう、心臓の鼓動が早まっていく。妙に居心地が悪いからだ。
「・・・泉さん?」
呼び掛けても返事が無い。泉さんは扉の前に佇んだまま動かない。様子がおかしい、言い表せぬ居心地の悪さが増していく。不安になった私が、少し腰を浮かせると、泉さんはそっと扉に手を回し、鍵を掛けた。その音が、静かな室内に嫌という程こだました。何故、鍵なんて。鍵を掛けられた部屋で、若い男女が二人きり、艶っぽいシチュエーションではあるが、何だろう告白でもされちゃうのかな。笑えない。
泉さんの右腕が、そっと上げられた。何だろうと目を細めた次の瞬間、空気の抜けるような音と共に、腹部にチクリと痛みがあった。そして、間髪入れず、爆発したような痛みの後、強力な痺れが私の身体を駆け巡っていく。意識がふっ飛びそうになるのを舌を噛んだ痛みで堪えた。さすがに立ってはいられず、しゃがみ込んでしまう。いつでも気絶出来るほどの目眩と吐き気に襲われながら、腹部を見ると細い針のようなものが突き刺さっていた。
「やはり、民間用のテイザーでは確実性に欠けるわね」
泉さんは右手に持っていたものを捨てると、代わりにポケットから刃物を取り出した。くだものナイフなんて可愛いものじゃない。刃渡りのえげつない、しっかりとした造りの軍隊仕様である。
「ごめんなさい。何も感じないまま、殺してあげるつもりだったのだけど・・・」
泉さんはナイフを逆手に持ち、私の元まで歩み寄ってきた。これはとんでもない告白である。私は距離を取ろうとしたが、四肢に力が入らず、尻餅を突くことしか出来なかった。
泉さんは、そんな私の髪を左手で鷲掴み、首を傾け、露になった首筋目掛けてナイフを振り下ろしてきた。私は何とか左腕を上げ、ナイフ振り下ろす腕を止めた。後は力比べになったが、腕は止められても体勢は維持出来ず、押し倒される形で攻防戦は続いた。
「何故、泣き喚かないのかしら? 貴方は今、無力に近い状態で殺されようとしているのに」
「あ、ぇ・・・」
舌も痺れてろれつが回らない。攻防戦は、泉さんが体重を掛けてきているせいで押し負けつつある。ナイフの切っ先が、私の首筋へと確実に迫っていた。
「答えなさい・・・貴方は何故、狂乱しないのかを」
「っ・・・たん、が、ほうほ」
「もっと、はっきりと!」
「くっ・・・スタンガンで痺れた後、どう対処するか・・・知ってるか?」
急に泉さんを止めていた左腕から力を抜くと、ナイフは勢い余って、私の左肩へと突き刺さった。
「なっ!?」
痛い、肩がもの凄く痛い。これほど痛いと、あの脳内物質が大量分泌してくれる。カモン、アドレナリン。徐々に四肢へ感覚が戻る。肩口に刺さるナイフに重心がある泉さんの身体を膝で押し上げ、巴投げの様に、泉さんを頭上へ蹴り飛ばした。
窓枠に背中からぶつかり、泉さんが咳き込んでいるうちに、私は立ち上がった。肩口がじんじんと痛み、熱を帯びていく。このおかげで痺れを解くほどのアドレナリンを出すことが出来た。今のうちに泉さんを取り押さえようと、満身創痍の身体を突き動かしたが、すばやく身を翻した泉さんに、あろうことか股抜けされてしまった。
私の背後に回った泉さんは、先ほど捨てたものを再度拾い上げた。それはテイザー、電極を飛ばし、感電させる遠隔型のスタンガン。電極はまだ、私の腹部に刺さっている。
「チェックメイトよ」
すばやくバッテリーを取り換え、泉さんはトリガーを引いた。再び、凶悪な電流が私の身体を駆け巡る。ああ、これは終わったと私も思った。だが、身体は依然として動かすことが出来た。
「そんな!?」
満身創痍ハイというか、アドレナリンのおかげで多少の無茶が効く。倒れ込むように右肩でタックルを食らわせ、泉さんは壁に叩きつけられた。さらに、息もつかせず、彼女の胸ぐらを絞め上げ、片手で背負い投げてやった。落下地点は長机の上である。
派手な音を立て、落下した泉さん。受け身は取れなかったようである。机に打ち付けられ、苦悶の表情を浮かべながら、呻き声を上げる泉さん。凶行に及んだくせに、鍛え方が足らないのではないか。
というのは冗談として、これはどうしたものだろうか。落ち着いて考えたいところだが、生憎今は落ち着くわけにいかない。むしろ、怒っていないと駄目だ、しばらく言動、行動が荒くなりますが、ご了承ください。
私は机の上に腰掛け、気が遠くなっている泉さんの頬を打った。
「おい、起きて聴け。俺は帰るから、部室を片付けて、鍵を返しておけ。後日、要面談だからな」
泉さんは虚ろな目で、こちらを見るだけなので、もう一度頬を打っておいた。
「判ったか?」
やっと頷いたので、鍵を彼女の上に放り投げ、私は立ち上がった。何だか、こっちが悪者のようで気分が悪い。襲われたのって、私だよな。
ブレザーを羽織ろうとして、ナイフの柄が邪魔な事に気付いた。というか、止血をしないと。
私は常備しているハンカチを左手に持ち、右手でナイフの柄を掴み、一息で引き抜いた。
「っ・・・!?」
物凄く痛いのだが、イライラしているせいで、どこか他人事。直ぐ様ハンカチをあてがい、両手で圧迫止血を行なった。
痛みのピークが過ぎてから、傷口を確認してみた。けっこう深々と刺さっていたようだが、鎖骨や動脈は逸れていたおかげか出血は意外と少なかった。
ハンカチで圧迫を続けながら、ブレザーを羽織った。さすがに左腕は袖を通せないが、傷口を隠す事は出来るだろう。刺さっていたナイフはどうするか。返すのは危なっかしいので、持ち帰ることにした。
泉さんは、まだ動かない。仕方がないので、だめ押しに頬を打っておく。
「後日、要面談だからな」
それだけもう一度伝えて、私は部室を出た。幸い、下駄箱まで誰にも遭遇せずにたどり着き、靴を履き替えて、いつの間にか夜闇に沈んだ外へと踏み出した。
風が吹くと、嫌に肌寒かった。大量にかいた汗のせいか、失血のせいか。
私は傷口を右手で押さえながら、駅へ向かう坂を下り始めた。とはいえ、こんな姿で人混みに出れば事件なので、途中の竹林道に入ることにした。この道はあまり人通りの無い住宅街に出ることが出来るからだ。
足元に等間隔で置かれた提灯風の灯りを頼りに、痛みに耐えながら歩いていると、なんだか夢の中を歩いているかのような感覚に陥っていく。これってマズイやつかな、明らかに気が遠くなっている。何か覚えのある感じだ、そう風邪を引いた時のような。身体に刃物が入り、高熱が出ているのかもしれない。外科手術の後のような感じか。だが今は、帰宅するのが第一である。気絶して、誰かに発見されるわけにはいかない。
それから、自宅の扉をくぐるまでの記憶はぼんやりとしているが、誰にも見咎められなかったのは確かだ。意識のあるうちに、傷口を処理しなければならない。深い刺傷、縫うしかあるまい。縫い針と糸を消毒用のアルコールに浸し、上半身の衣服を脱ぎ捨て、鏡台の前に立った。
傷口、血は止まっているが、痛々しい。まだアドレナリンに頼らねばならないらしい。おのれ泉さん、面倒な事を。傷口の縫合は案外綺麗に仕上がった。むしろ、針に糸を通すことが一番難しかったくらいだ。傷口をガーゼで覆い、破傷風などの感染症が怖いので、抗生物質を服用してから、ようやくソファに座り、意識を手放した。
ああ、観たい番組、あったんだっけ。
土曜日、目を覚ますと昼だった。ソファで寝てしまったと思い、身体を起こそうとして左肩に走った痛みにより、全てを思い出した。そうだ、私は刺されたんだった。
傷口を確認したが、しっかりと血も止まり、化膿している様子も無い。とはいえ、化膿止めを塗っておく必要があるだろう。持ってないから、買いにいかねばならないが。傷口のガーゼを張り替え、血で汚れた身体をウェットシートで綺麗にしてから、新しい服に袖を通した。
まだ熱があるようで、頭が重い。それでも、化膿止めと食料を調達してこないといけない。廊下に脱ぎ捨てていた血まみれの制服は、玄関の隅に蹴っておく。
外に一歩でも出れば、もう辛い表情は無しである。平静を装おって、何食わぬ顔で買い物して帰る。ところが、財布は鞄と共に忘れてきたことが発覚した。仕方ない、ATMへ行くしかあるまい。後は食欲のままに弁当を貪り、抗生物質を飲み、化膿止めの軟膏を傷口に塗りたくって、眠るだけだ。この繰り返しで、土曜日はあっという間に終わった。
そして、日曜日の朝。熱は下がったらしく、スッキリとした目覚めだった。どうやら、自浄作用は終わったらしい。日課となりつつある傷口チェックを行うと、化膿することも、感染症になることもなく、少しずつ癒着を始めていた。若いって良いね、回復が早い。痛みも鈍痛に変わり、手を上げる以外なら、左腕も自由だ。
となれば、シャワーを浴びよう。はやく垢を落としたくて、我慢出来ない。軽い手術なら、術後すぐにシャワーを浴びさせるらしいし、問題ないだろう。
そんなこんなで、さっぱりした後は、部屋を掃除していく。その過程で行き当たるのが、血まみれで放置した制服だ。血が乾いてもうパリパリ、これは捨てるしかないだろう。しかし、血まみれの衣服って、普通に捨てて良いものか。こっそりと、学校の焼却炉に放り込んでしまおう、そうしよう。
ポケットから必要な物を取り出していくと、あのナイフが出てきた。そうだ、持って帰ってきたんだ。血にまみれているが、見れば見るほど、高そうなナイフである。こんなのすぐに足がつくだろうに。もしかしたら、泉さんは私を殺したら、捕まるつもりだったのかもしれない。
返すのもあれだし、かといって処分もし難い。保管しておくしか無いから、私はナイフを綺麗にすることにした。血まみれのナイフとか置いとくの嫌だし。
こびりついた血の塊を落としながら、暇なので推理なんてしてみちゃったりする。泉さんは何故、私を殺そうとしたのか。
まず、ナイフやテイザーなんて物を揃えていたのだから、計画的な犯行だろう。だがあの時、泉さんは私を苦痛と共に殺すことを謝罪していた。それはつまり、私への怨恨が、犯行のトリガーではないことを意味している。会って数週間で怨恨も糞も無いが。
今回の場合、計画の方が先に企てられ、後からターゲットを選考したのだろう。選考方法は、時期的に部活だろう。あれが憐れな犠牲者を誘い込む為の口実だったわけだ。何故、私がターゲットに成ったかは判らないが、部員全員がターゲットだったはず、抜け目ない泉さんのことだから、きっと下調べもしていたはず。そこで私は、あの尾行の件を思い出した。なるほど、ああやって部員全員の行動を調べていたのだろう。いや待てよ、そうなると泉さんは、他の部員を殺しに向かっている可能性も出てくるじゃないか。ちゃんと話つけてから帰るべきだったな、まあ無理だったけど。
これ以上の推理をするには、現状では材料が足らない。まあ、直接聞けば全てが解決するだろう。ナイフも綺麗になったし、出掛けるとしよう。
予備の制服に袖を通し、私は学校へ、部室へと向かった。泉さんがちゃんと片付けたのか、それと帰路に血痕が落ちていないか、確認しておく為だ。まるで私が殺人犯のようで釈然としないが、致し方ない。
道には血痕は見当たらず、私は校内へ入った。日曜だというのに、運動部が威勢の良い声を上げて、練習に励んでいる。これを見ていると、やっぱり入らなくて良かったと心底思う。まあ、代わりにナイフで刺されることになるのだけど。
校舎の裏手に回り、焼却炉を確認する。幸い使用中のようだが、周囲に人影が無い。不用心この上ないが、今は好都合だ。持参した制服を、納めていた紙袋ごと、何の気なしに投棄した。人目を気にし過ぎると、かえって怪しまれるからだ。
職員室を訪ねると、柘植教諭が居た。聞いたところ、今日は当直なのだそうだ。加えて、部室の鍵は既に持っていかれていることを告げられた。名を聴いて驚いたが、納得もした。そういえば、日にちを指定していなかったな。
職員室を後にして、部室へと向かう。風に乗って、激しい演奏と歌声が聴こえた。エレキギターの音だから、軽音部だろうか。真面目にやってんだな、あの先輩も。
部室の前に来て、私は深呼吸をした。仮にも私を殺そうとした相手と対面するわけだから、緊張もする。ナイフとか投げて来ないよな。私は意を決し、部室の扉を開けた。
たぶん荒れていたと思われる部室は綺麗に整頓され、上座にはいつものように、泉さんが座っていた。静かに目を閉じ、まるで処刑を待つ罪人のような佇まいである。後日としか言わなかったから、律儀に休日も学校に来ていたのだろう。
さて、開口一番に何と言ったものだろうか。
「その・・・待たせたな」
「・・・ええ」
「ちゃんと片付けもしてくれたんだな」
「ええ、二度も叩かれたから」
「そうだったな・・・さて、まず聞きたいことがある。俺を刺した時、何を思った?」
「・・・というと?」
「後悔か? 興奮か?」
これは第一の関門だ。後悔と言えば、話し合う用意がある。しかし、興奮と答えたら、終わりにしなければならない。それは、説得でどうこう成るものでは無いからだ。
「・・・・・・後悔、しているわ」
それを聞いて、少し安心した。これで、交渉のテーブルにつける。私は泉さんと対面するように、下座の椅子に腰を下ろした。
「俺は今回の事を、この場での示談、話し合いで決着を着けようと考えている」
「・・・何故?」
「ごもっともな質問だが、それを答える前に、3つの要求を呑んでもらう必要がある」
「・・・私を脅迫して、何をするつもりかしら?」
「嫁にする」
「っ!?」
「・・・なんて、言うとでも思ったか? 残念ながら内容はまったく違うぞ」
からかわれたと判った泉さんは、物凄い眼光でこちらを睨んできた。声を出して驚かせるとは、一本取ってやったようで、何だかちょっと嬉しい。
「まず、何があっても部活を存続してもらう。部活を無くされたら困る、約束は守れ」
「・・・次は?」
「他の部員に手を出すな。泉さんの殺人衝動がどんなものか知らないが、まずは逃した獲物の俺を狙え。ただし、真っ向勝負だけな。毒殺とか足がつくから」
「・・・最後は?」
「重複するかもしれないが、絶対にバレるな・・・以上の要求を呑んでくれたら、警察にはチクらない」
「・・・分かった、承諾するわ」
「良かった、事が事だから書面には残せないが、泉さんを信用することにするよ」
「信用・・・答えて、何故なの? 何故、私を・・・」
「叱責しないのか?」
「・・・ええ」
「激情して、唾を吐き掛けながら、ド汚い言葉をぶつけて欲しかった?」
「・・・ええ、そうあるべき」
「そうあるべき、ねぇ・・・正当防衛で俺に殺されることも望んでいたのか?」
「・・・貴方が詮索好きなのは判ったから、そろそろ答えてもらえないかしら? 何故、私を見逃すの?」
「そうだな、推理推論をベラベラ話すのが俺の悪い癖・・・端的に言えば、俺はこの部さえ存続してくれたら文句は無いからだ。欠員が出たら休部、というか事件なんて起こされたら廃部じゃないか」
「そこまでの部活愛があったとは、知らなかったわ」
「愛とは違うさ、都合が良いから守るだけ。人は利益でしか動かないものだろ? 俺がその最たる者ってだけの話だよ」
「・・・つまり、私を突き出すよりも、見逃す方が利益になると?」
「その通りだ、だから俺は泉さんを見逃す。というか、不問に伏す」
「・・・殺人鬼を、身近に置くと?」
「え、他にもう誰か殺してるの!?」
「・・・いいえ、実行に移したのは今回が初めてよ」
「何だ、殺人鬼じゃなくて殺人チキンじゃないか」
殺人鬼は、既に何人か手に掛けている奴を指す言葉だから、常人以上殺人鬼以下としてチキンと称したが、妙な怪物みたいになってしまった。B級ホラー作品だろうか。
「まあ、殺人チキンなら良いんじゃないか? おいそれと居眠り出来なくなるけど」
「・・・何故、貴方は私を恐れないの? 常人なら、こんな輩とは二人きりで会うべきではない、忌避すべき存在のはず」
「え? だって泉さん、俺より弱いじゃない?」
「・・・私が、弱い?」
「弱い、弱い。恐れるに足らず? テイザーやナイフ使っても、素手の俺に負けたんだよ? この人は襲ってくる事があると判っていれば、怖くないさ。本当に怖いのは、前触れもなく襲われた時だけかな? 一昨日みたいに」
「・・・何故そんなに、平然と受け入れられるの?」
「何故何故、しつこいなぁ・・・何が気に入らない? 破格の申し出のはずなのに」
「私が、私の方が異常なことを仕出かしたのに、貴方は大事な皿を割られた程度にしか捉えていない」
「はあ・・・ああ! 分かった、手応えが無いから不満なんだな? 当たり前だ、世間的には一大事だろうが、俺から見ればまだまだ可愛いものだ。世の中にはもっとヤバイ奴が居る」
「・・・言いたくないのだけど、何故そこまで相手を赦せるの?」
「またか・・・言っとくけど、俺は誰でも彼でも受け入れられるような聖人じゃないからな? 泉さんの事が憎めないから見逃したわけだし」
「・・・はい?」
「憎めないなら、赦せるってことだろ? なら赦す、コンティニューは三度までってことで」
「そう・・・なら、あと2回は殺しに行けるということね」
「・・・ん? 後悔してたんじゃ、あれ?」
「ええ、後悔したわ・・・あの程度の準備で挑んだことを」
ああ、そっちな。
「はあ・・・殊勝過ぎると思ってたんだよなぁ。やっぱり懲りて無かったか」
「当然、殺せていないのだから、諦めようが無いわね」
良い性格だな、まったく。
「在学中は相手してやるから、俺が生きている限り、部活は存続させてくれよ?」
「ええ、分かっているわ」
「なら、話し合いは粗方終わりかな? 正直分からない事は多いけど」
「ええ、そうね。これで安眠出来るわ」
「安眠したいなら、こんな事するなよ」
「しょうがないじゃない? 衝動は抑え切れなくなるものだから。これまで良く耐えられたと自讚したいもの」
「ああ、はいはい・・・そうだ、聞いておきたいことがあったんだ」
「何かしら?」
「泉さん、名前は何て言うの?」
「本当に自己紹介を聴いていないのね・・・私の名前は泉凜撞。趣味は殺人妄想。宜しくね、栗柄鎬君・・・」
憎悪や激情、狂気に端を発する、おどろおどろしい殺意は感じない。涼風のように清らかで、陽光のように真っ直ぐな、彼女の殺意は、憎めない小粋さを有している。
「改めて宜しく、泉凜撞さん」
この人はきっと、ろくな人生を歩まないだろう。だがきっと、満足して死んでいくことだろう。俺に出来るのは、その満足そうな生き様を、へし折ってやる事くらいである。